聖なる心



「すみません、ナギさん。これから、ちょっと船長室へ行ってくるので、お手伝いはその後でいいですか?」
「ん? ああ…」
 ヒロインは、ペコリと頭を下げて、調理場を出て行った。
 それから、どれほど経ったろうか。
 シンが、食堂に姿を見せた。
「ヒロインは?」
「……船長のとこ行ってから、手伝いに来ると言ってたが…」
 ナギがまだ戻らない、と言う前に。シンが食堂の机をダンッ、と乱暴に叩いて踵を返す。
「おいおい…」
 いずれにしろ、今夜はヒロインが手伝いに来ることはないと、ナギは確信した。

シンは、どうにもならないモノを持て余して船長室へ向かっていた。
 船長がヒロインに宝石を渡したのは、気に入らなかった。
 気に入らなかったが、宝石の種類を思えば、許容すべきものだと、自分を納得させた。
 許可を得るように自分を見上げて、もらっておけと言った後のヒロインの喜びようは…やっぱり、気に入らない。
 愛と結婚のお守りと聞いて、喜んだことは判っている。
 ヒロインが考えている相手が、自分であることも、理解している。
 ところが、その宝石は船長からもらったものなのに、喜んでいるのが気に入らない。
 ファジーに小袋をもらっていたのも、知っている。
 もらった小袋を大切そうに握りしめていたのも、見ていた。
 それを首から下げているのも、納得できる。
 ヒロインが、自分と結婚するという夢からお守りを肌身離さず持っていようとするのは、可愛いことだと思う。
 しかし、肌身離さずもっていようとするモノが、他の男から贈られた宝石だというのは、気に入らない。
 そして今、何の用か知らないが、宝石をくれた男の許へ、1人で赴いているというのは、気に入らないを通り越して、許し難い。
 たとえ、船長から何か用があって呼ばれたのだとしても。
 シン自身、論理がそこら中で矛盾していることは、自覚しているのだが、矛盾は関係ないとも思う。
 船長室の前で、ちょうど部屋を出てきたヒロインを見つける。
「…何してた?」
「あ、シンさん」
「船長と、何してた?」
「お話ですけど…ムーンストーンのことで…」
 シンがヒロインの手を掴んで、一番手近な航海室に引っ張り込んだ。
「シンさん?」
 灯りをつけず、薄暗い航海室でヒロインの胸元を強引に開く。
「えっ…あのっ…」
 驚くヒロイン。
 開いたヒロインの胸元、シンの目の前に、ビロードの小袋が揺れていた。
 掴んで引き千切りたい衝動に逆らわず、シンが紐を掴んで力を込めると、予想外にヒロインが激しく抵抗した。
「やっ…だめっ!!」
 ヒロインが、シンに奪われまいと小袋を必死に握りしめる。
 結局、紐は切れたが、小袋はヒロインの手に残った。
「っ…そんなに、それが大事かっ!」
 一気に怒りに火がついたシンを前にして、ヒロインは小袋をより強く握りしめてシンを見上げる。
「大事です。だって…だって、これは…」
 シンは力任せにヒロインを床へ押し倒した。
「っっっ…」
 床に背中を強く打ちつけられたヒロインが、眉をしかめる。
 背中の痛みに、手の力が緩んだ。
 その隙に、シンは小袋を取り上げて、暗闇へ投げる。
「やめてっ。返して下さいっ。返してっ! シンさん、違うんです、あれはっ………」
「うるさい」
 ヒロインを床に抑えつけ、冷たく見下ろしたシンが、視線と同様に底冷えするような声で言いながら、手近にあった布をヒロインの口へ押し込んだ。
「んんんっ。んんんんんっっっ」
 苦しげなヒロインの声を無視して、下衣を引きずり脱がして下着を露わにする。
「んんーっ。んんーっ」
 ヒロインが涙を流して何か訴えようとしているのが、煩わしい。
 自分に必死に抵抗しているヒロインが、許し難い。
「勝手に動くな」
 シンは懐から銃を取り出して、ヒロインの首に銃口をあてた。
「………」
 ヒロインが驚いたように涙で濡れた瞳でシンを見て、動きを止める。
 薄暗い中、シンが残酷な目で、ヒロインを見下ろした。
「…そのへんでやめとけ、シン」
 航海室に、シン以上に冷たい、怒りに満ちたリュウガの声が響いた。
 明かりが燈る。
「船長…」
 歩み寄ったリュウガが、シンの頬を叩いて、銃を取り上げる。
「頭、冷やせや。おまえのソレはもう、愛でもなんでもねーだろ。コイツ、殺す気か?」
「………」
 気まずそうなシンを放置して、リュウガは、ヒロインの口に押し込まれた布を取り除く。
「…ごめんなさいっ、船長。シンさんは悪くないんです、私がちゃんと言わなかったから…」
 咳き込みながら身体を起こしたヒロインが、開口一番に謝罪した。
「シンさんも、すぐ言わなくて、ごめんなさい。違うんです。ムーンストーンは、船長に返したんです」
「…返した?」
 リュウガが、ポケットから、ムーンストーンを取り出して苦笑する。
「ああ。ここにあるぜ。さっき船長室に来てな。お守りなら、シンからもらっているから、いらないそうだ」
「……じゃあ、あの中身は…」
 シンが、自ら放り投げた小袋を探す。
 部屋の隅に転がったそれを手にすれば、中身は確かに宝石ではなくて…。
 ヒロインから奪い取った時、なぜ気付かなかったのだろうと、思う。
 ヒロインが必死に言おうとした言葉を、なぜ聞かなかったのだろう、と。
「…………………」 
 リュウガが、シンに取り上げた銃を返して苦笑した。
「まぁ、思慮分別のある愛なんざ、本当の愛じゃねーよな。本気になれば、なっただけ、醜態晒すもんだ。…邪魔したな」
 シンの肩を軽く叩いて、リュウガは航海室を出ていく。
 扉が閉まる直前に、再び電気が消された。
「……」
「………」
 暗闇の中で、シンが呟く。
「…悪かったな。……どうかしてた」
「いえ。私こそ、シンさん、ごめんなさい…」
 シンがそっとヒロインに手を伸ばす。
 指先が触れると、ヒロインが反射的にビクリと避けようとしたのが解って、唇を噛んだ。
「…手、貸せ」
 できるだけそっとヒロインの手をとると、小袋から取り出した指輪をはめる。
 それは、以前、シンがヒロインにプレゼントした指輪。
 ヒロインが、笑顔になった。 
「…背中、痛くないか?」
「大丈夫です。それより、シンさんこそ、大丈夫ですか?」
「…俺に殺されそうになったのは、お前だろう?」
「でも…、さっきから、私なんかより、ずっと泣きそうですよ、シンさん」
 そんなはずは、ない。
 そもそも、乱暴に押し倒されて泣いていたのは、ヒロインのはずだ。
 殺すつもりなんて、全く無かったはずなのに。
 銃を突きつけた瞬間、確かにこのまま引き金を引いてしまおうかと脳裏をよぎったのは事実で。
 いっそのこと、この手で滅茶苦茶に壊してしまおうと思ったのも事実で。
 ヒロインがその一瞬の殺意を感じ取ったのは、間違いないことで。
 正直、船長が止めてくれて、助かったのも事実だ。
 船長が来なかったら、激情に流されて何をしていたか分からない。
大切なものに消えない傷をつけていた可能性があった。
冷静さを失った自分が、かけがえのないものを壊してしまっていたかもしれない。
「シンさん…」
 ヒロインの腕が、シンの背中に回される。
「シンさん、大好きです」
 ヒロインのぬくもりが、冷えたシンの胸を温める。
「私、大丈夫ですよ。シンさんにだったら、何されても、大丈夫なんです。…シンさんだから、大丈夫なんです」
 シンは答える言葉が見つからずに、抱きついてきたヒロインの頬を両手でそっと挟んだ。
   ヒロインが照れたように、笑う。
 軽くキスをすると、シンの中にあった罪悪感が和らいだ気がした。
 もう一度。
 もう一度。
許しを請うように。
 次第に、キスが長く深くなってゆく。
 愛しさが、溢れてゆく。
 もっと。
 もっと。
 甘い吐息が、見えない傷を癒していく。
 シンが精一杯の想いで呟くゴメンは、熱い吐息に包まれて。
もう二度とこんなことはしないと呟くシンの贖罪も、全てヒロインが飲み込んでいく。
 ヒロインが、まだどこかためらいがちなシンを、精一杯の大胆さで床へ引き込んだ。
 愛しさと優しさが重なって、求め合いながら沈んでいく。

「無垢な女ほど、怖ぇーもんはねぇな」
 密かに心配して様子を覗っていたリュウガが、苦笑して航海室から離れて行った。

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