月傘


風待月の夜。
月は月でも、暦の水無月の別名。他に、葵月という呼び名もある。
爽やかな語感と異なり、朝から降り続いた雨は、大気の中に湿気をまだ残していた。
湿気の中で浮かぶように空へ昇った十六夜の月は、その上に傘のような雲を従えている。
「……月傘だな」
斎主の信志が僕の隣で呟いた。手に、供物を持っている。
ふと浮かんだ、僕の疑問。
「真樹はどうした?」
「まだ帰って来ない。まったく、どこで遊び歩いているのやら」
すっかり親になっている信志の姿に、僕は忍び笑いをする。
「夜見、今、笑っただろう。気配で判るぞ」
僕の姿が見えていないはずの信志。
「……信志だって、似たようなものだったじゃないか。真樹くらいの年齢のときは、こんなものだよ。時間を忘れてしまい、空に月が出ているのを見つけて、大慌てで帰ってくる。ほら見ろ…やっぱり親子だな」
境内を走って来る真樹が見えた。
「本当に、昔の自分を見ているようだよ…。では、昔の自分と同じように怒られてもらおうか」
信志は僕に供物を手渡すと、真樹のところへ歩いてゆく。
僕さえいなければ、これほど行動が束縛されることも無かっただろうに。
斎主に怒られる次期斎主の姿に、自責の想いが重なる。
不意に、湿気が風に吹かれて動いた。
桂樹の葉擦れ。
一瞬、爽やかな空気が境内を吹き抜ける。
「おろかなことを…」
僕を叱り付けるような、もう一人の自分の声が、聞こえた気がした。
見上げた月に乗っていた傘雲は、いつしか遠ざかってしまっていた。



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