幻夢霧



     
プロローグ
「ねえ、塩化銅の結晶って、どういう物なのかな?」
「そうねぇ、エメラルドグリーンの、とっても奇麗な物よ。どうして?」
「さっき、武司さんたちが話してたから」
「なんて?」
「今度行くとこは、岩の大部分が塩化銅の結晶だって。俺、見たことない」
「そうかぁ。それじゃあ、今度のお土産に塩化銅の結晶、持って来てあげるわ」
「ほんとう?」
「今まで私がウソいったことあった?」
「だって、約束守ったことないもん」
「そんなことないわよ。今度は絶対絶対絶対ぜったい、守るわ、ネ、約束するから」
「絶対だよ、守ってね」 
「勿論!死んでも、約束は守るわよ」
 見上げた瞳に、暖かい笑顔が移った。心の中に、信頼と期待が芽生える。
「うん、わかった。でも早く帰って来てね。約束、絶対忘れちゃ駄目だよ」
「解ってる。いってくるわね。」
 優しい目。振り向きついでに、もう一度ニコッと笑って、手を振る。
真っ白な煙が視界いっぱいにモクモクと広がって……それっきり何も無くなった。

    

一・遭難船
「まずいなぁ、忘れてしまった」
「へえぇっ。瑛樹でもそういうことあるんだ」
 陟が嬉しそうに隣で言う。僕達は、次空間方程式を復習していた訳なんだけど、六次元の解き方が……
「陟にだけは、言われたくない言葉だな。大体これは、僕の専門外なんだぞ。忘れてて当たり前だろ」
「何を言う、たかだか一年前に、教習所で習ったことなんだろ」
「………」
 コイツ、絶対この前のこと根に持ってるな。
僕が言ったことを、そのまま返してくれちゃって。くそぉ、むかつく。
「へんっ、瑛樹だって、俺のこと言えねえじゃねーか。ざまぁみろ」
「お前、このごろ性格悪くなってきたぞ」
「瑛樹が色々鍛えてくれるからだよ。そのうち時菜も振り向かせてやるもんね」
「抜け駆けする気かよ?」
 陟が不敵に微笑む。つい、真面目に睨みつけてしまった。
緊迫した沈黙。
先に目を反らしたのは陟の方だった。
「冗談だよ。冗談。このTATの旅が終わるまでは…ね」
「という約束だったよな?」
「そうそう」
 なんだか馬鹿らしくなってきて、二人で大笑いする。ドアが開いて、美麻さんが入ってきた。

 僕は主人公の瑛樹(えいき)。
突然変異体質生物、ミューニタストというやつだ。僕らの暦で数えて十七歳になる。
 現在TATという名前の宇宙船に乗って、宇宙を旅行中。仲間は、四人。
陟(のぼる)と時菜(ときな)と美麻(みま)さんと火香利(ひかり)。
詳しいことは前作を読んでもらえばいいとして、本文に戻ろう、本文に。

「陟くん、停止して」
「え?」
 陟が動きを止める。美麻さんが、振り向きもせずに椅子に座ると、デスクのスイッチを入れて、陟を見た。
陟は言われた通りに動きを止めている。
結構、間抜けな姿だ。
「そうじゃないのっ!TATを停止させるのよっ。宇宙船が近くに見えたの。きっと、遭難船だと思うわ」
「なんだ、ハハハ……そういうことね。いきなり停止しろなんて言うんだもんなぁ」
「お前が、単純過ぎるんだよ」
「ふん、素直だと言って欲しいね。俺は、美麻さんの言葉に従っただけだよ」
「陟くんっ!早くしてっ」
「解ってますよ、美麻さん。…っとに、なんで俺っきり」
 ぶつぶつ文句を言いながら、陟は自動操縦席に座る。
直ぐにTATは停止した。
「同じコースを、ゆっくり戻って」
「はい、はい、わかりました」
 TATが後退し始める。
美麻さんが振り向いて僕に言った。
「瑛樹くん、ポートで、宇宙船の固定お願い。時菜一人じゃ心配だわ」
 頷いてポートへ向かう。
美麻さんの言葉には、絶対逆らえないもんな。
窓から宇宙船が見えた。
TATに収容できる大きさじゃない。
随分古そうだ。と、TATの側面から二本の固定線が出て、宇宙船を固定した。時菜がやったのだろうか。まさか一人で?火香利が手伝ったのかもしれない。
どっちにしろ、どうやら僕は、用無しだったようだ。
一応、ポートへ行ってみる。時菜が宇宙船を見上げていた。僕も見上げる。
その宇宙船に生物が居る気配は、全く無かった。

       

二・発見
   宇宙船の中。
当然こういう類いの探検は、僕と陟の仕事になる。
人気の無い部屋、さびれた廊下。
重力が無いから、歩くというより、滑るように進む。
陟は、タイプからして、十年ほど前の船だと言っていた。
何が起きたのかは解らないけど、相当宇宙船は破損しているようだ。
爆発もある程度あったらしく、熱で溶けた部分がある。
「寝室みたいなところないかな?多分、冷凍睡眠装置みたいなものが、あると思うんだ」
「何で解るんだ?」
「これだから、瑛樹は機械音痴だって言うんだよ。このタイプの船は、一光年進むのに半月ぐらいかかるんだ。技術が発達してなかったからね。でも、そんなにかかったら、毎日毎日起きて食べて眠って、大変だろ?食料だって沢山必要だし。今みたいな、エネルギー食も無いし。だから、一種の冬眠状態になって、なるべく遠くまで行けるようにするんだ。一昔前までは、常識だよ」
「それなら、生きてる人がいるかもしれないんだ」
「無理無理。機械の動いている気配がないって。眠っていた人は、きっとそのまま凍り漬けになってる」
 僕は、その姿を想像して、背筋が寒くなった。
ドアを見つける。開けると、小型の通信機が並んでいた。
「おい陟、これ」
 陟が一つを持って、蓋を開けた。何かを触ると、ピピッと音がして、表示がでた。
<宇宙研究所空港・・・KP−2473.11・・・>
 なるほどね。正真証明の遭難船というわけだ。
次々と部屋をみてまわる。幾つ目かで、目的の?寝室みたいなところに行き当たった。
二十近くの、冷凍睡眠何とかが並んでいる。不気味だなぁ…とは思うものの、怖い物見たさという奴で、ついのぞき込んでしまう。
だって、眠ってるようにしか見えないし、どんな人が乗ってたのか、知りたいじゃないか。
「瑛樹ぃ、悪趣味もいい加減にしろよ。死んだ人見て、楽しい?」
「解ってるって。あれ?」
 僕は一人の死人を見て、硬直した。
記憶の隅にしまい込まれた人。まさか、まさかそんなこと。
………………あるわけないとは言えない。
僕の様子に気づいて、陟が来た。
「瑛樹、どうかしたの?」
「駄目だっ。陟は来るなっ!」
 でも遅かった。
陟は、既に僕の隣へ来ている。
そして、その人を見てしまっていた。
「…う……嘘だ………」
 陟が色々と装置を操る。どうやったか解らないが、機械音がして、その人を覆っていた蓋らしきものが開いた。
堅く綴じられた瞼、狐色の長い髪。
歳は多分、十七歳のままだろう。現在の陟によく似ている。
枕元には、送るばかりにされた手紙らしきものがあった。
宛て名は、第一六八地区一三四七七。陟の家。あの人に間違いない。
「そんな……どうしてこんなとこにいるんだよっ」
 やり場のない陟の言葉は、直接僕に向かって来る。言い返すこともできたが、あえてそれはしなかった。僕だって、そこまで性格悪くはない。一応これでも、陟の親友(のつもり)だ。
 確か、釐鯊(りさ)という名前だった。
陟のたった一人のお姉さん。
陟みたいに器用で、技術士だったらしい。陟をものすごく可愛がっていて、典型的な『優しいお姉さん』
九年前、何かの事故で死んだと聞いていた。まさか遭難していたとは。
 黙って、枕元にあった手紙らしきものを手渡す。
陟も黙って受け取った。

       

三・メッセージ
「どうだった?」
 TATに戻ると、早速、美麻さんが言った。
「宇宙研究所の船です。多分、九年前に遭難したものでしょう。生存している人は………いません」
 僕が答える。陟はあれから一言も喋らなかった。
慰めればいいのかもしれないけど、僕にはその仕方が解らない。
結局、前例通りほっとく事にした。なるべくいつもと変わらずに、何事も無かったように。
「ドウシタ?ノボル ゲンキナイ」
 どうしてこう、火香利はっ!
「なんでもないよ。ちょっと見慣れないもの、沢山見たから」
 陟が静かに答える。
「ミナレナイモノ トハ、ナニダ?」
「死体……」
 陟は、表情一つ変えずに、言ってのけた。
「本当なの?陟くん」
 ああっ、美麻さんまで。
「だとしたら、身元がわかるといいんだけど。死体の身元を宇宙研究所に連絡すれば、宇宙船ごと引き取ってもらえると思うのよね。とは言っても、亡くなった方が宇宙研究所の職員だということが、第一条件だけど。でなければ、持って行くか、見捨てて行くか。どうしたらいいかしら」
「一人の身元なら、わかりますよ。住所が第一六八地区一三四七七。名前は釐鯊、当時十七歳、技術班所属。」
 陟が、単調に言った。美麻さんが、感心した様に、メモする。
「よくそこまで調べられたわね。その人は、身分証明書でも持っていたの?」
「何も持っていませんでした。睡眠装置の中で凍ってましたから。ただ、知り合いの人だったんです」
知り合い。
そんな簡単な仲じゃないくせに。素直に家族と…言えないよな。コイツの性格なら、きっと周りの人がなんて言えばいいか困惑してしまうなんてことまで、心配しているに違いない。
「間違いない?」
「確かめましたから」
陟の態度から、美麻さんも『知り合い』が言葉どおりじゃないことを感じ取ったのだろうか。それ以上深く追求しようとしなかった。
「そう……。それじゃ連絡しておくわ。他に何人くらいいたの?」
「二十人ほどでした」
 僕が何も言わないうちに、どんどん話が進んでいく。
なんだか陟を見ていられなくて、メインルームを出た。
「あら、瑛樹、帰ってたの」
 廊下で時菜にあった。
「瑛樹、なにか発見できた?」
「とんでもないの発見しちゃったよ」
 グラッとTATが揺れた。
横に宇宙研究所の『迎え』が現れた。さすが六次元を通って来るだけの事はある。
乗員の人と陟が何か話していた。
不思議がる時菜に、要点だけをかい摘まんで教えた。
なにか耳元で囁くような声がする。
これは…火香利じゃない。
僕は、例の宇宙船を見つめた。

 夜。
美麻さんと時菜が、ベッドルームに行った後、僕は陟に聞いた。
火香利の気配も、このメインルームには無い。正真正銘、二人きり、だ。
「あれでよかったのか?」
「姉さんのこと?」
「うん。きっと帰ったときには、もう埋葬されてるだろ」
「いいんだよ。俺、九年前に十分悲しんだし、状況はどうあれ、死んだことに変わりなかったんだから」
 確かに九年前は、大変だったもんなぁ。陟は純粋にあの人のこと尊敬してて、死んだって聞いたら、すごくショック受けちゃって。
食べない飲まない眠らないの三拍子でさ、いつも部屋に閉じこもっていて、悲しみのすごさを、まともに見せつけられたっけ。
特に僕は今より感覚が鋭かったから、近づいただけで雰囲気に圧迫されちゃって、ものすごく怖かったし。
「手紙は?」
「あのまま、俺の家へ送ってもらった」
「そっか」
「瑛樹」
「なんだ?」
「俺さ、気がついたら、とっくに姉さんのとこ追い越してたみたい。姉さん、まだ見習いの技術士だったんだって。変だよな、姉さんを目標にしてたのにさ…あの宇宙研究所から『迎え』に来た人は、武司さんっていうだけど、姉さんの恋人だったんだって。俺、本当は姉さんのこと、何も解って無かったんだよ…なんだか馬鹿らしくってさ……」
 寂しそうに笑う。九年前の雰囲気なんか、全く無い。僕は、あのことを話しても大丈夫だろうと考えた。
「陟」
「なに?」
 ちょっとためらう。本当に大丈夫だろうか、今ならやめられる。
「言いかけたなら、最後まで言いなよ。俺は、もう九年前とは違うって」
 まるでこちらの考えてることが解るように言う。本人もこう言ってるし……。
「解った、言うよ。…あのさ、釐鯊さんからのメッセージがあるんだ。実際に聞こえた訳じゃないんだけど、感覚的に聞こえてきたというか、何というか」
 陟が驚いて僕を見る。やっぱりまずかったかな。少し後悔。
「瑛樹なら、あり得ることだな……。俺が気づかなかったってところが、かなり悔しいけど。……それで、なんだって?」
「うん、あれから僕、何か聞こえて、もう一度船の中へ一人で行ったんだ。宇宙研究所の船が、連れて行く寸前に。そしたら、これがあの部屋の中にあって、『約束守らなくてごめんなさいね』って釐鯊さんが」
 僕は、陟に緑色に輝く結晶を手渡した。
「これは?」
「塩化銅の完全な結晶。すごいよ、ここまで完全な結晶は僕も始めて見る」
 それの結晶が何を意味するのか、僕には解らなかった。
しかし、陟にはちゃんと通じたらしい。
「約束…死んでも守るって……なんで謝るんだよ…………守ったのに」
 陟は手の中の結晶を握り締め、肩を震わせた。
嬉しさと悲しみ、やるせなさや、思い出が、複雑に絡み合った嗚咽。
陟の言葉にならない感情が、流れ込んでくる。
他人の叫ぶような思考を簡単に受け取ってしまう僕の能力。
陟が言葉にしていない気持ちまで感じ取ってしまいそうで、僕は黙ってメインルームを後にした。

     

エピローグ
「おい、こらっ!」
 反応無し。ったく、なんなんだよコイツはっ。仕方がない。またやるか。
「起きろっ!」
「うわっ」
 陟が目を覚ました。
「ひでえぇぇぇ、またやりやがったな」
 今日はちょっと寝起きが悪いらしい。不機嫌そうに僕を睨む。
「陟が居眠りしてたからだよっ」
「だから、悪趣味だって言うんだ。どうして、もう少し素直に起こしてくれない訳?」
「僕は、ひねくれてるからだろ」
「あのねぇ、ひねくれていたら、それを直そうとするのが常識でしょ。認めるだけじゃどうにもならないのっ!」
「ひねくれ者だから、常識じゃないんだよ」
 そりゃそうだな。我ながら、いい意見だ。よし、これからはこの手でいこう。
「このっ。ひねくれ者っ!」
「だから、それは認めてるじゃない。陟が言ったように、とっても素直にさ。犬よりは利口なつもりだよ」
「開き直ってちゃ、結局どうにもならんだろうがっ!」
「別に僕は、開き直っているつもりはないんだけど」
「開き直っているじゃないかっ!」
「そんなことないよ」
「開き直ってるっ!」
「違うってば」
「絶対、開き直っているっ!」
「もう、しつこいなぁ。違うっていってるだろっ」
「開き直ってるっ!」
 いつもはこの辺りで、火香利か美麻さんが二人の間に入るんだけど、今日はどうしたことか、見ているだけで入って来ない。
時菜が微笑んでいる。一体どうなってんだ?などと、そんなことにちょっと気を取られていたら
「もう、いい加減しろよ。……僕は、開き直ってるって言ってるだろうっ!」
「やっぱり、開き直ってないじゃないかっ!」
「…………ん??…」
「……あれっ???」
 しばしの沈黙。
「くっ…だめじゃん、瑛樹」
 陟が笑い出す。
「おまえだってっ……」
僕も、馬鹿らしくなってきた。一体なにやってんだ?僕は。
「瑛樹、結局何の用だった訳?」
 ひとしきり笑いあった後で、陟が言う。そいうえば、肝心のことから随分ずれた会話していたなぁ、僕達って。
「ん…ああ、計算終わったから、TAT動かしてよ」
「デスクへの入力は?」
「終わった」
 陟が行動を開始する。
「瑛樹、ちょっと来て」
「なに?」
「ここんとこ、この数値だと、自動操縦にした時…」
「でもさ、結局こうなる訳だし、そっちにするとこっちが…」

後日。聞いた話によると。
「呆れて何も言えないわね。喧嘩するほど仲がいいって言うけど」
「トメルノガ バカラシクナッタ」
「美麻姉さん、陟と瑛樹は、いつもこの調子なのよ。美麻姉さんが仲介しても、しなくても」
「そうね、少しは進歩しているらしいわ」
というやりとりが、見物者の間で交わされたらしい。

 TATの旅は、まだ続く。
 
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