炭師 原 伸介から、『ドマノマ』さんへ 著者の希望により、サイトへの掲載は終了しています。

職人を痺れさす、職人の言葉 ドマノマさんのためなら、命張って、炭、焼かせてもらいます

信濃白炭 炭師  原 伸介

表紙へ
 男に、惚れてしまいました。完全に、痺れてしまいました。凄い人だと、思いました。
 私はお世辞は言いません。職人は実力勝負であり、他人の顔色をうかがったりお世辞を言ったりするものではない、と強く信じているからです。だから、私の言葉は本音です。本音で、痺れました。そして、惚れちまいました。
 『ドマノマ』のチーフ、池田 浩さんのことです。今から一年半前(1998年)、私の炭を、新しい店(『ドマノマ』のこと)で扱ってもらうべく、商談に伺ったときのことでした。面と向かってお話するのは、そのときが初めてでした。机を挟んで私の真正面に座り、私の顔をじっと見据えて、池田チーフは、こう言いました。
「原さん、こちらから、炭をいくらにしてくれとは、言わない。そっちで値段、決めてください。そのかわり、本当にいいものを、ください。」
 全身に、鳥肌が立ちました。はっきりと覚えています。忘れることのできない、強烈な言葉でした。机の上には私の焼いた炭のサンプルが置いてありました。それを、新たに開店する『ドマノマ』で使う炭として認めていただいたのです。
 その時こそが、私にとってはじめて、プロの炭焼きとして、職人として一人前に扱っていただいた瞬間でした。チーフのその言葉が、私の意識を一人前の『職人』に変えました。身の引き締まる思いの中、私は背筋を伸ばし、「ありがとうございます。」と一言言って深く頭を下げました。そして決意しました。
「この人のために、命を張って炭を焼こう。自分の全てを賭けて、本当にいいものをつくろう。」
 『男が男に惚れ込む』というのは、私の定義では、『その人のために命を張れる』ということです。同じ男として、強烈に惹きつけられ、憧れ、受けた恩義を命がけで返そうと「思わずにいられない」ということです。『料理人』という名の職人・池田チーフは、憎いほどに同じ『職人』の心を捉える術を、知っていました。短い言葉で、私を完全に虜にしてしまいました。『ドマノマと心中しよう』本気で、そう思いました。今でも、その思いは変わりません。まだ若い自分の炭と仕事をここまで信じてくださるチーフのお店に、全てを賭けよう、もしそれでだめになっても納得できる、とまで思いました。駆け出しのワカゾー炭師でも、職人としての誇りだけは、いっちょ前にあるつもりです。職人の誇りとは、自分の腕とモノを信頼してくださる方に対しては、命を張ってそれに答える、ということです。
 ですから、職人殺すにゃ、刃物はいりません。一言、「あなたの作るものを、絶対に信じている」 これだけで充分なのです。
 自分を信頼して任せてくださった人に対して「頑張ります」「やってみます」と口で言うのは簡単です。でも、そうすべきではないと私は考えます。職人は、自分で語る必要はないのです。炭に語らせるのがプロの炭師です。プロは結果が全てです。言い訳も許されません。私に対する評価のすべてを、結果としての炭に委ねることが、プロとしての私の覚悟です。ですから、「命を張って応える」というのは、「『ドマノマ』さんに満足していただける炭を焼く」ことに他なりません。
 ここまでかっこよく書きましたが、しかし、現実は一筋縄ではいきませんでした。納めた炭は満足していただけるには程遠いものだったのです。
 最初に納めた炭は、確かに当時としては精一杯の炭でしたが、本当に未熟なものでした。その未熟な炭を、我慢して使っていただいていることを、私は知っていました。心苦しく、恥ずかしい限りでした。苦しい思いでしたが、苦しんでいる暇があったら炭の質を上げなければならない。結果で示さねば、義理が通らない、と思いました。何よりプロ失格です。その思いは私を東北へと、強く駆り立てました。そこは信州と同じ、楢(ナラ)を原木とした最高品質の白炭『秋田備長炭』を生み出す、未知と憧れの地でした。そして、『ドマノマ』さんに炭を納めるようになった去年(1999年)の夏、ポンコツの軽の1BOXカーに、鍋釜と寝袋を積み込んで、一人、東北に『炭焼き修行』に出ました。職人としての自分自身の『存在』と『誇り』を賭けた旅でした。松本から「下道(したみち)」で700km走った憧れの地で、私は、現役の『秋田備長炭最高の名人』に『必然の』出会いをすることになるのです。(この先の経緯と詳細はまた別の機会に譲ります。)
 そして私の炭は変わりました。秋田から帰って最初の窯出しの後、私は生まれ変わった自分の炭を見て、嬉しくて嬉しくて、徹夜の真っ赤な目を腫らして山を駆け下りて、その炭を持って『ドマノマ』さんに駆け込みました。道すがら、軽トラの中で、それまで炭で応えることのできなかった申し訳なさやら悔しさやら苦しさやらが一緒くたになった、ごちゃごちゃな気持ちがこみ上げてきて、胸が熱くなりました。でもその気持ちは、その炭をチーフに渡したとき、全て吹き飛びました。「これでやっと、少しだけ応えることができた」と思いました。それは喜びよりも、安堵感でした。
 しかしまだ、『ドマノマ』さんに、満足していただける炭ができたとは、全然、思っていません。実際、いくつか問題もあります。ですが、池田チーフと「一緒に、いい炭を作っていきましょう。」と誓い合ったその気持ちを、少しでも体現できたことに、小さな喜びを感じています。
 その後、TVで、『ドマノマ』さんが取材を受けたときの、池田チーフの言葉が印象的でした。地元の『若い職人(私のこと)』が焼いた炭を使っていることを紹介してから、こうおっしゃっていました。「これよりもいい炭は、他にたくさんあると思いますよ。でも、『一緒にいい炭を作っていきましょう』ということで、使っているんです。」
 画面を見ながら、「ありがたいなあ」と思いました。しかしもう一方で、自分の心に強く誓ったことがありました。
「いつか必ず、チーフに言わせてみせる。『これよりもいい炭は、他にはありません。これが、地元の“信濃白炭”です。』と。」
 その日がくるまで、炭焼き、やめられません。やめません。
 今度はその炭で、私がチーフを、『痺れさす』番です。『惚れて』いただきます。
 そんな炭を使っている『ドマノマ』に、皆さん、どうぞ、足を運んでください。そして、地元の『信濃白炭』を使った伊太利亜炭火焼料理を、ご賞味ください。炭師が惚れた池田チーフと、私と同い年の、私のライバル(と私が勝手に思い込んでいる)吉田 進シェフと、素敵なスタッフたちの作る、最高の料理を、ご堪能ください。プロの作る「本当においしいもの」が民芸調の素敵なテーブルに並びます。本当においしいです。保証します。
職人は、お世辞は言わないのです。

(C)原 伸介 2000
Copyright S.Hara 2000-2004

信濃白炭物語表紙 信濃白炭物語
『ドマノマ』
信濃白炭と出会うには…
(『ドマノマ』)
ページ トップへ
ぐるなびのドマノマのページ 姉妹店 ビアレストラン バーデンバーデン

   Web作成:N.KUBO:Last Update 2004.8.10.
Web作成に関しては、原著者原伸介氏の許諾を得て、N.KUBOが行なっています。

ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう
ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう
ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう