2008・7・31 念願の「あおいやね」の家が完成した。
設計から施工の一年と二ヶ月程の歳月は私にとり、一生に一度の貴重で尊くエネルギッシュな時間だったと想います。
誰しもマイホームを建てるという決意は夢と希望に満ちた想いですが、こと私にとりましては「ただ 家を建てれてよかった」の一言では済まされない深い深い想いの形がこの「あおいやね」の家なのです。
現実的には「あおいやね」には私一人と愛犬一匹とでこれからの時間をずっと過ごします。でも実は青○家の神々様とご先祖一同の想いと共に過ごしていけるのだと想っています。

私の祖父と父は安曇野市内の数百件かのお家や納屋や今でいうリフォームを手掛けた大工でした。
勿論、解体しなければならなかった我が旧家も祖父と父が精魂込めて建てた家でした。その父は一昨年前に82歳で他界致しました。
旧家は40年程前に建てた家でしたので段差もあり、施錠もきっちりしておらず、明るさも通気性も十分とは言えず、機能性も十分とは言えず色々な面で支障がありました。
生前、亡父は「俺の建てた家は古くたって、今の簡単に建たる家なんかに負けない頑丈さがある!職人が精魂込めて築き上げる木の家が本物の家だ!」が名台詞でした。
亡父の想いとは裏腹に、母は機能的な心癒される新築の木の家を望んでいましたが、その夢も叶わぬまま4年前に他界致しました。
「ビブフォーアフター」というTVを毎週欠かさず視聴していた亡母の姿が目に焼きついており、娘としては今もいっぱいの気持ちになります。
そしてもう一人、私の主人も「ヨシの(私の名前です)実家は親父さんの職人気質に答えられる様な木の家を俺が絶対建てるから」と心してくれたいたにもかかわらず、5年前に他界致しました。
だからこの「あおいやね」は亡父・亡母・亡主人とそして先祖一同の全ての想いの集大成といっても過言ではないのです。
大切な両親と大切な主人の三人を喪主として見送り、そして女だてらに施主として家を築き上げるなど、私の人生設計にはありませんでした。何があっても全て自分で決断し、自分の力で立ち上がり、辛いとか苦しいとか大変だとか泣き事も吐いている余裕もなく突っ走てきた5年間の中で、家を建てることは一代イベントでした。
何が支えになっていたのだろう?・・・
答えは二つでした。一つは「尾日向設計事務所」尾日向様と「時遊館」箕輪社長様と従業員の皆様とご縁あって「あおいやね」の完成に向けて携わって、向き合い続けて下さった姿勢はただ一つの大きな「信頼」という繋がりであったこと。
もう一つは亡父・亡母・亡主人を誇りに想う気持ちを持ち続けていつでも見守ってくれているという後ろ楯でした。

施主が変わり者であったが為に尾日向様には随分、わがままを申し上げたことでしょう。でも、すべての想いをおくみ取りいただき歩み寄り、受け入れて下さったのです。

尾日向様に設計をお任せしようと決意し、今日に至るまでには数々のことがありました。
まずは我が旧家を見に来て下さり、40数年の生活環境や歴史や想いを肌で感じていただきながら、我が家の歴史と拙い私のプライベートな話しをただただお聞き下さいました。その後の設計段階等の打ち合わせにおいて益々の信頼感が生まれました。

尾日向様が家の模型を作製して下さった時に想わず涙がこぼれました。施主サイドが平面的ではイメージしにくいからこそ、立体的に模型にして下さる作業はプロとして当たり前とおっしゃるかと想いますが、でも施主の想いを網羅してお時間のかかる作業だったことでしょうが形としてお伝え下さったお心と亡父、亡母、亡主人が一緒の心で喜んでくれている気がして私はとても嬉しかったのです。
そして「あおいやね」とタイトルをつけて下さったこと感慨深く想っております。
先に述べました通り、亡父は大工で青いトタン屋根の家を沢山築いてきました。今現在でも残して下さっているお家が市内にあります。青いトタン屋根と全体の雰囲気で「あっ、このお家は父が築き上げさせていただいたな」とわかります。
まるでシンボルかの様ですが今となっては父のこだわり抜いた証しの様に想えます。
青色のスレートは専門家のご思考では許されない「いかがなものか?」という多数のご意見があったのではないかと私なりに察しておりました。その狭間でありながらも施主の想いをくんで下さったこと、尾日向様には心から感謝しております。
「あおいやね」の二階の和室のことをお話しさせていただきます。
私、青○家の祖先は坂北村にある「青○城」の(戦国時代)落武者です。私の代になり、必然性があったのか・・・家を新築する状況ではない二年前より、何度も青○城址に何故か足を運んでいました。
先祖一同の想いを託されたのか「あおいやね」の二階はある意味「天守閣」として存在する様、城址までお足をお運び下さり、イメージしながら尾日向様が設計して下さいました。
二階の障子を開けると見渡す限りの安曇野の景色は感慨深いです。
目には見えぬものの「青○城跡」方向を拝める空間は、申し分のない、ありがたい場所となりました。
数段の階段からスロープと二階までのアプローチは私も愛犬にとりましても新鮮で楽しい場となりました。
楽しい場といえば、檜板はりのお風呂は癒しの空間として設計下さったお陰で、とても心地よく、毎日のバスタイムがワクワクです。

そして、生まれつき股関節に若干の障害があること、年を隔てての一人暮らしのもしもの際にはと私の願いを網羅して下さり、車椅子の生活でも対応できる様に設計して下さった一連のラインとスペース、これまでかという程の収納の確保は何の無理もなく、何の無駄もなく、ありがたい嬉しい空間です。
願い通りの広々のウインドゥは贅沢な程の光を差し入れてくれ、オープンにすると贅沢な程の風を吹き入れてくれ、とても明るい元気いっぱいの家となりました。広々デッキは何でもありの空間になりました。

小あがり付きのゆったりリビングには、亡き父が作成した神棚と霊檀がどんと構えて、一日の中で一番長い時間を過ごす大切で楽しい場所にして下さいました。その中心には60年選手で青○家を見守り続けてくれた、「柿の木」を大工さんが精魂込めて丁寧に製作して下さり、テーブルとイスとして今日までの青○家の歴史を優しく包み込みそして、これからの青○家も温かく見守り続けながら、集まってくれた方々を心ごと迎え入れてくれる存在です。

家を建てるということは、過去・現在・未来すべての想いの集大成だと想っています。
そして、設計士様と工務店様と施主が「三位一体」となってはじめて叶えられることだと想います。
そこには、「信頼」と向き合う気持ち」がなければ成立し得ないということです。
私はわからないことだらけで、わがままも申し上げましたが、いつなん時も嫌な顔もお見せもならず、ご相談にのっていただいたり、即の解決策をアドバイス下さいました。惜しみなく色んなアイディアと機能性を重視して下さり、丁寧で妥協を許さない完璧なお仕事で設計下さいました尾日向様とご縁があり、このタイミングをもって出逢えすべてお任せし、お骨折りいただけたこと心より感謝申し上げたい想いでいっぱいです。

お願いさせていただき本当によかったです。
本当にありがとうございました。
そして、これからも信頼という絆をもってして心で向き合っていきたいと想っておりますので、末永くよろしくお願い申し上げます。

2008・7・31 「あおいやね」完成
溢れんばかりの涙がこぼれました。これが私の全ての想いです。