THE  POWER  OF  PEOPLE

 

安全保障関連法案を廃案へ 後藤正次


九条をつぶさせない

働き生活する場からその力を創る


 この6月4日、長野県の地方新聞である信濃毎日新聞が「廃案のばねにしたい」という見出しの社説を掲載した。安倍首相がこの夏までに成立をさせようとしている「安全保障関連法案」を廃案とさせるために「みんなで頑張ろう」と社説で訴えたのである。

 世界のどこででもアメリカと共に戦争(武力行使)のできる日本にする、というこの法案に対し、171人(その後200人を超えたという)の憲法学者たちが「廃案を求める声明(6月3日)」を出したことを報じながら、信濃毎日新聞社としてもこの法案は廃案すべきものであると社説で訴え、この「声明」を反対運動の「ばね」にしていこうと檄を飛ばしたのである。

 行き詰まった資本主義世界、その泥沼の中でも市場争奪戦に勝ちぬくことを至上命題にする安倍首相は「戦争も辞さない」という新帝国主義の道をひた走っている。国会審議の始まる前にもかかわらずアメリカで「夏までには成立させる」と、圧倒的議席数をバックにした傲慢演説をして、何が何でもこの関連法案を成立させようとしている。

 その動きに「待った」をかけようとする人々は、今、国会前に座り込み、各地方で県民集会を開き、チラシを配り、ミニ集会で話し合い、デモや街頭宣伝をして、「反対」「廃案」の声を大きくしようと懸命だ。

 国家主義に取り込まれることなく、「戦争はあり得るものだ」とする帝国主義と闘うことを誓う私たち「人民の力」も、この闘う人々と力を合わせていきたいと思う。力を尽くしたいと思う。

 全国の同志たちからは自分の場で頑張って取り組んでいる報告がされているが、「人民の力」の「じじ・ばば」の実践原則にもとづいて、それぞれが自由に自立して、自分の生活の場で懸命に語り、集まり、行いをすることは、「地球人として生きる」ことにつながっていく道なのだと思う。


いかなる時でも武力は用いない

その覚悟を表明した九条


 この「戦争が出来る法案」は、もはや憲法違反であり審議すること自体が問題だと言う事態になっている。

 憲法学者たちの「廃案を求める声明」と同時に、6月4日には衆院の「憲法審査会」で参考人として招致された憲法学者3人全員が「違憲」と明言した。自民党推薦の参考人までが「他国への攻撃に対する武力行使は自衛と言うよりは他衛。どこまで武力行使ができるかが不明確で従来の政府解釈の基本的な枠内に収まっておらず、法的安定性が保たれているとは言えない」と述べ、「違憲」だと断定した。さすがの自民党もあわて、「政府による憲法解釈の範囲内だ」「「論理的整合性や法的安定性は確保されている」と反論(?)し、「かつてほとんどの憲法学者は自衛隊は違憲だと言っていた」「そもそも憲法判断の最高の権威は最高裁であり学者の判断に左右されるものではない」などという見解を所属議員に配布してこの場を突破しようとしている。

 その乗り切りのための法的根拠は1959年の砂川事件の最高裁判決だという。「砂川事件判決は固有の自衛権は認めており、その自衛権は『集団的』とか『個別的』という区別はしておらず、憲法判断の最高の権威である最高裁が自衛権の区別をしていないのだから、集団的自衛権は違憲と判断はできない」と、こじつけもはなはだしい「論(?)」を持ち出して来ている。

 何をかいわんやであるが、この砂川判決はアメリカが駐留軍を引き続き日本に駐留させるために当時の外務大臣や最高裁長官に画策をして、徹頭徹尾アメリカの指示と誘導で出させた判決であることがアメリカの公文書によって2008年に明らかにされているものでもある。「アメリカ軍の駐留は違憲」とした1審判決が出されたのは1959年の3月30日であり、翌年の60年安保改定の前にどうしても判決をくつがえしておかなければならなかったアメリカは、日本政府に高裁を飛び越えて最高裁に跳躍上告をさせ、無理やり「駐留は合憲」とさせたものであった。その判決も「合憲」と明確に謳ったものでもなく、自衛権は認めつつ「安保のような高度な政治性を持つものの法的判断は裁判所の範囲外のものである」と言わしめただけのものだったのだ。

 嘘で固められたものを持ち出し、強引なこじつけまでして「人を殺し殺される」法案が押し通されようとしている。徹頭徹尾、反対しぬくしかない。


自分が考え抜く—行いをする


 6月7日に長野市で開催された「戦争法案反対」の長野県大集会に秋田県在住の100歳になる反戦ジャーナリストむのたけじさんが招かれスピーチを行った。むのさんは「戦争をなくすために、この法案を廃案にするために、これから男と女は本気で愛し合おうではないか」と訴えた。「男は本気で愛した人を未亡人にさせる訳にはいかないと武器をとるのをやめるでしょう、女は愛する人を戦場に送らないために必死に抵抗するでしょう、だから、みんなで真剣に愛の花を咲かせる努力をして廃案に追い込もうではありませんか」と訴えた。

 自分の生きる場で出来ることは何だろうか。戦争をさせないために何を訴えることができるだろうか。輪を広めるために周りの人たちにどう話せばよいのか。むのさんは考え抜いた思いを私たちに訴えた。

 しゃにむに戦争のできる国づくりが進められる現実の中で、「自分のやれることを必死に探そう」と、むのさんは訴えたのではないだろうか。

 学び、考え、行いをしていくことによって、どんな時でも武器をとらない「覚悟」が自分の中に醸成されていくことを信じて頑張りたいと思う。


取り返しのつかないことをしてしまった自覚こそ


 3・11東日本大震災の時「人民の力」は、「一人も漏らさぬ救済と補償を」と、一人の落ちこぼれも排除もなしに救済すべきだと訴え、各政府機関にも要請文を送付した。地球上の誰ひとりとして殺してはならない、殺し合ってはならない・・に通じる「心」だと思う。

 それは民族を超え、国家を超える「心」に通じるものだ。が、その前提はその民族・国家が犯した罪を認め、反省し、謝罪と補償をしてからこそのものである。そこを曖昧にして「国や民族や宗教にかかわらず・・・」ということにはならない。

 安倍首相も反省しているという。しかしそれは侵略された人々の側に立った「反省」では決してない。戦後70年談話を検討(?)する有識者懇談会での安倍首相の挨拶は「先の大戦では約310万人の同胞が命を落とした。戦後の焼け野原の中で生き延びた日本人は平和への決意を新たに・・・復興を成し遂げた・・・」という言葉から始まったが、その後の言葉の中には侵略された人々の側の犠牲者の数は一顧だにされていないのである。

 その姿勢に比して、1970年にポーランドを訪れた西ドイツのブラント首相はユダヤ人隔離居住区のゲットーの前でひざまずき、深い謝罪の意を全身で表わした。ポーランドの人々は「そんなことをするとは誰も思っていなかった。ドイツを代表している人物のその行為はドイツ国民がひざまづいたようなものだった」と述懐し「非常に嬉しかった」と述べ、全世界が感動をしたことが今でも時々新聞などで紹介されている。

 日本は本当に取り返しのつかないことをしてしまったのだ。帰還した多くの兵隊たちはそれらに口をつぐんだが、それでも写真や証言でその一部を知ることができる。

 日本の兵隊が乳児の頭に銃剣を突き刺して笑っている写真。「丸太」と称した生きた朝鮮人や中国人に細菌を打つ実験。凍らせた腕をノコギリで切断する写真や証言。掘らした穴に生きたまま埋めて万歳をする日本軍兵士の写真。朝鮮独立3・1運動圧殺の現場にいたイギリスの特派員は「日本軍は教会に人々をおしこめ一斉射撃をした。中にいた婦人が赤子を窓の外に出し、『この子だけは・・』と懇願したがその赤子に銃剣が突き刺された」と書いている。

 こうした身の毛もよだつ日本軍の行為を知る努力を私たちはし続けなければならない。戦時性暴力被害者のいわゆる「慰安婦」とされた女性たちや、朝鮮女子勤労挺身隊として強制連行された女性たちは、自らの体験を告発し続けている。

 それらの事実に目をそむけてはならない。その知る努力を怠っている恥ずかしい自分がいるが、それらの事実は体の底から謝罪の念を湧き起こしてくれるものだ。「人を殺し殺される」側には決して立たないという思いを強くするにちがいない。

(6月12日)