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Sisterly Love
 
 それは、ある晴れた昼下がりのことだった。
 兄のアルベルトは魔物討伐の任務で朝から出かけてしまっており、クレア・コーレインは一人、仲良しのディアーナと一緒に刺繍でもしようと、彼女が住み込んでいるクラウド医院に向かっていた。
「こんにちは。ディアーナ様はご在宅でしょうか?」
 クラウド医院には人気がなかった。トーヤは往診にでも出かけているのだろうか。
「お留守なのかしら…? ディアーナ様?」
 クレアが診察室まで入り、再び呼んだとき、奥の方から小さな声が聞こえてきた。
「クレアちゃんー? 今、ちょっと手がはなせないのー。悪いけどちょっとそこで待ってて…う…わっ、きゃあーっ!」
 ガシャ! ドガシャーンッ!
「わああああ! どぉしよぉ〜!?」
「・・・・・・」
 クレアは小さくため息をついた。ここではよくあることだからだ。
「ディアーナ様? 何かお手伝いいたしましょうか?」
「だ、大丈夫…大丈夫だから…ひゃああ!」
 ガラガラガラ!
「・・・・・・」
 どうやら…全然大丈夫ではなさそうだったが、以前、見かねて手伝ったところ、何故かどんなに手際よくやったつもりでもディアーナと一緒だったせいか状況をもっと悪化させてしまったことがあるため、クレアは黙ってそこで待つことにした。
 手持ちぶさたなクレアは、見るともなしに診察室を見回した。すると…。
「あら?」
 ディアーナが、トーヤの診察を見て気づいた事を書き付けたりするのに使う机の上だった。見慣れぬ小さな円筒形のものが置いてある。
「化粧品…?」
 年若い少女が使うような…リップスティックのようだった。
 クレア自身は化粧をしないが、兄のアルベルトが大の化粧好きであるため…そして、そんな兄の化粧品を何度も捨てたりしたため…化粧品の外見は大体知っている。
「ディアーナ様も…お化粧をなさるのね…」
 クレアは、男である兄が化粧をするのを快く思っていないだけで、別に化粧という行為そのものを否としているわけではない。年頃の少女であるディアーナが化粧をしたからといって、責めるつもりなどもちろん毛頭なかった。
 そして…。
 他ならぬクレア自身も、年頃の少女であり…化粧という行為に興味が全くないというわけでは、もちろんなかった。ただ、いつもはアルベルトの手前、そんなそぶりを見せられないだけだ。
 とくん。
 クレアの胸が高鳴った。
 耳を澄ましてみる。奥でディアーナが立てているらしい破壊音くらいしか聞こえない。クラウド医院の中はもちろん、周囲にも誰一人いないようだ。
 今なら…誰も見ていない。
 知られる恐れがあるとしたら、ディアーナが突然出てきたときだが…彼女なら、トリーシャや由羅、ローラあたりと違い、軽々しく他人に漏らしたりはしないだろう。
 もちろん、ディアーナのものを勝手に使うというのは悪いことなのだが…。
 この時のクレアの心境は、「魔が差した」としか言えないものだった。
 震える手を伸ばし、それを手にとって…リップの先端が、軽く唇に触れた、そのときだった。
 ガチャリ!
「!」
 医院の表戸が、少し乱暴に開く音がした。クレアの心臓が、胸を突き破りそうなほどの勢いで跳ねる。
「ドクターはいるか? ちょっと魔物にやられちまった奴がいるんだが…」
「!!」
 しかも、入り口から聞こえてきたのは他ならぬ兄の声! そこで初めてクレアは、憑き物が落ちたように我に返った。
「わ…私、なんということを…!」
 大慌てで、何とかリップだけは机の上にもとの通り…だと思う場所に…戻した。しかし、唇に付いた紅…もっとも、クレアがそう思っているだけで、実の所は、かなり近づいてよくよく目を凝らして見てもわかるかわからないか、というくらいのかすかな朱…は、どうしようもなかった。
「軽いケガなんだがな…ドクター?」
 クレアがおろおろしているうちに、診療室のドアが開き、はたして兄が姿を現す。
「ん? クレア? ディアーナか?」
 何気なしに、アルベルトはクレアに声をかけた。もちろん、大雑把な彼がそんなかすかな変化に気づくわけはなかったのだが…クレアの方は、一番見られてはならない相手に、一番見られてはならない自分の姿を見られたような気になって、「兄さま…兄さま…わ、私…」
 わなわなと悪い病のように体を震わせたかと思うと、身を翻し、脱兎のごとく駆け出した。
「クレア!?」
 自分がクレアから逃げることはあっても、クレアが自分から逃げることがあるなどとはこれっぽっちも思っていなかったアルベルトは、面食らって思わずクレアに道をあけてしまい、そのまま走り去る妹の後ろ姿を茫然と見送った。
「何だ? クレアのやつ…?」
 そんなアルベルトのもとに、
「おまたせ! あれ? アルベルトさん?」
 奥からディアーナが姿を現した。彼女は周囲を見回すと、
「クレアちゃん、いませんでした?」
 アルベルトに尋ねた。アルベルトは不思議そうな顔のまま、
「今…オレを見るなり、すごい勢いで出てったが…」
 素直に見たままを答えた。
「? どうしたんでしょう?」
「オレが聞きたいよ」
 二人は、開け放されたままの…クレアにしては信じられないほど希有なことだ…医院の表戸を眺めながら、ただ首をひねった。
 
「はあ、はあ、はあ…」
 決して近くはないクラウド医院と自警団の寮の間を全力疾走したクレアは、アルベルトの部屋の床に力無く座り込み、荒い息を必死に整えようとした。
「ああ…兄さま…」
 先程のアルベルトの顔がどうしても頭から離れない。クレアはただ、自分がどうしてそうしているかもわからないまま、瞼に焼き付いてしまったかのようなアルベルトの姿に対して、ひたすら詫び続けた。
 破裂しそうに鼓動する心臓を抱えたままで。
 
 クレアの様子がおかしくなったのは、その日の夜からのことだった。
「あ…お帰りなさいませ、兄さま」
 その日一日の任務を終え、アルベルトが帰宅すると、少し伏し目がちのクレアがいつも通りに出迎えた。
「すぐお食事になさいます?」
「あ…いや…もう外で食ってきた」
 言いながらアルベルトは小さく肩をすくめ、目を閉じた。次に来るセリフは充分想像が付く。
『まあっ! 兄さま、外食ばかりでは栄養が偏ってしまうとあれほど申し上げましたのに! 私は兄さまのためを思って、バランスを考えたお食事を作ってお待ちしておりますのよ! それをご存知でしょうのに兄さまはいつもいつも…』
 …まあ、こんなところだろう。
 しかし、覚悟していたお叱りの言葉はなかなか飛んでこない。
「クレア?」
 不思議に思ったアルベルトが目をあけると、クレアはうつむいて、
「そう…ですか…」
 などと、少し涙ぐみながらよろよろと台所へ戻っていった。
「ク、クレア?」
 まさかこれくらいのことでクレアが泣くなどとは思っても見なかったアルベルトは、あわてて後を追う。台所ではクレアが、しゃくりあげながら黙って食事の片づけを始めようとしていた。
「おい…クレア?」
「私って…ダメな妹ですのね」
「…はあ?」
 言った途端、何故か部屋が真っ暗になり、何故かクレアに青いスポットライトが当たり、何故かどこからか「ちゃらら〜」などという悲しげなBGMが流れてくる。
「お…おい…?」
 思わず顔にタテ線を走らせながら、アルベルトは、よよと泣き崩れるおのが妹を見た。
「外でお食事をなさりたいと思っていらっしゃる兄さまのお気持ちを察することもできず…私は…私は自分が恥ずかしゅうございます…」
「もしもしクレア…?」
「私には、きっと兄さまの妹でいる資格などないんですわ…」
 兄妹に資格も何もあったものではないと思うのだが…クレアは大真面目のようだ。
「出ていきます…長い間お世話になりました兄さま…」
「ちょちょちょ、ちょっと待てクレアっ!」
 しばらく呆気にとられていたアルベルトだったが、その言葉を聞いて思わずクレアの肩を抱き留めた。
「おまえはオレの大事な妹だ! オレの妹でいる資格がないなんてそんなバカなこたあねえ! 出ていくなんて言うなっ」
 動転しながらも自分の言っていることに照れているらしく、アルベルトの顔が少し赤い。
 そんなアルベルトに真っ直ぐ見つめられたクレアは、兄に倍して頬を染め、潤んだ瞳で真っ直ぐに兄の瞳を見つめ返した。その視線にアルベルトが一瞬「うっ」とたじろぐ。
「私…兄さまの側にいても良いのですか?」
「も…もちろんだ…」
「兄さまの妹でいて、良いのですよね…?」
「あ…当たり前だろう、そんなこと…」
 アルベルトの言うとおり当たり前のことだったのだが…それを言われたクレアの方は、よっぽど嬉しかったのだろう、瞳をきらきら輝かせながら、イカレた舞台役者のように胸の前で両手を組み合わせ、
「ああ! 私はなんて幸せ者なのでしょう!」
 あらぬ方向を見上げて感涙にむせんだ。何故か彼女に当たっていたスポットライトがバラ色に変わり、何故かどこからか「ちゃらりらり〜」などという晴れがましいBGMが流れてくる。
「クレア…何か、悪いモノでも食ったのか…?」
 
 クレアの奇怪な行動は、次の日の朝になっても続いていた。
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃいませ兄さま。はい、お弁当です」
「またか…。この前も言ったが、毎日いちいち弁当なんて…」
 いつもの調子で、クレアを見もせずそう言いかけたアルベルトは、背後から聞こえてきた「ちゃらら〜」というあのBGMに、慌てて振り向いた。案の定、クレアが青いスポットライトを浴びながらよよと泣き崩れている。
「私って駄目な妹なのですね…」
「わーっ! うわーっ!」
 ごまかすように大声で叫びながら、アルベルトは弁当箱を抱える。
「あ、ありがとなクレア! お、オレは、嬉しいぞ、うん。あ…あはは…」
 そして、背後でバラ色のスポットライトを浴びているクレアを見ないようにつとめながら、渾身のダッシュで事務所に向かった。
 
 明らかに様子のおかしいクレアのことが気になって仕方がないアルベルトは、その日の午前中任務でミスを連発し、リカルドにも注意を通り越して心配されてしまった。そんなこともあり午前中でいつになく疲れはててしまい、事務所に戻ったアルベルトの目に、朝クレアから手渡された弁当箱が映った。
「・・・・・・」
 正直、あまりにも疲れているせいで食欲など全然わかない。だが、もしこれを残して帰ろうものなら…
「ううううう…!」
 頭の中をよぎった「あのBGM」を振り払うように強く頭を振り、アルベルトは気を取り直して弁当箱の蓋を開けた。そして次の瞬間、
「ぶうっ!!」
 恐ろしいものを見たように、あわてて蓋を閉め直す。
「ク…レ…ア〜!!」
 顔を真っ赤にしたアルベルトは、そのまま弁当箱を抱えると、寮に向かって駆け出した。
「どうしたんだ? アルベルトさん…?」
 他の団員達が、怪訝そうな目でその後ろ姿を眺めていた。
 
 バタンッ!!
「まあ…。どうかなさったのですか兄さま? こんな時間に、血相を変えて?」
 いきなり部屋に飛び込んできた兄を見て、クレアは目を丸くした。そこにはクレアの言うとおり、ものすごい形相のアルベルトが立っていた。
「どうかも金貨もあるかっ!? なんだ、これはっ!?」
 怒鳴りながら、アルベルトは、ここまでダッシュしてきたにしては奇跡的にまったく形が崩れていないお弁当をクレアに突きつける。
「まあ」
 それを見たクレアは、頬を赤らめ、うつむいた。
「いやですわ、兄さま…」
「いやですわ、じゃねえっ!! この“ハートマーク”は何だと聞いてるんだッ!!」
「・・・・・・」
 クレアは頬を染めたまま、上目遣いにちらちらとアルベルトを見ながら、か細い声で言った。
「…ですわ」
「何だ? 聞こえねえぞ!」
「私の…気持ちですわ」
「…はあ?」
 一瞬アルベルトは、自分が何かタチの悪い聞き違いをしたのかと思った。
「おいクレア? 今何つった?」
「何度も言わせないで下さいませ」
 すっかり「はじらふをとめ」と化しているおのが妹を愕然と見ながら、アルベルトは、聞き違いであってほしいと心から祈りながら、もう一度聞き返した。
「いいから! 何つったって聞いてるんだ!」
「・・・・・・」
 クレアは、耳まで赤くなりながら、またか細い声で言った。
「…ます」
「何だ?」
「お慕い申し上げておりますわ、兄さま」
 ・・・・・・
 時間が止まったように、アルベルトは感じた。
「なァにィーッ!?」
「兄さまッ! 愛があれば血のつながりなど超えられますわ!!」
「超えなくていいッ!!」
 アルベルトはもうすっかり何が何だかわからなくなっていた。自分の拒絶の言葉でまたクレアが「ちゃらら〜」になってしまうことは分かり切っていたが、だからといってこればかりはクレアの言うとおりにするわけにはいかない。途方に暮れたアルベルトは、
「うわああぁーッ!!」
 とりあえず、逃げ出した。
 
「あれえっ? どうしたの、アルベルトさん?」
 いつもの習慣からか、無意識のうちに自警団の事務所に駆け込んだアルベルトに、よくここに入り浸っているトリーシャが不思議そうな視線を向けてくる。
「さっきも、なんだか様子がおかしかったみたいだけど…?」
 さすがトリーシャ、情報収集はすでに万全のようだ。
「トットトトリーシャちゃん! かくまってくれっ」
「ええ? 一体何があったの?」
「それが…クレアのやつが…」
 説明するヒマは与えられなかった。
「失礼いたします…兄は…」
 いつもの調子で静かにドアを開けたクレアは、しかし中で怯えているアルベルトを見つけると、彼女らしからぬ乱暴さでドアを閉めた。
「見つけましたわ、兄さま」
「ひいいぃっ!」
「ちょ、ちょっと、二人とも!」
 この二人の兄妹喧嘩というのは別に珍しいことではない。だが、ただそれだけでアルベルトがここまで怯えるわけがない。しかも、クレアには怒っている様子などない。なにしろバラ色のスポットライトを浴びている。
「さあっ、兄さま! 私のこの想い、受けとめて下さいませっ!」
「いやだああ!」
「はあ!?」
 二人のやりとりに目が点になってしまったトリーシャの背後に、アルベルトが逃げ込む。
「アルベルトさん!?」
「頼む、何とかしてくれ! クレアの様子がヘンなんだ!」
 アルベルトに言われるまでもなく、今のクレアは誰が何処からどう見ても「ヘン」以外の何者でもなかった。納得したトリーシャはクレアに真っ直ぐ向き直る。
「よおーし! ボクに任せてよ!」
 そして、
「必殺! トリーシャチョーップ!!」
 いつも通りのやつを、クレアに正面からお見舞いした。
 シェリルあたりなら、これで話は終わりだったのだが…クレアは、タダモノではなかった。
 ガッ!
「トリーシャ様。この程度で、私の想いを止められはしませんわ」
 なんとクレアは…真っ向から、表情一つ変えず、トリーシャチョップを片手で受けとめたのだ!
「ト…トリーシャチョップが…やぶられた…」
 シェリル以外にはちゃんと効果がある方が珍しいような気もするトリーシャチョップだが…それでもトリーシャにとっては大切な必殺技だったらしく、かなりのショックを受けているようだ。
「大変だ! 特訓しないと! じゃ、アルベルトさん、そゆことで!」
「トッ、トリーシャちゃん!」
 今や、アルベルトのピンチなんぞよりもよっぽど重大な問題を抱えてしまったトリーシャは、哀れな彼にはもう目もくれず、一目散に自警団事務所を駆け出していった。
「さあ、兄さま…」
「ぎゃーっ!」
 実の妹を見てあげたとは思えぬ悲鳴とともに、アルベルトは、事務所の窓を突き破って表の通りへ転がり出た。
「お待ちになって、兄さま〜!」
 その後を追って、それでもきちんとドアから出るクレア。
「大変ですね、アルベルトさんも…」
「そうだな…」
 嵐の過ぎた後のような事務所の中では、自警団員AとBが、冷静に掃除道具の用意をしていた。
 
(病院だ…病院に連れて行くしかねえ…)
 この状況で、あのアルベルトが、ここまでの判断を下せれば立派というものだろう。
 自警団事務所からクラウド医院に行くには、アトラ橋を渡りルクス通りに出て、その後は、旧災害対策センターの横とさくら亭の前を通ってさくら通り経由でクラウド医院のあるフェニックス通りに出るルートと、ジョートショップの横からさくら通りに抜けるルートがある。
 アルベルトは、迷わず後者を選んだ。無論、「ジョートショップ」というところがポイントである。もっともこの時はさすがのアルベルトにもそんな余裕はないので、無意識に、というのが本当の所なのだが。
 とにもかくにも行き先もルートも決めたアルベルトは、残った力を振り絞ってルクス通りを東へ駆けた。
 そして、問題のジョートショップの前にさしかかったときである。
「ご主人様、足もと気を付けて下さいッス」
「!!」
 いきなり、突っ走るアルベルトの進路上に、テディを伴ったアリサが現れた。アリサにしてみればただジョートショップから出てきただけなのだが、無意識のうちにジョートショップのすぐ近くを走っていたアルベルトにしてみれば正面衝突確定コースである。ましてや目の弱いアリサに、回避行動を望めるわけはない。
「アリサさん! 退いて下さい!!」
「?」
 叫びもむなしく、やはりアリサは怪訝そうにアルベルトの方を向いただけだ。自分が何とかするしかないと悟ったアルベルトは、必死に方向の修正を試みた。そして…。
 ボスッ!
「わあああ!」
 アリサの代わりに、その足下にいたテディが、アルベルトに跳ね飛ばされ道に転がる。
「ふう、テディで済んだか…よかった」
「ちっともよくないッス! ひどいッスよお、アルベルトさ〜ん…」
 当然ながらテディが抗議の声を上げた。アルベルトの渾身のチャージをくらって無事とは、さすがテディも魔法生物といったところか。
「どうなさったんですか、アルベルトさん? そんなに慌てて…」
「ああっ! そうだった、ここで話し込んでるヒマなんてなかったんだ! すいませんアリサさん、今度またゆっくり…とにかく今日はこれで失礼します!」
「はあ…?」
 また一目散に駆け出していくアルベルトの後ろ姿を、アリサが首を傾げて見送っていると、
「兄さま! お待ちになって!」
 兄同様の勢いで、クレアが突っ走ってきて、
 ボスッ!
「わあああ!」
 兄同様、テディを跳ね飛ばし、立ち止まってアリサを見た。
「クレアさんもヒドいッスぅ〜!」
 そして、やはり兄同様、テディの抗議を無視すると、
「アリサ様…私…負けませんわ!」
 と、アリサに言い放ち、
「失礼いたします」
 一礼して、やはり一目散にアルベルトを追った。
「何なんスか? あの二人…?」
 二回も跳ね飛ばされてすっかりご機嫌斜めのテディを抱き上げると、アリサは優しく微笑んだ。
「ふふ。アルベルトさんとクレアちゃん、相変わらず仲がいいのね」
 どうも、アリサが状況を把握するには、事態は慌ただしすぎたようである。
 
 そのころ…。
 ディアーナは、難しい顔をして、一枚のカルテと、小さな袋に入った何かを大切そうにバッグにしまっていた。
「急がないと」
 そして、医院の表戸を、いつになくきびしい顔で開けた。
 そのとき、
「ドクターはいるかあぁーッ!!」
 ドンッ!
「きゃん!?」
 アルベルトが突撃してきて、そんなディアーナと正面衝突した。ダイエット中という彼女だが、決して体重が重いというわけではない。とはいえやはりテディとは比べものにならないので、吹っ飛ばされたりはしなかったのだが、それでもアルベルトの突進を受けとめられるわけもなく、しりもちをついてバッグの中身をぶちまけてしまった。
「ディアーナッ! ドクターは、ドクターはどうしたッ!」
「いたた…。せ、先生なら奥ですけど…どうかしたんですか、そんなに慌てて…」
「クレアが…クレアが…」
「クレアちゃんがどうかしたんですか!?」
 ディアーナが血相を変える。アルベルトがここまで取り乱すという事は、クレアはかなりひどいことになっているのではないだろうか。
「ど…どうしよう、ああクレアちゃん、あ、あたし急いでドクター呼んできますね、ああでもこれも大変だし、あああどーすればいーのぉー!?」
 ディアーナがパニックに陥っていると…。
 ガチャ…。
 ゆらぁり。
「兄さま…」
「き…来たあああ!!」
「クレアちゃん!? て、手遅れだったの? バケて出ちゃったのおおっ!?」
 反射的にアルベルトは、もう何が何だかわからなくなってしまっているディアーナの後ろに隠れる。
「お退き下さいディアーナ様…」
「え? ク、クレアちゃん?」
 目の前のクレアが、一応生身で、でも著しく様子がおかしいという事に気づいたディアーナは、気を取り直して立ち上がる。
「どうしたの、クレアちゃん…?」
 すっかり目が据わっているクレアと、自分の後ろで異様なほど怯えているアルベルトを交互に見たディアーナは、必死に状況を把握しようとつとめた。何か引っかかることがある。
「兄さまッ!」
 そんなディアーナをとうとう押しのけ、クレアはアルベルトに飛びついた。
「ああ、兄さま…。やっとつかまえましたわ…。あんなに街中逃げ回るなんて、ひどうございます…。そんなに、私のことがお嫌いなのですか…?」
「いっ、いや…その。嫌ってるわけじゃないんだがな…」
「それでは! 私の想い、受けとめていただけるのですねっ!
 嬉しゅうございます、兄さま…。クレアは果報者です…」
「だから、そうじゃなくて!!」
「・・・・・・」
 アルベルトをしっかと抱きしめて陶酔しているクレアを見て、ディアーナはしばし茫然としていたが、
「ああーっ!!」
 ふと、何かに思い至ったように、アルベルトの突撃のせいでぶちまけられていた自分のバッグの中身をかき集め、カルテに急いで目を通す。
「や…やっぱり! 先生! せんせーいっ!!」
 そして、うっとりしているクレアと途方に暮れているアルベルトを後目に、診察室に駆け込んだ。
「ディ、ディアーナッ! 見捨てないでくれえ!」
「嫌ですわ兄さま…ディアーナ様、気を遣って下さったんですわ」
「そんなわけあるかーッ!」
 もうどうしたらいいかわからなくなってしまっているアルベルトだったが、相手がクレアであるだけに、乱暴に突き飛ばしたりはできなかった。
 クレアの方もアルベルトに抱きついたきり、あとは心底幸せそうに頬を染めながらうっとりと微笑んでいるだけだった。
 とはいえ、この状況がアルベルトにとって困ったものであることに変わりはない。彼は心の底から、救世主の登場を願った。
 ガチャ…。
 彼の祈りが通じたのか、程なくして奥から、ディアーナを伴ったトーヤが、薬瓶を持って出てきた。
「まったく…相変わらず騒がしい奴らだ」
「ド…ドクター! 実は…」
「ああ、いい。話はディアーナに聞いてわかっている。これを飲ませろ」
 トーヤから薬瓶を受け取ったアルベルトは、急いで蓋を開け、錠剤を取り出した。
「さあ…飲むんだクレア」
「…兄さまがそう仰るなら…」
 クレアは、それが何だかわからないせいでしばらくは不審な顔をしていたが、アルベルトに言われると、素直にそれを飲み下した。
「・・・・・・」
 しばらく、クレアはきょとん、としていたが、
「…あうっ」
 と、小さくうめくと、アルベルトの腕の中で、くたっ、と力を失った。
「お…おい、クレア!!」
 アルベルトの顔から血の気が引く。必死になってクレアの肩を揺さぶるアルベルトを、トーヤが制する。
「心配するな、薬が効いただけだ。しばらく眠れば目を覚ます」
「…そ…そうなのか…?」
「とりあえず、奥で休ませてやれ。…ディアーナ」
「はい、準備できてます」
 まだアルベルトは不安そうだったが、専門家のトーヤに素人の自分がこれ以上異を唱えても仕方がないと思ったのか、黙ってクレアを抱え上げた。
 
「…どういうことなんだ?」
 トーヤが、クレアはもう心配ないから、と往診に出かけてしまったため、アルベルトは、それでも心配だから、と残っているディアーナから事情を聞くことにした。
「はい。…実は、これなんです」
 ディアーナは、集め直した荷物の中から、小さな袋を取り出した。
「これは?」
「開けてみて下さい。なるべくあたしから離して」
「?」
 言われるまま、アルベルトは、とりあえず後ろを向いて袋の口を開いてみた。中には小さな円筒形のものが入っている。
「口紅…か?」
「…に、似せた薬品です」
「?」
 ディアーナの説明はこうだった。
 このニセ口紅は、ある女性の持ち物だったのだという。その女性は一昨日、ちょうど今のクレアと似たような症状でクラウド医院に連れてこられた。
 診察してみると、どうやら薬による精神の異常のようだった。原因を探るため彼女の持ち物を調べてみたら、この薬が出てきたというわけだ。
 分析の結果この薬は、いわゆる「ホレ薬」であることがわかった。少量の摂取の後、初めて見た異性に恋心(本当は、それに酷似した幻覚症状)が生じるらしいのだ。
 そしてご丁寧にも、女性に対しては、使いたくなるような誘因成分までもが配合されているのだという。ディアーナがさっき、自分から「なるべく離して」開けて見ろと言ったのはそのためだ。
 どうやらその女性は、彼女に対してよからぬ想いを抱く誰かにそれを贈られたらしかった。
「問題のある薬ですから…今からあたし、これとカルテ持って自警団事務所に行こうと思ってたんです」
「そうか…。クレアがなあ…」
「ええ…。たぶん、昨日ここに来たときに…その成分にやられちゃったんだと思います」
 クレアが口紅を持っている姿を想像したアルベルトは、名状しがたい気持ちになった。自分が化粧をするのはいつものことだったが、それにいつも目くじらを立てているクレア自身が化粧、というイメージが、どうしてもわかなかったのだ。
「それはとりあえず、アルベルトさんにあずけます。調査の方、お願いしますね。それから…クレアちゃんですけど、薬のせいですから、その…」
「ああ。わかってる」
 そこまで話したとき、
 カチャ…。
 静かに、奥の扉が開いた。
「あ…」
「クレア…大丈夫なのか?」
 奥から、クレアが、だるそうに頭をかかえて、おぼつかない足取りで出てきた。
「ディアーナ様…、兄さま…。私…一体何を…? どうして病院に…?」
「クレアちゃん、寝てなくて大丈夫!?」
 ディアーナとアルベルトは慌ててクレアを支えに走る。
「ぼんやりと…兄さまを追いかけていたような気はするのですが…」
「いいんだ、クレア。気にするな」
 アルベルトはしっかりとクレアの肩を支え、優しく言った。
「…とにかく…あまりご迷惑をおかけするわけには参りませんわ。私…お部屋に戻ります…」
「迷惑なんて、そんな…」
 ディアーナが心配そうに言うが、
「いいえ。もう大丈夫ですわ」
 クレアは気丈な笑みでそれに答えた。
「…じゃあ、ディアーナ。ドクターによろしく言っといてくれ」
 アルベルトは、クレアが一旦言い出したらきかないということをよく知っていたので、クレアを支えたまま、そう言った。
「それじゃあ…。しばらくは、ゆっくり休んで下さい。後遺症とかはないと思いますけど、何かあったらすぐにここに来るか、あたしか先生に知らせて下さい」
「ああ」
「ありがとうございます 、ディアーナ様」
 二人はディアーナに丁寧に礼を述べると、クラウド医院を辞した。
 
「うっ…」
 中で調子の悪いところを見せてはディアーナを心配させると気を張っていたらしいクレアが、医院の表戸を閉めた途端、力無くよろめいた。
「クレア!」
 慌てて支えるアルベルトの目を、クレアは、申し訳なさそうに見つめる。
「ほら」
 アルベルトは、そんなクレアに背を向けると、かがみ込んだ。負ぶされというのだろう。
「ですが…兄さま…」
「…オレに遠慮なんてしなくていいんだよ。オレは、おまえの兄貴なんだからな」
「・・・・・・」
 クレアはまだ申し訳なさそうな顔をしながらも、少しだけ頬を赤らめて、大人しくアルベルトの背に乗った。
「…兄さま」
「どうした?」
 寮へ戻る道すがら。背のクレアが、細い声をかけてきた。
「よくは覚えていないのですが…。私、兄さまに大変なご迷惑を…」
 ぐすっ、と小さくしゃくりあげる声もする。
「…悪い夢でも見たんだろ」
「…申し訳…ありませんでした…。私…」
「謝られる覚えはねえよ。謝る覚えならあるけどな」
「まあ。兄さまったら…」
 夜の静かなフェニックス通りに、兄妹の笑い声が流れていった。
 
その数日後。
 アルベルトの捜査で、あの薬を作った者も捕らえられ、騒動は全て片付いた。
 …かに思えたのだが。
「あらー、アルベルトくん、今日はクレアちゃん一緒じゃないの〜?」
「ん?」
 通りでアルベルトは、にやにや笑った由羅に呼び止められた。
「おいおい、いくら兄妹だからって、そういつも一緒にいやしねえよ」
「え〜? だってクレアちゃん、禁断の愛に目覚めちゃったんじゃなかったのぉ?」
 がしゃん。
 由羅に言われ、思わずアルベルトは持っていた槍を取り落とした。
「誰だそんなバカなことぬかしたヤツはっ!?」
「トリーシャちゃん。この間家の近くで会ったとき言ってたわよ? なんでも、『愛の力でトリーシャチョップがやぶられた、これから山篭りして修行する』とか…」
「・・・・・・」
 アルベルトは握りしめた拳をわなわなとふるわせると、
「ンなワケが、あるかーッ!!」
 周囲の歩行者が全員振り向くほどの大声で怒鳴った。
「きゃぁあん、怒っちゃやぁ〜ん」
 由羅は懲りた様子もなく、ケラケラ笑いながら走り去っていった。
「まったく…」
 アルベルトは槍を拾い上げると、深いため息を付いた。トリーシャから由羅に伝わった…ということは、かなり広範囲にこのバカな話が広まっていると思っていいだろう。事実無根のウワサをもみ消すために、しばらくは街中を走り回るハメになりそうだ。
(まったく…バカな話だ)
 クレアが自分に対して抱いてくれているのは、「禁断の」なんて馬鹿げた気持ちなどではなくて、
 掛け替えのない、兄妹愛なのだから。
 
                           <おしまい>
【あとがき】
 どーも、もーらです。
 …クレアファンの人ごめんなさい。多そうだなあ、クレアのファン。UQのキャラCDの四つ目、クレアだもんなあ…。なんかすごくいっぱい敵を作るような気もする。まあ、この話そんなに広まりもしないだろうし、大丈夫か…。
 話の大本は「ボックス・ランチ・ラプソディ」の、「兄さま、私も兄さまの側にいても良いのですよね?」というセリフ。「妹」っていうよりは「嫁」のセリフだよなあ…とか思ったのが間違いの始まりで、「アルベルトとクレアのラブストーリー」などという罰当たりな発想に発展してしまいました。
 しかし、正気のままのアルベルトとクレアじゃあそんなことにはなるまい…なら薬か魔法だな…などという発想から、最初につけたタイトルが「ラブ★ポーション・アゲイン」。でも、あのイベントのインパクトには勝てないな…と思い、まあ、兄妹として愛し合ってるのは間違いないだろうな、ということで「姉妹愛」という意味の「Sistrely Love」に落ちつきました。
 まあ、最後はなんとか無難にまとめられたんじゃないかなーとか思ってます。
 一番お気に入りのシーンは、やっぱり、青いスポットライトと「ちゃらら〜」と「私ってダメな妹なのですね…」ですね。うーん、元ネタ古いなー。すぐにピンときた人は結構な歳なのかもなあ。これでアルベルトが「だあぁ〜」とか言いながらべりべりと障子に穴を開けたりしたら完璧だったのですが…さすがに自警団員寮に障子はないでしょうね。残念。由羅の家とかならありそうだけど…。
 あ、そうそう。最後に時間軸その他についてのおことわりを少し。
 このお話はUQ2ndのエンディングの少し後のことです。エンディングは、「ある晴れた日に」で役所占拠が起こらず、ラストはヘキサということにしてあります(だからヘキサもいないことはないのですが、出番はありませんでした)。
 パーティメンバーはアルベルト、ディアーナ、トリーシャ。アルベルトのイベント3は「ボックス・ランチ・ラプソディ」で、ディアーナのエンディングはクレアと一緒に刺繍のバージョンです。まあ、これらがどのくらい生きているかは我ながら疑問なのですが。
 では、今回はこのくらいで。またいずれかの機会にお会いいたしましょう。
 
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