幻夢霙



    
プロローグ
懐かしい姿を見た。
真っ暗な暗闇の中へ出かけていく親しい人。
「どうして駄目なの?」
自分の声が暗闇に吸い込まれていく。駈け出そうとした私の腕を掴んだ人。
あれは誰だろう。優しく名前を呼ぶのは、よく知っているはずの声。
「思い出…」
そう、友達がたくさんいた。
「みんなと離れたくないのに」
どの名前もわからなくなってしまっている。顔すら、はっきり見えない。
かすかに聞こえてくる音楽…これは、一緒に聞いた曲…。
懐かしくて悲しい曲。
思い出を優しく包む曲。

一・新発明

陟と瑛樹が話し合っている声が聞こえた。
「なんで、こんなに早く壊すかなー、ったく…」
「突然動かなくなったんだよ、仕方ないだろ。言っておくけど、僕は電源を入れただけだぞ」
何が壊れたんだろう。
気になったから、私は二人のところを覗き込んだ。
「あのさ、瑛樹。電源はこっち。つまり、機械が苦手などっかの誰かさんが押したのは、設定のリセットスイッチ」
「ああ、それで全動作がストップしたのか。ふーん……」
「ふーん、じゃないよっ。こういう時は、素直に謝るべきだろ」
陟が手にしているのは、見慣れない四角い箱。
瑛樹は、腕を組んで立ったまま、陟の様子を見ている。
「つまり、さっきの設定情報を僕が消したってことだろ。悪いと思ったから、こうして陟の作業を見守っているじゃないか」
「おまえ、性格悪すぎっ。ひねくれ者っ! これ、完成してからまだちょっとしか動いてなかったのに」
どうやら、陟が何か作ったものを、瑛樹が壊した? プログラム消した?
たぶん、そんなところかな。
あの、四角い箱が、陟の作ったものみたいだけど、何のために作ったのかな。
「正確には動作時間3分17秒だな。ちなみに、さっきのって、音声をプログラム変換して入力してあっただけだろ?」
「ああ、そのとおりだよ。俺が音声を3−Σタイプのプログラムに変換して、全部入力したのを、瑛樹が一瞬で消したんだよっ。人の苦労を……あ、時菜、聞いてくれよー瑛樹がぁー」
覗いていた私を見つけた陟は、四角い箱を持って私のところへ駆け寄ってきた。

こんにちは。私は今回主人公の時菜です。
毎回お決まりのパターンですが、順番どおりに話を読めない人がいるかもしれないので、基本的な情報はお伝えしますね。
私たちは、ミューニタストという人類の末裔で、ただ今、宇宙船TATの中にいます。
目的はもう既に達成して、地球への帰り道です。
乗組員は同い年の陟と瑛樹。
船の責任者は美麻姉さん。
それから、途中で仲間に加わった、無色透明無味無臭の宇宙生物、火香利。
詳しくは、他の話をご覧くださいね。
それでは、本文にもどりましょう。

「それで、陟が作った物って、何なの?」
陟の手にある四角い箱は、光ディスク数枚がかろうじて中に入りそうな大きさだった。
「あ、コレ? 音楽再生装置試作品その@、なんだ。歌が下手でも、これさえ使えば誰でも自分の声で音程はずすこと無く歌えるという代物。ほら、俺って音声認識装置とかすっごい得意だからさ、ちょっと応用してみたんだよね。それなのに、どっかの機械音痴が、あっという間に俺の苦労の結晶を消去しちゃってさぁ」
陟は肩越しに瑛樹を振り返って見た。
視線を受けた瑛樹が、ため息をつく。
「わかったよ。どうせそれも、プログラム入力は音声認識なんだろ。認識スイッチどれ?」
陟が箱の側面にあるオレンジ色の光を指差した。
瑛樹が、黙って四角い箱を陟から奪う。
「何するんだよっ」
「僕が恥を忍んでさっきの曲を復元してやるよ」
カチ、という認識スイッチの入った音のあと…。
「VNJ30DGKLE58TLJERFKJ2SSBNJKN6QWIEJNFSKDFU3JKG58TGJKJSDNE85TAKD…」
瑛樹は突然プログラム言語を語った。

二・休息

メインルーム内で、瑛樹の声が三部合唱していた。
といっても、声の持ち主は、不機嫌な顔で航路の資料を読んでいるだけなんだけど。
陟の開発した音楽再生装置試作品その@は、入力した声が音源。
瑛樹がその記憶力から復元した曲は、美麻姉さんがとても気に入ったため、消去不可という指示が出てしまったのよね。
気に入った曲は、飽きるまで聞き続けるくせがある美麻姉さん。
しかも今回は、陟が美麻姉さんに加担したため、メインルームにまでBGMとして、瑛樹の声が流れていた。
「時菜…僕の声、止めてくれる……?」
頼まれていた資料を届けて部屋を出ようとすると、瑛樹に呼び止められた。
ふと美麻姉さんを見ると…寝ているわね、あれは。
その隣の陟も…いつものことだけど、寝ている…。
でも、わかるかな。
だって、瑛樹の歌声なんて聴いたこと無かったけど、実はかなりいい声だから。
懐かしいような、包まれるような、優しい音だから。
「エイキノ ウタ トメル ザンネン」
止めようとしたら、火香利の気配が、私を止めた。
「火香利がこういってるけど?」
「無視。却下。僕は自分の歌なんて、聞きたくないからね。止めていいよ。…復元なんかするんじゃなかったと、僕がどのくらい後悔していると思う? 陟まで調子に乗って、スピーカー改造するし」
資料を置くと、瑛樹は立ち上がって背伸びをした。
「さて、雑音も無くなったし、そこの二人は眠りこけているから、お茶でも飲まない? 火香利も一緒に行こう」
ここ数日、常に歌い続けていた声に誘われて、私は笑顔で頷いた。
「しかし、美麻さん、はやく飽きてくれないかな。こう何回も聞かされるのは…」
廊下を歩いていると、瑛樹がため息まじりで呟いた。
「そうかしら。私は瑛樹のあの歌、とても好きだわ。それに、飽きないもの。瑛樹は、もっと自分の声が持っている力について自覚する必要があるかも」
「時菜にまでそう言われちゃうと僕はどうすればいいか困るんだけど」
本当に困ったように天井を見上げる。
「でも、大丈夫よ。美麻姉さん、一週間もすれば飽きるから」
「だったら助かるけどね。今回は、陟があっちの味方だからなあ…」
休憩室まで来た時、ふと、遠くで何かが呼んだような気がした。
瑛樹が立ち止まる。
「時菜、今の聞こえた?」
「何?」
窓の向こうで、輝いて消えそうな小さな光が見えた。
「あれか…。珍しいな……」
ときどき、私には聞こえない言葉を聞いて行動を起こす瑛樹。
今も、何か聞こえたのかな?
「時菜、悪いんだけど、予定変更。僕、ちょっと火香利と外へ行ってくるからさ、お茶は戻ってきた後でいい?」
「それは構わないけど、外へ出て大丈夫? TAT、動いているわよ」
宇宙空間で船を見失ってしまったら、それはかなり高い確率の死を意味する。
「だから、万一の場合を考えて、火香利と行くよ。航路は僕が計算したものだから、よっぽどのことが無い限り、大丈夫。2〜3時間で戻るから、その間に陟が起きてきたら伝えといて」
「あれだけ熟睡していたら、2〜3時間じゃ起きてこないと思うけど?」
「僕もそう思うよ。それじゃ、悪いけど待っていて」
きっと、何のために行くのか聞いても今は教えてくれない。でも瑛樹だから、戻って来た時には教えてくれる。
そう感じたから、私はそのとき、詳しく聞かずに瑛樹を見送ることにした。

三・不安

休憩室でお湯を沸かしている途中に部屋へ入って来たのは、陟だった。
「あれ、瑛樹は?」
「火香利と出かけたわ。すぐ戻るって言っていたけど」
ちょっとびっくり。まだ1時間くらいしか経っていないのに陟が自分から目覚めるなんて。
「今度は何かあったわけ?」
眠そうに欠伸をした陟は、戸棚を開いて品物を物色しはじめた。
もしかして、空腹で目覚めたのかな? だったら、納得かな。
「さあ、わからない。なんとなく、どこかで呼ばれたような気はしたのよね。そしたら、瑛樹、ちょっと出かけてくるとか言うんだもの」
「……。え?……つまり、瑛樹は、外へ、出たの?……時菜、それ、どのくらい前?」
陟が動きを止めて、私を見た。
心底、驚いた表情。
「1時間くらい前だけど…」
「やば…俺、起きてすぐ加速装置入れてっ……」
バタバタと踵を返した陟が、メインルームへ走り去っていた。
え?
加速装置って…。
だって、瑛樹は小型船すら使わずに本当に生身のまま外へ……。
とても嫌な想像が、脳裏に浮かんだ。
……このまま、瑛樹が戻ってこないかもしれない……?
戻ってこれずに…途端に指先が震えた。
どうしよう、なんだかとても怖い。
どうすればいいのかな。
軽い衝撃。TATが緊急停止した?
そのくらい重大なことが起きてしまった?
それは、私が陟に伝えなきゃいけないことを伝えなかったから? 私のせい?
「美麻姉さん……どうしよう…」
足が自然に美麻姉さんのところへ向かった。
陟がさっき走って入っていったメインルーム。陟の声が聞こえる。
「とりあえず、緊急停止はしたけど、どう思います? 瑛樹のことだから、自分の計算した航路は判っている、とすれば、下手に動かない方が…」
「そうね。でもこの位置だと、距離がありすぎるかもしれないわ。いくら適応能力が高いといっても、2日以上は危険だわ。距離的にはどのくらいになる? あの時は時速0.2光年くらいでのんびり進んでいたのよね?」
「さっき、6光年にまで加速していました」
2人の会話の内容が、とても重くのしかかってくる。
瑛樹は、0.2光年の速度の場合で2〜3時間かかると計算して出かけた。
でも、途中で30倍の速度になってしまった。
つまり、戻るためには60〜90時間必要になってしまった。
足先が震える。このまま、瑛樹が死んでしまったら……。
「時菜?」
走り寄って、美麻姉さんに抱き着いた。涙が溢れてくる。
「ごめんなさい、私が…陟に伝えてって言われたのに、私が伝えなかったから、瑛樹が……。美麻姉さん、瑛樹は2〜3時間で戻るって言っていたのっ。だからっ」
横で陟が怒鳴った。
「時菜が責任感じることないよっ。瑛樹のヤツが大馬鹿なだけなんだからっ」
その言葉とは裏腹に、陟がとても怒っているように聞こえて、自分が何をどうすればいいのか判らなくて……。
「ちょっと、2人とも落ち着きなさい。……時菜、火香利は瑛樹君と一緒に行ったの?」
頷くのが精一杯だった。
美麻姉さんがため息をつく。
「じゃあ、ここで待ってみましょう。火香利が一緒なら、きっと大丈夫よ。陟君『呼び続ける』機械をできるだけ早く作って」
「呼び続ける?…あ、そうかっ!」
陟が思い付いたように自分の部屋の方へ走っていく。声が、急に明るくなったように聞こえたけど。
「何? 陟はどうしたの? 美麻姉さん?」
何が何だか、よくわからない。
「ただ待っているだけだと、不安になるでしょ? できることをやらないとね。時菜も落ち着いたら、火香利と瑛樹君を、呼んであげなさい」
「呼ぶって…だって、声なんか」
宇宙空間で声なんか聞こえない。TATの中で大声を出しても、きっと瑛樹や火香利には、届かない。
「呼ぶのは、音声じゃないわ。音無き声で呼ぶの」
それは、無事を祈ることと、大して変わらない。そんなことしても。
「そんなのただの自己満足だわ。何の力もないじゃないっ」
「そうでもないのよ。考えてもみなさい、呼びかける相手は、あの火香利よ。火香利は、意志の塊のような生命体。意志の力が、もっとも火香利に届きやすいと思わない? それに、瑛樹君も実はただ者じゃないのよ。なんといっても、私の目に適った乗組員なんだから」
美麻姉さんの目に適ったことがそれほど特別とも思えないけど、なんだか『祈り』がとても有効な手段かもしれないってことは、納得できた。
そうね、無事を祈って、呼んでみよう。
それから私たちは待った。
一日目。
二日目。
そして。
「……めろっ、やめ…くれ……」
三日目の朝、瑛樹の声が聞こえた気がした。急いでポートに駆けつける。でも、人影はまったく見えない。気のせいだったのかな?
部屋に戻ろうとしたら、陟に逢った。
「時菜、今、瑛樹の声がしなかった?」
「うん……、と思ったんだけど、気のせいだったみたい…」
考えてみれば、声が届くはずもないのよね。
昨日三人で話し合って、今日瑛樹が戻ってこなかったら、救助隊に連絡することに決めている。瑛樹、無事だと良いんだけど。ううん、絶対に無事でいて欲しい。
「…おまえっっ、……は?」
突然、陟が言葉を切って、周囲を見渡す。今の、絶対に私に向けていった言葉じゃないわよね。
「なんだよー、それっ。…時菜、あんな奴のこと心配しなくていいよっ。あと一日でこっちに着く位置にいるってさ。俺、美麻さんに知らせてから、小型機で迎えに行ってくるっ」
気の抜けたような表情をして、陟が急に腹立たしそうにメインルームのほうへ歩き始めた。
呆然と見送るしか無かった私。
事態がうまく理解できないけど、何があったんだろう。瑛樹の無事が判ったってこと…???
「時菜、瑛樹君の居場所がわかったから、メインの方で手伝って」
美麻姉さんの声に我に返った私は、メインルームへ向かった。

四・遺物

「人が寝ている間に、勝手な行動するんじゃねーよっ。どのくらい俺達が心配したか、わかっているのかっ」
「僕が戻ろうと追いかけはじめたら加速したくせに、よく言うよ」
「知らなかったんだから、仕方ないだろ。その時に俺を呼べばよかったんだよっ」
「呼んだよっ。陟が寝ぼけていて気付いてくれなかったんだろっ」
小型機内での会話を通信で聞いていた美麻姉さんが、苦笑した。
「瑛樹君、元気そうね」
「あ、美麻さん? もしかして、陟、通信フリーにしてある?」
「だから、みんな心配していたんだってばっ。今日もどらなかったら、救助隊に出動要請するところだったんだよっ」
しばらくの沈黙。
「…すいません、美麻さん。軽率な行動してしまって、ご迷惑おかけしました。時菜もいる?」
瑛樹の声は、随分改まって、はっきりしていた。
「聞いてるわ。……ごめんね、瑛樹。私が陟にすぐに伝えなかったから」
「時菜のせいじゃないから、気にしなくていいよ。僕の浅慮と、陟の大ボケが引き起こしたちょっとした事故なんだから。謝るのは僕の方だよ。心配させてごめん」
「おいっ、迎えに来てやったのに、俺には感謝の言葉ひとつないのかよっ、瑛樹はっ!」
拗ねたような陟の声に、冷ややかな瑛樹の声が重なる。
「僕は迎えに来なくていいから、呼ぶのをやめてくれと伝えた記憶があるんだが?」
「せっかく瑛樹が迷子にならないように、急遽作ってやったのにっ。根性悪っ」
「うるさいんだよっ。大音響で二日も呼ばれ続けてみろ、火香利じゃなくたって、閉口するぞっ」
それって、陟が美麻姉さんに言われて作った、『呼び続ける』機械のことかな。そうか、ちゃんと瑛樹のところまで呼び声が届いていたんだ。そういえば火香利…声が聞こえないけど。
「あーもうっ、火香利はっっ。俺の背中へ回るなと、何度もいってるだろーっ」
陟の悲鳴に近い声が、火香利もちゃんといることを伝えてくれた。
「美麻さん、…実は僕、かなり空腹なんですけど。細かい説明や事情や御説教は、食事のあとにしてもらえますか?」
当たり前よね、二日間飲まず食わずでいたんだもの。
「構わないわよ。それで、命の危険を冒してまで機外へ出た収穫はあったの?」
「個人的には収穫がありましたよ。でも、美麻さんの研究には、一切関係ないものでした」
「…なるほど。それじゃ、説教は無い代わりに、例の音声再生装置に新曲を入れてもらおうかしら」
瑛樹のため息と陟の笑い声が、通信スピーカーの向こうから聞こえた。
「察しがいいなあ、美麻さん」
何? 何? 話が見えない。
「あら、それじゃあ、瑛樹君が命を賭して取りに行ったものは、やっぱり音楽関係だったんだ?」
「歌ディスクです。地上の遺跡に残っているものは、放射線劣化が激しくて再生できるものは稀と聞いていたので」
瑛樹のちょっと拗ねているな言葉の後から、陟の声が、やけに楽しそうに続いた。
「珍しくて取りに行った、ってとこだよな。自分で墓穴掘ることになるとも気付かずにっ。美麻さん、このタイプのディスクなら、俺が再生機作れるからさ、心配かけた罰として、瑛樹に歌わせようぜ」
「そうね」
説教の方がマシだと呟く瑛樹の声は、とても後悔しているように聞こえた。

五・過去の歌

「これって……」
流れ始めたメロディーに、私は立ち尽くした。
懐かしい曲。
誰かが好きだった曲。
悲しくて自分も行きたくて、泣いたときに流れていた曲。
「この曲って、遺跡から発見されたから作者不詳だったんだ」
陟が、感慨深そうに言った。
あまりに有名な曲。
みんなが知っている曲だった。
「大地へ」という曲名で伝わっている曲。
「時菜は…覚えていないかもね。母さんが子守り歌にしていた曲なのよ」
美麻姉さんの言葉で、おぼろげだった記憶の断片を一つ、拾った。
夜のお出かけにどうしても行きたくて、駄々をこねた幼い頃の夜の記憶。
「俺は、この曲聞くと、卒業とか思い出すな…」
陟の言う通り、卒業にも使われたことがある曲。
とても優しい空気が部屋を包んでいく。
「サピエンス語を訳してみたら、元のタイトルは『去りゆく君へ』だったことが判ったよ。歌詞は、こんな意味だった」
瑛樹が、みんなの視線を集めたディスプレイに、文字を表示した。

新たな日々に進むなら いま穏やかな日々に別れを
多くの出会いを求めるなら 今あなたを取り囲む人々との別れを
別の景色が見たいなら 今見えている景色は捨てよう
絵本の続きが読みたいなら 今開いたページは閉じなければ
別の場所へ行くには この場所から立ち去るしかないよ
次の世界へ進むには この世界を思い出に変えるしかないよ
だから君に祝福を
ここから去りゆく君の新たな暮らしに祝福を
ここを思い出にできる君に おめでとう

「直訳だから、多少説明っぽくなってしまっているけどね。物事の真理ではあるな、と僕は思うよ」
「へぇ、俺が知ってる歌詞と、やっぱりかなり違っていたんだ。それじゃあ、瑛樹、こっちの歌詞で入力、な」
「陟、いくらなんでも無理だよ。単語数が曲に合わない」
「サピエンス語でいいわよ、瑛樹くんの声で入力、ね」
そんなやりとりを、私は黙って眺めていた。

エピローグ

「起きろっていってるだろっっ!」
「うわっ」
ガタタッ
瑛樹の声で、居眠りしていた陟が椅子から落ちた。
「ひっでー、俺を眠くさせた張本人のくせにっ」
私の子守り歌にもなっていたという曲を聞きながら眠ってしまった陟が、倒れた椅子を直しながら立ち上がる。
「陟を眠らせたのは、僕じゃなくて音声再生装置試作品その@、だろ?」
「瑛樹のその声が、睡魔に変身して俺に襲い掛かったんだよ」
「へぇ、で、僕は自分の声の責任を取って、陟を目覚めさせてやったことになるな」
「あーやだやだ、同じ声でも、本物は性格ひねくれているからなー。歌っているときは、あーんなに優しいのにさー」
「知らなかったな、陟は僕に優しくしてもらいたいのか?」
「なんでそういう応答するかな。ああ、そうか、瑛樹はひねくれ者だからか」
「陟、バカの一つ覚え、っていう言葉知ってるか?」
「瑛樹こそ、情けは人のためならず、っていう言葉わかってる?」
いつもの言い争いが始まった。
「あら、今日は論点がいつもより高尚ね。どこまで陟君がついていけるかしら」
美麻姉さんが、言い争いを続ける二人を見て、笑った。
「そのうち、いつものパターンに落ち着くんじゃないかな? そういえば、美麻姉さん、何か用があって陟を起こしにきたんじゃなかったの?」
「別に、久しぶりに低俗な言い争いを聞きたくなっただけよ」
瑛樹と陟の言葉のやり取りは、次第に美麻姉さんの望む様子に変化していく。BGMを止めろ、止めない、の言葉の応酬。
「フタリトモ ケンカ イケナイ」
最近、この二人を止めに入るのは、火香利。

TATの旅は、もう少し続きそうです。
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