今は亡きネロへ


お前がなぜあのように変貌していったか、元首となった今ならわかるぞ。
最高の権力がありながら、すぐそばにいる者が何をたくらんでいるか、判らぬ。
決して裏切られぬようにするには、善意より恐怖。
人々は、残虐と言う恐怖におびえ、この身もまた、報復という恐怖に晒される。
人々のための善政など、存在しないのか。
お前を死に追いやったこの老い耄れは、人々に憎まれつつある。
奇異なことだ。わが身が憎まれるとは。
……ガルバ(在位7ヶ月)……



ネロよ、死ぬときお前は何を思った? 昔の友を思い出してくれたか?
あの時、ポッパエアをお前に奪われ、私は復讐を誓った。
理由は、女を奪われたからでは、なかったんだ。
お前が私よりあの女を選んだという仕打ち。分かり合えていると思っていた。憎かったよ、
ネロという男が。
裏切りと絶望の中へ突き落とせば、どんなにいい気味だろうと思った。
私は、本当は、ネロ、お前になりたかったのかもしれない。
……オト(在位3ヶ月)……



以外だったな。まさかネロが人々に、これほど慕われていたとは。
せいぜい、私もお前の真似をさせてもらおう。盛大にお前の慰霊祭をしてやったぞ。
神殿へ放火して、その見物もした。
国家の安寧を願う茶番劇も行った。
だが、なぜだ? 人々はなぜ従わない? なぜ反乱を起こす?
……ウィテリウス(在位8ヶ月)……



かつての友、ネロ。何がお前を歪ませていったのかは、知らない。
ただし、これだけは言えるだろう。お前は多くのものを遺していった。
いまだにネロが逃げ延びて生きているという噂も多い。それは、ネロが偉大だった証。
このローマを14年統治してきた、ネロの力。
お前の統治が理解できぬガルバは、人々に憎まれて弑殺された。
お前の遺した力を理解し、憧れたオトは、失意のうちに自殺した。
お前の遺した力を利用しようとしたウィテリウスは、人々に弑殺された。
ならば私は、お前を否定することで、このローマを統べてみせよう。
お前の言葉、お前の行動、お前の統治、そしてネロという男。
全てを否定することで、私の力を示してみせよう。
……ウェスパシアヌス(在位10年)……



ガルバについて

オトについて

ウィテリウスについて

ウェスパシアヌスについて
帰路



ガルバについて

紀元前3年12月24日、とりあえず名門の一つだけど、今までの皇帝達とは何ら血縁関係のない家に生まれた。
結構早目に役職につく。真面目で古風で厳格で、規律と正義を重んじる人だったから、それなりの信望は得ていた。本当はネロの叔父カリグラ暗殺騒動時、その気になれば、皇帝の地位くらい奪えた程度に。しかし、その気にならずに世の流れを静観した。
おかげで、次に皇帝になったクラウディウスは、恩を感じていろいろ優しくしてくれた。
でも、さらにそのあとを継いだネロは、優しくしてくれなかった。というか、生意気な小僧だった。頭にきたので、いっろいっろ文句や非難を言ったら、刺客が来た。
で、
紀元68年4月、70歳を過ぎたの年の功を使って、謀反を起こす。2ヶ月ほどかかって、ネロは自殺。
ところが、
皇帝になってみたら、国家財政はボロボロになってたので、質素倹約の政治をするしかなかった。
給料はろくに払わない。税金はいろいろ取り立てる。無駄な行事はとりやめる。周囲の若者に対する不満や小言が多い。まあ、支持率低下は、当然の結果というべきか…。
頭の硬い爺さん、になってしまった新米皇帝に従う者なんて、あまりいなかったので、いろいろと命を狙われたりもして、すっかり人を信用しない頑固爺に変化する。
そのうちに、いい年して旺盛な男色趣味が民衆に露呈し、ますます支持率低下。
絶体絶命の状態になり、友人知人に助けを求めたが、人望を失っていたため全て無視され、オトの策略にハマる。
紀元69年1月15日、オトを慕う人々によって殺される。




オトについて

名門・エトルリア王家の末裔として、紀元32年4月28日に生まれる。
宮廷で権力を持っていた解放奴隷の女性とイロイロ親しくなり、彼女を通じて、ネロ帝と親しくなる。(詳しくは、「ネロ君のお友達」参照)
ポッパエア・サビナと結婚後、女に目が眩んで、権力者ネロとの関係悪化。
ネロの権力により、ルシタニア地方へ左遷される。単身赴任ともいうが、この間に妻はネロにとられてしまうのであった。
 左遷された10年間、グレるかと思いきや、周りもびっくりの比類なき節度と公平さで、結局そこら中の人々から信頼と人望を集める。
占星師セレウクスの「オトはネロより生きて統治者になる」という言葉を素直に信じて、ガルバが謀反を企てると、真っ先に協力して反乱を起こした。
で、
打倒ネロの際に、人々へ多くの義援金を送ったため、どういうわけか莫大な借金をつくってしまう。
苦しい金銭事情の中で、頼みの皇帝ガルバは何もしてくれなかったため、追い詰められた人気者は人々にそそのかされて、打倒ガルバを決意。
計算高い策略と多くの人々の協力により、ガルバから皇帝の地位を奪い取る。
でも、
ウィテリウスが「おまえなんか認めない」と戦いを挑んできたので、戦う羽目になる。
戦争がどっちかといえば嫌いなオトは、2勝して講和条約結ぼうとしたけど、そこにつけ込まれて1敗し、条約提携のために武装解除してた自分の兵達が死ぬのを目の当たりにする。
翌朝、「国と人々にこんな大きな犠牲を強いてまで、自分の地位を後生大事に守っていくのは嫌だ」みたいな言葉と二通の遺書を残して、自殺しかけたところを部下に発見される。
結局、自分の胸を剣で突き刺したための失血死、であったらしい。
紀元69年4月16日、ベトリアクムにおいて死亡。




ウィテリウスについて

紀元15年9月7日か24日に(説が二つある)、諸説諸々で名門とは言えない家に生まれた。
若い頃から魅力的な肉体に恵まれ、カリグラ帝、クラウディウス帝、ネロ帝と皇帝三代にわたって愛顧されたので、政務官職・聖職・属州知事・建設管理職などなど管理職を欲しいままにした。
おかげで、人脈はそれなりにあり、権力も大きかった。
でも、
そのあとのガルバ帝は、愛顧してくれなかった。というか、軽蔑してくれて、ゲルマニア地方へ左遷という対応をされた。
ところが、辿りついたゲルマニアの人々は、ガルバ帝に不満たらたらだったので、左遷された彼を歓迎してくれ、「あんたが最高司令官になってくれ」と褒めてくれた。
軽蔑された悔しさも手伝い、その気になって謀反の企てしていたら、オトに先を越された。これはヤバイと、オトと戦い、とりあえずオト帝は自殺したので、皇帝になる。
とにかくネロ帝(の悪い面のみ)を見習った、派手で自分勝手な政治を行う。っていうか、そうすればネロ帝と同じくらい人気者になれると信じていたらしい。
ところが、
カリスマ性があまりなかったので、人気者にはなれなかった。それどころか、不評で支持率はあっというまに地の底になった。特に、理不尽な理由で多くの人を死刑にしていたので、とても怨まれた。当然、それまで築いた人脈も無くなった。
逆に地方で多くの人望を得たウェスパシアヌスに忠誠を誓う軍人が激増し、その中の実行力旺盛な人々によって街中で反乱が起きた。
紀元69年12月20日。とうとう市民に捕まり、後ろ手に縛られ輪縄をかけられ中央広場に引き立てられた上、民衆の嘲笑と罵声と汚物を投げつけられ、石段を転がり落とされたり、鍵竿で市中引きずりまわされたりしながら人々に嬲り殺された。




ウェスパシアヌスについて

紀元9年1月17日に、地方の小さい村の、実は無名の家に生まれた。無名といっても、家族は官職に就いていたから、地方では名門扱いだったようだ。
カリグラ帝やクラウディウス帝の時代は、軍団の副官とか、属州の造営官とか、法務官とか、神官とか、執政官とか、なんとなくぱっとしないような役職を無難にこなし、着々と実力を認められて出世していった。
紀元51年〜63年までは、ネロの母親を用心して政治から遠ざかった隠遁生活をする。それなりに知恵があったようだ。
ネロの母親死後、非の打ち所のない仕事ぶりがネロ帝の好感を得て、随員として親しい交際をしてたけど、ネロ帝の嫌がることをしたので、政務を没収された。
でも、
ユダヤでキリスト教徒の反乱が起こると、その能力を認められて、反乱を鎮圧する将軍として政務へ復帰。それなりの功績をあげたので、ネロ帝も許したらしい。
そして、
ユダヤ反乱軍と戦争している間に、ネロ帝は死亡。ガルバ帝も死亡。そのうちオト帝から「あとのことは任せた」という書状がきて、オトの訃報がそのあとに届いた。
実は能力だけじゃなくてカリスマ性も持っていたため、戦争で援軍として来た人達は、みんな「ウィテリウスよりあんたがいい」と忠誠を誓ってくれ、噂を聞いた遠くの人も、あったことも見たこともない状態なのに、支持し援助してくれた。
そしたら、
「ウィテリウスが一般市民によって殺されたので、今日からあんたが皇帝だよ」という知らせがローマから届き、戦争は息子に任せてローマへ駆けつけたら、大歓迎で迎えられた。
紀元79年6月23日、息子に地位を譲って、病死。


帰路