THE  POWER  OF  PEOPLE

 

生きる基礎が問われている樋 越 忍


TPPの後に生まれる人類の危機

作り変えられる世界の構造!


 政府はTPP交渉に参加するという意思を明らかにした。この態度表明に対して「TPP参加で日本農業は崩壊する」と、農業協同組合などはいち早く反対の意思を表明している。多くの国民は「TPP問題」とはいかなることか知らされていないが、この問題は我々日本人に関わるだけではなく世界的な規模での大問題である。


アジア市場を狙う米国の戦略


 TPP(TransPacific Strategic Economic PartnershipAgreemen)即ち「環太平洋戦略的経済協定」は、今突然現れた構想ではなく二〇〇二年のAPECサミットの際にシンガポール、ニュージーランド、チリがTPP交渉が始まっており、この時ニュージーランド政府は、「APECにおける自由化を推進することがTPPの目的だ」と今後の方向を明らかにしている。この協議に至るまでに各国の間ですでにその初歩的な(地ならし的な)協定はFTA(二国間、多国間双方の枠組みでの協定)によって形作られている。だがFTAで対象にされた品目は、各国の実情に合わせ限られた範囲のものであったし、二国間若しくは地域間という限られた範囲で行われていたものである。しかし、限られたといってもFTA協定は各国が複数国と締結しており、協定していないのはロシアただ一つである。米国は十二カ国と、中国は十三カ国、日本は十二カ国と協定しており、それはAPEC総体の規模で網の目のように確実に進んでいる。このFTAの特徴は、自由化する品目が二国間で取り決めることが出来るということで全品目解放ではない。日本の場合、農家保護にために米や小麦、バター等は以前のまま高い関税を課している。ちなみに、米は七七八%、小麦は二五二%、バターは三六〇%、雑豆四〇三%という具合だ。そうすることで農家を保護し国民生活の安定を図ってきた。それぞれの国が、それぞれの国内事情を持ち、許される範囲でFTAを結び、国と国の間の調和を図ってきたのだが、膨れ上がる貿易競争の野望はFTAの範囲で収まらず、さらなる拡張を求め始めてきたのである。即ち「原則、全品目への対象拡大」である。そして、その規模を一挙にAPEC規模への拡大である。太平洋に面した地球の半分ほどの規模で貿易自由圏を築こうというのである。その時、特に注目されるのは中国という人口十三億というとてつもない巨大な市場であることは言うまでもない。中国の場合、FTA協定を結んでいるのは東南アジアの小国ばかりで米国とは未締結である。これがTPPに参加すれば、米国製品は決壊したダムの洪水の様に流れ込むことだろう。米国の思惑は、中国をTPPの枠内の取り込むことだけではなく貿易自由化の内部にまで及んでいる。

 現在米国の立場はTPP交渉に参加するだけであるが、米国が行っていることは、TPP協定交渉へ参加する前提として「農産物だけではなく、郵政民営化の見直しの検討」を日本政府に求めてきたといわれるように,TPPの協定内容にまで介入し、米国主導のTPP作りへと走り始めているのである。


TPP先にありきの拙速さ


 「TPP参加の最後の機会」、「TPPに参加しなければ世界の孤児になる」、「TPP不参加は、産業空洞化を促進させる」などというショッキングな言葉が散見されるようになった。その反面、冒頭の様な農業者の厳しい反対意見もあり国論は真正面から対立し始めている。そんな時に政府の「Tpp協議参加」という方針が出てきているのである。だが、この問題は突然私たちの前に出てきたものではなく、サミット協議の中で検討され、世界の経済流通の仕組みを根本から見直す強い意志として作られた方向であるし、その先駆けとして出てきたFTA(自由貿易協定)がほぼ全域といっていいほどに完成したその次の段階がTPP構想だったのである。そうした経過を持って出てきた構想であるゆえに、この思惑はサミットに参加している先進国の意思が貫かれている代物だといわざるを得ない。つまるところ、米国をはじめとした先進国の新たな市場確保に向けた経済圏構想と言えるものなのだ。長年貿易収支の赤字を出している米国の実態は、何とかしなければもう持ちこたえられない、まさに限界に来てしまっていることからみても、TPP構想にかける期待は想像を超えた重要課題なのである。

 常に、自国の利益だけを優先したとの調和、協調を無視して突き進む先進国の凶暴な姿がここにもみられる。「今しかない」、「TPP参加を見逃せば世界の孤児に」というセンセーショナルな報道は先進国の本音を示した喫緊の課題であることを表している。

 しかし、それ程、全てに優先すべきことなのか。農業者が「TPP参加は日本農業を破壊する」、とまで言って反対しているにも関わらず強行すべきことなのか、将来の日本という一国の利害だけに焦点を当てるのではなく、世界の在り方に視野を広げ考えることが必要だと思う。とりわけ発展途上国の未来を考えないと先進国さえ存続が危うくなるという負の構造に危機感を持たなければならないのではないか。


人類が生きていくための調和を


 世界は様々な風土があり、それゆえ様々な特徴がある。そして、世界は様々な資源がありその自然に人は働きかけ、生産活動を行い生きている。農業を主にして成り立っている国もあれば、鉱工業を主にしている国もある。それらの国が作り出すものを相互に支え、共存し、成長させてきた歴史が人類の歴史でもある。だがここにきて、この歴史が根本から問われ、変えられようとしている。

 TPPの原則は、全ての製品に関税は課さない。自由な競争原理にゆだねる事にある。FTA(自由貿易協定)の段階では、自由化する品目を相互の協議で選択し、可能な品目を選び協定してきた。すなわち、保護すべきものは保護し、競争できるものは自由化し、その調和を前提に相互が発展してきた。しかしTPP体制はそれを許さず、貿易する全ての品目(製品)だけに止まらず、知的財産や資本進出にまで拡大しようとしている。そうなれば日本企業をはじめとする先進国が持つ世界屈指の工業技術は何一つ制約を受けることなく発展途上国に雪崩打つように入り込むことになる。また農業国からは安価な産物が日本の農業に壊滅的な打撃を与えるようになる。そうなれば日本農業は新潟産コシヒカリなど特殊なブランド物だけが生き残り、他の米は輸入米に席巻されてしまうことになる。それはコメだけではなく、全ての農産物についても確実に競争原理の波にさらされることになる。農産物に頼る国では、外貨獲得のため輸出産物用の農地に変わり伝統農業は衰退していくのだ。そして世界の農産物は特定の地域に流れ込み、途上国の飢餓は一層深刻さを増すことなる。

 それぞれに異なる風土、その与えられた条件の中で、長い時間をかけて積み上げてきた文化や人の生き方が先進国の経済成長という物差しで変えられて良いのだろうか、日本農業の場合、単に農産物を作るだけではなかった。稲が育つ田圃は、昆虫やカエルなどが生きていく場であり、それは他の生き物を支える食物連鎖の重要な環をなしている。農産物では生活が出来なくなり、田圃が崩壊すればそこでしか生きられなかった生きものもいなくなることは明らかで、自然は破壊されることになる。それだけではない。日本という国は平坦な平野が広がっている国ではない。国土の3分の2が山間地であり、そのため人は常に自然の脅威と闘わざるを得なかった。雨季には山間地帯から溢れ、水の被害に遭うことも多かったが、農地はその被害から守るために欠かせない遊水地の役割を持っていた。そのことは、私たち日本に暮らす者は誰もが知っているはずだ。「そのためにダムがある」、というのは正に極論であり暴論というしかない。

 TPP構想というのは、自然が破壊され、国土が荒らされてしまう大変事に直結することなのだ。


守るべきは死守する


 大げさな表現かもしれないが、大企業の無限な利益のために、国土が瀕死の状態に追い込まれても「世界の孤児になりたくない」、と決断していいのだろうか。また、農業から放り出された人たちが、職を求めてハローワークに押し寄せ、そのことで更なる低賃金労働者が生まれていくことを受け入れられるのか。

 この様な、新たな貧困層を作り出すのは日本だけではなくTPPという広さを持って進行していくのである。

 極論だ。と言われようが、私は言うしかない。「自動車など、あってもなくても良い」、「そんなものと引き換えに、生きるために欠かせないものを犠牲にするな」、自然の生産物は鉱工業生産物と違って、不況だから生産中止して良いものではないのだ。絶えることなく、そして永久に継続していか なければならない不可欠の生産行為なのだ。

 生きるために必要な、生死に関わるものだ。

 どれ程重大なことであっても、どんなにつらい任務が課せられようとも、私たちは守るべきものは絶対に守り続けると・・・。(2月3日)