幻夢霰



    
プロローグ
「そうだな……」
 その言葉で、僕の初めての旅は本当に終わったと思う。
地上から見上げる宇宙は青く、どこまでも続いているようでありながら、指先に届きそうな錯覚を覚える。
陟と自然の色について語り合ったのが、ずっと昔のようだ。
(おかえり。星たちはどうだった?)
 懐かしい声。陟に出会うより前から、ずっと僕の理解者だった。
『お礼言わなきゃな。おかげで帰ってこれた』
(最初に呼んだのは君だよ。私は答えたに過ぎない。随分話せるようになったね。)
『ああ、かなり自然に話せるようになったよ』
(すこし、背が伸びたね。以前は三番目の枝に、手が届かなかっただろう?)
『そうかな? いろいろな体験はしたけど』
(話してごらん)
『……。好きな子ができたよ。時菜って言うんだけどね』
 多分、僕がこれほど臆面もなく自分の気持ちを言えるのは、相手がこの樹木だからだろう。
 産婦人科の病室間際に立つこの樹木は、僕が物心付く以前から、何か話しかけてくれていた。
 何度も何度も『異常』ということで入院させられたとき、唯一、この樹木だけが僕を理解していた。
 僕の瑛樹という名前も、木漏れ日の中で眠る僕を見た両親が、『樹』という文字を使おうと決め、つけられたものだという。
 いつしか僕は、樹木に自分の体験談を語り始めていた。

     

一・異常現象
「瑛樹、TATが……」
 地球大気圏内に来たとき、陟が押さえ気味の声で言った。
「まさか、故障したとか言うなよ。いくらなんでも、ここから落ちたら助からないぞ」
「違うんだ。TATの計器に異常はない。動力源も正常だ。なのに……」
 僕の計算が間違っていたのだろうか。
一向に続きを言わない陟に向かって、僕は先を促した。
「……うん。瑛樹の計算間違いじゃない。信じられないことなんだけど…TATが地球に押し戻されているんだ」
「は?」
 どうも、陟の言っていることは理解できない。
もうすこし、分かりやすい言葉を使えないのだろうか。
「……陟、地球には重力ってヤツがあるって、知ってるよな? お前の今の発言じゃ、そう思えないけど」
 僕はからかい半分でそういった。すると、以外にも陟は眇めた目で振り向き、事もあろうに僕に対してバカなどという言葉を吐いたのである。
「陟。おまえっっ……」
「だからっ。ふざけてる場合じゃないんだよっ。俺だって、重力ぐらい解ってるさ。その重力が俺たちに対してだけ、逆に作用しているんだ。何だったら、今ここでエンジン切ってみればいいだろ。途端に光速レベルで地球と逆方向に吹き飛ばされるぜっ」
 吹き飛ばされる? まあ太陽風もあるから表現的に間違ってはいないが。
陟の言葉は、事実の報告とはいいがたいよな。

 っと。僕は一応主人公の瑛樹。
いい加減この言葉にも飽きて来たけど、ひょっとしたら物事の順番を全く理解しない人がいるかもしれないから、基本事項だけは伝えておこうか。
 僕たちは、ミューニタストで、ただ今TATという宇宙船の旅をほぼ終え、地球に帰還するところ。
年齢は…そろそろ一八歳になってる筈だけど、作者の独断と偏見によって一七歳とされてる。
同い年の仲間が、時菜と陟。責任者は時菜の姉の美麻さん。居候的存在で無色無臭の宇宙生物は火香利。
以上。
 それじゃ、本文に戻ろう。

 僕が黙ってくだらぬ考えを巡らせ始めると、美麻さんが非常に楽しそうに解説してくれた。
「つまりね、瑛樹くん。高度が、下がらないのよ。こちらが−αの力で押すと、大気が+αの力で押し返すの。つまり、プラスマイナスゼロ。ということを陟くんは言いたいのよね」
 ああ、なるほど。納得。
「原因はわかりましたか?」
「わからないから、瑛樹くんにも考えてもらおうと、言っているんじゃない」
 そんなこと言われてもなぁ。
と、不意に時菜が出入り口から顔をのぞかせた。
「姉さん達、火香利がどこにいるか知らない?」
「火香利? さぁ。そういえば、見ないわね」
 声には出さずに、火香利を呼んでみる。ポートにいるという返事がきた。
「時菜、火香利ならポートにいるみたいだよ」
「ありがとう。瑛樹」
 僕の言葉に何の疑問も抱かなかったらしく、時菜はポートへ走って行った。何の用だろう。
「お前、時菜に能力のこと話したか?」
 陟が少しばかり不思議そうに僕を見る。
「いや。話してない」
「時菜のあれはもう、慣れみたいなものよね。そんなことより、問題はこの事態よ。陟くんは、引き続き下降を試みてね。瑛樹くんはちょっと来て」
 美麻さんが中央座席のモニターを操作しながら、目で示した。
単純なxy座標上に、なんとなく見覚えのある波が、上下しながら流れてゆく。
「これ…何ですか?」
「現在の地球中心部から発せられている重力の波長といったら?」
「まさか。だって、これじゃまるで……」
 音声分解したグラフみたい、だった。
「つまり、瑛樹くんに調べてもらいたいのよ。TATの燃料だって永久じゃないもの。いつまでもこんなところで立ち往生できないでしょ?」
 僕を見上げて、にっこりと微笑む。その顔が時菜に似ていたのは……姉妹だからだろう。
いずれにせよ、何をするようにと言われたのかは、解る。(陟じゃこうはいかないだろうが)
ついでに、それが強制だということも悟ってしまう。
「万一の場合、精神的ダメージの治療は?」
「できる範囲でね」
「それじゃリスクが大き過ぎるなぁ。 超過勤務手当ぐらいは出して下さいよ」
「無事に帰れたらね」
 しかし、地球と話なんて出来るのだろうか。
「今すぐですか?」
 美麻さんが頷くのをみて、僕は諦めとともに目を閉じた。

     

二・拒絶
 最悪だ。その気になって声を聞こうとすると、そこら中から様々な声が重なって聞こえてくる。
まるで、都市の雑踏の中。
どれが何なのか区別できない。
話す対象が決められない。
この際、なんでもいい、とりあえずどれか一つに絞るか、聞くのを止めないと、こっちの精神がどうかなってしまう。
『誰かっ……』
 何でもいい。
不必要な声はいらない。
(……瑛樹だね? ほら。落ち着いて、私の声だけを聞いてごらん)
 懐かしい声が聞こえた。
(どうした? 遠いね。何処にいる?)
 回りの声が雑音となって消えて行く。
足元から自分を包んでゆく暖かいものがある。
(そんな無防備な精神で空にいてはいけない。空に向けられる生き物の声は多い。さあ、降りておいで)
『行けない。ここから動けないんだ』
(なら、話すのはやめなさい。大地が怒っている。君が大地の怒りに傷つけられてしまうよ)
『なんで大地が怒っているんだ?』
(話をやめなさい。私は大地の命を糧にしている。君とこんなに離れていたら、大地の怒りを防いであげることは出来ない)
(……く…る……な)
『何だ、今の声』
(聞いてはいけない。すぐにやめなさい)
(…おまえ……くる…な……ゆ……るさな…い)
 自分に向けられたものではなかったが、凄まじい敵意。
拒絶。
反射的に目を開いた。
途端に意識が混濁していく。
いつもの頭痛じゃない。
目眩でもない。
(エイキ、キイテハ イケナイ)
 火香利が僕の体内に入ってくる。
何だ? どうして火香利が……。
強制的に意識が閉ざされていく。
『火香利、何を…』
(イケナイ。コノ ナミダモ、アノ トキノ ナミダトオナジ)
『あのとき?』
(ハナシ、イケナイ)
 音の遮断。
水を湛えた青い星が、光の柱を放つ映像が目の前に広がった。
微かな罪悪感。かつて、火香利に生物を滅ぼされ、自ら命を得た星。僕の説得力が未熟だったため、火香利を許せずに消えた命。その星の姿が、地球に重なる。
(コノママデハ クリカエス)
 あのときの星と地球が同じだと? あの声は、地球の声? つまり、TATが動けないのは……。
「そういうことか。解ったよ火香利。もういい」
(ワレハ イク)
「何? どういう意味だ?」
(モトニ モドル)
 小さな光が広がって砕け散るイメージが広がった。
「火香利?」
 遠ざかって行く。
美麻さんと陟の呼ぶ声が聞こえて、視界が開けた。
今度はいつもの、気絶を招くような激しい頭痛。今までにないほど、身体がだるい。眠りに引きずられていくのが分かる。
「よかった。突然、瑛樹くんと火香利が消えちゃうから、何事かと心配……」
「瑛樹、TATが…」
「すいません。休ませて下さい」
 二人同時に早口でいろいろ言われたけど、僕には、その言うのが精一杯だった。

     

三・孤立
「………」
 僕が目を覚ましたのは、見慣れない場所だった。
少なくとも、TATの中じゃないことは確かだ。
起き上がって周囲を見渡す。
光が差し込む窓から、単調な街の景色が見えた。
これはきっと、美麻さんの研究所。
 歩み寄って窓を開け、空を仰ぎ見ていると、陟がやって来た。
「瑛樹っ 目が覚めたんなら、そう言えよ。あんまり治りが遅いから、心配してたんだぞ」
 目覚めた時の状況では、とても心配されていたとは思えないが、敢えて何も言わない。
「あれから二日だぞ、二日」
「…地上は宇宙空間と比べて、極端に放射線が少ないんだ。治りが遅いのは仕方ないよ」
「ふーん。そういうものなのか?」
 全く……。こんなこと、身体の仕組みを習ったヤツなら、誰だって推測できそうなことじゃないか。
「あっ、瑛樹。今、俺のこと馬鹿だと思っただろ?」
「なんで?」
「目付きがひねくれてる」
 何を言い出すかと思えば。
「そんなことより、あれからどうなった?」
「あれから? ああ、瑛樹が現れてすぐにTATが動くようになったぜ。結局、何だったんだろうな」
「……火香利は?」
「え? 何?」
「だから、火香利だよ、火香利。僕と一緒に消えたとか言ってただろ? あいつ、どうした?」
「は? 何言ってんだ、瑛樹。火香利って誰だ?」
「誰って…、陟、何ふざけて……」
 いくら僕に比べて記憶力が悪いからと言っても、陟がたった二日で、火香利のことをすっかり忘れてしまうなんて、考えられない。
・・モトニ モドル・・
 脳裏をよぎった言葉。
まさか、火香利が僕らを地球に戻すために? でも、どうして記憶まで……。
「あら、瑛樹くん。良くなったみたいね」
「美麻さん……。今回の旅で、どの程度のプレアビス関係資料が集まりましたか?」
「唐突に何?」
「いえ、ちょっと。…僕の記憶と陟の記憶に隔たりがあるみたいだから」
「プレアビスに関しては、あの謎の宇宙生命体のお陰で、ほぼ完全といえる証言が得られたわね。ただし、事実を裏付ける証拠がないけど」
「その謎の宇宙生命体については?」
「証言を得てすぐに、どこかに消えていなくなっちゃったじゃない。今度は、あの宇宙生命体を捕らえて証拠にしなくちゃね」
「火香利という名前に覚えは?」
 答えは、陟と大差なかった。そして、時菜も。
どうしてなんだろう。
プレアビスと深く係わる生命体の存在が消されているわけじゃない。でも、皆の中から火香利という仲間の存在は消えてしまっている。
何故、僕だけが覚えているんだろう。
僕の記憶が皆とくい違っていることで、妙な孤立感がある。
正しいのはどちらの記憶なんだろう。
 その夜。
僕は一人で屋上から空を見上げていた。
『火香利……どこにいる?』
 目を閉じて、何度も呼んでみる。
答えは届かない。
(わすれてしまえ。あれは、おまえたちをもほろぼしかねない、ちから)
 どこからか命じる声に、支配されそうになる。
『火香利……聞こえるなら、答えろよ。じゃないと、僕までお前のことを忘れてしまう』
(わすれろ。なかまなど、はじめからいなかった)
 そうかもしれない。
火香利なんていう仲間は、実際にいなかったのかもしれない。
『火香利……』
 地上では、体力の消耗が思った以上に激しい。
もう、呼びかけるのは止めようと考え、目を開く。
(エイキ…)
 その一瞬、確かに火香利の声がした。

     

三・別離
 これは夢なのだと、目の前に立つ影が言った。
その影は、僕にそっくりで、火香利の気配を持っていた。
 影の話では、無理に僕らと共に地上へ降りたら、火香利を拒んでいる地球が、いつかの星のように滅びかねないと判断したから、火香利はTATを去ったのだという。
 そして、皆が火香利を忘れてしまったのは、地球自身が放った暗示せいだと。
「じゃあ、どうして僕は忘れずにいるんだよ」
「エイキハ、ワレト ナンカイモ ドウチョウシタ。エイキノ ナカニ、ワレノ チカラノ コンセキガ アル」
 火香利はそのままの物体としては、とてつもなく脆い。
でも、どんな物体とでも同化できて、意のままに操ることができた。
強い意思の力。
この宇宙の元になった力。
考えてみれば、僕は、その力で何度か火香利に運んでもらったことがある。
時菜なんかは、最初のうち、『瑛樹なのに、触ったら火香利だった』とか言って随分驚いていた。
 だから? 確かに、火香利と同調したのは、僕くらいだろう。
そういえば、地球の声を聞こうとしたときも、火香利が一方的に同化してきて、結果的には僕を助けてくれた。
でも……。
「火香利はそれでいいのか? 皆が自分のこと忘れたままで、いいのか?」
「エイキハ、ワスレナイ」
「そんなの判らないじゃないか。僕だって、忘れるかもしれない」
「マタ ココヘ クレバイイ。ココナラ、ワスレテモ オモイダセル」
「思い出せなかったら、どうするんだよ」
「モウイチド ナカマニ シテモラウ」
「………」
 もう一度仲間になる? そんなことで……。
「ミンナノ イノチ ミジカイ。イズレ ミンナ イナクナル」
「………………」
 だからそれで構わないと? 即座に言い返す言葉が見つからない。
全く。どいつもこいつも揃って。
「とりあえず僕らとは、さよならって訳か」
「サヨナラ?」
 同調だの痕跡だのは知ってるくせに、さよならを知らないのかよ……。
ま、そんな言葉、必要なかったから教えてないもんなぁ。
「いつになるか判らないけれど、また会いましょうって意味だよ」
「ベンリナ コトバダ」
「そうだな……」
 そうして僕は、目が覚めた。
そこは僕が火香利に呼びかけていた屋上で、いつのまにか肩に毛布がかけてあった。
傍らで時菜が座り込んでいる。
「時菜?」
「……話は終わったの?」
「ああ。終わったよ」
 答えてから、ふと気づく。
「あれ? 時菜に能力の話…した?」
「してないわ。でも、なんとなくそうかなぁ、って思ってたから。今度、詳しく教えてよね」
 そう言ってくすくすと楽しそうに笑い出す時菜が、そのときの僕には、すごく不思議な存在だった。

     

エピローグ
『どいつもこいつも揃って、自分勝手だよな。いちいち相手のこと考える僕が、馬鹿みたいじゃないか』
 いつのまに、体験談が愚痴に変わっていたのだろう。
(君には、生まれたときから周囲との関係がある。相手のことを考えなくては、関係が成り立たないだろう?相手のことを考えるのは馬鹿なことではないよ。)
『そうだけど……』
(誰でも、理解できない言動は自分勝手見えてしまうものだ。よく考えてごらん。君の話してくれた火香利は、君達と大地のことを考えている。そして、大地も我々のことを考えている。本当に純粋な自分勝手というものは、この世に存在しないから。)
『そうかな…』
 そう言われれば、その通りのような気がする。
(言い方を変えたら、この世の全ては自分勝手だということになるけどね。)
『それじゃ、二律背反だよ』
(いいのさ。真実が一つしかなかったら、世界は成り立たない。)
『なんだか、話が哲学的になってきたなぁ』
 幹に背中を預けて、上を仰ぎ見る。
長く話過ぎたらしい。
重く、響くような頭痛がする。
(眠るかい?)
『少し……ね』
 立てた膝に頭をのせて、目を閉じた。
(陟くんがくるよ。)
 こんな状態で陟に話しかけられても、まともな返事なんかできない。
そしたらあいつのことだから、余計な心配して、怒鳴り散らすに決まっている。
『隠して……』
 木漏れ日が消え、木陰が暗さを増した。
「おーい、瑛樹ーっ あれー。どこ行ったんだ、あいつ。せっかく、武司さんが無料で健康診断してくれるって言ってるのに」
 断っておくが、僕はそんなこと頼んでない。
「さっきまでこの辺にいたんだけどなあ。ったく、自分勝手なんだから」
 僕から見れば、陟だって、充分自分勝手である。
「…本当だ……皆…自分勝手」
 僕の微かな呟きは、風もないのにざわざわと揺れた枝の葉擦れの音がかき消していった。


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