妖誘月


真っ白な月が、遥か上空にぼんやりと輝いていた。
        お月様 年なんぼ
         十三  七つ
        まだ年若い
ある地方に残る伝承歌。
行方不明になった二人の子供が、月に連れて行かれたという。
山の化け物に襲われ、月に助けられたのだという。
「月にさらわれたとか、連れて行かれたとか、このパターンの話って、やたら多いな。北の民話にも南の民話にもあった気がする。なんか、気分悪いよなっ」
真樹は、図書館から借りてきた『日本の民話』とかいう本を読んで、腹を立てているようだ。
時に民話は、神話や歴史書から削除された物語を語る場合がある。
「月を見ることが禁忌とされた理由の一つだよ。月は色と形を様々に変化させながら、人々を魅了する。そんな月に想いを寄せた子供が、月を追って山へ入ったまま、戻らなかったら、月に連れて行かれたと考えるのも仕方ないさ」
そして、大人達は満月に浮かぶ影の部分に、いなくなった子供の面影を探す。
闇夜を照らすのは、炎と月だった時代。
夜空に浮かび、色と形を微妙に変えていく月は『あやし』存在だった。
特に経験の少ない子供には、いつまで見詰めていても疑問の絶えない、追いかけて謎を解きたくなるような、夜の輝き。
『あやし』という言葉には、不思議という感情が強く含まれる。
魑魅魍魎の類だって、もとは不思議な物だから、『あやしのもの』と呼んだのだ。
「禁忌…ね。その割には、いろんな和歌に詠まれているけど?」
「月影の世界は、恋の世界でもあったからね。恋人と契るとき、頼りになるのは差し込む月光、なんてのはよくあったことだ。それに、和歌は恋文、つまりラブレターとしての利用が多かった」
「契る……」
そうつぶやいた真樹の顔が熱を持っている。
些細な言葉から、一体何を想像したのやら。
「真樹、彼女と契るなら、父親になる覚悟をしてからの方がいいぞ」
「……そんなんじゃねーよっっ。あーもうっ、今日は夜見一人で月みてろっ。俺は、部屋に戻るっ」
図星だろうか。言葉に反して、彼の身体反応は正直なようだ。
いや、若いと言うべきか。
くすくすと忍び笑いを続ける僕に恨みがましい視線を送りながら、真樹は母屋に去っていった。
そう、僕さえいなければ、彼はもっと恋を楽しむこともできるのだろう。
僕さえ、ここにいなければ。
やりきれない想いに支配されてしまう前に、僕はもう一人の自分に意識を譲った。



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