長雨月


雨の雫が、桂樹の葉脈を伝って石畳へ降り注ぐ。
もう一日以上降り続けている雨は、大地にいくつもの水たまりをつくっている。
 空から水が滴り落ちてくるこの光景に、人々は多くの呼び名を与えた。
季節による呼び名の違い。春雨、花菜雨、五月雨、梅雨、白雨、雷雨、秋雨、小夜時雨。
降り方による呼び名の違い。煙雨、霧雨、小雨、時雨、大雨、豪雨、風雨、暴風雨、晴雨、俄雨。
そして、時間による呼び名の違い。通り雨、短雨、長雨。
この国の人々が使い分けた感覚。
同じ出来事でありながら、わずかな違いを見逃さずに捕えた力。
繊細な言葉を生み出す創造力。
この感覚、この言霊こそが、八百万の神々をこの国に誕生させ、住まわせた源。
 母屋から雨音に混じって、電話の音が聞こえる。
「煩わしい音よ。いくがよい」
 洗い流すような雨の影響を受けて、静かに杯を傾けていた弓月夜見。
 祭神の言葉を受けて、控えていた斎主の信志が礼をして退いた。
 一人になって、ふと気付いた僕は、あたりを見回す。
 長雨のせいだろうか。
 僕も弓月夜見も、今夜はやけに不安定だ。もう、何度意識が入れ替わったことだろう。
「入れ替わる、というのも変だな。雨に溶けて交じり合っている気分だ…」
 斎主もどうやらそんな状態を察しているらしい。
 今夜はやけに緊張の糸を張り巡らしている。
 何気無く眺めた母屋。
 壁の向こうに、受話器を手にした信志が透かして見えた。
 穏やかで安心しきった、優しい表情で相手の言葉に耳を傾けている。
 それだけで、相手が誰だか判った。
「真樹を連れて里帰りしている女君か……」
 ゆっくりと目を閉じて微笑む。
「今度は真樹だな…」
 まだ片言しか言えないはずの息子の言葉にも、信志に安らぎを与える力があるようだ。
 見るつもりもなく、眺めてしまった母屋の壁の向こうの光景。
 僕の前にいる時とは、明らかに違う表情の斎主。
意識の混濁……。
 月色の瞳が、杯の水面に映った。
「……わがみよにふる…ながめせしまに……か…。今宵は面白し夜よ……」
 静かに笑った弓月夜見は、いつもの僕のように空を見上げた。




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