夢に写すもの
いつになくヒロインが親しげで、ドキドキする。
「ねえ、トワ。一緒に洗濯干そうよ」
「…ヒロイン…さん…」
「どうしたの? こんな天気のいい日は、気持ちいいよね、トワ」
青空を見上げたヒロインの横顔も、自分を見返してにっこりと笑った顔も、親しげで距離がぐんと近くなった気がする。
そもそも、こんなに間近で自分に触れてくる女の人、というのは、初めてで。というか、近すぎる。
「トワ?」
名前だけをよばれると、なんだか気恥しくなる。近づいてくる身体に、未熟な雄が反応してしまうのを自覚した。
「え? だ、だめですよ、ヒロインさん。だって、その、あの…」
にっこり笑ったヒロインが近くで親しげに囁いてきて、焦ってしまう。自分の身体が変な反応していることがバレたら困る。
「だって、ヒロインさんは、シンさんが…」
「トワ?」
近すぎる…。まずい。制御できない。こんなの、シンさんにバレたら…。
「わあぁぁぁっ!」
自分の慌てた声で、ふと気づくと、天井が見えた。
「あ…れ?」
医務室のベッド。
「いったい、トワは、どんな夢を見ていたのかな?」
枕元で、ソウシがにっこり笑っていた。…笑顔が少し怖い。
「うん、今度はちゃんと1時間で目が覚めたね。成功かな…」
時計を確認するソウシに、トワは自分が、ソウシの睡眠薬の実験体になったことを思い出す。
「もしかしてトワ、刺激的な夢見ちゃった? ソレ、まさか初めてじゃないよね?」
「え…」
ソウシが指さす先の自分の身体の変化に、トワが真っ赤になった。
そういえば…下着も…。
「だ、大丈夫です…初めてじゃ…ないです…」
「うん。まあ、トワも夢精できる普通の健康的な男の子ってことだね」
事実を指摘される気恥ずかしさと精神的ダメージ。ソウシ先生が容赦無いのは、寝言で何か言ってしまったのかもしれない。たぶん、夢に見ていた彼女の名とか。怖い笑顔は、きっとそのせい。
「あ…あの…。し、失礼しました」
真っ赤になって、慌てて医務室を出ていくトワを、ソウシがにこやかに見送った。
「うーん…もしかしたら、この薬、睡眠以外の効果まで出ちゃってるかな……」
独りになった医務室でソウシがぽつりと呟いた。
「大丈夫? ナギ」
真横に立っているヒロインが、まっすぐな瞳で自分を見上げている。
「? 大丈夫って、何がだ?」
何か、ヒロインが気遣うようなことがあっただろうか。
「ナギ」
親しげに呼ばれるだけで、心の奥がざわつく。
「ねえ、ナギ」
こんな、親しげに、何もかも許したような無防備さで自分に触れてくると、思わずその身体を抱きとめたくなってしまう。
「ナギ?」
「なんだ? さっきから、何回も…どうした?」
えへへ、と笑うヒロイン。
「ナギ」
無邪気に抱きついてくる頭を撫でると、絹のようになめらかな髪が、指先をくすぐってくる。
「ナギっ」
いったい、何があったというのか。ただ、自分の名前を呼んでじゃれてくるヒロイン。
「おい、こんなことしてると、キスするぞ」
精一杯の冗談に混ぜる本音。
「ナギ?」
警戒心もなく間近で見つめ返してくるヒロインに、身体がざわめく。
「ばーか、こんなにくっついてきたら、シンに殺されるぞ」
ヒロインのおでこを指先で弾くと、拗ねたように自分を見つめてくる。
「ヒロイン?」
「ナギ」
再び笑って、名前を呼びながら手を伸ばしてくるヒロイン。
「おまえ、なんで俺のところへ来る? さっさとシンのところへ戻れよ。じゃないと…」
「ナギ…」
いっそのこと、抱きしめてしまおうか…。
心の中に迷いが生じる。
「どうなっても、知らね~ぞ。俺の気持ちは、変わってないんだぞ?」
「ナギ」
これだけ警告しているのに、信頼感丸出しで、すり寄ってくる大切な存在。大切だから、本人の幸せだけを考えているのに。
「ナギっ」
見上げてくるヒロインの顎に指を添える。
このまま触れてしまったら止まらない気がして、屈みこもうとした自分の動きを止めた。
ふと、視界が暗転する。
薄暗い、自分の部屋。
「………」
不機嫌にならざるを得ない状況に、身体を起こす。
「またこの夢か。くそ…あの薬、催淫剤とか混ぜたんじゃねーだろうな」
つぶやいてから、十分ありえると気付いた。
確か、厨房で食事の準備を終えて…その先の記憶がない。ヒロインのことだから、食器の片付けくらいはしてあるだろうが。
ナギは、悪夢から逃れるため、かなり早すぎだが厨房で朝食準備作業することに決め、部屋を出た。
「シン」
珍しく、ヒロインが名前を呼び捨てにする。
それはそれで、心地いいと思った。
けれど。
「おもしろいねー、トワ」
「あ、ハヤテ、こっちこっち」
「えへ。ありがとうナギ」
「ソウシ、今、行きますね」
「…リュウガ」
シンの目の前で、他の男を見つめて、親しげに名前を呼び捨てにしているヒロイン。
「やめろっ」
我慢できずに伸ばした手が、他の男を見つめるヒロインの身体をすり抜ける。
「ヒロイン?」
「あはは。トワってばぁ」
「ハヤテ、すごーい」
「ナギが作ったのっておいしー」
「優しいのはソウシの方でしょ?」
「リュウガって強いですね」
相変わらず、他の男ばかり見て、笑っているヒロイン。
「……俺より、そいつらがいいのか?」
普段、決して悟られぬように隠している小さな不安が、膨らんでくる。
「トワ、弟みたい」
「ハヤテ、本当は優しいよね」
「ナギなら、何でも話せるよ」
「ソウシは、いつも助けてくれるの」
「リュウガって、お父さんみたい」
他の男たちに囲まれて、幸せそうに笑っているヒロイン。
「……俺は?」
「シン」
困ったように自分を見上げるヒロイン。
「意地悪…」
「意地悪っ」
「意地悪です」
「意地悪ばかり」
「意地悪しないで」
視界が暗転する。
不安の闇に落とされたような感覚が、隣のぬくもりで現実に引き戻された。
「ヒロイン?」
隣で、眠っているヒロイン。
ソウシに飲まされた睡眠薬の影響か、いつ、ヒロインが部屋に戻ってきて、自分の隣で眠ったのか、記憶になかった。
おそらくは、ヒロインが部屋に戻ってきても、自分は起きることなく眠り続けたのだろう。
「…薬の効き目が切れたのか……。は? 飲んで11時間…だと?」
効果は1時間と聞かされていたのに、恐ろしい失敗作である。
安心したように隣で眠っているヒロインの髪を撫でる。
「んー」
途端に、もぞもぞと寝がえりをうったヒロインが、シンに背を向けた。
なんの意図もない動きの筈なのに、目覚める直前まで見ていた悪夢のせいで、心が騒ぐ。
「おい、ヒロイン」
俺に背を向けるな、という言葉にはできない想いで、眠っているヒロインを胸の中へ抱きよせる。
「えー?…ん……なに?」
眠そうな瞳が、しきりに瞬きを繰り返して薄暗い中のシンを見た。
「あ、シンさん。起きたんですね? テーブルの上に、夜食持ってきてあります」
「……夜食?」
「だって、シンさん、夕食抜きで寝ちゃったから…」
ヒロインの温かな手が、シンの腕に重なった。
「…その前に、お前を食べたい」
「え?」
「…嫌なら、やめるが……」
実際に拒まれたら、本当にやめられるかどうか自信はないが。
「今、すごく眠くて…寝ちゃっても怒らないでくださいね?」
「眠くなったら寝てていい。夢の中で俺に抱かれていろ」
ヒロインの返答を待たずに、深いキスで口を塞ぐ。
「ん…」
衣服の隙間から指を滑り込ませて、ゆっくりと、柔らかく丁寧な愛撫をその肌に与える。
ヒロインの全てが、自分の腕の中にあることを確認したくて、シンの手のひらが唇が至る所に触れる。
「あっ…シンさん……」
ゆっくりと確実な熱を灯されたヒロインの、自分を求める声に、シンの心が満たされていく。
「もっと俺を呼べ…」
快楽と眠りの狭間にいるヒロインが、繰り返しシンの名を呼び、求め始める。
求める声に誘われるように、シンはゆっくりとヒロインの中へ身を沈めた。
「君はどっちが好きなのかな?」
「ソウシ?」
眼の前に立つヒロインは、まっすぐに自分を見つめてくる。
「意地悪なのが好きなの? だったら俺は、シンよりずっと意地悪なことしてあげるよ?」
ちょっと困ったように見返すヒロインがとても可愛い。
「それとも、優しいのが好きかな? だったら俺は、シンよりずっと優しくできるよ?」
迷っているヒロインの頬に手を伸ばした。
「俺の意地悪も、優しさも、シンみたいに傷つけたり泣かせたりは、しないよ?」
そっと、目の前に居るヒロインの唇を撫でる。
「俺だったら、シンよりもずっと大切にするよ? 不安にさせないよ?」
甘く薫るヒロインの首筋に顔を寄せ、耳元で囁く。
「だから…、ね。俺のところにおいで?」
ヒロインが、昔居た妹のように、突然に抱きついてくる。
笑ってその身体を抱きとめて、髪の毛にキスを落としながら、大切に大切に、抱く。
「これは、俺にしたってことでいいのかな?」
視界が闇に代わって、目の前にいたはずのヒロインの姿が消えた。
「………」
医務室であることを確認したソウシが、身を起して時計を見る。
「ちょうど1時間。成功かな…」
作った薬を見て、ため息が漏れた。
「副作用が問題かな…。普段、意図的に押し殺しているものを夢に見るのは、ちょっと参るね…どの成分が原因だろう?」
ソウシが再び、薬学書を広げて、何やら調べ始めた。
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