THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考134「韓国併合100年」「日米安保改訂50年」常岡雅雄



 自立日本=9条国家への坂を登る


 今年2010年は日本が韓国を日本国のもとに併合した1910年の「韓国併合」から丁度100年に当たる。更に今年は、太平洋戦争でアメリカに完敗した日本がアメリカとの間に1951年に結ばされた旧安保条約を改訂して1960年に締結した現行安保条約から50年に当たる。遠い彼方のことのように思える「100年前」と「50年前」の国家的大事態の意味を、この節目の2010年に私たちは考えてみたい。それはこれからの私たちの進路に深く係わっているに違いない。


 韓(朝鮮)民族の国家を解体し植民地にした日本


 100年前の「韓国併合」を、私たち日本人は、今日の日本人もこれからの日本人も、決して無視したり忘れたりしてはならない。もし、その韓国併合の事実と意味を知らないならば、それは「日本人たるに値しない」と言われても仕方がない。

 戦国乱世をおさめて260年の長期にわたって日本を支配してきた徳川幕府下の封建国家から先進欧米諸国家に伍する近代国家へと道をひらいた「明治維新」は、全国家的全社会的に偉大な政治的事業であった。「偉大な革命」であった。その「偉大な革命の遂行」と「近代日本の創造と建設」のために生命を賭して奔走した当時の革命的青年活動家たちは、激しい気概と溢れる行動力と強靭な思考力に富んだ素晴らしい青年たちであった。そうした青年たちの姿と事業の一端を『坂の上の雲』に描きあげた司馬遼太郎を私は理解できるし共感できる。

 その上で、今日の私たちは、もう一つのことを知らなければならない。自覚しなければならない。欧米に伍する近代国家へと上り詰めてゆこうとする、それらの明治の青年活動家たちの「気概と行動力と勉学と献身」の「上り坂」は、それ自体が、同時に、韓国はじめ近隣アジア諸国への「侵略と戦争の天皇制国家日本」づくりの「登り坂」であった。その「坂の上の雲」は、朝日に照り輝く「美しく清々しく晴れ晴れとした雲」どころか、近隣アジア諸国への「侵略と戦争と暴虐の暗雲」でしかなかった。

 その「登り坂」の決定的な峠が1910年の「韓国併合」であった。

 韓民族(朝鮮民族)の国家機構を解体し国家そのものを抹殺して日本の植民地としてしまった。それ以来、今日の南北分断にいたる「100年の苦難の歴史」に韓民族(朝鮮民族)を陥れてきたのである。

 「韓国併合100年」とは、天皇制国家として近代国家の道をきりひらき成り上がってきた日本が、韓民族(朝鮮民族)に対して、国家として国民として犯しつづけてきた許されがたい国家的国民的犯罪事実を、私達がはっきりと認識しなければならない年なのである。今年は「その反省と償いと克服の道にたつのだ」という人間的自覚を私達があらためて呼び覚まさなければならない節目の年なのである。

 この点に関して、私は(一)一昨年3月1日号の本誌「巻頭言社会主義考111」で「三月一日の意味近代日本の暴虐に抗して闘った朝鮮民衆と共にたつ日本労働運動の新しい建設のために三月一日を反省と決意の日に」と表題して、(ニ)更に丁度一年後の昨年3月1日号「巻頭言社会主義考」で「再び『三・一』について帝国主義とたたかう『解放の労働運動』朝鮮『三・一独立運動』の今日的な意味」と表題して、次のように語ってきた。


 「三・一独立」闘争に応えうる日本労働運動へ


 「明治以降の天皇制日本は西欧文明化を朝鮮民族に一歩先んじた。その優位な位置から朝鮮民族を蔑視し侵略した。日清戦争で朝鮮への覇権を中国から奪った。つづく日露戦争で朝鮮へのロシアの南下を食い止めて、逆に中国東北部にまで進出した。即ち、天皇制日本は朝鮮半島を戦場化して荒廃させ、遂には国家崩壊させて天皇制日本に統合した。朝鮮の国土と富、更には氏名や言葉までも奪いとり、朝鮮民族を過酷に支配した。独立と解放をめざす朝鮮人民の闘いを残酷に鎮圧した。渡来した朝鮮人にたいしても、天皇制日本は、官民を問わず、徹底的な差別と侮辱をもって零落と貧困と悲惨と屈辱の境遇を強いた。暴行や拷問や虐殺さえも平然とおこなった。更に、アジア侵略から太平洋戦争に至っては、『皇軍兵士』として、或いは『挺身隊』の美名のもとに所謂『従軍慰安婦』として、戦場に動員して、無惨な運命におとしいれた。銃後にあっては、奴隷狩り的な強制連行までもおこなって、侵略戦争を支える奴隷労働に酷使した。日本のこうした暴虐にたいして、民族として国として人間としての憤怒をもって朝鮮の人々が決起したのは当然であり正当であった。その朝鮮人の『全民族的な総決起の日』こそ『1919年3月1日!』であった。」

 天皇制日本の「こうした暴虐にさらされながら、朝鮮全土に噴出した民族独立運動は、たとえ帰結が敗北であったにせよ、全世界的に巨大な意義をもつ『民族独立と民族解放の闘い』であった。そして、それは決して過去ではない。現在であり明日である。」(09年3月1日号社会主義考123)

 「凶暴残酷な近代日本の植民地支配に対決して朝鮮民族がアジアの民衆解放闘争の最先端にたって『民族独立宣言』を全世界に発した『三月一日』という日を、五月一日のメーデーと並んで、日本労働運動のもっとも重要な『闘う記念日』『集会と街頭行動の日』『ストライキの日』とすべきではないだろうか。朝鮮民族に、そして、かつて侵略したアジア・太平洋の諸民族と人々に『反帝国主義と平和の闘いの同志』として『受け入れられる』日本労働者階級へと『自分を作りあげていく』ための人間的・思想的・実践的な原点に『三月一日』という日をすべきではないだろうか。」(08年3月1日社会主義考111)

 私たち「人民の力」の実践力は今なお微々たるものでしかない。しかし、私の同志たちは、こうした意味において「三月一日」行動を「自分たちの場」から築き上げてゆきつつある。今年迎えた「韓国併合100年」とは、私たちにとっては、こうした韓民族(朝鮮民族)への「謝罪と償いと連帯」の行動を「自分自身の行動として行う」ことなのである。


 日米安保改定50年まやかしの「日米同盟」論


 ところで、一昨日(1月19日)は、50年前(1960年)、ホワイトハウスで岸信介首相とアイゼンハワー大統領が日米安全保障条約の改定に署名した日である。それから50年後の「日米安保50年」に当たって、鳩山首相は、この日米安保体制を積極的に評価して次のように語った。(読売1月19日夕)


 日米安保と日米同盟の実体(真実)を見ない鳩山首相

▼「日米安保体制は我が国の安全のみならず、アジア太平洋地域の安全と繁栄に大きく貢献してきた。」「日米安保体制に基づく米軍の抑止力は、核兵器を持たず軍事大国にならないとしている我が国がその平和と安全を確保していく上で、自らの防衛力と相まって引き続き大きな役割を果たしていくと考える。」▼「日米安保条約に基づく米軍のプレゼンスは、地域の諸国に大きな安心をもたらすことにより、いわば公共財としての役割を今後とも果たしてゆくと考える。」▼「日米安保体制を中核とする日米同盟を21世紀にふさわしい形で深化させるべく米国政府と共同作業を行い、年内に国民の皆様にその成果を示したいと考える。」


 日米の外務・防衛閣僚堂々とまやかしの「日米同盟」論

 次の引用は、日米の外務・防衛担当閣僚が「日米安保50年」に当たって19日に発した共同声明からである。(日経1月20日)

▼「日米同盟が日米両国の安全と繁栄とともに、地域の平和と安全の確保にも不可欠の役割を果たしていることを確認する。」▼「日米同盟はすべての東アジア諸国の発展・繁栄のもととなった平和と安定を東アジアに提供している。」▼「米軍と日本の自衛隊との間の協力を含め、協力を深化させていく。」


 まやかしの「日米同盟」論をチェンジできないオバマ大統領

 オバマ大統領も19日、日米同盟を高く評価して次のように語った。

▼「日米の不朽のパートナー関係は空前の繁栄と、自由のもとでの平和を両国にもたらした。」▼「(この日米)同盟は共通する価値観と、平和と安全保障を追求する共通の国益のうえに築かれた。それは両国民と社会の間の不変の絆を反映している。日本の安全保障に対する米国の関与は揺るがない。」(読売1月20日夕)


 大新聞の退廃する思想と理論と政治


 朝日の「同盟も九条も」論これは新型の転向ではないか

▼1月19日の朝日新聞「社説」は「安保改訂50年『同盟も9条も』の効用」と題して次のように語っている。(朝日1月19日社説)

 「日本が基地を提供し、自衛隊と米軍が役割分担して日本の防衛に当たる。憲法9条の下、日本の防衛力は抑制的なものにとどめ、日本が海外で武力行使することはない。在日米軍は日本の防衛だけでなく、抑止力としてアジア太平洋の安全に役立つ。それが変わらぬ日米安保の骨格だ。9条とのセットがもたらす安心感こそ、日米同盟への日本国民の支持の背景にあるのではないか。」「アジアの近隣諸国にも、『9条つき日米同盟』であったがゆえに安心され、地域の安定装置として受け入れられるようになった。」

▼更に、1月4日の「社説」で朝日新聞が「揺らぐ日米同盟を再建せよ」と題して小見出し「自衛隊の恒久法制定を」で次のように語っていたのを思い出す。(朝日1月4日社説)

 「世界の平和と安全の確保は通商国家・日本の存立基盤だ。年末に予定される『防衛計画の大綱』の改訂では、より積極的に国際平和協力活動に参加する方針と、それに応じた部隊編成や装備導入を打ち出す必要がある。より迅速な部隊派遣を可能にするには、自衛隊の海外派遣に関する恒久法の制定が欠かせない。民主党は野党時代から恒久法に前向きであった。野党の自民党とも連携して、超党派で実現すべきだ。」

 何時でも何処にでも戦争にいける日本作りを説く読売新聞

 更に、読売に目を転じると、1月19日の社説は「新たな日米同盟を構築したい」と題して次のように語っている。

▼「この半世紀の日本の平和と繁栄は、安保条約に基づく強固な日米同盟が礎となってきた。」「鳩山政権の重大な欠陥は、在日米軍の負の部分ばかりに目を向けて、地元負担の軽減の追求に偏重した姿勢だ。米軍の抑止力が日本とアジアの平和に貢献してきた役割を正当に評価し、米国と共通の理解を持つことが大切である。」▼「中長期的な課題には、集団的自衛権の行使を可能にするための政府の憲法解釈見直しや、自衛隊の海外派遣に関する恒久法の制定、武器使用権限の拡大がある。」


 政権も新聞も真実を語らず平然と大嘘をつく


 「暴虐と戦争の政治」を「安定と平和の政治」と説く

 みんな異口同音に日米安保を「東アジア・太平洋地域の安定と平和」に貢献し「その発展と繁栄」の礎となってきたと、天上にまでも高々と持ち上げて讃えている。今後も更に発展強化し深化させていくとまで決意表明している。

 しかし、日米安保体制のもとで、▼あたかもアメリカの朝鮮戦争がなかったかのごとくだ。▼朝鮮戦争下の韓民族(朝鮮民族)が地獄の苦難を味あわなかったかのごとくだ。

▼あたかも韓民族(朝鮮民族)が南北に分裂させられなかったかのごとくだ。▼日米安保体制のもとにある朝鮮半島に戦争の危機などはないかのごとくだ。▼国民を飢餓的貧困や自由欠乏にまでおとしいれて重武装や核武装にまで北の国家を陥れているのが、あたかも日米安保体制ではないかのごとくだ。▼日米安保体制下の在韓アメリカ軍と日本が、あたかも韓国の軍事独裁政権を支えなかったかのごとくだ。▼その歴代の軍事独裁政権に対して不屈に対決し続けて韓国の民主化を前進させてきた韓国民衆の偉大な民主主義闘争を、あたかも日米安保体制が支援し支えてきたかのごとくだ。更に、▼あたかも安保体制下の日本を出撃基地としてアメリカのベトナム侵略戦争がなかったかのごとくだ。▼日米安保体制下のアメリカの軍事行動によって、無数のベトナム人民の地獄的な犠牲やベトナムの富と社会と自然の破壊がなかったかのごとくだ。▼日米安保体制下の日本からアメリカがアフガン・イラク侵略戦争に突入して行かなかったかのごとくだ。


 本当のことを見よう聞こう言おう


 「日米同盟」をこれまた、異口同音に、疑問の余地のない真実であるかのように語って高く評価している。

▼あたかも、日本にはアメリカの軍事基地などただの一つもないかのごとくだ。▼あたかも、日本は他国であるアメリカに軍事基地を圧しつけられていないかのごとくだ。▼日本はアメリカに隷従などしていないかのようだ。▼日本はアメリカから完全に自立した主体的で自主的な「一人前の国家」であるかのごとくだ。

▼在日米軍基地のすべてどころか普天間基地一つさえも日本から引き上げようとはせず日本に圧しつけたまま鳩山政権に鵜呑みにさせようとしていながら、その日米関係があたかも対等な「同盟」であるかのごとくだ。その「日米同盟」論の欺瞞性に心ある日本人があたかも気づいていないかのごとくだ。


 米国隷従の卑屈日本から自立自主主体性日本へ


 私は、この「日米同盟」論の欺瞞性とその隷米日本からの脱却と自立自主の主体性日本への道」について、私の基調的見解として本誌でたびたび語ってきた。例えば、一昨年夏の合併号の「社会主義考116脱アメリカの新しい日本への道」では、「米国への隷従日本からの脱却真の『戦後体制の精算』へ」として次のように語った。今、ここであらためて思い起こしておきたい。

 「ひとたびは踏み出した、人類国家史上に類稀な『非武装戦争放棄』国家の道をその最高規範第9条を欺瞞的に存置させたまま踏み躙って、再び武装国家に踏み切り、軍事大国化の道にすすませたものは何か。それは誰か?

それはまさしく、帝国アメリカの敗戦国日本に対する軍事占領であり、その実質的継続としての安保条約による『米軍基地網』日本配置という事実上の軍事支配であった。敗戦後の新しい日本国家の存立の実体としての国家武装の問題も、思想や精神や文化の問題も、資本主義日本としての経済と社会の復活と発展の問題も、そして国内政治と国際政治の問題も、この帝国アメリカの軍事力に完敗してその軍事支配下に組み敷かれて『アメリカへの隷従国家』に成り果ててしまったというところにこそ、その究極の根源をおいているのである。

 一見まことしかやで耳障りのいい『日米同盟』などとは、実際には『日本を隷従させる帝国アメリカ』と『帝国アメリカに隷従する日本』という彼我の『支配と被支配の関係』を誤魔化し見えなくさせる政治的詐術にほかならない。日本を隷従させるアメリカの日本支配の術策的キーワードである。帝国アメリカに隷従する自分たちの敗北主義的で没主体的な政治姿勢を誤魔化して見えなくする、戦後日本体制派勢力と体制派マスコミの日本国民に対する愚民化述語にほかならない。」

 そして、私は〈「脱アメリカ」とは何かその三つの方向〉と問い返しながら、次のように結んだ。

 そこ(隷米日本)から「自己否定的な決意をこめて離脱をはかるべきときではないだろうか。政治的にも思想的にも実践的にも本当の意味での『新しい日本』を創りあげていく道に踏みきるべきときではないだろうか。人類国家史上に画期的で今日世界に輝かしい憲法9条の思想にたって創り変え苦難を覚悟で『脱アメリカの道』を歩きはじめるときではないだろうか。」


 脱アメリカへの三つの方向


 では、「脱アメリカ」とは何か。その「三つの方向」として私は次のように語った。

(一)第一には日米安保条約の破棄と在日米軍基地の完全撤去の達成をもって実現する「日米安保体制の克服」という「政治の問題」である。

(二)それだけではなく、第二には敗戦後に隷米日本として構築されてきた日本の「国家と社会の精神と思想と価値観と構造と体系」の「主体的な創り変え」をめざす「自立日本として自己変革の問題」である。

(三)そして更に、第三にはアジア太平洋と国際世界にたいして、ひたすら「隷米政治としてしか展開してこなかった」戦後日本国家の国際政治路線を「自立した主体的な反戦と国際貢献」の平和主義政治へと根本転換させる「国際政治の問題」なのである。

 「韓国併合100年」と「日米安保改定50年」の今年2010年は、こうした意味において、私達は考えを一層明確にして前進する。

                         (10・01・22)