樹雨月


 樹雨。木々の露玉がその重みに耐え兼ねて、地上へ降り注ぐ現象。
雨雲が運ぶ空からの水ではなく、大地が生み出した特別な雨。
夜露は、月が作った水と信じられていた時代。雨もなく草木に現われる水滴を、露玉という宝石めいた名で呼んだのには、それなりの理由があった。
 特別な露玉は、神を宿し、奇跡を起こす。
その露玉を、雨のようにぽつりぽつりと落とす樹は、当然、神木として祭られるに値する。
 聖なる水を生み出す御神木。
 樹雨を生じるほどの木々は、それなりの大きさと歴史を持っていた。
境内の桂樹も、ときどき、涙を流すような樹雨を生じる。
「夜見。この境内の桂樹って、樹齢何年くらいなんだ?」
 信志の言葉に、僕は月明かりにゆれる桂樹を見上げた。
もう、ずいぶん昔から共に月を見上げてきている。でも、いつどうやって植えたのか、思い出せなかった。
それは、つまり……。
「記憶を封じたから、正確なところは答えられないな。千年近くにはなっていると思うけど」
「え…? 桂樹って、そんなに枯れずにいるものだったか?」
 樹木にも、寿命はある。一つの命だから。でも…。
「これは、特別だよ。思い出せないけど、明らかに僕の…いや、弓月夜見の力が影響している。燃やしても、焼け落ちないと思う。きっと、とても大切な何かだったんだ」
 そして、僕にはつらいことだったのだろう。
記憶を封じなければならないほど。
「なるほどね。まさか、この桂樹、もとは人間だったとか? いや、夜見は覚えていないんだから、答えようがないよな。ギリシア神話じゃあるまいし、悪い、気にしないでくれ」
「……。ありえないことじゃないけどね」
 手を伸ばして、ゆっくりと幹をなでる。
風もないのに葉擦れの音がして、僕はあたたかな想いを受け取った気がしていた。



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