148.九州自動車道SA   2009.12.5(H21)
  北熊本SA上り(09/12/5)
九州自動車道 熊本県熊本市。
特徴ある入口ですね。一度見たら忘れません。
これから、吉野ヶ里歴史公園へ行ってきます。
広川SA上り(09/12/5)
九州自動車道 福岡県広川町。
九州のサービスエリアは、派手目
の原色を使った建物が多いような
気がします。
八女茶の産地です。
広川SA下り(09/12/5)
九州自動車道 福岡県広川町。
実際にはなかなか寄ることがない
サービスエリアのレストランです
ここは風月の看板が目を引きます。
が、結局は寄らず仕舞い。
吉野ヶ里遺跡からの帰り道。
 吉野ヶ里歴史公園   2009.12.5(H21)
  今回の目的地、吉野ヶ里遺跡です。
東入口で、記念写真のお相手の吉
野弥生ちゃん(私が勝手に名前を
付けました)が待っています。
最初に吉野ヶ里遺跡のニュースを
聞いた時は、いよいよ卑弥呼の謎
が解けるか?と思いましたが違い
ましたネ。現在では、弥生時代の
大規模な環濠集落跡と認識されて
いますが、それにしてもスゴイ!
(佐賀県)
入口(09/12/5)
吉野ヶ里は、廻りを囲んだ大規模
な環濠集落跡です。余りにも広いの
で、どのように見学するのか悩ん
でいましたらボランティアの方が
声をかけて下さったので案内を頼
むことにしました。本当に、その
節はありがとうございました。お
かげさまで、遺跡の理解が深まり
ました。
  逆茂木(さかもぎ)
環濠の最も外側に配し、敵の侵入を防いだ。

 
左の写真は環濠に入って撮った写真です。
 深さは3m以上有りますネ。

北墳丘墓   2009.12.5(H21)
  ボランティア様のお勧めで、最初に最も遠い北墳丘墓へ行って、
そこから戻るように見学することにしました。
左の写真がが北墳丘墓の入口です。
今からおよそ2100年前に葬られた
人々の墓です。発掘された埋蔵品
の質から、歴代の王が埋葬されて
いた特別の墓と考えられています。
全部で14基の本物の甕棺が発掘当
時の状態で展示されています。
甕棺に、右の写真のように埋葬さ
れていたとの表示が有りました。

甕棺墓列   2009.12.5(H21)
甕冠は、吉野ヶ里の丘の色々な所
に埋葬されており、その数想定で
15,000基とか。スゴイ!
ここには、2,000基以上が埋葬さ
れている聞きました。
奥の小高い丘は、北墳丘墓です。
甕棺は、北部九州特有の棺のこと
です。大型の素焼の土器に、亡く
なった人の手足を折り曲げて入れ、
土の中に埋葬します。

北内郭   2009.12.5(H21)

 
              主祭殿                                                               2階内部                                                      3階内部

クニ全体の重要会議や、祖先の霊
への祈りや祀りを行った中心的建
物です。
北内郭 物見櫓
北内閣には4か所有ります。

北内郭
東入口付近からの遠景です。
復元建物と、現代建築を比較して
みて下さい。

中のむら   2009.12.5(H21)
  北内郭で行われる行事に使用する
物等を司祭者達が造っていた場
所と考えられています。

南内郭   2009.12.5(H21)
吉野ヶ里最盛期の時に、周りのム
ラ等を治めていた王や指導者が住
んでいた場所と想定されています。

左    :大人(だいじん)の妻の家
右    :大人(だいじん)の家
中央 :物見櫓




大人の家の中
軍事や土木工事を取り仕切る「大
人」の家族の家の内部です。
道具の出来具合を見ています。

大人の妻の家の中
母親が櫛で娘の髪を梳いている姿
です。
物見櫓より
遠くに見える一番高い建物が、北
内郭の主祭殿です。
左端が大人の家と物見櫓、右から
2軒目が王の家です。
  集会の館
一番大きな建物です。

倉と市   2009.12.5(H21)
  倉と市
南内郭の物見櫓からの写真です。
今回は、ここへは寄らず、南のむらを通ってレストランで食事をして帰路につきました。
それにしても、広い!