玉兎


月に住むと言われる兎を、玉兎と呼ぶ。
また、月光のことを兎影と呼ぶこともある。
月で兎が餅つきをしているという話は、インドから中国を経て漢の時代、十二支などの暦法と共に日本に伝えられたものだとも言う。
漢の時代、この国はまだ天照の原形ではないかとされる、女王卑弥呼の時代だった。
いずれにしろ、古来より兎は食料の一つ。
現在では、ペットとしている人の方が多そうだ。
卯月の23日は、山の神の日とされ、その日に白兎に出会うと災いが起こるとも言われた。
兎の左前足は月が授けたものであるから、大切にしなければいけないという言い伝えもある。
真樹が供物を手に、母屋から現れた。
「露にふす卯の毛のいかにしをるらん月の桂の影をたのみて、っていう和歌、夜見なら知っているよな?」
『明月記』の作者でもあり、妖艶を得意とした藤原定家の和歌。
凶月の様相を帯びていく月を見上げながら、僕は答えた。
「姿を見せるなり、なんだ? 今度は新古今和歌集でも読みはじめたのか?」
僕の中で、荒御魂が身じろぎする。
今夜は、弓月夜見が目覚めそうだ。
「卯の毛って、ウサギの毛だよな。なんか、妖艶とは程遠い感じがするなぁ。月だからウサギの毛ってことかな?」
押し殺した嘲笑が漏れた。
真樹が、動きを止めて僕を見る。
「弓月夜見…? いや、まだ夜見か……」
「今のところはな。真樹、兎は多産で年に何度も子を産み、その都度夫が変わる動物だ。見る人によっては、淫乱の象徴にもなりうる。露にぬれた兎の毛、桂樹の木陰と恋の時間たる月夜。充分、妖艶だ。…理解したところで、信志を呼びに行くが良い。そろそろ、凶月に染まるぞ」
よけいな説明は、している時間がなさそうだ。
「あ、ああ…わかった」
斎主の信志を呼びに引き返す真樹を見送ってから、僕は月に浮かぶ影を眺めた。
「月の兎……か……。月に仕えて餅をついたり、薬を作ったり、子を産んだり、忙しいことだな」
目覚めた弓月夜見は、ずいぶんと楽しそうに信志を呼んだ。


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