歴史的建造物
小菅神社奥社
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昭和39年5月26日(1964)国重要文化財に指定(奥社本殿一基。付属宮殿一基)
由来記によると、白鳳八年(680)修験道の祖・役小角の創建となっている。小菅権現(摩多羅神)を祀り、さらに熊野、金峰、白山、立山、山王、走湯、戸隠の七人を観請して、八所の宮殿を石窟内に祀る。
小管山(1020メートル)山頂近くの標高900メートル付近にあり、岸壁を背にした縣造りの入母屋。本殿と付属の宮殿は室町時代中期のものであり、重要文化財に指定されている。上杉謙信が川中島出兵の折リ、必勝祈願の願文を捧げる
万治3年(1660)飯山城主松平忠倶が改修したという記録がある
のほか神楽殿、神馬殿、神輿殿、神饌殿、などがある
神楽殿は寛保3年(1743)再建である。
神輿殿は、大正10年(1921)建立である。
神饌所と神馬殿が大正12年(1923)のそれぞれ建立である。
神輿は、宝暦6年(1756)再造されている
万葉歌碑万葉集巻十二(柿本人麻呂作)
仁王門・・・・・伽藍守護の神で、寺門または、須弥壇(しゅみだん)の両脇に一対の金剛力士を 安置した社寺の門、健脚の神であり、おおきな草履などが奉納される。
菩提院・・・・・もと桜本坊。享保年間に法印俊栄によって中興開基されたという。
真言宗豊山派の寺院で、来日如来を本尊とする。
小菅山元隆寺は、神仏混交の地であった。神仏分離により、
大聖院別当は神職となり、仏教に関する什器は菩提院に移されている。
観音堂・・・・・本尊は馬頭観音。
信濃三十三番観音霊場巡りの第十九番札所
護摩堂
寛延三年(1750)再建
小菅山元隆寺別当大聖院の跡地で、長く連なる梅鉢積みの石垣は、往時の隆盛を彷彿とさせるものがある。
3年に一度の松子神事では、ここが行列の出発点となる。また、
火口焼き神事が行われるのも、この境内である。
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講堂
(講堂内・・阿弥陀三蔵・祭り資料館)
元禄10年(1697)飯山城主松平忠喬の修復記録がある。
内部にある阿弥陀如来像は、享保17年(1733)京都の大仏師奥田杢之丞の作である。
祭り資料館も中にある。柱松神事の概要がわかるようになっている。
(阿弥陀如来三像の前での地域づくりフォーラム)
小菅の里伝統行事
小菅神社柱松柴燈神事(松子)
平成28年7月17日(日)
日程
午後1時より 御神輿渡御
午後3時より 柱松柴燈神事
松子と呼び、毎年7月15日に行われていた。現在では3年に一度、7月の半ばの日曜日の開催。講堂前の祭式場に、高さ約4メートルの、雑木をブドウの蔓で束ねた柱松が立てられる。この上に据えられた尾花に、火打石と火打ち金を使ってどちら側に先に火が付くかによって天下泰平、五穀豊穣かを占う。豊作祈願に併せて修験者が行った、驗比べが今に伝えられたものという。
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柱松の上に火口箱を上げる |
心配そうに見上げる松太鼓手と仲取り |
小菅の里
指定文化財
種 類 |
名 称 |
指定年月日 |
備考 |
小菅神社奥社本殿 一基 |
1964.5.26 |
室町時代中期 |
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桐竹鳳凰文透彫奥社脇立 2面 |
1964. 8.20 |
桃山時代 |
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板絵着色観音三十三身図 15面 |
1964. 8.20 |
室町時代初期 |
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県天然記念物 |
小菅神社奥社参道杉並木 |
1974. 3.22 |
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小菅神社柱松柴燈神事(松子) |
2011 |
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市有形文化財 |
小菅神社奉納絵馬「黒神馬・白神馬」 |
1997. 1.20 |
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市有形文化財 |
小菅神社奉納額絵「花鳥の図」 |
1997. 1.20 |
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市有形文化財 |
小菅神社木造馬頭観世音菩薩坐像 |
1997. 1.20 |
平安時代後期 |
市天然記念物 |
小菅のイトザクラ |
1997. 1.20 |
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市天然記念物 |
小菅のヤマグワ |
1998.5.18 |
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県宝(軸) |
絹本著色曼荼羅図(菩提院) |
2002.3.28 |
室町時代初期 |
市有形文化財 |
紙本著色涅槃.極楽.地獄絵図(菩提院) |
2000.3.27 |
江戸時代 |
市有形文化財 |
紙本著色十六善神画像(菩提院) |
2000.3.27 |
江戸時代前期 |
市有形文化財 |
阿弥陀三尊像 |
2001.11.29 |
享保17年 |