ささやかな後遺症
「シンさん…実はヴァイオリン弾けたんですね」
宿に戻ると、ヒロインは無事に目覚めてベッドに座っていた。
ヒロインの言葉に、ソウシがちょっと驚いた顔をする。
シンが一瞥すると、ソウシは肩をすくめた。
「それじゃ、ヒロインちゃんは大丈夫そうだから、私は退散するね」
ソウシが部屋を出ていくのを見送って、シンはヒロインの額を小突いた。
「そういうことは、黙ってろ」
「あ……すいません。でも…」
「俺の母親は音楽の才能を認められて宮廷で働いていたんだ。息子に何も教えないはずがないだろう」
「…もしかして、シンさん……」
「大抵の楽器は弾ける」
「やっぱりシンさん、歌が上手いだけじゃなかったんですね」
その歌声も、よほどのことがないと、シンは誰にも聞かせない。
「それより、大丈夫か?」
「はい。何かよく判らないんですけど…どこもなんともないです」
シンが、ヒロインを抱きしめた。
「シンさん?」
「お前、魔物に連れ去られる瞬間、俺に助けを求めただろ?」
「そうでしたっけ? それもあまり覚えていないんですけど…」
シンの腕の中のヒロインは温かい。
「覚えてないということは、俺に離せだの触るなだの言ったことも覚えてないのか?」
「そんなこと言いました?」
きっとヒロインのせいではない。
けれども、その声と身体でつけられた傷は、完全には消えずにあった。
「ああ。言ったな。俺に向かって、触るな、離せと、確かに言った」
「すみません……あの、触ってもらっていいですし、離さなくてもいいです…」
「…バカ。意味わかって言ってないだろ」
ヒロインの温かな頬に手を添える。
「意味、わかっているつもりですけど…」
「ほう? つまり、俺を誘っているわけだな?」
唇が合わさる。
「アクアが…あのヴァイオリンはものすごく好きって気持ちがないと聞こえないって。シンさんの音…ちゃんと聞こえたから……」
珍しく、ヒロインがシンを引き寄せて唇を再び重ねた。
「そんなことすると、本当に止まらなくなるぞ」
「……止まらなくていいです」
シンが、ヒロインに誘い込まれる。
「…お前、本当にヒロインか?」
「わからないけど…シンさん大好きですっ」
触れあう指先から、シンの心についた小さな傷が癒されていく。
重なる肌の温もりが、そこに在るという安心感を与えていく。
ヒロインの甘く酔ったような声が、シンを煽り招く。
シンは現実に自分の腕に居ることを確かめるように、ゆっくりとヒロインをかき抱いた。
二人の息が重なる。
お互いの熱が行き来して、さらに速度を増してゆく。
体液を注ぎ合い、求め合う。
あの月光の中に沈んだように、ヒロインの視界が白く輝いていく。
お互いにお互いを求め合い与えあう蜜のような一瞬は、朝日が差し込むまで続いた。
「まさか、太陽の弓が、こんなのだなんてよぉ」
ナギの持ち帰った楽器をみたハヤテは、とてもがっかりしたようだ。
「なるほどな。月のヴァイオリンを操る、太陽の弓、だったわけだな。それがいつのまにか、『月を操る、太陽の弓』に歪んで伝説になったのか」
リュウガが納得したように楽器を眺める。
「この楽器、どうするんですか? 誰も弾けませんよね?」
トワがリュウガに尋ねた。
「そうだなぁ…金に換えるか?」
「せっかくだから、しばらく船長室に飾っておいたらどうかな? 意外と誰かしら弾けるかもしれないよ」
ソウシが、にこやかに提案する。
「ね? ナギもそう思わない?」
「……ああ」
ナギは内心、船長室に飾られている楽器を見たら、シンは早く売るように提案するのではないか、とも思う。
二人のやりとりを聞いていたリュウガが、ニヤリと笑った。
「じゃあ、これはヒロインにでもくれてやるか。結局、あいつが身を張ったから手に入ったものだからな」
「そういや、あいつらは? なんかもう、朝になってるけど…」
ハヤテが、辺りを見渡す。
「………」
ナギが、無言でハヤテの足を踏んだ。
「ってー…」
「ばーか」
「あいかわらず、判ってねえなぁ」
笑い声がハヤテの周りで響いた。
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