THE  POWER  OF  PEOPLE

 

安倍反動政権の改憲を許さない 井戸孝彦


民主主義の危機

96条改悪は戦争国家への道


 1945年日本は、「日本の民主主義促進」、「人間尊重」、「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」を求めるポツダム宣言を受諾した。憲法改正の義務を負った日本政府は、連合軍占領下で「憲法改正草案要綱」を作成し、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続きに従って、1946年5月16日第90回帝国議会の審議を経て、若干の修正を加えて11月3日に日本国憲法として公布、1947年5月3日から施行された。今年は66回目の憲法記念日である。この憲法は施行されてから一度も「改正」されていない。一言でこの憲法を表わせば「平和憲法」と言うことができる。日本帝国主義の二度の侵略戦争で、アジアの人々に多大な犠牲と被害を強いた。国民も徴兵制の下に戦争に駆り出され多くの人が戦死した。またこの戦争で広島、長崎での原爆被害など戦争被害の体験から、「もう二度と戦争はしない」との思いから、平和憲法が国民に支持されて、当然と言えば当然だが戦後一度も「改正」されたことはなかった。戦後、好戦的な人々が様々な形でこの平和憲法を変えようとしてきた。自民党は自主憲法制定を主張してきた。憲法の明文「改正」ができないので、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、などその時々の状況を巧みに利用し世論誘導をはかり、自衛隊の創設、ベトナム戦争では沖縄をB52爆撃機発進基地として、相模原では米軍戦車の修理を行いベトナム戦争に協力してきた。平和維持活動(PKO)の名目での自衛隊の海外派兵、湾岸戦争やイラク戦争ではアメリカの軍事物資・米兵の輸送、イラクでは戦闘地域での復興支援活動を行うなど、憲法9条で戦争を禁止しているにもかかわらず、「憲法は自衛のための戦力保持を禁止していない」として、なし崩し的憲法解釈で自衛隊を創設し、アメリカの侵略戦争に加担・共同して行動するまでになってきた。さらに、安倍政権は日米による軍事共同作戦が堂々とできるように憲法で否定されている「集団的自衛権」行使について憲法「改正」しなくても行使できる「国家安全保障基本法」の制定を目指している。最近の中国との尖閣諸島、韓国との竹島(独島)、ロシアとの北方四島の領土問題での対立、北朝鮮の長距離ロケット発射・核実験の強行による軍事的脅威、海賊によるシーレン輸送の妨害などを、巧みに利用しマスコミを通じて国民の不安を過度に煽り、国益・国の安全主権を守る強い国家体制の構築が必要だと攻勢を強めている。


安倍反動政権の96条「改正」をまず止めよう


 昨年の総選挙で勝利した安倍首相は超タカ派的発言を繰り返している。本年1月の衆議院本会議で憲法「改正」を表明した。憲法99条に定める「憲法尊重擁護義務」の立場を表明するどころか、法治国家として国民の先頭にたち憲法や法律を守り、国民にも順守義務を求めるその総理大臣自らが、この義務に従わないことを表明したのである。戦後、誕生した総理大臣でこれほど国民を愚弄した総理大臣はいない。これまで憲法「改正」を党是とする保守自民党から輩出された歴代総理大臣の誰もが、国民に対し、国会や司法に対して憲法99条「憲法尊重擁護義務」を果たすことを約束してきた。民主主義国家で憲法や法律が改正されない限りにおいては、いかなる立場にある人であろうが現行の法規範の定めに従い国民がその義務を果たすのは当然のことである。憲法も尊重しない安倍首相は、日本の教育、道徳が乱れているとして、道徳教育に評価制度を取り入れると言う。そんな彼に、「教育・道徳」をとやかく言う資格はない。

 安倍首相はなにがなんでも憲法96条を「改正」し、権力者を縛る憲法改正要件を緩和して、憲法9条「改正」の道を開けるネライだ。それには7月の参議院選挙で三分の二を獲得することである。それは、現行の衆参両院議院の三分の二の国会議員の賛成で発議ができるとされる国会議員の発議権を二分の一にハードル下げる法案の成立を目指すものである。

 4月23日、安倍首相は7月の参議院選挙で「96条改正を掲げて闘う、自民党の政権公約にする」として参議院選挙で96条の「改正」を選挙の争点にして「堂々」と闘うと表明した。期待をいだかせ誕生した民主党政権が、国民の期待を裏切り国民が政治不信に陥るなかで、年末の総選挙では、戦後長い間、政権与党であった自民党が獲得票では200万票も減らしながらも組織票と小選挙区制度で議席では議会の三分の二を上回る議席を獲得した。こうした選挙の勝利を背景に参議院選挙も勝って一挙に憲法「改正」のハードルを下げ憲法9条を「改正」しようとしている。安倍政権が誕生して半年になるが、金融緩和による景気対策、安定した政治運営などで国民の高い支持をうけていると言われる。参議院選挙で与党自公政権の勝利が言われるなかで、加えて96条「改正」の維新の会、みんなの党の伸長もいわれ、96条の「改正」に必要な三分の二の勢力拡大は確実視されている。96条「改正」は現実味を帯びてきた。

 憲法96条は単なる「改正」の手続きではない。どこの国の憲法でも権力を拘束・制限・統制する内容の重さゆえ憲法「改正」の手続きは重くなっている。世界的に見ても主要国の改正手続きを低く抑えている国はほとんどないし、憲法改正には主権者である大多数の国民の理解が必要だということを示している。世界の主要国では憲法改正が幾度も行われているが、憲法改正の手続きのハードルが低いから改正されたのかと言えば決してそうではない。むしろもっと厳しい制約の中で国民を説得し理解し改正されているのである。日本での憲法「改正」を言う人々の最大の目的は憲法9条の「改正」にある。国民の大多数は平和憲法の「改正」は望んではいない。66年たって一度も「改正」されなかったのは当然なことだ。安倍首相は、「国会議員の多数の議員が賛成しているのに僅かな三分の一の少数の議員の反対でそれが出来ないのは民主主義のルールから言ってもおかしい」と主張する。安倍首相のこの主張は民主主義のルールを権力者として悪用したものである。憲法が法律と同じように国会議員の過半数で決められたらそれを憲法とは言わない。憲法とは主権者・国民が権力者を縛り国民を守る手段なのだ。その改正手続きを「改正」し、容易に憲法「改正」に道筋を開くことは権力者が思いのままに政治目的を果たそうとする野望でしかない。


自民党の「日本国憲法改正草案」

戦前の大日本国帝国憲法を想起させる


 自民党は2012年に「日本国憲法改正草案」を発表した。この草案は11章110条からなっており、前文から全てが書き変えられている。その主要部分は、9条「改正」し「国防軍」の創設、天皇の元首化、国旗・国歌制定と尊重の義務化、国民主権と個人尊重の制限、徴兵制を含む国民の義務拡大など広範囲に及んでいる。草案をよく読んでみると、「君主専制」の大日本帝国憲法を現代文表記で読むようなものである。象徴天皇制から天皇を元首に据え、国民主権の国家から立憲君主制の国に変える。戦争否定の9条を変え「国防軍」を創設する。自衛権を認め交戦権(戦争)を認める。個人を尊重する主権国家を、国民が天皇を元首と抱く国家を尊重する国に変えようとしている。民主主義の国から専制支配国家への回帰である。時代錯誤も甚だしい。戦前の専制政治、侵略戦争の過ちを再び起こそうとしている。こんな反動憲法を国民に押し付けようとしている。自民党の7月の参議院選挙で勝利を許してはならない。衆参両院で三分の二の勢力を許せば権力者による憲法「改正」に道が開かれる。安倍政権は96条「改正」を確実にやる構えである。


主権者一人ひとりが問われる—真正9条平和国家づくり


 国会での96条「改正」の発議ができても、国民投票で過半数の賛成が必要である。国民主権、平和政治、基本的人権の尊重、民主主義政治の憲法「改正」を許してはならない。96条が変えられ主権者一人ひとりの憲法思想が問われることが現実化してきた。主権者たる国民一人ひとりが、66年間「改正」を許さず守った憲法思想の生き方が問われている。現憲法は占領軍の押しつけ憲法で自主憲法の制定が必要だと言う人もいる。がそれは違う。日本帝国主義の侵略戦争による犠牲者・損害・人権侵害・差別支配など甚大な被害をもたらした戦争の反省と過ちを二度と犯さない、そうした日本人の平和への思いを込めた自らが定めた憲法である。

 主権国家・自主憲法制定、自国の国民・国益は自ら守る強靭な国家建設と安倍首相は盛んに言う。4月28日には初めて、日本が「主権を回復した記念の日」と称して式典を行った。沖縄の人々は切り捨てられた「屈辱の日」として、式典開催に怒りの声をあげている。世界の覇権国家米国の隷従国家でしかない日本は、日米軍事同盟の密約で「いつでも、どこでも、自由に使える」米軍基地を認めている。日本にある米軍基地の74%を沖縄に押し付けている。覇権国家米国との日米軍事同盟の隷従関係を断ち切って、真の日本の主権回復と真正9条平和国家づくりが国民一人ひとりに求められている。平和憲法「改正」策動を許さず、真の9条平和国家として、外交的には敵を作らず人間主義の道にたち、それぞれの主権を尊重しあい協同して戦争のない平和な社会作りが求められている。(5月1日)