「農園さくら」からのメッセージ
 
豊年えびに出会う旅
 
「豊年えび」との出会いは、私が「農園さくら」を公開し、農業の本来あるべき姿は何か、人は何を残すことができるのか、深く真剣に考えさせてくれるきっかけになりました。

今から十年位前の6月、我が家の水田のあぜ(通路)を、私と我が子とその友達が、オタマジャクシを捕まえる為に、伸び始めた稲の株元の水中を探していました。
急に子供の口から、「変な虫が泳いでいるよ」と、私もよく見ると水中のあちらこちらに、見たことも無い不思議な物が漂うように泳いでいます、その日のうちに近くの私の水田を見ると、
あちらこちらで見かけました、翌年からは7枚有る私の水田全てで見られるようになったのです。
不思議なことに村中の水田50枚以上ある中で、私の7枚の水田にだけ「豊年えび」が現れます、何故だかは未だに謎です。

その頃の私は、切花生産をしており、良い物を作る為の農薬散布や、毎年行う土壌消毒・・・毎年同じ作物を作ると土の中に病菌が増える為、毒ガスを(防毒面なしでは作業できません)地中に注入し生物を皆殺しにします。
農園では土壌消毒(クロールピクリン)はやりませんでしたが、薬名こそ違い農業の現場では今も、土壌消毒を七割以上がしていると思います。そして土中の毒ガスは、植え付け前にはガス抜きと称し大気中に放出します。

農業では果樹園をはじめほとんどの現場では、その場の土を汚染し壊していることはもちろんですが、使用する化学物質が閉鎖された空間で使用されるのでなく、環境の中心で回収されること無く、大気や水に放出され続けています。

こんな繰り返しの農業に疑問と後悔を感じ、草が茂り虫も鳥も飛び交う自然な農園を夢見て、レンゲを咲かせ麦を播きパンを焼き、古代米を実らせと、農薬の無かった時代の農業を試行錯誤で実践中でした。
その最中に現れたのが「豊年えび」、その起源を調べてみると、地中で何十年も卵のまま眠り続け、適した環境になると発生する事、戦前や江戸時代には時折水田に発生し、稀であったため農民は豊作の前兆として喜んだこと、砂漠などにその仲間がおり、日本へは弥生時代ころ稲作の伝来と共に、農具に付いた土と共に渡ってきたのではと考えられている。

20年以上農業しても土のことは良くわかりませんが、「豊年えび」を見ていると自然が私に示したサイン、不思議な生き物「豊年えび」が暮す環境こそが私のとるべき道を示し、毎年安全で美味しい実りを約束してくれるのだと思います。
真実の自然から現れる「妖精」、水の妖精・・豊年えび・・と私は呼びます。
こんな水田が次々と広がると素晴らしいと思います。
 
命の源は種子に・・・
 
私がとても危惧していることに、種子の確保があります。
農業している人達でさえ話題にのぼる事も無く、もっぱら有機だ低農薬だと、土の管理や安全性など目立つ部分に注目が集まっています。

今、農業の現場では種子はメーカーから購入するのが常識です。なぜかといえば、自分で採種場を設けるのは手間がかかり、購入した方が採算に合う、市場では色艶形のそろった物、糖度など味の良い均一な物が要求され、農家も生産量を上げやすいものを要求してきた結果、メーカーが育種した交配種(F1など)に頼るようになりました。
その結果、各土地に昔から育まれ伝承し残されてきた「種」そのほとんどが消えました。もう手遅れだと思います、なぜ重要なのかといえば、地方ごとの伝統食を支えてきたこともあるでしょうが、何よりその土地の気候風土に適した形や、気候変化や病虫害に強いものが、種の多様性の中で自然に進化(変化)してきた種でした。
自然界では有りえない交配や遺伝子組替えによって造られた植物に、食物が取って変ってしまうことにとても不安があります。

私は小さい頃から食べた果物の種を取っておき播いてみたり、朝顔の赤と青い花を交配して播いてみたりしたことがよくありましたが、花を栽培するようになってからは、珍しい花が咲くとその種を採取しています。
究極的には野菜や花など無農薬栽培を目指していますが、有機栽培や減農薬栽培のようにある程度の努力をすれば出来るのと違い、無農薬栽培は全ての出発点である種子があまりにも営利用に改良した為、生命力の弱い植物になってしまい、種の問題を根本的に解決しないと難しいと思います。
自然とは気が遠くなるほどの時間、気候変動などあらゆる淘汰と進化により、その土地に最も適した遺伝子を持っている訳で、これから起こるであろう気候変動の中で、最も生き残る可能性があるのではないでしょうか。

今、私の手元には無農薬で栽培できるトマト(生食と加工)の種子があります、例えばこのトマトにするまでは8年間経過しています、その間「農園さくら」の土地に合ったトマトの種を採取したり、翌春こぼれた実から自然発芽した強いトマトを植え付ける、そんな作業を毎年続け現在も繰り返しています。
自家採取とは毎年新たな情報を植物自身が遺伝子に刷り込む作業です、人間はその手助けをするだけです。自家採取した作物は、形、味はそれぞれ特徴のある物になり、商品として今の常識的な価値観にはそぐわない物が多く生まれてきます。

今後も「農園さくら」は風の谷に自生できる作物や花を育成し、限定的ではありますが種の保存と、植物が元々持っていた生命力の発現と、それにより農薬などの力を借りずに農業が営めるように努力しようと思います。
 
レンゲの想い出
 
「農園さくら」が水田にレンゲを播き始めて5年以上になります 、その理由は.
@お米が美味しくなってきた。
A肥料代がトータルで少なくなる。
B春になるとピンクの花が咲き香り、心が穏やかになり1年を通じて自然との一体感が得られる。

レンゲを始めとする豆科植物は、その根に付く「根瘤菌・・・バクテリア」の働きにより、空気中のチッソを固定でき、豆科植物の体を作るのに使い、やがて有機物となって多くの植物の栄養になります。
このサイクルは豆科植物独特のもので、地球の大気の組成を保っています。

基本的には秋にレンゲを播き、冬から春にかけ大きくなります、作物の無い間に太陽エネルギーと空中チッソを主に使い、根は土を深く耕し、有機物(養分)やミネラルをその土地に供給します。
私は秋に種を播くだけで、堆肥を作ったり土を深く起す必要も無いのです、そして確実に「豊年えび」などの生物が住み良い環境へと変っていきました。もちろん味も穏やかでナチュラルな感じになりました。

日本では戦前戦後しばらくは、水田にレンゲが播かれていたのに現在はまれです、特に観光目的でなく稲作で実践されてる方は少ないと思います、それらを阻む何かが今の農業にはあります。
少ない投下エネルギーで、自然を再生しながら収穫ができる、その面積分に報奨金を付けたいくらいです。このようなレンゲ方式で作られた食物を食べてくれる人を探し、農家にも作る意欲を起こさせ、春レンゲの咲き乱れる農村風景を広げてゆきたいですね。
きっと農薬や化学肥料の使用も格段に減らせると思います。
 
code「農園さくら」の出逢い
 
 ♪出逢い・・・
codeのスタッフの方が個人で料理のユニットをやっており、その流れもあって普段からオーガニックの食品や低農薬の食材をさがしていて、そこで農園さくらのWEBを見つけ、さっそくブックマークしてアドレスをcode-MLに流してcodeスタッフのみなさんにも見てもらい、共感して頂いたとのことです。
その後「農園さくら」にcode活動への協力要請があり、codeとのメール交換や、スタッフ方の来園と話し合いを通じて、彼らのひたむきさと前向きな姿勢に共感を感じて、パートナーシップを結びました。

もの事の価値観、地方の一農夫と、坂本氏をはじめとする専門職のリーダー的なcodeスタッフの皆さんが考えること、危惧すること、やろうとすることが、同じ方向を向き進んでいることに、驚きと出会いの不思議さを感じました。

 ♪勇気と有機・・・
頭ではわかっているのに結果も見えているのに、ただ時間だけはプラスの方向に進んでしまう、大多数の人がこのままではまずい悪いと思いつつも行動を起こせないでいますが、codeと農園さくらは互いのアイデア・情報・技術(手腕と物)をミキシングして、最も身近な『食』について本能のおもむくまま選び食べるのでなく、考えながら食べることを提案したいです。
農業者がクリエイター方と食物(農業)について話す機会も貴重でしょうし、私が進める自然体で営む農業とそのドキュメントを彼らに公開しcodeの活動に役立ててもらうこと、活きる世界が違う両者にとっては勇気のいることだろうし決して多くの見返りは期待できないのかも。
誰も踏み出したことのない道は、大地に初めて刻まれた川の流れのようにどんな流れを見せてくれるのか、一羽のチョウがはばたく「バタフライ効果」で良い風がおきてくれば、人も物も自然本来の土に帰る有機的な生活に戻れるのでしょうか。

・・・続く・・・

 

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