よく見つけましたね

トップにもどりたい・・・もうかえりたい・・・ 


一日は誰にとっても同じ24時間なのだが、どういうわけか使い勝手がそれぞれ違う。
24時間は1440分で
1440分は86400秒 こういう計算を私は良くする。
ちなみに、教師35年やったら、一年に1000時間授業するとして
35000時間。そのうちの100回を研究授業に当てることなどたやすそうに見えるのに、なぜかできない。
そこに踏ん切りをつけたものだけが味わえるものがあり、世の中で名をあげた幾千幾万の努力家たちは一人も外れずこの踏ん切りをつけたのだろう。
2000/9/20
いろいろな講座がある
ほんとに
いろいろな講座がある。
その中でも教え方教室は、向山先生がすべて話しをする数少ない講座だ。危機応えは十分ある。
以前から参加していて、優先予約権があるため、権利だけはそれなりにあるが、金は無い。
最多参加の小松先生は、いろいろと工夫をされているんどあろう。
本音を言えば、教え方教室などに行けば、結構なお金がかかる。ずいぶんかかる。温泉旅館に行くのではない。しかし、それでも行って見ようかと思う。なんだか、行かないとずいぶんと聞き逃したような気がするときがある。
一度の教え方教室参加で、いくら位使うもんだろう。
たとえば東京会場の場合。
参加費10000円(14回以上参加の特典でもう1万円で参加できる。)
高速バス代4120円の往復
カプセルホテルに前泊して3600円
高速バス駐車場の駐車代800円
朝食や昼食はどこにいたって食べるのだから入れない。
しめて22640円
北海道や沖縄の先生方が参加されるよりはずっと安い。しかし、飯田になってから時間だけはべらぼうにかかる。
高速バスは安いのはいいが、往復8時間かかる。中で一仕事どころか、一日仕事ができるくらいだ。
お金と相談しながらどんどん参加しようと思うわけだ。
宴会芸も身を助ける。
教師だとて酒は飲む。
お酒の中から生まれる企画も多くある
教え方教室 千葉会場に参加して MLに投稿 2000/9/16

阿智村の小倉です。
今日は得しました。

教え方教室(千葉)のあとの懇親会が、会場である船橋情報ビジネススクール3階であったのですが、会費が2000円の上、人数が非常に少なく、全員で15人くらい、向山先生と話しをしたいときに話しができる状況でした。結局16:30からはじまって、終わったのが18:30でしたので、もろお先生いわく、1講座分より長いかも知れないと話されていました。
しかも、今日(9月15日)が向山先生の57歳の誕生日ということもあったのか、人数が少ないからか、特別にという感じで一人1つまで質問したいことがあったらしつもんしてもいいよということになり、みんなこぞって質問をしました。

私は
Q私の学校の研究では児童研究に重きがおかれて主になることが多く、教育内容や教育技術が研究されないということについてどう思われますかと質問したところ、

A児童研究という方向の研究も確かにありうるんですよ。だから毛嫌いしないでその学校の研究にのってやってみて、その他に個人的に自分で技術的なことなどを研究したらどうですか。わたし(向山先生)は基本的に学校の研究を精一杯やってきた。学校の研究には逆らわずにやってみるというのもいいのではないでしょうか。

というお答えを頂きました。

8時の高速バスで飯田まで帰りましたが、4時間のバス道中も上機嫌ですごせました。
読めないほど小さい。
小さいから読みたい。
読みたいけど読めない。
だからこそ読みたい。

参加したいけど参加できない。
だからこそ参加したい。

世の中にはそんなことが結構ある。
私は以前、ベンツに乗っていたことがある。
なぜかとよく問われた。それは一冊の本がきっかけだった。
たしか「メルセデスベンツにのるということ」という本だ。
ベンツという会社は、いかにのる人間と車作りを考え最善を尽くそうとしたのかということが事細かにかかれていた。
シートが疲れにくいのは事故防止。ハンドルの直径が大きいのはパワーステアリングが切れても安全に停車できるようにということ、ドアノブが握りこむ取っ手のようになっているのは万一事故でドアが普通に開かないときも力をいれられるようにという理由、ブレーキペダルが事故のとき外れること・・・とにかく事細かだった。そういう理由から、私はベンツに乗りたいと思った。
普通はここで終わりだろう。
そんな車のれっこないと思うだろう。
でも、私はのりたいと思った。本当にのってみたいと思った。思ったから行動に出た。
新車は700万円以上する。これは買えない。そこで、中古車をあたった。ベンツという車は非常にボディーが丈夫だ。だから、日本車と違って長持ちするし、価値がそれなりに持続する。そうすると中古車に流通する量が非常に多く、調べてみれば周りの人が考えるほど高価なものではない。結局私の給料でも買えて、しかも燃費もよく、排気ガスもきれいなディーゼルのEクラスを手に入れた。
それなりに維持費はかかったが、満足だった。
私は実感した。
やってみたいなあという人は、まだ本気ではない。本当にやってみたいと思う人は行動する。
このことはどんなことでもいえるのだ。
企業で成功した人の話しなどはみなこんなふうにがむしゃらだ。
私のがむしゃらの対象は車だったが、しかしそれを実感できただけでも良かったと思う。
今はその車もずいぶんと走り、止めてしまった。自分にとっての最高にのった分、それ以外の車は別に何でも良くなった。
仮末代という言葉がある。かりまつだいとよむ。とりあえずできめたことが、一生にかかわり、末代までもの影響を与えるということだ。私は仮末代だらけ。太宰治はいう。「人はいつでもこうしようとかそうしたいとか思って生きているわけではない。人は気がつけば違う枯野を歩いている。」
 大学時代、法則化、TOSSなど知らなかった。

 また、続けてみて初めて分かることも多い。
 5年前は、今よりも向山先生の実践の奥行きを感じていなかった。しかし、向山洋一先生の後に続く先生方の技術の高さに圧倒し、そしてそれをはるかにしのぐ向山先生がいたことに気づいた。

 見ていて、自分と一緒位だと思う人は、確実に自分よりも上手だ、と向山洋一先生はおしゃった。まったくそのとおり。集団の前に出て、授業してみれば分かる。
くやしいという感情はなかなかきえません。でも悲しいという感情はみなさん、3年です。3年辛抱すれば相当減ります。・・・と酒井先生。
こどもに救われるという事が、本当にある。
というより、人間に救われるって言うのか。
人はやさしいなぁと思うことがあります。
人は卑怯だなと思うこともありました。
人は信じられないと思うこともありました。
でも、やっぱり人はやさしいと思うし、人はしおらしいと思うし、人を信じようと思います。それはきっとそうであってほしいと誰もが思うように私も思っているからでしょう。みな仲間なのだという前提なのです。
玉村豊男氏みたいに暮らせたらいいとも思いつつ、しかし安寧には暮らせない。
大人もやる気になるときは何があったのかと問われて、きっかけがわからないときがある。思い立って普段掃除もしないところを掃除しはじめたり、ふと昔の本を読みたくなったり。登校拒否の子どもが、ひょっこり学校へ来れたりするときにもやはり理由がないときがあるというのは、十分うなずける。 神様はいるかといえば、分からない。しかし、畏(おそ)れの無いのは危険だとも思う。おてんとさまがみているというのは、やっぱり必要なんじゃないだろうか。

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