静音月


静かなる音が、満ちている。
天の音。地の音。命の音。
この国には、静かな音が存在する。
古来より、重要な役割を果たしてきた音。
心を静め、奮い立たせ、時に狂気へと誘う音。
星の音。月の音。
光を音にたとえた人々。
音を光にたとえた楽器、笙。
秋の夜の満月は、中秋の名月とも呼ばれる。
それは、唯一現代に残った月待ちの行事でもある。
秋の虫たちが静かな生命の音を奏でる月夜。
霞がかかる春や、日の長い夏に比べると、秋の月が、最も明るく夜空に映える。
どこからともなく聞こえてきた笙の音に惹かれ、とても良い気分で天空を翔けていた僕は、中空で立ち止まった。
「夜見の君?」
 雲間で笙を奏でていたのは、明らかに人外の者。
「失礼致しました、貴方様が空を翔けているとしっていれば、わざわざ呼びとめるようなことはいたしませんでしたものを」
 笙を奏でていたのは、淤迦美神。水を司る蛇神。現代は、竜、という呼び名がわかりやすいのかもしれない。
 雲の上から見上げる月は、驚くほどあたりを明るく照らしていた。
音。静かなる音。
 僕は満ち溢れる音たちに誘われて、静かに空を翔けてゆく月を見送った。



月読記へ