月待


三夜、十三夜、十七夜、二十三夜、二十六夜の月待ち。
室町時代から江戸時代にかけて、各地で行われた月を待つ行事がある。
文明開化の波に洗われ、現在は「仲秋の名月」という言葉とともに残るのみとなった、月の出を待ち、月を愛で、月に祈りを捧げる行事。
もとは、元服の儀式であったとか、月に一度の祭りであったとか、いわれだけは多い。
その上、地方によって日付も形態も様々であり、説明が難しい行事でもある。
月待ちの日には、斎主が禊をして、一晩中管絃を行った時代もある。
「そうだな、…大きな流れとしては、初期はどれも禁忌を伴うものであったのが、広がるにつれて楽しみの部分のみ残っていった、ということだ。これは、人の性だね」
次期斎主に過去の人々がおこなった行事の話をするのは、僕の役目の一つ。
「禁忌って、例えば?」
縁側に座っている真樹は、コーヒーを手に庭を眺めながら尋ねた。
「月の姿を見るまで、男性は女装を、女性は男装をする。月が天に至るまで異性と言葉をかわさない。月が見える間は異性と契らない。逆に、月が見える間は異性と同衾し続ける。地方によって様々だが、男女間の禁忌が多い。中には、面白いものもあるぞ」
僕は、月を見上げた。
天頂に届くのに一刻はかかるだろう。
「面白いもの? 俺は、四つ目の禁忌も充分面白いと思うぞ…」
真樹の言葉に、苦笑が漏れる。
僕は彼の正面に降り立つと、手に持っていたコーヒーカップを取り上げた。
「ばかもの。この禁忌は、実際にやることの方が面白い。ほら、立て」
「ちょっ……。ひでえなぁ」
文句を言いつつも立ち上がった真樹は、僕からカップを取り戻すと、残っていた中身を一気に飲み下して、器を縁側に置いた。
「月が出ている間は、月に向かって歩きつづけなければならない、というルールだ」
真樹の困ったような表情をした。
「……夜見、いくらなんでもそれは……。俺、明日も学校へ行くんだけど…。睡眠時間を確保してくれよ」
 この時代の人々は時間に束縛されている。
「だろうと思ったよ。安心しろ。実際にやってみるのは、月が天頂に届くまでにしておこう。月追い、だよ。しかもこれは、一度方角を決めたら、何があってもまっすぐに進むのが、基本だ。垣根があったら乗り越え、川があったら渡る。もっとも、この時代にそれをやっていたら犯罪と間違えられかねないから、多少は大目にみるけどね」
真樹は境内から石段に向かって歩き出した。
「夜見も一緒だぞ。今、俺が決めた。ここからまっすぐだ」
冒険に出かける真樹の瞳は、月影に負けないくらい輝いていた。


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