捕獲の鎖
シンがまだ食堂に残っていた。
とっくに食事は終えているし、他にもやることはあるだろうに。
よりによって、食堂で本を広げて読んでいる。
厨房で片付けていたナギが、見かねてヒロインに言ってやる。
「もういいから、シンと部屋へ戻ったらどうだ?」
あのシンは、あきらかにヒロインの仕事が終わるのを待っている。
「そんな。きちんと最後までやらないと、私がシンさんに怒られちゃいます。それより、ゼリーの青色、どうやったんですか?」
「……教えねー」
「えーっ。すごく綺麗な青色でしたよ」
「……」
会話がはずみそうになると、シンの不穏な気配がナギを遮る。
いいかげん、やりにくくて仕方がない。
自然と、ため息も出る。
「ヒロイン、これ倉庫に置いてくるから、それ片付とけ」
ナギは、倉庫に戻す箱を手にした。
厨房を出ると、なんとなく背中が軽くなった気がして苦笑が漏れる。
しばらく倉庫で時間をつぶして、仕事を終えたヒロインがシンと帰った頃に戻ろうかと思ったのだが。
倉庫に行ったあたりで、ものすごく嫌な感じがした。
すぐに厨房の扉の前まで戻って、舌打ちする。
「シンさ……ゃ…ナギさ…が…」
「見せてやればいいだろ?」
「や…やめ……シンさんっ……」
人の仕事場で冗談じゃないと思いつつ、今、扉を開けたらヒロインは泣いて恥ずかしがるのだろうかと、傷つくのだろうかと、ためらう。
「んんっ…だめぇ……ナギさん…きちゃう…」
「だめだ」
「…こんな…とこ……で……ゃだ………」
おそらく、シンは、そんなヒロインを案じるナギのことも計算しているのかもしれないが。
しばらく逡巡していたナギは意を決して扉を開けた。
「………」
目の前の床で、シンに組み敷かれているヒロインがいた。
冗談ぬきで、シンはよりによってこの場所でコトに及ぶ気だったらしい。
まだ、ヒロインが衣服を着ている状態であることに、内心安堵しつつ、ナギは腕を組んで二人を見下ろした。
「てめーら…ラブシーンなら、さっさと部屋戻ってやれ」
「す、すみません、ナギさん。すぐ部屋戻ります」
真っ赤になったヒロインが慌ててシンの下から抜け出そうとする。
が、シンは相変わらずヒロインを押さえつけているらしい。
「……シン、おまえ、1週間朝のヨーグルト抜き」
「は?」
意表を突かれたシンが、ナギを振り返って見た。
その動きに、押さえつけてた力が弱まったらしく、耳まで真っ赤にしたヒロインが厨房からあっという間に逃げていく。
「ほら、逃げてったぞ」
腕を組んだまま笑ってやった。ザマアミロ、と。
「ったく。誰のせいだ…」
ため息をついて立ち上がったシンに、言ってやる。
「逃げたところで、てめえの籠の中じゃねえか。閉じ込めることばかりに気ぃとられてんじゃねーよ」
ナギから見て昨日と今日は、殊にシンの余裕が無さすぎるような気がする。
…その割には、ここ数日、ヒロインは寝不足もなく元気そうだが。
…やっぱり、このところ、抱けてねぇのか。
「閉じ込めたくもなるさ…」
その気持ちが解らないでもないのだが、ナギからすれば、あれほどヒロインを束縛しておいて、まだ不満なのかと、怒りすら覚える。
「いい加減…贅沢な野郎だな。…腹が立ってきた」
ナギが無造作に鎖鎌を取り出した。
「おい…」
想定外の反応をしたナギに、シンが動きを止める。
狭い厨房の中で、リーチのある鎖鎌を振り回すことはお互いに大変危険だ。
シンが銃を発砲することも、この狭さからするとかなり危険で。
そうでなくても、厨房には火種がある。
下手をすると、船体が損傷しかねない。
シンの思考が迷った一瞬のすきをついて、ナギは鎖を投げた。
「ナギっ、きさま…」
狙い通りに巻きついた鎖がシンの肘を身体へ固定する。
「なんのつもりだ?」
「二度と俺の仕事場で変なことしないように、お前の好きなお仕置きでもやってみようかと思ってな」
「は?」
ありえないナギの言葉に、シンが固まる。
いつもの無表情のまま、ナギが鎖を引いてシンを床に倒す。
「まっ…、待て、ナギ」
さらに予想外のナギの行動に、流石にうろたえるシンの手をしっかりと鎖で固定して、鎌を棚に固定する。
「お、おいっ…」
無表情のまま、シンの首に巻かれたスカーフを外し、上着とシャツのボタンを鎖が巻かれた位置まで外して、ナギがすっとシンから離れた。
「ばーか。冗談だ。マジ焦ってんじゃねえ。俺に男色の気はねえよ」
ナギがニヤリと笑う。
「俺と一緒で、マジ予想外の行動されると、お前も弱いよな……シンを拘束するのが、こんなに簡単とは思わなかった」
シンが唇を噛んで、悔しそうに視線を外した。
ナギが自力では外せないポイントで、拘束していることは、シン自身も理解している。
「この状態で、他の奴らの助け呼ぶなんてできねぇよな」
それはシンのプライドが許さない。いや、この事態すら、プライドが随分と打ち砕かれたのだが…。
「もし、朝までそのままだったら、俺が外してやるよ。たぶん、その前に…」
ヒロインが部屋に戻らないシンを心配して、ここへ探しにやってくるだろう。
どうしてもヒロインに見られたくなければ、シンのことだから気配を殺してやり過ごすはずだ。
でも、そうしたら結果的に…他の奴らが動き出す…その前に、率先して外しに来てやろう。
「この次、この厨房で変なことしたら、この程度じゃ、許さねぇからな」
ナギは、灯りを消し、自分の部屋へ戻った。
暗闇の中で、シンはため息をついた。
やはり、仕事場である厨房という場所でヒロインを押し倒すのは、ナギを殊の外、怒らせてしまったらしい。
ナギを本気で怒らせて敵に回すと、予想外のしっぺ返しがくることは、今まで一緒に生活して、知ってはいた。
が、まさかこんな方向からお仕置きされるとは……あまりのことに、本気でうろたえて、咄嗟に何も反抗できずに床に転がることになってしまった。
食堂の扉が開き、人の気配がして、シンは息を殺す。
「シンさん?」
気配は独り。このまま居ないふりを決め込めば、ヒロインは船中を探して、もしかしたら他の奴らまで動員して捜索…しかねない…。
「ヒロイン」
そっと名前を呼ぶ。
「シンさん、どこですか?」
「灯りはつけなくていいから、厨房へ来い」
「あ、はい」
食堂の扉が閉まり、しばらくしてヒロインが厨房に入ってきた。
「あの、真っ暗でよく見えないんですけど…」
「いいから、ちょっとそこで立ってろ」
ヒロインの目が暗闇に慣れてくるに従って、床に横たわっている人影が見えてくる。
「え? シンさん、何やってるんですか?」
「……ナギに怒られた」
「…へ?……ナギさんに?」
微妙な間が二人に流れる。
「……いいから、左側の棚の一番下に刺さっている、ナギの鎌、抜け」
「あ、はい…」
「こら、俺を踏むな」
「あ、すみません。こんなところにシンさんの足がきてると思わなくて…」
何か、いろいろ聞いてはいけない雰囲気を感じ取ったヒロインは、薄暗い中で鎌を見つけて引く。
「ぬ、抜けないですけど……」
シンが溜息をついた。
「…わかった。なら、鎖をたどって、こっちへこい」
ヒロインが鎖の上を指先でたどり、シンの身体に触れる。
「解くか、緩めるか、どちらかできればいい」
「やってみますね」
括り止められている場所を探して身体に巻きついている鎖をたどった手が、シンの肌に直接触れた。あせってヒロインが手を止める。
「あ、あの…え? よく見えないんですけど、シンさん服は…」
「いいから、気にするな。外せそうか?」
「暗くてよく見えなくて…灯りつけていいですか?」
「…………」
なんだか、灯りつけるの嫌そうだな…と、流石のヒロインも感じ取って…。
「が、がんばって、外してみます」
再び鎖のありそうなところに手を伸ばす。
「お前…それは俺のベルトだ」
「あ、すいませんっ。このあたりかな…」
「アホ。そこに鎖はないだろう」
「あ、でもなんか微かな膨らみが……す、すいません」
暗闇の中で、たまに間違ってシンの肌に触れてしまいながら、とにかく鎖を弄り、あちこちを引っ張ってみるヒロイン。
「……っ」
ぴくん、とシンの身体が動いた気がして、ヒロインが鎖を弄る手を止める。
「あ、ごめんなさい。どこか痛くしました?」
「いや……。……なんだか、お前に襲われてる気分になってきたな……」
「は? 一生懸命外そうと頑張っているのに…」
「今度、お前も鎖で縛ってやるか…」
「え、遠慮します。 あの…やっぱり灯りつけさせてください。これじゃ、よく判らなくて…」
「…仕方ないな」
シンが、諦めたようなため息をついた。 灯りに浮かんだシンの姿を見て、ヒロインが顔を真っ赤にした。
上着の前が完全に開いて、肌が露出したまま仰向けに寝ている。
鎖が幾重にも巻きつき、手の自由を奪うとともに、鎖の長さもきっちり止められていて、身体を起こすという動きも、不可能そうな様子。
たぶん、微妙に外れかけているズボンのベルトは、ヒロインが間違えて触ったせいだろうが…。
ただでさえ、綺麗だと見惚れてしまうシンが、こんな格好で、眩しそうに眼を伏せている姿は…。
煽情的、などということはヒロインに判らなかったが、変に恥ずかしく、魅力的で、目が離せない。
「こら、眺めて興奮してる暇があったら早く外せ」
「は、はいっ」
灯りがあれば、括られている場所もすぐに見つかり、鎖は比較的容易に外れた。
立ちあがったシンが、服のボタンを留めるのを眺めながら、ヒロインは先ほどの光景が忘れられない。
ナギに怒られたと言っていたが、つまり、ナギさんが、シンさんをあんな格好にしたわけで…。
シンさんのところを、ナギさんが…ぐるぐると? シンさんが抵抗もせずに? 想像つかない。
ナギさんが、シンさんの服を脱がして…え? 脱がして何かしたの? 何を?
いや、ナギさんが怒った理由は、たぶん、厨房で始まろうとしていたラブシーンだと思うんだけど…。それがどうしてシンさんとナギさんの…。
自分が恥ずかしくて逃げ出した間に、二人に何があったんだろう…。
「百面相だな…」
シンが、苦笑する。
「あの…シンさん、ナギさんといったい…」
「忘れろ」
ヒロインの言葉を遮って、シンがキスをする。
先ほどの光景のせいか、シンのキスが、やけにヒロインを疼かせる。
「……続きは部屋に戻ってからだ」
このままお互いに止まらなくなりそうな雰囲気を察して、シンはヒロインを連れて、厨房を出た。
翌朝、真っ先に厨房に来たナギは、残されている鎖鎌を拾って片付ける。
朝食の準備を始めていると、ヒロインではなくシンが厨房に訪れた。
「ヒロインは、もうしばらく寝かせておく…」
「…わかった」
シンは朝方まで、ヒロインを抱いていた、ということなのだろう。
「…ヒロインが、ナギに嫉妬してたぞ…」
「は?」
シンが、肩をすくめて笑う。
「ナギが俺のこと好きなんじゃないかとか、間抜けなこと言ってた」
「なっ…」
「まあ、あれから俺も多少無駄な足掻きしていたからな…」
苦笑したシンが、厨房を出ていく。
もしかして、ヒロインはシンがナギに襲われたとか、恐ろしい誤解をしている、ということだろうか…。
または、シンがヒロインにそう思わせる言動をあえてとった、とも…。
「冗談じゃねえぞ」
ナギは、ヒロインが来たら、どうやって誤解を解こうか、真剣に考えるのだった。
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