THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考113 ピースウォークと9条世界会議 常岡雅雄



 9条世界へのうねり


 これから10日後の5月4日〜6日、千葉県の幕張メッセで「9条世界会議GROBAL ARTICLE NINE CONFERENCE TO ABOLISH WAR」が開催される。その9条世界会議にむかって2月24日に広島を発ったピースウォークが、1200キロ、71日間の「非武装・反戦・平和の長征」をくりひろげている。

 山陽道から東海道を上って目指す幕張メッセまで残るは後10日のところまで踏破してきたピースウォークは、私が今これを執筆している4月24日、神奈川県の小田原から藤沢に向って歩いている。明日(25日)は藤沢から鎌倉に入る。この広島にスタートした西からのピースウォークだけでなく、東からも、青森から「再処理止めよう、9条ピースウォーク」が上ってきている。北海道、秋田、山梨、更には沖縄などにおいても、反戦・平和の人々がピースウォークを始めている。

 ブッシュ政権のアフガン・イラク・中東侵略戦争と、このブッシュ侵略戦争に「日米同盟」の美名のもとに詭弁と大嘘のかぎりをつくして隷従する小泉・安倍・福田「自公連立」政権のイラク派兵、そして、日本支配勢力の「改憲」攻勢のもとで、日本国憲法9条の全人類的意義を確認するピースウォークの渦が全日本を包みこみながら5月幕張メッセ「9条世界会議」に向っている。この世界会議を目前にした5月2日には「9条改憲に反対し『9条世界会議』を盛り上げる」国会集中行動を「9条世界会議を盛り上げる5・2東京行動実行委員会」が展開する。

 「非武装・戦争放棄」の日本国憲法第9条はもはや、ただ単に日本だけのものではない。全世界の人々のものとなる9条、すなわち、「世界の9条」=「全人類の9条」=「グローバル9条」にむかって、その第一歩を確実に刻みつつあるのである。この「9条世界会議」のもつ意味は21世紀の人類世界のあり方にとって決定的に大きい。武装して世界規模に帝国主義的な政治と侵略戦争をくりひろげる帝国主義的勢力にたいして、全人類的な精神と理性にたつ非武装の民衆が非暴力の力で21世紀の世界をきりひらいてゆくことに通じる全人類的な実践である。21世紀の人類世界を大きく二分して流れはじめた全人類的潮流であり、人類と地球自然の前途を平和と安定と持続の世界へと切りひらき作り変えていく地球規模の大潮流である。


 聖火リレーを超える9条ピースウォークへ


 私は今日(24日)中にこの巻頭言を仕上げて、明日(25日)から26日にわたって、人力長野の事務所で本号(5月1日号)編集の仕上げを行う。ところで、その26日とは「北京オリンピックの聖火」が長野市内を駆けめぐって長野駅に近在する「若里公園」に到達する日である。人力長野の事務所「信濃未来塾」から100メートルも歩けば、そこが、この長野「聖火リレー」の到達点「若里公園」なのである。

 私は、(一)中国共産党政府の「チベット人民にたいする弾圧」に反対し「チベット民族の民族自治権の蹂躙」を批判する。(二)チベット民族の「民族自治権のあり方」は「チベット民族自身が民族の総意をもって定めることができなければならない」し(三)それは「中国共産党政府と中国国民と国際世界によって尊重されなければならない」と考える。(四)外部諸国などのチベット問題への「帝国主義的侵略的な介入を許してはならない」と考える。(五)更に、チベット民族内部の支配と被支配の対立関係、或いは階級対立関係にあっては、被支配階級である労働者・民衆の側に立って、その政治的・経済的な解放の願いと闘いの側に私は立つ。(六)その上で同時に私は、北京オリンピックの成功を願う見地から、その聖火リレーの順調な展開を妨げてはならない立場をとる。

 こうしたチベット問題への態度と北京オリンピックへの見地と「聖火リレー」への立場を踏まえて、26日の長野「聖火リレー」の当日、私は、「聖火」到達目標地=若里公園からわずか100メートルの人力長野事務所「信濃未来塾」で編集室の同志たちと共に、この5月1日号の編集作業をおこなう。

 この聖火リレーもオリンピックも、国家や民族や宗教や人種の違いをこえてグローバルに全人類的な意義をもっている。その順調な展開と成功が望まれるのは当然である。

 同時に、それ以上に遥かに次元をこえて決定的に重要な意義を全人類的にグローバルにもっているもののあることに私たちは気がつかなければならない。それが「9条の世界化」であり、そのための「9条世界会議」であり、そのために1200キロ、71日間の「平和大長征」としてヒロシマから展開しはじめた「9条世界化のためのピースウォーク」である。オリンピックの「聖火リレー」が世界を駆けめぐるように、「9条世界化のためのピースウォーク」が、2008年の日本から始まって、年々その「非武装・非暴力・反戦・平和」の渦を大きくしながら全世界へとうねり広がっていくことを願わずにはおれない。


 9条世界へのうねりとともに

 断固「9条判決」を貫徹する司法世界となれ


 一週間前の17日、名古屋高裁は「自衛隊のイラク派兵は違憲」の判決を下した。

判決の結論は「自衛隊のイラク派遣差し止め」を求める「原告団側の敗訴」ではあっても、その判決が、詭弁と大嘘と尽くして並べたてた政府側の派兵論拠をすべて覆して「イラク派兵違憲」の見解をしめしたのであるから、実質的には「原告団側こそ勝訴した」のであり「政府側こそ敗訴した」のである。それにもかかわらず、福田内閣は「イラク派遣違憲の判決によって政府が拘束されることはない」「イラク派遣から自衛隊を撤収させることはない」という違憲の態度表明を行なっている。自衛隊航空幕僚長(田母神俊雄)にいたっては、まさに違憲の暴力部隊のトップ将軍にふさわしく「そんなのかんけえね」とまで傲慢な言葉を吐いている。自公連立の今日の日本政府は、2月24日広島出発以降のピースウォークが到達する9条世界会議からスタートしていよいよ全地球規模に広がっていく「9条世界の実現」をめざす世界潮流に、不真面目にも、傲慢にも、愚かにも、真っ向から敵対する「戦争内閣の道」をあらためて曝け出しているのである。

 同時に私達は、裁判官たちにむかって、司法世界にむかって、あらためて明確に問題を突きつけておかなければならない。

すなわち、司法世界は、その司法の独立=主体性と尊厳を自覚し確立すべきだ。そして、「9条世界」の一員として「世界性ある司法」として自己確立を果たすべきだ。

 確かに、小泉政権以降の自公連立政権が強行した自衛隊イラク派兵の根拠(まさに詭弁と大嘘!)を覆して「自衛隊派遣は憲法違反」の判断をしめした名古屋高裁判決は「画期的!」である。

 しかし、それにもかかわらず、判決の結論は「派遣差し止め請求」を「却下」して原告敗訴としたのは何故であろうか。それによって、真の意味での主体性ある司法の役割を果たしたということになるであろうか。実際には、それによって、政府に「違憲判決」は「傍論」であって、本論(結論)は「政府側の勝利だ」と開き直らせて「イラク派兵を続行する」ことに司法的根拠をあたえてしまったのではないだろうか。

 ここにこそ、今日の日本の司法世界の重大な問題性があり決定的な弱点がある。政府行為の違憲性にたいする違憲審査権を有するにもかかわらず、最高裁判所はじめ日本の司法世界は、その憲法審査の役割をはたすことを回避し続けてきた。三権分立の民主主義政治体制の下で、司法は行政から独立して違憲審査権を有しているにもかかわらず、自衛隊問題や安保問題のような重大な問題に対しては、その独立した権能を行使してはこなかった。司法としての主体性を自ら放棄してきたのである。今回の名古屋高裁判決は「イラク派兵」という政府行為にたいして「違憲判決を下す」という画期的な内容を示しながらも、しかし、更にその判決内容を結論にまで徹底させて「憲法違反の派兵」の「差し止め」を政府(被告)に迫るところまでには踏み込まなかった。

 このような不徹底な次元を踏み越えて、司法は、憲法の番人として、憲法を徹底させる政治的社会的な機能を発揮すべきである。

 「非武装・戦争放棄」の憲法第9条の真の実現のために司法は尽くして「9条世界」建設の推進力としての世界的役割を担うべきである。