幻夢泡



    
プロローグ
 そこは『無』だった。光も音も闇も無い。時間や空間さえ無かった。
いや、そこ自体、無かったのかもしれない。
 突然、光が誕生した。それは、限りないエネルギーを秘めた、小さな輝き。
光の周辺は、闇と化した……闇の誕生。
 光は、成長を開始した。速く、速く、ほんの一秒で数千兆倍にも……時間の誕生。
 光はバラバラにされそうになって叫んだ。
「いやだっ!」
 その瞬間……音の誕生。
 光は全ての方向へ、砕けて広がった。
闇の中に散る、幾つもの小さな輝き。
その中でも、一際小さな、一際微かな、青い光……光の涙の破片
 そこは空間に変わった。そして最後に、光の意志だけが、残された。
      そして
 光の意志は、幾万幾億もの歳月を経て空間を漂い、青い星を見つけた。


     

一・プレアビス
 その日を境に、全てが変わったと言う。原因はだれも知らない。ただ、結果だけが残った。
一つの大陸の消失。
人間の滅亡。
降り注いだ大量の放射能。
そして、突然変異体質生物、ミューニタストの誕生。
 ミューニタストの文化は、その日から始まった。
 その日に起きた現象は、《プレアビス》と言われる。『理由も何も分からない』という意を持つ、ミューニタスト独自の言葉らしい。
ただ、記録によると、ミューニタスト暦6043に某学者によって付けられた名称とされている。
それから以後、このプレアビスについて、沢山の学者が、原因を提唱してきた。
現在は、『恐竜の滅亡原因と同じだろう』と言う説に留まっている。
とにかく、ここで覚えていてほしいのは、
『プレアビスの原因は依然として謎である』ということだけである。

 ミューニタスト暦10590。四人の者共が、『プレアビスの原因』を求めて宇宙空間を旅していた。


二・透明物体
「できたっ!」
「…………」
 ここはメインルーム。ここに居るのは、僕と、資料整理中の陟…と、視線の先に陟の寝顔がある。
資料は全然整理されて無い。
「おい陟、何で寝てんだ?」
 反応ナシ。寝ているのだから、当たり前の事なのだが、僕はなんだか急にムラムラと腹が立ってきた。
立ち上がって、陟の耳元へ静かに近づく。
「起きろ!」
「うわっ」
 陟がガタタッと椅子から転げ落ちた。
「ひっでぇなぁ。ったく、ひねくれ者が……もっと素直に起こせない訳?」
 狐色の髪をかきあげて、陟が立ち上がりながら言う。独り言にしては大きすぎ、話しかけるにしては小さすぎる声。
「人が苦労してるときに、のうのうと寝てるからだっ! 悪かったね、ひねくれてて」
「そういうトコが、ひねくれてるって言うの。悪いと思ったら、余計なことは言わずに誤る。コレが常識ってモン!」
「ああそーですか、そりゃ悪かったね」
 突然、後方からクスクスという忍び笑いがして、思わず振り向く。入り口に美麻さんと時菜が立っていた。
「なんで二人がいる訳?」
 陟が、信じられないという様子で、二人に言った。やっぱり此奴は、聞いていなかったらしい。まぁ、眠っていたのだから無理もないことだが。
「だって、瑛樹くんが、『できた』って言ったじゃない」
 美麻さんが、入り口に立ったまま言う。
「えーそんなこと言ったかぁ」
「僕は、言ったぞ」
「でも、俺聞いてねぇよ」
「陟が聞いてなかっただけだっ!」
「そこで怒ることないだろ」
「怒ってなんかいない」
「怒ってるじゃん!」
「怒ってないってば!」
「さあさあ、低俗な争いは後にして、自分のやることをしましょ。予定より、一日遅れているんだから」
 仕方なさそうに、陟は資料整理を再開した。時菜がデスクのスイッチをONにして、美麻さんが椅子に座る。
「瑛樹くん、入力するわよ」
「はい」
 僕は、陟にアッカンベーをしてから(単なる愛嬌と思いつき)音声吸収マイクに向かって計算した数値を読み上げた。
「seghku9466065.pjnhiw58.987804。paiha3.1415926535……」

 僕の名前は『瑛樹』(えいき、と読む)。
一応、主人公という設定になっている。
ミューニタスト暦で数えると、十七歳。『陟』(のぼる、と読む)っていうのは、僕の友人で機械いじりだけは、魔術師並というお調子者。僕と同歳。
 『美麻(みま、と読む)さん』は、プレアビスを研究している学者で、この宇宙船の責任者。ロングの黒髪とグレイの瞳が印象的な女性。太古に人間が使っていた太陽暦なら、二四歳だと言っている。
『時菜』(ときな、と読む)は、美麻さんの助手兼妹。実を言うと、僕と陟は彼女が目的でこの船に乗ったのだったりする。僕と同歳。鳶色の髪をいつもポニーテルにしている。
 ついでにこの船の説明もしてしまおう。名は、『TAT』一光年を一時間で進める。重力調整機能、大気生産浄化機能、その他色々とすごい(機械音痴の僕には、理解不能の)機能がある。
ただ、コンピューターに計算力が無いのが唯一の欠点。で、計算はいつも僕がしている。

「seghku9466065.pjnhiw58.987804。paiha3.1415926535……」
 それは、突然の出来事。僕が、計算した数値を言い初めた時のことだ。
キンッという不思議な音がして、ライトが消えた。数秒後に、非常用のグリーンのライトが点灯。
そして、緑色の景色を見た僕は、愕然とした。
「なっ」
 陟が口元を押さえて、目の前に浮いている。それどころか、資料や椅子も浮いていた。
何よりも、僕自身、奇妙な浮遊感がある。そして、ひどい吐き気。無重力状態だった。
「…重力調整……修理しなくちゃ…よ、瑛樹……元気?」
「陟?、大丈夫か?」
「大丈夫な訳ないだろ、もうすっげー気持ち悪い……吐きそう」
「何があったんだろう」
「さあ…な……故障だろ」
 不意に肩をたたかれて振り向くと、美麻さんがいた。時菜が、その後ろで蹲るようにして、口元を押さえている。
「瑛樹くん、この子見てて。陟くん、重力調整機の所へ行くわよ。」
 さすがに美麻さんは落ち着いている。
「全くぅ……素晴らしい才能を持っていると、苦労するよな。……機械音痴の奴がウラヤマシイぜ。あっ、待ってよ美麻さん」
 ぶつぶつと呟きながら、陟は美麻さんの後に続いてふわふわとメインルームを出て行った。
僕は、何度か無重力状態を体験しているので、今はさほど吐き気もしない。
「もしかして、無重力は初めて?」
 時菜は、何も言わずに頷いた。だからと言って、僕に何か出来る訳ではない。
出来たらとっくにやっている。腕時計を見ると、陟達が出て行ってから、五分程過ぎていた。
 静かでなんとなく気まずい雰囲気。
どうすれば良いか分からなくて、窓の外を見た。途端に背筋が寒くなる。
見える景色は、別に変わった所など無い…筈だ。暗闇の中に散らばる、幾つもの小さな星々の輝き。
 再び、何かに睨まれたような感じが全身を駆け巡った。窓を凝視する。声には出さずに、僕はそいつに呼びかけた。
(何者だ)
答えは、間を置かずに返ってくる。
(オマエハ、ワレガ ミエルノカ)
音として聞こえてきた。時菜が驚いたように、僕を見上げる。どうやら時菜にも聞こえたらしい。
僕は、更に窓の外を見つめた。
(見えない。でも、居るのはわかる)
(ナルホドナ、オマエハ ニンゲンカ?)
(違う。人間を知っているのか?)
(シッテイル。ワレガ カレラヲホロボシタ)
(…!どうやって滅ぼしたんだ)
(ソレハ……)
辺りが明るくなった。体に重さが戻る。
船内の重力調整機能が元に戻ったのだろう。
あの『透明な何か』の声は、聞こえなくなってしまった。
「瑛樹、今の声、なに?」
「わからない……でもきっと、まだ近くにいると思う。」
 窓は、部屋の中の光を反射している。次第に頭痛がしてきて、背筋に悪寒が走った。
「げっ……やばぃ」
 体の力が、スッと抜けていく。僕は、意識が遠くなるのを感じていた。


    

三・涙
 気がついたら、僕はベッドに寝かされていた。
微かに寒気がする。目を開けると、陟の怒鳴り声。
「この、馬鹿瑛樹!」
「あ、陟。僕まだ頭痛いんだけど、怒鳴られると響くんだよね。怒鳴るのやめてよ。それから、馬鹿は無いんじゃない、馬鹿は」
「てめぇ…」
「何?」
陟の声がちょっとだけ低くなる。
「……やっただろ、テレパシー」
「あ、ばれた?」 
「お前が倒れるって言ったら、それしかないだろ。っとにっ、何と話してたんだ? 大体、やればすぐ頭痛がして、倒れちまうくせに。この前言っただろ、『もうやるなっ』って。忘れたのかよ」
「悪い悪い、つい、忘れててさ」
「……お前はそういう奴だよ」
あきらめたようにガックリ肩を落とした陟。
「本当に、忘れてたんだってばっ! 自分が具合悪くなる事知ってて、やる筈無いだろ、この僕が。…!」
 そのとき、また背筋が寒くなった。じっと見つめられているような感覚。今度は、声のまま言ってみる。
「お前は何者なんだ」
「は?何言ってるのお前」
「陟に言ったんじゃ無いよ」
 しばらくしてあの声が聞こえた。
「サスガダナ。ワレノ ソンザイヲジブンカラミツケタノハ オマエガハジメテダ」
「おい、なんだ?どこにいるんだ?」
 陟が不思議そうに辺りを見回す。
「何が目的だ」
「ワレノ ナミダニスムモノノ メツボウ。ホントウニオマエニハ ワレノスガタガ ミエナイノカ。ズウットワレヲ ミテイルトイウノニ」
 実際、僕は部屋の一点を凝視していた。そいつがそこにいるのは、寒気がしたときからなんとなく分かっていることだ。
「涙?それはなんだ」
「ニンゲンハ チキュウトカ ヨンデイタ。ワレノ ナミダガアル ワクセイ。オマエタチハ ニンゲンノナニナノダ」 
「子孫だよ」
 面白くなさそうに陟が答えた。そいつが窓辺へ移動する。
「ヤハリナ ナラバ コロス」
 まるでそれが合図だったかのように、窓が割れた。壁に亀裂が入る。亀裂は何かに引き裂かれるように広がり、あっと言う間に僕と陟は宇宙空間に飛ばされた。
「クウキガナケレバ イキテハ ユケマイ」
 耳元で、嘲笑を含んだ声が囁く。それは、男のようでもあり、女のようでもある不思議な声だった。


    

四・蜘蛛の糸
 寒い。それが一番最初に思ったことだった。しかし、それは直ぐ、心地よさに変わる。
体の中にエネルギーが蓄えられてゆくような充足感。
『イキテハ ユケマイ』という言葉が体中を駆け巡った。それはだんだんと速くなり、中心で一気に弾ける。
途端におかしさが込み上げてきた。何時の間にか、自分を止められなくなっている事に気づく。
「あははははははっ」
「ナニ!」
 正面から驚きの声がした。
「へへんっ!残念でした。空気なんか無くたって死にゃしねぇよ」
「バカナ、ニンゲンハ クウカンデハ イキラレナイハズダ」
「解ってないねぇ。言っただろ、違うって。ミューニタストは、真空だって生きられるんだよ。なぁ陟」
「でも、死ぬ程気持ち悪りぃぞ。体がバラバラになりそうだし。すっげぇ吐きそ。瑛樹、なんでお前そんなに元気なんだよ?」
 うん、何でだろう。すこぶる僕は元気だ。
「さあね、きっと陟より適応能力に優れてるんじゃない?」
「適応能力ねぇ…ただの鈍感だったりして……」
 陟が笑って言う。(なんだ、結構元気じゃないか)闇に目が慣れてきた。今まで見えなかったヤツの姿がぼんやりと見えて来る。不定形なもやの塊。それが、明らかに動揺していると分かる動きをしていた。
「おい、お前の姿、見えるぞ」
「ナンダト!」
「あっそうだ。TATを壊してくれたお礼しないとなぁ」
「フフフ スガタハミエテモ、ワレニ サワルコトハ デキマイ」
 確信に満ちてる声。僕も随分軽く見られたものだ。ちょっとショックだなぁ。
「やってみなくちゃ、わからないでしょ。結構僕は、ムカついてんだからさ、触ることぐらいできるかもしれないじゃん」
 塊の中心を掴んだ。思ったよりも暖かい。
軽く引っ張ると、なんの抵抗も無く千切れた。陟が目を見張る。
「ウギャアァ バカナ ソンナハズハ ナイ」
 僕の腕や足に巻き付いてきた。反射的に振り払うと、これ又無抵抗で千切れる。まるで蜘蛛の糸みたいだ。
「案外もろいんだ・・・一体どうやってTATの壁壊したんだ?」
「ウウウゥゥ」
 塊は千切れ千切れで、かろうじて塊になっているだけだった。
何も言わないのを見ると、どうやら喋れなくなってしまったらしい。
「そろそろ退散したら?」
 僕の言葉に従ってか、偶然か、塊は、一瞬大きくなると、そのまま収縮して消えてしまった。
「瑛樹、なにやってたんだ」
「あれ、陟には見えて無かったのか?」
「……一瞬しか見えなかった」
「なんだ。…もうあいつ、いないよ。よくわかん無いけど、逃げてったから」
「瑛樹って……。…ま、いいか。早く帰ろうぜっ」
こんな時、相手が単純な陟だと、助かる。
「うん、今回のことは、美麻さんにとって、興味深いことも有るだろうし」
「それって、プレアビス関係?」
「当たり前じゃん」
 僕らはTATに向かって泳ぐように進んだ。


    

エピローグ
「壁の修理、終わったよ」
「あー疲れた疲れた。瑛樹って、すごく不器用なんだもん」
「悪かったね、不器用で。せっかく手伝ってやったのに」
「そういうところが、ひねくれてるって言うんだよ。瑛樹はいつも一言多い」
「人のこと言えるかっ」
「ほらまたそこで突っ掛かる。素直じゃ無いなぁ。認めるトコは、しっかり認めなくちゃ」
「陟は『人の振りみて我が振り直せ』っていう諺知ってるか?」
「なにそれ」
「はいはい、低俗な争いはやめて、自分のやることをやってちょうだい」
 いつもの事ながら、美麻さんが二人の間に入って来る。
「今日のは、低俗じゃありませんよ」
「君達の争いは、低俗以外の何物でも無いでしょ。ほらほら、きちんと働かないと、アルバイト料出してあげないぞ」
「ひでえ…」
 ドアが開いて、時菜がコップを二つ持って来た。
「二人ともご苦労様。はい、水」
「俺、アルコール類がいいなぁ」
「今度考えておくわね」
「そりゃどうも。期待しないで待ちましょうかね。」
「おい、やっぱり陟の方が、一言多いんじゃないかぁ?」
「ふんっ!ほっとけっ!」
 TATの中は、相変わらずである。
旅はまだまだ続く。
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