女剣士の影



 ハヤテの誘拐騒動と個々の事情により、一睡もしなかったシリウス一行は、ナギが手を怪我したこともあり、宿に数泊することになった。
 シャワーを浴びてきたヒロインに、シンは先に寝ているように言って部屋を出た。
「くっそー。あの女、エロいんだよっ!」
 苛立たしげな声が、ハヤテの部屋から聞こえる。
「……あーもうっ。寝れねえっ!」
脳裏に焼きついた女剣士の魅力的な姿に、悩まされていることは一目瞭然。
「馬鹿が……」
そんなに気になるなら、いっそのこと、あの女剣士を組み伏すくらいの妄想をしてしまえばいいのだ。
 もっとも、それができないから、ハヤテなのだろうが。
 剣を交えたシンの視界にも、引き締まった足や、くびれたウエスト、無駄のない背中の線や、胸の谷間が間近に映った。
 けれど、それは全く性欲の対象になるようなものではなくて。
かなり鍛えている、技量の高い人間だという判断材料にしかならなかった。
 おそらくは、ナギもそうだろう、と思う。
シャワーで汗を流して部屋に戻れば、すっかり寝入っているヒロインがいた。
「ヒロイン?」
 呼んでも、簡単に起きそうにない。
  あの女に捕まった時は、冷静を装う裏でかなり焦った。
 特に、森の中を足跡を追って走る時は、自分の読みの甘さを呪った。
けれど。
そっと、ヒロインの髪を撫でる。
 結果として、あの女剣士に、いろいろと教わった気がしてならない。
不測の事態として、自分は、どこまで読むことができるのか。何処が読めていないのか。
 ヒロインを襲い来る敵から守るためには、何が足りないのか。
「そういえば、剣なんて久しぶりに使ったな…」
 なんとなく腕に重さがあるのは、普段使っていなかった筋肉があった証拠。
眼帯を外せば、確かに見える世界が少し変わるが、それは受け入れ難く。
 ならば、広い死角を補えるだけのより高い技量が必要で。
起きそうもないヒロインを確認して、シンは床に手をついて、静かに腕立て伏せを始める。
 50回、100回、150回…学生時代は失敗等何かあると教官の『伏せー』の掛け声と共に、強制的にやらされたな、と笑う。
 少し運動した暑さに上着を脱げば、ベッドの上でヒロインが寝がえりをしたのが視界に入り。
「ヒロイン…」
「んー…シンさん…」
 寝言で返事が戻ってきて、シンはそっとベッドに滑り込んだ。
腕を回して抱きしめると、眠っているくせに、幸せそうに笑う。
 シンはちょっとだけのつもりで、目を閉じた。

「俺はシャワーを浴びて来るから、お前は早く寝てろ」
確か、そう言われてヒロインはベッドに入り、眠った。
 ふと…寝返りの不自由さに目を覚まして、あれ? と肩を見る。
裸の腕が、背後から抱き締めるように首の下とヒロインの上に乗っていた。
「…シンさん?」
 そっと呟く。
背中から、規則正しい寝息が聞こえる。
包まれている腕の中で向きを変えたヒロインが、ドキリとした。
 微かに上下する裸の胸が目の前にある。
(…え…と、私は、服着てるよね…)
 ヒロインは、思わず自分の服を確認してしまった。
 眠りの深そうなシンは、起きる気配がない。
(珍しい……そうか、シンさん、たくさん走り回って、あのヒトと戦って、すごく疲れたんだ…)
 剣を持って、強くて綺麗な女の人と戦っていたシンの姿を思い出した。
ヒロインの心の中で、チクリと何かが痛む。
『確かに、あれは魅力的な身体だったな』
 不意に、ハヤテをからかうシンの言葉を思い出した。
(うん。あの人ウエストも私より細くて、手足も、なんか、こう、きゅっと締まっていて、スタイル良かったもんね…)
 間近で眠る、滅多に拝ませてもらえない寝顔を見つめる。
「シンさん…」
そっと囁くけれど、やはり起きない。
(あの女の人と戦っている時、シンさん、嬉しそうに笑っていたよね…)
ヒロインは指先で目の前にあるシンの胸線を何気なくそっとなぞった。
「…ん……」
 身じろぎしたシンが、ヒロインを抱え直して再び規則正しい寝息になる。
不意にシンが漏らした声が、やたら色っぽくて、ヒロインはドキドキと鼓動が速くなる。
(い、今の声、もう一回聞きたいかも……)
 いつの間にか心の痛みなんて消えしまって、嬉しいような、愛しいような、くすぐったい気持でシンの無防備な寝顔を見つめる。
(…起きちゃうかな?)
 そっと、シンの胸に唇を寄せ、吸ってみる。
「…ぅ…………こら、何、襲ってる?」
一瞬、漏れかけた甘い吐息は、すぐに苦笑混じりの言葉になってしまった。
「…すみません、つい…」
慌てて離れたものの、シンさんが色っぽすぎて悪戯したくなりました、とは流石に言えない。
   「つい何だ? 俺が欲しくなったか?」
からかうような口調に、忘れていた心の痛みが戻る。
「どうせ、魅力的な身体じゃありませんから」
「?」
「シンさん、あの人と戦っている時、すごく嬉しそうに笑ってましたよね」
一瞬目を見開いて、ふと自分の胸を見下ろしたシンが、クククと笑いだす。
「それでお前、俺に印をつけたのか?」
「え?」
そんな強く吸ったつもりはないのに、色白のシンの胸には薄いピンクのキスマーク…。
 自分のしたことが、ものすごく恥ずかしく思えて、ヒロインは真っ赤になった。
「そ、そういうつもりでは……」
「どうせなら、もっとしっかりとつけろ。これじゃ、すぐ消えるぞ」
「い、いえ……」
シンが身を起こし、両腕の間にヒロインを閉じ込める。
「一つじゃ物足りないだろう。あといくつ俺に残したい?」
「ひ、一つで十分です…」
面白そうに笑うシンが、ヒロインを覗き込む。
「あんな女より、おまえの方がずっとイイぞ」
ドクン、と一瞬、ヒロインの呼吸が止まる。
優しいキスが下りてきて、そっと離れていく。
「どうする? 寝直すか?」
甘く色っぽい囁き声に、ヒロインはシンの首へ腕を回す。
嬉しそうに、愉しそうに、シンはヒロインに折り重なった。

 ふと、声が聞こえた気がして、ナギは眠りから抜け出しかける。
 怪我した上にで散々走らされたせいか、それともあの女剣士のスピードに振り回されたせいか、疲れに支配されている身体は、簡単に目覚めなかった。
 曖昧な意識の中で、ヒロインの声が聞こえる。
「ぁん、うんんっ……ふっ…」
 甘い声が、ナギの身体にまとわりつく。
「ふっあっ……あん……あ、ぃゃ…ん」
 眼の前で、煽情的な手が空を切り、ナギの身体を刺激する。
 ツキン…と痛んだ右手を、すみません…と見上げるヒロインが、ナギの腕に頬を寄せる。
 ナギの手が、布の中を滑ってヒロインに触れ…ない。
 滑らした指先は、ヒロインの肌に辿りつかない。
「んっ…んっ………。んふっ…」
 それでも、やわらかな布の上を滑らせるだけで、ヒロインは官能的な声を漏らし、切なげに目を閉じる。
「あっ、あっ、あっ……はっ…」
 この程度で、こんなに感じられると、もっと触れてやりたくなる…のに、どんなに指先を滑らせても布の迷路から抜けられない。
「んっ……シンさん…」
 !
 他の男の名前に、一瞬で、意識が覚醒する。
 壁の向こうから聞こえてくるひときわ高い嬌声に苦笑した。
 ここは宿。
 隣は、シンとヒロインの部屋。
 ヒロインは、シンのもの………。
 倒錯した夢のせいで、さんざん煽られてしまったナギの身体が、熱を持つ。
 ふと、煙草の持ち合わせがないことに気付き、舌打ちする。
 右手の包帯が、血に滲んでいる。
「…ドクターのとこ行くか…」
 どこか重い身体を起こして、ナギは部屋を出た。
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