IMS97報告              森元秀幸

 

IMS97International Mathematica Symposium)は97年の629日から74日にかけてフィンランドのロバニエミのRovaniemi Institute of Technologyにおいて行なわれました.約20カ国から56の論文が発表(一般講演)されました.Conferenceに先立って627,28日にPre Tutorials,後には75,6日のPost Tutorialsが準備されていました.しっかり勉強するには絶好の設定となっていました.

私は626日にJASで松本空港から伊丹空港,リムジンバスで関西空港と順調に行きここで一泊しました.次の日Finn Airでヘルシンキに直行しました。「まっすぐな道」というのがうたい文句でしたが,確かに快適でサービス満点のフライトでした.ちなみにこの航路で提供されるワインは旅客航空機のコンテストで一位を受賞したとか……とてもおいしいフランスのブルゴーニュの白でした.赤もあります.これもまた良いというのが家人の評でした.

陸地が見えてくると,フィヨルド式海岸を思い出しました.スカンジナビア半島の北側は確かそうだったけれど,フィンランド側はどうだったでしょうか.しかし,眼前に広がる非常に複雑な海岸線および多くの島の輪郭はこれもまたフィヨルド式と同じに,区分Hausdorff次元が1を超えていそうな感じでした.海岸線から内陸部に入っても,三日月湖と思われる湖がはるかな地平線に向かって無数にひろがっていました.それ以外のところは樺のような木々が覆っているのでした.ともかく平地が広がっているのです.日本の山に木が生い茂っているのとはだいぶ様子が違います.平地に湖と森が同時に存在しているのです.自然に慣れたつもりの自分もカルチャーショックを受けました.グランド・キャニオンでもないし,ゴビ砂漠でもないし,ツンドラ地帯やシュバルツバルトとも違います.空の上から見て始めて感激できるものでした.

ヘルシンキの入国審査は,実に簡単なもので短時間に終わり,入国カードも出国カードもありません.さっそく日本円とフィンランドマルカ(FM)を交換して,タクシーを見つけました.今回はレセプションが家人同伴ということで,付録のkids6歳,4歳)と彼らのめんどうを見てもらう彼らの祖父母と,あわせて6人という大人数なのでタクシーもバンタイプのものを捜すのがなかなか大変でした.空港からホテルまで17キロということで,広々とした緑豊かなところをこんどはま近かに見ることができました.高速道路ではないのですが,彼らは100キロ位平気で出しています.途中で道路工事をしているところを見ると,さすがに材木が豊富なところで良さそうな木をふんだんに使っているのでした.郊外から市内に入っても街路樹として,その緑の割合は(郊外と)さして違いを感じさせないほどです.市内に入ってもう一つ感じたのは、道路がアスファルトではなくて石畳だということです.ちょうど何かの理由で道路の改舗装をしていましたが,真新しい石を根気よく並べていました.ホテルはヘルシンキの中心とも言える中央駅の真ん前でした.チェクイン した後,まだ夕方でしたが時差の関係もあって就寝しました.夜中に目が覚めると,外はまだ夕焼けの状態でした.明かりがなくても充分歩けるほどのいわゆる白夜でした.

朝ヘルシンキバンター空港の国内線にチェクインして,いよいよロバニエミに向かいます.大阪からどうもずっと同じ行程で来ている家族がいました.まだほんの小さい幼児をつれた髭を生やしたがあた(体格)の良い人です.格闘技をやりそうな人です.格闘家はとても家族を大事にする人で,家人も感心するやら比較して落胆するやら こちらも大変でした.さて,国内線はfree sheetsという航空機としてはめずらしい方法で,乗ってから座席を自由に選ばせるのでした.私の家族は割と早めに行って並んでいましたが,格闘家は悠然として最後に乗り込んで来て,幼児がいるということで前の方の(比較的良い席と思われている)席を一人で座っている人二組に譲ってもらっていました.国際線では小さい子供はだいたい優先してくれます.席もすいていれば交換もしてくれます.さてドアも閉まりました.しかし,飛行機はなかなか出発しません.そのうちに,格闘家は名前を呼び出されていました.チケットの綴りから国内線ではなくて,帰りの国際線のチケットを切り取られてしまったのです.飛行機はもうある程度動いているので車で届けて来ました.・・・・・・ひとごとだと思っていたら,後にロバニエミのホテルで自分の身にふりかかってくるのでした.

 

ヘルシンキから北に向かって900キロ時間にして約1時間のフライトです.こんどはさすがに,木々も針葉樹林のような感じになって来ました.ロバニエミは北極圏とのboundaryとも言うべき場所です.空港に到着して,タクシーをつかまえて最初に子供達の目的地であるサンタクロス村へいきました.ここは12月24日のために夏トレーニングしている赤い服を着た老人をみかける所だそうで,Santa Clausの夏の住処の一つです.観光化されていてオフィイス やら ホールがあって,サンタとの記念写真が売りのひとつでした.クリスマスカードを送ってくれるサンタクロス郵便局によった後,サンタに会いにいきました.今日のサンタはとてもサンタらしい人(サンタ)でした.長女を座らせて長男を抱いて記念の写真をとっているときに,休暇できているのか聞くので会議に出席するためだと答えました.さらに近くにいた日本の人にサンタが「Holidays」と聞くと,その人が「No Tokyu(東急)」と答えたので大爆笑でした.

 

サンタクロス村は北極圏に入っていて”Arctic Circle”の標識が誇らしげに立てられています.7キロほど南下して北極圏からも出てロバニエミ市のホテルに向かいました.人口3万でラップランドの首都ということでした.チェクインを済ませてしばらくして,帰りに泊まるヘルシンキのホテルの予約チケットがないのに気付きました.いろいろ考えてフロントに電話して,ようやく間違えて2枚取られてしまったうちの1枚分を取り戻しました.さらにかぶって来た帽子がないことに気付きました.これはヘルシンキのホテルをチェクアウトしたときか,その後のタクシーか,飛行機の中か覚えがありません.何日か後に航空会社のLost Foundに連絡したのですが,結局出て来ませんでした.初めての夕食というので泊まっているホテルで取りました.軽くということで,パスタをと思ったのですが,あいにく切れているというので,怪しげな中から食べられそうなものを注文しました.wild riceに肉なしの野菜だけのハッシュドビーフのようなものをかけたものでした.サラダもクロスグリやヒマワリの種となじみの薄いものでした.子供たちはそれでもなんとか食べているので安心でしたが,これからの6日間に暗雲が立ちこめたような気がしました.実際はヘルシンキでも食べられなかったご飯が毎朝出してもらえました.

 

 

 

次の日私はRovaniemi Institute of TechnologyR.I.T)へ向かいました.オフィイスでregistrationを済ませて,North Australia 大学のPaul Abbott教授Pre Tutorialsを受けに行きました.途中で迷っていると,Wickhan-Jonesが会場まで連れていってくれました.コンピューターに付いてお勉強が始まりました.隣にはStanford大学のNancy Blachman先生が座って次のTutorialsの準備をしていました.

なんということもなく午前中が終わって,食堂にランチを取りに行きました.そこには,昨年の夏の研修でお世話になった筑波大の宮地力先生と,あの格闘家(木村先生)がみえました.九州工業大学の木村先生は宮地先生のゼミで,宮地先生が仲人でもあるということでした.木村先生は学部生のときは数学で,院生のとき体育(柔道?),今は数学+体育で今年は一年生にコンピューターを教えているということでした.なかなかおもしろい進みかただと思いました.この日には初めてお目にかかる朝日大の板谷先生と,昨年教えていただいた東京電気大の田沢先生にお会いしました.この日は夜カクテルパーティがありました.Sun Microsystems主催ということでinformalではありましたが,多くの人が集まりました.この日にもらったsessionのスケジュール表によると,予めColombia大のGautam教授にお願いしておいた日程と違ったものになっていました.そこでGautam氏にその点をお願いしておきました.

 

 

いよいよsymposiumが始まりました.最初にアメリカにいて今回来れなかったWolframがコンピューター Video Phoneにでて,フィンランドのR.I.Tの会場とあわせてopening ceremonyと全般的な話し,未来について話し合われました.その後10人の先進的なtutorが次々と様々な分野のtutorialsを展開していきました.全部が終わったのは夜12時を過ぎていました.途中で,市長主催のレセプションがarktikumという民族博物館のようなところでおこなわれました.いったんホテルに帰って家人を連れて出かけました.近くの違うホテル前からバスが出ました.hard coverの本になったproceedings(論文集)を見て,ぜひ会いたいという人が何人かpartyに来ていました.アメリカ,フィンランド,イギリス,日本という組み合わせでしばらく話しをしました.なかなか意欲的でpowerを感じさせる人達でした.これからもがんばらねばと思いました.Keraanen氏やGautam氏とも話しをしました.Gautam氏はみんなが話そうとしているので,なかなかつかまらない人でした.

次の日からいよいよsessionが始まりました.最初のものではSouthern California大学Alwis教授の定弧長の曲線族の包絡線を求めるというもので,私と同じ包絡線ということもあって興味深かった.基本はasteroidで定線分の両端が軸上を動いたときの曲線族の包絡線,これをどのように一般化するかですが,弧長が一定というところに目を付けて次は2次関数による曲線族と進めていきました.話しは分かりやすいですが,ご存じのとおり弧長の長さというのは難易度が元の関数に依存しますので,計算式はなかなかのものでした.こんなところにもRamanujeanの系譜をひいているのかと思いました.彼はインド系の人で現在カルフォルニアの大学に勤めています.彼とはその後親しくなりましたが,彼の英語は私にとってとても分かりづらくて,真剣に耳を傾けないとすぐ話しがみえなくなってしまいます.オーストラリアのAbbott氏を除いて,基本的にnative speakerの英語はしだいに早くなる傾向があって聞き取りづらくなります.

さて,お昼をFranceTerreros氏,Alwis氏,田沢先生等と取った後,午後の3番目のsessionの最後に私のpresentationが入ることになったという放送が入りました.それぞれのsessionで最後の発表者がそのsessionchairをする,ということになっていましたので私はあわてました.さっそく残りの3組の名前の読みかたから確認しました.だいたい日本でよく知っているような名前はめったにお目にかかりません.UlrichPopova, Akyldiz ,Evequoz, Novikov, Kordzakhiaあとは大学とか研究所の名前を聞いて,最後は開き直って待ちました.なんとか挨拶をすませて,ともかく会を進行させました.最初の研究は区間算術(interval arithmetic)というなかなかuniqueなもので,わかりやすくて楽しめるものでした.次は実験結果の統計解析の話しでした.きれいにまとめられていて,完成度は高かったようでした.三番目が問題で悪い予感がしていたのですが,

Stochastic and statistical analysis of long-rang dependent processes with Mathematica」というので,最初は何とかついていったのですが,すぐに分からなくなって会場が重い雰囲気に包まれました.彼はめげづにどんどん進んでいきます.次第に議長の私のほうに向かって話しかけるようになってきました.冷や汗がツツーと流れます.同意を求められても困ります.完全に「犬が星を見る」状態になっていました.よくしたもので台風は必ず通りすぎます.こうしてもう「ドキドキしてあがる」という余裕もない状態で自分の発表をむかえました.話しはもう3回目でなれたものです.ビデオ・プロジェクターだと思ったのが唯のO.H.Pだったのですが,2回も間違えてしまいました.大体の説明を加えてコンピューターの実演をして,まとめをしたら2,3の質問と意見がでて,それに答えて無事終了となりました.終わった後,この日発表が終わった板谷先生と田沢先生と3人で町に飲みにいきました.7時頃から食べたり飲んだりして,外は全く様子が変わりません.これが本当の白夜なのだなと納得しました.ヘルシンキのはまだまだ本当の感じではなかったのです.夜10時からのriver boat cruse なんていうのが企画されるのも分かるような気がします.夜12時になっても現地の人はみんな慌てる様子もなく,ゆっくりと短い夏を心ゆくまで楽しんでいるという感じでした.眠くなったので1時頃すぐ近くの川辺で解散しました.

 

次の日はsessionはなく,すべてTutorialsということでした.自分の発表を終えていたのでとても気が楽になっていました.さて,学内の一部屋にはinternet roomが用意されていて,参加者には自由に使えるようになっていました.手順が悪かったのか,私の送ったものは着信しませんでした.後からお願いしてコンピューターに残っていた分のmailを再送信してもらいました.日本語が現地のコンピューターでは使えないので,木村先生が自分の大学のコンピューターにtelnetを使ってつないで,日本からの情報を得ていました.神戸の事件等も,日本にいるのと同時に伝わってきました.こちらの日本人のあいだでもだいぶ話題になっていました.この日は毎日送っていたe-mailをいつもよりは念入りに作って(このmailはとても力作でしたが,結局日本には着きませんでした),日本あてに出してから会場に行きました.algorithmの話がだいぶ話題になっていて,音楽への応用がちょうど話されていました.この日に聞いた中では,経済の人の「あるalgorithmが特許を取った.」という話しでした.algorithmなんてものは,人類共有の財産ともいうべきものだいうのが暗黙の了解だと考えていた私(多くの人も)は驚きました.ある処理をするのに,orderがものすごく大きくなったときこのalgorithmは威力を発揮するそうで,世界で10社が特許料を払って使っているそうです.なんともあきれた話しでした.

R.I.Tの学内で最後のランチをNokiaRobo氏,ヘルシンキ大のNurmiainen氏と取った後,ホテルに戻り午後は家族とすごしました.人口3万ということでしたが,もう夏休みでけっこう賑わっていました.10月から3月まで雪が降るというので,みんなで夏の太陽を満喫したいのでしょう.晴れた日は20度くらいになります.涼しい風が吹くのでとてもさわやかです.いったん雨になると13度と急に寒くなります.晴れた日はTシャツで,雨が降ると完全に冬のブルゾンといういでたちで現地の人は慣れたものです.フィンランドの自然を楽しむのにもう一つ大事なことがあります.それはmosquitoです.とてもきれいな川や湖ですが,自然保護が徹底していて「カ」も自動的に保護されています.この「カ」がとてつもなく強力なのです.長袖の服の上からでも被害続出です.学内のオフィイスにもパックになった防虫の塗り薬が自由にもっていけるようになっていました.しかし,学生がそれは使わないほうがいいとアドバイスしてくれました.特に髭剃り後には止めたほうがいい.とても大変なことになると言っていました.記念にもらったのは,誰か皮膚の丈夫そうなヤツにおみやげにやろう,と密かに心に決めました.

早朝,free sheetsFinn Airでロバニエミからヘルシンキに向かいました.機内で出たアイスクリームに子供達は熱中していました.さらに機長のサービスでコクッピットを子供に見せてくれました.乗り物好きの長男は大喜びでした.おとなも便乗して見せてもらって楽しんでいました.ヘルシンキに着いて,少し観光をしました.エスプラナーデ通りをぶらぶらと歩いて,市場からシリア.ラインの船着き場へと散策しました.周りにみえるほとんどの建物は石作りで,しっかりとしていていかにもEuropeの重厚な文化を感じさせられます.

石畳とこれらの建物のたたずまいは日本では見られないものです.人々もずいぶんゆったりと歩いていて,テンポの違いを感じます.公園では高校生のバンドがスチールドラムの演奏をして喝采を受けていました.新郎新婦を乗せて馬車が,通りをゆっくりと通り過ぎていきます.しばらくいくと大道芸人が芸をやっています.本業なのか夏休みだけなのかよく分かりませんが,体を使った芸は見ていても緊張します.一瞬の気のゆるみも許されません.港にくるとそこが市場になっています.カモメがうるさいほど舞っています.サヤエンドウを生のまま実の所だけ食べている人をよくみかけます.イチゴやスモモのようなフルーツも出店がたくさんでています.地元産はあるのかどうかわかりませんが,イタリア産はよく目につきます.EC統合の影響なのでしょうか,どこに行っても豊富な食材が提供されています.食い意地のはった我が家は,お昼は中華料理にしました.steamed riceを使うのが欧米人好みなのか,ヘルシンキでは日本料理店でも日本人には今一つでしたが,ここのチャーハンはなかなかで,とてもおいしいお米でした.魚貝類は新鮮で,チャーハンにはえびがたくさん入っていました.牛肉の牡蠣油いためも質量ともに,満足のいくものでした.帰り道私だけ別に,ヘルシンキ大学に行って来ました.Nurmiainen氏に紹介されて数学教室を訪ねたのです.ここで主任に彼の書いた本をもらいました.

 

次の日は,核シェルターになっている中央駅や,大聖堂,国会議事堂,オペラ劇場などを見て,あとはデパートなどを見てまわりました.午後5時過ぎのFinn Airで帰国しました.次の日の朝日本について,その日のうちに関西空港から伊丹空港へいって,最後は松本空港に午後到着しました.長い長い旅でした.

  Back to home