邂逅5:剣士とロイ家族と海賊王



まだ秋の初めだというのに、山を越える道は寒さを増し、尾根を歩く頃には雪がちらつき始めた。
針の山のように尖り切り立った岩肌を、フードを目深にかぶった若者が進んでいく。
麓の酒場にいた吟遊詩人は、太古の神々が投げ飛ばした大岩の扉が、この山になったのだと語っていた。
確かに、身一つ分の幅しかない尾根は、左右がほぼ垂直に断崖絶壁になっていて、扉を山に突き刺して並べたようにも見える。
足下から吹き上げる雪交じりの風に、若者はやむを得ず、時折立ち止まらねばならなかった。
やがて、危険な尾根を抜けて、曲がりくねる山道を下る頃には、すっかり日が暮れてしまっている。
山の麓には集落があると聞いていたが、まだその気配は感じられなかった。
初めて訪れた場所の、夜の道。このまま進んでいのか、確認しておきたい。
木々が増えるほどに下ったところで、若者は灯りを一つ、みつけた。
みすぼらしい小屋。
「誰かいるか? 俺は今、山を越えてきた者なんだが、領主の家は、こっちの方角でいいのか教えて欲しい…」
若者の言葉に、小屋の扉が隙間を空けた。
チラリを顔を覗かせたのは、そろそろ年頃になりそうな少女。
若者の口から、微かな口笛が漏れた。
「嘘でしょ? あなた、雪の中、戸渡りを越えてきたの?」
「ああ。今、狭い山道を通ってきたが?」
「よく生きていたわね」
少女が、値踏みするようにじっと若者を見つめた。
「こんな雪の夜道じゃ、道案内もできないわ。どうぞ。朝まで屋根を貸してあげる」
「そりゃー、助かる」
遠慮もなく若者は、招かれるままに小屋に滑り込んだ。
小屋の中に入った若者が、目を瞠る。
「おい。まさか…独り暮らしなのか?」
「悪い?」
「おまえ…年頃の娘が、見ず知らずの旅人をこんなに簡単に招き入れちゃダメだろ…」
「大丈夫。私、人を見る目はちゃんとあるもの」
「ヤマトの女は、慎み深いと聞いたんだが…」
「そうなの。だから、貴方はそこの土間から入ってこないでね」
幸い、若者は宿の恩人の意向を大切にできる性分だったため、不平も言わずに土間に座り込んだ。
ヤマトの古い建築の小屋には、部屋の中央に囲炉裏がしつらえてある。
少女は、土間から一番離れた囲炉裏の奥に座り込んだ。
「あんた、家族はどうしちまったんだ?」
若者が軽く、問う。答えても無視しても構わない、というニュアンスで。
「両親は、もう居ないの。兄がいたけど…私のために人殺しをして、今はどこにいるか分からない…」
「ああ…なるほどな」
若者が悟る。
どこの村でも、犯罪者の家族に対する仕打ちは似たようなものだ。
「トガクレの集落は、この先にあるのか」
「ええ…。領主の家はさらにもっと海の方。村から歩いて一日はかかるわ。あなた、領主に何の用?」
「腕の立つ者を、結構な金で雇ってくれると聞いた」
「………何のために雇うか知ってるの?」
「俺に紹介してくれた奴の話じゃ、結構な賞金首を領主が独自で追ってるらしいな」
「……そう。あなたは、賞金稼ぎなんだ…」
「いや。ただの傭兵だ」
「………」
それきり、会話はなく、夜は更けてゆく。
節度を守って土間で寝転がる若者を、家主の少女は離れて眺めていた。
昨夜降った雪道を下ると、集落が見えてきた。
フードを目深にかぶって山を下る若者の姿を見つけた村人らしい男が、駆け寄って来る。
「も、もしかして、あんた、山を越えてきたのか?」
「ああ…」
「アイリを、娘を見なかったか?」
「娘?」
若者が、訝しげに男を見返した。
「一昨日から娘が居なくなったんだ。方々探したが…あとはもう、山を越えたとしか…」
「上の小屋に住んでいる娘なら見たが…」
「上の小屋? ああ、登山者用の山小屋に? あんた、あの小屋に泊まったのか?」
「ああ、娘が一人住んでいるようだったが…」
「バカな。あの小屋に住んでいる者など…アイリか。アイリが、あの小屋にいたんだな?」
「娘の名前は知らないな。俺は屋根をかりただけだ」
男が、はっとして、若者を値踏みするように見た。
「まさか、お前、アイリに何かしてないだろうな?」
若者は肩をすくめて、歩きだす。
「待てっ」
「面倒事は御免だ」
敵意を持った男の手を軽くいなして、若者は駆けだした。
「待てぇっ」
男が、必死の形相で追いかけてくる。が、通りかかった村人は、その男を全く無視しているようで、協力する気配はない。
この手の集落にしては、珍しいことだと思いつつ、若者は集落を駆け抜けた。
集落が見えなくなった辺りで、路の脇で座り込んでいる女を見つける。
若者を見つけて、すがり付くように…いや、実際に若者のフードの端にしがみついてきた。
「旅の人ね? お願い、娘を探してください。あの子まで居なくなったら…」
随分と憔悴している様子が覗えた。
「人探しの手伝いなら、村に頼めばいいだろう」
「私たちは、ダメなんです。追い出されないのを感謝しなきゃいけないくらいで…。協力は、してもらえないんです…」
よほど疲れきっているのか、その場に座り込んでしまう。
「それは、あんた達の息子が、人殺しをしたからか?」
女が驚いたように若者を見た。
山のふもとにいた男は、あんたの旦那か?
「夫に…もしかして、あなたは、山を越えてきたの?」
聞いてるのは俺なんだけどな…とぼやいて、若者は背後を省みた。
先程の男が、息をきらして走ってくる。
「カネにならねぇ面倒事は、遠慮したいんだがな…」
若者は、昨夜、屋根を借りた家主の娘を思い返した。
言われてみれば、独り暮らしにしてはどこか変だったような気もする。
本当に貸してくれたのは屋根だけで、若者に対して、毛布一枚どころか、水の一杯も娘は出さなかった。
招かれざる客なのだろうと、特に気にもしていなかったが。
おそらくは娘の両親なのだろう二人を見ると、どことなく似ている面影もあるように思う。
「とんだ家出娘だったわけか…」
若者が、面倒事にかかわる覚悟を決めて、苦笑した。
きらびやかな宝石と緋色のコートをマントのように羽織った若者が、酒場に入った。
店内を見渡して、空いている席に座る。
背中合わせの座席には、茶色いフードを目深にかぶった若者が、独りでグラスを傾けていた。
「なあ、兄貴。面白い奴、見つけたぜ」
「面白い奴?」
「ヤマトから逃げてる訳ありのヤツなんだけどよ。臆病で泣き虫で怖がりな意地っぱりなんだよ」
「なんだ?それは」
「あと、料理と掃除と洗濯が上手い」
「女か?」
「野郎だよ。面白れえぜ、あいつ。あいつとなら、飽きねぇ」
「野郎相手に、珍しいな?」
「あいつにはさ、俺に兄貴がいること、話しとこうと思うんだ」
「好きにしろ」
緋色の若者は、酒場の店員をからかいながら酒を注文する。
目ざとい娼婦が緋色の若者に誘いをかけてきた。
「悪りぃな。今夜は先約があるんだよ。おまえみたいないい女が居ると知ってたら、先約なんぞ入れなかったのによ」
さも残念そうに娼婦の身体を撫で廻して、追い返し、再び独りになった。
フードの若者が苦笑する。
「どうした? せっかくの女だろ」
「兄貴にまだ話がある。ようやく、情報を掴んだ」
「宝珠か?」
「ああ、皇国の王族が持っているらしい。もと海賊王の皇国、知らねえか? この手の話は、俺より兄貴が詳しいだろ?」
「もと海賊王?」
「ヘマやってヤマトに行った時、もと海賊王の船員だった爺さんに聞いた。海賊辞めて皇位継いだらしい」
「……。どこかへ出奔してた皇子が、皇帝の死後ひょっこり戻ってきて皇位継いだわけか…あったな、そんな皇国…」
「やっぱり兄貴だな。その皇国へのツテあるか?」
「…ある。あそこには、皇女がいる。一度、皇女の護衛を務めた」
「上等。兄貴は、相変わらず運いいな」
「運がいいのは、お前の方だろ?」
緋色の男が、肩を揺らして笑った。
「俺にあるのは、風と波を読む目、好機を捕まえる勘と流れを見切る勘だけだ。兄貴には、危険を予知する勘と訳のわからねぇ幸運が付いてるけどな」
「戦場に身を置いていれば、危険予知は必要だ」
「俺より兄貴の方が、絶対に幸運の女神に愛されてるぜ。俺は浮気な奴だからさ」
「そういや、昔っから、お前はいつも女に足元をすくわれてたな…気をつけろよ。相変わらず、お前の女関係は不吉な予感がする」
「まあ、せいぜい、女の航海士には、気をつけるようにするさ」
「なんだそれは…」
「最近、俺を騙してくれた奴。もうケリつけたけどな」
それぞれが、酒を傾けて黙り込む。
「…なぁ、兄貴。今回の宝珠の件、兄貴も加わらねえか?」
「……いいが、今すぐは無理だ。別件を片付けてから行く」
「別件?」
「変な家出娘を追っててな。連れ戻さなきゃならねぇ」
「兄貴が女を追いかけるなんて、珍しいな。いつも、追いかけられる方だろ?」
「依頼を受けたんだよ…」
「兄貴に家出娘を探させるなんて、よほどの金持だな。まあ、いいさ。兄貴がくるまで、せいぜい探りを入れてみる」
フードの若者が立ち上がった。緋色の若者に紙切れを渡す。
「皇国の場所と皇族護衛隊指揮官の名だ」
「おう」
そのまま、フードを目深にかぶった若者は、酒場から姿を消した。
しばらくして、黒髪の若者が酒場に入ってくる。
「おい、ここだ、ここっ」
先程までとは明らかに違う明るさと大声で、緋色のコートを羽織っていた若者が手を上げた。





Triangle againへ戻る