THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考147北アフリカ・中東にうねる民衆蜂起 常岡雅雄


蜂起した北アフリカ・中東民衆は

自己権力へと結晶できるか


2011年2月11日エジプト民衆革命勝利の日


 怒涛の如く押し寄せる民衆決起のうねりに呑みこまれて独裁者ムバラク大統領は遂に政権を投げ出して逃亡した。

この目も覚めるように見事なエジプト民衆革命の勝利のその瞬間に、私は、私の思いを語っておこう。その熱が日本に伝わってきた、その瞬間に。その民衆革命の熱気が頂点に達している瞬間に。その頂点から、どのような方向へ向かうか?それが明確には誰にも分らない瞬間に。革命の果実をめぐって、様々な思惑と力学が交差しあっているその瞬間に。私の思いを語っておこう。


民衆革命評議会だけが新生エジプトを生む


 まず一週間前を振りかえる。

 その2月3日の時点で、私は、社会主義の道を歩きつづけてきた私なりの考えと直感とで、本誌前号(2月15日号)の「編集長独白」に「人民評議会だけが新生エジプトを生む」として次のように語った。

 「立ち上がったエジプトの人々よ。ムバラクを恐れるな。ムバラクを信じるな。選挙などの罠に落ち込むな。逡巡は最大の敵だ。動揺は最大の敵だ。迷いは最大の敵だ。エジプトよ。理性と人間愛の心をもって誠実に真っ直ぐに前進しよう。前進、前進、また前進。横にいる隣人と革命の絆を結ぼう。その革命の絆を横から横へと繋げ。エジプトの隅から隅までその絆の網を張りめぐらそう。その『人民の革命評議会』こそ新生エジプトの『唯一の力』なのだ。革命エジプト万歳。新生するエジプト『人民の革命評議会』よ。ピラミッドよりスフインクスより雄大な姿を全世界に見せよう。クレオパトラにも劣らぬ優美な微笑を全世界に送ろう。」(2月3日)


事態を見つめる私の立場と思想


 特に現存社会主義の崩壊以降の世界において、「マルクス・レーニン主義」について、世間一般には、そして多くの社会主義者・共産主義者たちの間においても、「マルクス・レーニン主義」は「スターリン主義」と同義とされる。しかし、私は、「マルクス・レーニン主義」という造語が、例えスターリンによるものであったにしても、「マルクス・レーニン主義」をスターリン主義と同義とは考えない。マルクス、エンゲルス、レーニン、トロッキー、ローザ・ルクセンブルグ、グラムシをはじめとした「社会主義・共産主義」運動の革命的な創始者・開拓者・実践家たちが探求し築き上げてきた「労働者階級解放の思想であり革命論」だと自分なりに理解する。そうした意味において、私は、「マルクス・レーニン主義」に「社会主義の思想と革命論」=「労働者階級解放の思想と革命論」として「基本的な正当性」を認める。

 この見地に立って、(一)先ずは「独裁者ムバラク追放」に至る今回のエジプト事態を、世間一般の理解とも等しく「民衆革命」と理解した。(二)その「民衆革命」に蜂起して独裁権力を打倒したエジプト民衆は「自分たち自身の革命評議会」を全国的に建設して、ムバラク後の「新しいエジプト」の「実体的な権力」となって「新生エジプトの建設に向かう」ことを期待した。

 その「人民の革命評議会」こそが「自己解放をめざす民衆蜂起」のたどるべき「革命力学の必然性」だと考えた。上掲した2月3日時点の「編集長独白」はそのことを意味するものであった。

 確かに、エジプトの民衆蜂起は「ムバラク打倒の達成」時点まで、この革命力学に沿って展開した。エジプト民衆の革命的蜂起のうねりは見事であった。「独裁者ムバラクの追放」=「ムバラク独裁政権の打倒」を、エジプ民衆は最後まで曖昧にせず譲らなかった。

 そして、「2・11ムバラク逃亡」によって、その目的を遂に達成した。


権力側の妥協と譲歩と懐柔に惑わされず

津波のごとく前進し続ける民衆蜂起


 その展開の特徴点を概観してみる。

 (一)ベンアリ独裁政権を打倒したチュニジア民衆革命(まだ「未完」なのだが)に続いて1月25日に勃発して全国に波及してゆくエジプト民衆蜂起にたいして、ムバラク大統領は「補助金維持、インフレ管理、雇用創出などの経済政策の実行」という姑息な細切れの譲歩で乗り切ろうとした(朝日1月31日夕)。(二)更に、ムバラク大統領は「腹心のスレイマン情報庁長官を副大統領に任命し、野党勢力との対話開始を指示した。野党候補の大統領選出馬を阻んできた憲法改正も約束した。」(読売2月3日)。

(三)他方、最大野党「ムスリム同胞団」などの野党勢力側は「民主化指導者でノーベル平和賞受賞者のエルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長を軸」に「野党勢力を結集した暫定政権の樹立」を模索し始めた(朝日1月31日夕)。(四)エジプト外からは、米国・オバマ政権が「秩序ある権力移行」を求めた(朝日1月31日夕)。(五)朝日新聞2月1日「社説」も「国の再出発は全政治勢力が参加する暫定政府に委ね、できるだけ早期に大統領選挙と議会選挙をして、民意を問うべきである」とオバマ政権と歩調を合わせて「秩序ある権力移行」を説いた。(六)同じく読売新聞2月3日「社説」も「これ以上の流血と混乱を避けなければならない。現政権側と野党勢力は、協力して平和的な政権移行に取り組むべきだ」と政権側と野党側との妥協と「秩序ある権力移行」を説いた。

(七)2月6日の朝日新聞によれば、「エジプト野党勢力の大統領候補として有力視されているアムル・ムーサ元外相(アラブ連盟事務局長)は、ムバラク大統領任命のスレイマン副大統領の対話呼びかけに応えて、〈ムバラク大統領の即時辞任にこだわらず「与野党で政権移行のロードマップ(行程表)を作り、与党を含む挙国一致政権を樹立すべきだ」とし、大統領出馬の意欲をみせた。〉

(八)だが、エジプト民衆の蜂起は、こうしたムバラク権力側の姑息な妥協策や、野党側の暫定政権構想や、オバマ政権などエジプト外世界からの非民衆的な「秩序ある権力移行」論を乗り越えて前進する。(九)この民衆蜂起の前進に追いつめられて、ムバラク政権は民衆蜂起に対決する政権側からの「反民衆デモ」までも動員しながら、2月8日、「憲法改正を検討する委員会を発足させる大統領令」を発した。(一〇)しかし、それらムバラク政権の窮余の妥協策にも、蜂起したエジプト民衆は惑わされず前進し続けて、遂に2月11日、ムバラクを辞任と国内雲隠れに追い込んだのである。(2月11日現在)


民衆がムバラクを打倒し軍部が権力を握る


 そして、このムバラク政権倒壊後の全権をエジプト軍部の最高評議会が握った。その軍部最高評議会が「統治期間を今後6カ月か、新政権発足までとする声明」を発表した(朝日2月14日)。エジプト国営テレビが伝えた声明によると、民政復帰へのプロセスは「憲法の停止▽議会上下院の解散▽憲法改正に向けた委員会の設置▽憲法改正のための国民投票▽大統領選と議会選の実施」の流れであり、民政復帰までの間、現シャフィク内閣は継続し、国家元首は軍最高評議会議長や国防相を務めるムハマンド・タンタウィ元帥(75)が務めるのである。(前同)。

 即ち、エジプト民衆の反独裁蜂起は「軍部が国家の最高権力を握る」という民衆なき軍部支配に帰着したのである。

 「民衆の革命評議会」の全国的な結成と、その「人民革命評議会による国家権力の掌握」という「真の革命事態」には到達できなかったのである。(2月14日現在)


蜂起した民衆が問われるもの

新しい人民権力へと自分たち自身を結晶させうるか否か


 このチュニジアに端を発した民衆蜂起の波は、このエジプト民衆蜂起から、更にリビア、バーレーン、イエメン、アルジェリア、サウジアラビア、モロッコ、イラン、イラク、モーリタニア、シリア、ヨルダン、ジブチ、クウエートへと波及して、北アフリカ・中東全域をおおう民衆蜂起へとうねっていっている。中でも、追いつめられて、外国からの傭兵に独裁権力防衛を頼り、自国リビアの民衆に空爆攻撃を行うまでの断末魔に陥ってしまったカダフィ政権の倒壊が今日か明日かの目前にまで迫っている革命状況の北アフリカ・中東世界である。

 エジプトはもちろん、チュニジアも、その他の北アフリカ・中東諸国においても、民衆の反独裁蜂起が革命的前進を遂げることができるか否か?

 その蜂起を「真の民主主義」=「民衆の民主主義」へと結実させることができるか? それが、依然として問われている北アフリカ・中東情勢である。それら全事態の核心は「蜂起した民衆自身」が「自己を権力として組織しうるか否か?」にこそあると私は考える。(2月24日現在)