宝物
 
「ちはや…ちはや」
 病床の父親が、弱々しい声でちはやを呼んだ。
「どうしたの父ちゃん、苦しいの?」
 逃げてしまった母親の代わりに台所に立っていたちはやが、すぐに父親のそばに来る。
「ちはや…。俺はもうだめだ」
「ダメだよ、そんなこと言ったら。病は気からって昔から言うじゃない」
 励ましてはみるが、ちはやも、父親の病が、とっくに「病は気から」などという段階ではなくなっていることは充分わかっていた。
「なあ…ちはや…ゲホッゲホッ」
「と、父ちゃん、しっかりして」
「頼みがあるんだ」
「何? あたしにできることなら何でも言って」
 プルプル震える父の手を握りしめ、ちはやは優しく語りかけた。
「鏡…を…」
 弱々しく父が言う。
「鏡? 父ちゃん鏡なんて見たいの?」
「違う…。鏡を、探してほしいんだ…」
「鏡ならそこにあるよ」
 母親が置いていった鏡である。ヒビも入っているが、もともとはそれなりにいいものだったらしい。しかし、父親は首を横に振った。
「そうではなくて…」
 そう言って、父親は、枕元にあったボロボロの本を開いた。
 ミミズだかドジョウだかに墨をつけて、紙の上をのたうち回らせたような字が並んでいる。もちろん、ちはやには読めない。だが、その横に、なにか丸い物の絵が描いてある。
「鏡って…これ?」
「うむ」
「でも、これ、何も映りそうにないよ」
「ばかもん。それは、裏側の絵だ」
「あ、そうなんだ」
 言われてみれば、鏡の表の絵など描いても、ただの丸にしか見えないだろう。
「で、この鏡を持ってくればいいの?」
「ああ…」
「どこにあるの?」
「わからん」
「それじゃあ、持ってきようがないじゃない」
「だから、探してほしいんだ」
「あたしなんかには無理だよ」
 心底、ちはやはそう思った。
「ううぅ苦しいぃ…」
 突如、父親が苦しみ出す。
「わ、わかったよ父ちゃん、探す、探してくるから…」
「おおそうか!」
 いきなり、父親はしゃきっとなる。
「・・・・・・」
 あたしは、うまく乗せられたのかもしれない。
 ちはやはそう思ったのだが、それは思い過ごしだった。
 次の日、父親は、ちゃんと(?)息を引き取ったのである。
 近所の人が集まって、ささやかながらも心のこもったお葬式が営まれ、お通夜が終わり、一通り泣き終わったちはやは、拳を握りしめ、父の霊前に向かった。
「あの鏡…よっぽど欲しかったんだね。
 わかったよ父ちゃん、あたし、鏡を探す。探して、父ちゃんのお墓に供えてあげる。
 でないと父ちゃん…きっと、成仏できないものね」
 
 直接ちはやが知っているわけではなかったが、ちはやの父親は、昔、都で、仲間内では少しは名の通った盗賊だった。
 数々の盗みを首尾良くこなしてきたが、とうとう悪運も尽き、お縄になってしまった。
 しかし、彼が殺しを一度もやっていなかったこと、そして、まだ幼いちはやを抱えていたことから、裁きの時に情けをかけてもらい、その刑は所払いで済んだ。
 その際、愛想を尽かしたちはやの母親に逃げられ、幼いちはやと父親は二人だけである大きな港町に移り住んだのである。
 そこで、異国との交易を仕事にしている商人の下働きをしているうちに、ちはやの父親は異国人と付き合いができた。
 その異国人は学者で、研究のために商船に便乗してきたということであった。
 そしてちはやの父親は、その学者の研究していた「ヒストリイ」とやらに感化され、彼と一緒にこの国の歴史について懸命な研究を始めた。
 あっちこっちの遺跡に出かけていって何やら訳の分からない物を掘り出してきてみたり、どこかの貴族から訳の分からない、ゴミともよく区別が付かない書物をもらってきてみたり。
 ちはやには父親が何をしているかよくわからなかったが、とにかく父親は楽しそうであり、全精力をそこに傾けていた。
 そんな様子だったので、病に倒れてからの父の落胆ぶりといったら見ていられないほどだった。
 父は生き甲斐をなくした老人のように…実際、ちはやはだいぶ年をとってからできた子で、彼はもう若くはなかったのだが…みるまに衰えていき、あっさりと他界してしまった。
 それをずっと見ていたちはやは、父が探し求めた鏡を探してあげたいと、心の底から思ったのである。
 
 何年かの月日が過ぎ去った。
 いくら心の底から決意したからといって、すぐに旅かなにかに出ていって「わーいあったー」とはいかないのが世の中というものであるし、ちはやもそれほど無謀な小娘ではなかった。洗濯や料理屋の手伝いをしてみたりして生活しつつ、字を覚えるなど鏡探しの準備を着々と整えていたのである。
 ある日、ちはやが料理屋の手伝いを終え、疲れて家に帰り着き、さて食事の支度でもしようかと思った瞬間、
「見つけた! 見つけましたわ、ちはやさん!」
 と叫びつつ、一人の少女が家に駆け込んできた。
 彼女の名は紘(ひろ)。この町の商人・三國屋の一人娘だ。
 三國屋には父が健在の頃から世話になっていたし、紘が例の異国人からちはやの父と一緒に話を聞いていたこともあって、事情を知ると鏡探しに全面的に協力することを申し出てくれたのだ。
 紘は家庭的に恵まれているし、三國屋主人の教育方針から学問にも堪能であったので、ちはやにとって心強い味方となった。
 そして生活に追われるちはやに代わり、多くの文献を当たって、鏡のことを調べてくれていたのだ。
 どうやら、何か手がかりを見つけてくれたらしい。
「本当!?」
「はい! これをご覧になってください」
 一冊の、わりと新しめの本を開いて、紘がちはやにその箇所を見せる。
 それはあの日、死に際の父がちはやに見せたような、ミミズとドジョウののたうったような文字だったが、もうちはやはそういう字でも読めるようになっていた。
「お父様のあの本、拝見させていただけますか?」
「うん」
 その本を、ちはやが奥から持ってくる。
「ほら…ここにこの帝の名が出てくるでしょう…。この帝はこちらの本の…この帝と同じ方と考えられるのですよ…」
「うんうん」
 ちはやは疲れも忘れ、紘の話に聞き入る。
「で…この本によると…この帝の陵に副葬品として納められたことになっているのです…」
「それで? その陵、どこにあるの?」
「はい、実はかなり近くなのです」
 紘が示した、本の別の箇所には、その陵の場所が抽象的ではあるが記されていた。それから考えると、どうやらこの町から二里ほど行ったところにある兜山と呼ばれている山が、実はどうやらその帝の陵であるらしい。
「やったあ、ありがとうお紘ちゃん!」
 満面に笑みを浮かべ、ちはやが紘に抱きつく。
「ちはやさん…ちはやさん。わたくしが調べたことで喜んでいただけるとわたくしも嬉しいのですけれど、まだ見つかった訳でもないのですし…」
 紘は声音を落とし、言う。
「気を引き締めないといけないのは、これからですわ」
「…そうね」
 ちはやは紘から離れると、真面目な顔でうなづいた。
「それに、この本の外見をご覧になっていただければおわかりになると思いますが、この本はおそらく写本の写本の写本の写本くらいの本です。正確さにはかなり不安があります。この本の記述に従っても、必ずしも鏡が見つかるとは限りません。無責任かもしれませんが、無駄足になるかもしれませんわ。…ですから」
 紘は懐から包みを取り出す。
「足代にはこれをお使いになってください」
「そんな…そこまでしてもらったら悪いわ」
 ちはやは包みを紘に押し返す。三國屋は大店で、その一人娘の紘は確かに裕福な生活を送っているが、彼女自身に収入があるわけではない。自由に使える金は限られているはずだ。
「差し上げるわけではありませんから」
 微笑んで、再び紘は包みを差し出した。
「もし無駄足でしたらわたくしの調べそこないですからわたくしの責任です、これは気にせず使ってかまいませんわ。もし目的の物があったなら、このお金はいずれ都合のつくときにお返しくださいね」
「貸してくれるってこと?」
「はい、そうです。もちろんわたくしは金貸しではありませんから、無利子無期限無担保で、ですけれどね」
 微笑む紘の顔が、仏様かなにかのように見えた。正直、調べがついても資金繰りをどうしようと悩んでいたのだ。
「本当にありがとうお紘ちゃん…。きっと、きっと見つけてくるからね」
「はい、頑張ってくださいね。わたくしは、町で裏付けの調査をしていますわ。無駄な調査になることを祈っていますが」
「お願いね」
「お任せください」
 ちはやの言葉に、紘は力強くうなづいた。
 
 次の日。薄い雲が空一面に広がっていたが、ちはやは早速兜山へと出かけた。山までの道のりは、空が曇っているだけに暑すぎず、実に快適であった。
 山の麓に村落の一つもあるかと思ったが、兜山はそれほど大きな山でもないので、村落ができるようなことはないようだった。川も流れておらず、仕方なくちはやはただの木陰でひと休みして、それから玄室への入り口を探すことにした。
 しかし、そのとき…。
 ぽつっ…。
「あ…」
 ちはやの頬を、水滴が打つ。見上げたちはやの額にも、水滴が落ちた。
「雨…?」
 ぽつ…ぽつ…さあああぁぁ…
「降って…きちゃった…」
 仕方なく、先ほどまで休んでいた木の下に戻った。
 焦りすぎたか。
 もう少し天気がいい日を選ぶべきだったかもしれない。
 しかし、もうすでに目的地には着いてしまっているのだ。もしかしたら今立っている足下に、探し求めた鏡があるのかもしれないのだ。
 そんなことを考えていると、ここでじっと待っているのに耐えられなくなってきた。
「行こう!」
 意を決し、ちはやは木の下から出た。
 
 玄室への入り口を探し回り、山をふらふら歩き回る。全身はすでにびっしょりだ。玄室の入り口といってもきっと今は草木におおわれているに違いない。石か何かでがっちりふさがれていたらもうおしまいだ。わかる見込みはほとんどない。
 服がだんだん重くなる。水を吸っているのだ。足取りも重くなる。まさか足が水を吸っているわけではあるまいが。
「あわわっ!」
 足下のツタにつまづいて、派手にひっくり返る。
「ううぅ…」
 それでも負けずに立ち上がり、歩みを進める。
(あたし…どこに向かってるんだろう…?)
 唐突に、ちはやは自分がただあてもなくさまよっているだけであることに気づいた。
(今日は…とりあえず戻ろうか…)
 肉体の限界が熱意を削り取っていくのを感じる。あきらめて振り向いたとき、ちはやは恐ろしいことに気づいた。
(あたし…どっちから来たっけ…?)
 上る前に見上げたとき、兜山はずいぶん小さな、ちゃちな山…というよりは丘…に見えたのだ。まさか迷うなどとは思っていなかったので、目印のようなことは何も考えていなかった。
 どちらを見ても、同じような景色に見える。
 通ったような、通っていないような。
 雨は降り止まない。
 寒い…。
 歩き疲れ、また大きな木を見つけて、再び雨宿りを始めたが、体はどんどん冷えてゆく。
(まずい…かも)
 ひどい眠気を感じた。そして、それに耐えきる精神力は、歩き回ったちはやにはもう残されていなかった。
 
 薪が爆ぜる音で目が覚めた。
「う…ん?」
「よお、気づいたか?」
 聞いたことのない声が、自分に呼びかける。身を起こしてみると、見たことのない男がそこにいた。
「ここは…?あなたは誰?あたし、どうしたの?」
「一度に聞くなよ」
 男は、二人の間の焚き火に薪を放り込み、再びちはやに向き直った。
「俺は勇魚(いさな)。この山で猟師と木こりの真似事をしてる。ここは俺の小屋だ。お前がびしょぬれで倒れてたからここに連れてきたんだ」
 そうか…結局あたし、あのまま…。
 この人に助けてもらわなかったら、死んでたかもしれないな…。
「ありがとうございました」
「いいっていいって。それより、乾いたからこれ着ろよ」
 そう言って、勇魚が差し出したのは、
「…あたしの服…?」
 だった。
「じゃあ…」
 かけられていた薄い布の下の自分の体が、何も着ていないことに気づき、ちはやは真っ赤になった。
(仕方ないか…親切でやってくれたんだよね…)
 真っ赤になったまま、黙りこくって服を着るちはや。気を利かせているつもりなのか、勇魚はそっぽを向いている。
「雨…なかなか止みそうにないな…」
 窓を開け、勇魚が言う。
「どうしよう…かなあ…」
「どこから来たんだ?」
「ここから…二里くらい行った…町からです…」
「とにかく…何しに来たかは知らないが、雨が止むのを待って今日は帰った方がいいな」
 勇魚は窓を閉め、言う。
 しかし返事はなかった。
「?」
「はぁ…はぁ…」
「おい、どうした?」
 ちはやは壁に寄り掛かったまま、苦しそうに荒い息をしていた。
「おい…」
 勇魚は近寄っていくと、ちはやの額に手を当てた。
「やばいな…。風邪、ひいちまったか…」
 再び窓際に行き、外を見る。
 雨はまだ止んではいない。
「ちっ…。早く町へ連れて帰ってやらないと…まずいぞ」
 雨は、止みそうにはない。
 
「誰か、この子知ってる人いないかあー!」
 羞恥で顔を真っ赤にしながらも、町で勇魚はちはやを負ぶって大声で呼び回っている。
「この子、誰も知らないのかあー!」
 町の人はみんな、それを遠巻きに見て何か言っている。
 勇魚が途方に暮れて、誰かに話しかけようとしたとき。
「ち…ちはやさん!」
 一人の少女が、血相を変えて駆け寄ってきた。
「あなたは? ちはやさんはどうなさったのですか?」
 一気にまくしたてると、少し落ちついたのか、少女は息を整えて、頭を下げた。
「いきなり失礼しました…。わたくし、この町の商人の三國屋の娘で、紘と申します。ちはやさんの友人なのですけど…」
「ああよかった、ここまで連れてきたはいいが、どうしたもんか困ってたんだ。とりあえず、どこかこの子を寝かせられる所はないか?」
「わかりました、ちはやさんのお宅にうかがいましょう」
 紘に案内され、勇魚は、ちはやを負ぶったまま彼女の家へ行った。
 
「そうか、そういうわけだったのか」
 ちはやの家で、紘からちはやの事情を聞いた勇魚は、腕を組んでうなった。
「しかし、俺の仕事場が墓の上だったとはなあ…」
「本当にご迷惑をおかけいたしました」
「無茶だぜ。いくら小さな山だって、土地勘もなしにうろつくなんて」
「でも…父が探していた物が、そしてあたしが探してる物が、あそこにあるかもしれないんです」
「ちはやさん?」
「お嬢ちゃん」
 いつの間にか、ちはやが身を起こしていた。
「起きていいのか?」
「まだ、寝ていらっしゃらないと」
「うん…」
 素直に、ちはやは再び横たわった。まだ少し熱があるらしく、全身がだるい。
「くやしいよ、お紘ちゃん…。せっかくお紘ちゃんが調べてきてくれたのに、あたしは山で迷って風邪ひいて、知らない人にまで迷惑かけて…」
「ちはやさん…」
「一人で何でもできるわけじゃない。それは、わかってるな?」
 いきなり、勇魚が口を開いた。
「え、あ、はい…」
「調べの段階でお紘ちゃんの手を借りたのは正しい判断だ。だが、その後が悪かった。本当にあんな所から鏡一枚持ってくるのを自分一人だけでできると思ってたのか?」
「・・・・・・」
 いきなり厳しいことを言われて、ちはやは絶句した。
「勇魚さん…。あまりちはやさんをお責めにならないで。ちはやさんは、ただ一生懸命だっただけなのですから…」
 それを見て、紘がちはやをかばう。
「ああ、やろうとしてることとその理由は悪くない。ただ、やり方が悪い」
「でも…山の土地勘がある人なんて…」
「いるぜ、ここに」
 にっ、と笑って、勇魚が自分に親指を向けた。
「手伝って…くださるのですか?」
「手伝うなんてそんな恩着せがましい。俺はただ、わけのわからんところで仕事をしたくないだけだよ。ちゃんと自分の仕事場がどんな所だか知りたいんだ」
「何から何まで本当に申し訳ありません…」
 紘が頭を下げ、
「お優しいのですね」
 と言って、にっこり微笑んだ。
「よせよ、照れるぜ」
 どう見ても勇魚は自分より年上だが、何だか可愛い、と、紘は思った。
 
「もうかれこれ十年くらいこの山には登ってるが…入り口らしいところなんて、見たこともないぞ」
 ちはやが元気になった頃、具体的な計画を練るため、再び勇魚はちはやの家を訪れていた。
「そのことなのですが…。どうやら、あそこは思っていたよりも古い陵らしいのです」
 またも、書物を山ほど持って来ていた紘が言う。
「だから?」
「つまり、石室が竪穴式だということです」
「竪穴式だと、何なんだ?」
 その道の知識のまったくない勇魚が、何度も聞き返す。
「竪穴式の石室は、埋葬したら埋めてしまうのです。つまり、入り口などないのですわ」
「じゃあ、どうやって探せば…」
「探す必要はありません。ただ…」
 にっこり笑って、紘はきっぱり言い切った。
「頂上を、一生懸命掘っていただければよろしいだけですわ」
 
「何だよ。結局土地勘も何も要らないんじゃないか」
 ぶつぶつ言いながらも、勇魚は紘の言葉通り、一生懸命頂上を掘っていた。
「けど、あたし一人だけじゃ掘り返すのにどのくらいかかるかわからないと思います。やっぱり、勇魚さんみたいな男手があった方が」
「そうだな」
 しばらく二人だけで掘り続け、ふと、勇魚が言った。
「ところで、何でお紘ちゃんは来ないんだ?」
「お紘ちゃんも、大店の娘ですからね。そう気軽に町の外には出られませんよ。それに、もし来られたとしても、お紘ちゃんあたしよりもっと力ありませんから」
「そうか。やっぱりお嬢様なんだな」
「・・・・・・」
 ちはやは、一瞬だまりこくる。
「勇魚さん…」
「ん?」
「お紘ちゃんって、男の人から見たら、やっぱりすてきな人なんですか…」
「ああ、そうかもな。器量好しだし、賢いし、物腰も柔らかいし、大人しくて性格もよさそうだし、大店の娘だから金も持ってるだろうし、嫁にしたら金といい奥さんが揃うな」
「・・・・・・」
「だが、俺はこんなことして生活してる人間だから、そんなのはあまり関係ないな。もう少し元気のいい娘の方が好みかな。
 どうして、そんなこと聞くんだ?」
「う…ううん、何でもないんです」
 それきり、ちはやは何も言わなかった。
 勇魚も、何か話しかけづらくなり、二人は結局、その後は黙々とただ土を掘り返すだけだった。
 
 がつん。
 やがて、何か堅い物に行き当たる。
「ちはやちゃん」
「はい」
 回りの土を急いで退かすと、明らかに自然の物ではない、石の板が出てきた。
「石室の…天井ですね…」
「開けてみよう」
 その石の板の隙間を無理に広げ、指をいれる。
「ぬうぅうっ…!」
 勇魚が渾身の力で引くが、石の板は動かない。
「勇魚さん」
 ちはやは勇魚の隣に行き、力を合わせて石の板を引いた。
「ううんっ…!」
 ゆっくりと、そして少しずつ、石の板が持ち上がっていく。
「もう少し…っ!」
 隙間は徐々に広がり、手が入るようになり、腕も入れられるようになり、そして、完全に開いた。
「やったあ…」
 茫然と、ちはやがつぶやく。
「開いた…」
 同じく茫然と、勇魚もつぶやいた。
「やった…やったわ勇魚さん!ありがとう、ありがとう本当に!」
「おめでとうちはやちゃん!」
 二人は手を取り合って喜び合う。
「さあ、ちはやちゃん」
 あらかじめ紘が用意してくれていた縄を、勇魚がちはやに手渡す。
「はい!」
 ちはやは縄を胴に結びつけ、やはり紘が用意してくれた蝋燭に火をつけると、開いた穴の入り口に屈み込む。
「お願いします」
「おう」
 縄のもう一端をしっかりと握り、勇魚がうなづく。
 そろそろと、闇の中にちはやは降りていった。
 深くて広い玄室だった。紘が用意してくれた縄が長くて助かった。
 ようやく、暗い玄室の底にたどり着く。蝋燭を掲げて周囲を照らすと、中には意外と物が少なかった。 玄室の中央に大きな石の箱。おそらくこれが柩だろう。ちはやは目を閉じて手を合わせた。
 再び玄室を見回すと、それよりは少し小さめの石の箱があり、二つの箱の間には武人の埴輪が一体立っていた。
 きっと、あの箱が副葬品の箱なのだろう。
 もう一度、柩の方を向く。
「あたしのやることは墓荒しです。わかってます。でも…どうしても、父のために鏡が欲しいんです。許してください」
 言い終わったとき、何かが、ぎぎぎぃ、と不気味な音を立てた。
「?」
 蝋燭を向けて見てみると、武人の埴輪がちはやの方を向いて、腰の剣を抜こうとしている。
「ひっ…」
 剣を抜き終えると、埴輪は、今までの鈍い動作が嘘であるかのように、素早く斬りかかってきた。
「きゃーっ!」
 間一髪身をかわす。
「どうした、ちはやちゃん!」
 悲鳴を聞いた勇魚が、穴の上から声をかけた。しかし、穴の底からはちはやの悲鳴が聞こえるだけ。
 勇魚は急いで近くの木に縄をくくりつけると、それを伝って自分も穴に入った。
 勇魚が床におり、暗闇に目が慣れるまでの時間と、埴輪が勇魚を見つけ、彼を侵入者とみなすまでの時間は、ほぼ同じだった。
「うわっ!」
 目が慣れた瞬間斬りかかられて、勇魚は一瞬うろたえ、たたらを踏む。
「逃げるんだ、早く!」
 ぺたんと力無く座り込んでいるちはやを怒鳴りつけ、勇魚は腰から鉈を抜いた。
「は…はい」
 あわててちはやは縄を登る。
 がきん!
 埴輪の剣を、勇魚の鉈が受ける。本体は素焼きのくせに、剣はちゃんと鉄の剣だ。しかも、刀ではないので、鉈と打ち合っても折れたりしない。
「勇魚さん! 早く、早く登ってきて!」
「そうしたいんだが…!」
 鉈と剣では間合いが違いすぎる。しかも、素焼きの体だから当てさえすれば、と思うのだがまったく当たらないのだ。
「畜生!」
 何とか逃げようと、勇魚が縄をつかむ。すると、埴輪はぴたりと動きを止めた。
「…?」
 どうやら、出ていこうとする者を殺そうとはしないらしい。
「よし」
 元の位置に戻ろうとする埴輪を後目に、勇魚は外へ戻った。
 
「…そう…ですか…」
 話を聞いた紘は、沈んだ表情のまま、ちはやを見た。
「ちはやさん…。申し上げにくいのですが…。
 もう、諦めた方がよろしいのではありませんか」
「お紘ちゃん…!」
 はっとなって、紘を見つめ返すちはや。
「貴女のお父様の気持ちも、貴女の気持ちも知っているつもりです。わたくしも、貴女と同じような気持ちですから、貴女と一緒に鏡を探して参りました。ですが、それで貴女の身に危険が及ぶのなら…これ以上鏡を追い求めるのには、賛成できません」
 きっぱりと、紘は言い切る。
「相手は古代の守護者なのですよ…。下手に手を出してはお命にもかかわります。
 お父様のご遺志を継ぐのも大切かもしれません。ですが、ご自分自身のことももっと大切にしてください。
 貴女は、わたくしの大切な友達なのですから…。
 もう、独りぼっちにはなりたくありませんわ…」
 最後のつぶやきは、他の人に聞こえないような大きさの声だった。だが、勇魚にも、ちはやにも、それはちゃんと聞こえてしまった。
 そうか。
 紘は、独りぼっちだったのだ。
 大店の一人娘として育てられ、友達も少なかった紘にとって、ちはやはかけがえのない友達だったのだろう。
 だから、その友人のためになるならと、八方手を尽くしてちはやに協力してきた。友達の喜びは、自分の喜びになったから。
 しかし、それがちはやを危険にさらすことになるのなら…。
 その喜びは、独りよがりでしかない。
 紘は、そう考えたのかもしれない。
 勇魚は、見つめあう二人を見て、そう思った。
「お紘ちゃん…」
 ちはやは、紘の名を呼ぶ。勇魚がいろいろと考えて行き着いた結論を、ちはやは、紘の「気持ち」として感じとることができたのだろう。
「ありがとう…。本当に嬉しいよ、あたしのことそんなに心配してくれて。
 だけど、これは最後までやり遂げなくちゃいけない。
 そうじゃないと、お紘ちゃんや、勇魚さんが今まであたしのためにしてきてくれたことを裏切ることになっちゃうから。それじゃあ、あたしの気が済まないから。
 だって、もうすぐなんだもの。もう、目の前に目標はあるんだもの。
 あたし、負けないわ!」
「そんな…」
 紘は、一歩ちはやににじり寄る。
「わたくしは、今まで何も貴女に恩を売ろうと思って協力してきたのではありません、裏切りだなんておっしゃらないで。わたくしは、ただ貴女が心配でたまらないのです…。わたくしに義理立てしようとか考えていらっしゃるのなら、どうぞおやめになってください」
 ちはやは、微笑んで答えた。
「お紘ちゃん、あたしに、自分自身を大切に、って言ったよね。
 あたしは、あたし自身のためにも、鏡探しをやり遂げたいの。
 だって、ここで諦めたら、あたしはきっと後悔するわ。ずっと後悔したまま生きていくなんて、きっとあたし自身のためにならない」
「でも…!」
 なおも言い募ろうとする紘を、勇魚が制した。
「ちはやちゃんの決心は固いようだよ」
「勇魚さん…」
「友情は…押しつけると、壊れてしまうこともあるんだよ…」
「・・・・・・」
 紘は黙り込む。
「安心しなよ。ちはやちゃんは俺が守ってやる。最悪の場合でも、ちはやちゃんだけは無事に戻れるようにしてみせるさ」
 紘は、黙ってちはやを見た。ちはやは小さくうなづく。
「…勇魚さん…。くれぐれも、ちはやさんをよろしくお願いしますね…」
「ああ」
 勇魚の返事を聞くと、再び紘はちはやを見て、今度は微笑んで見せた。誰が見ても、無理のある微笑みだった。
 
「行きましょう」
「ああ」
 ちはやと勇魚は、再びあの入り口に来ていた。勇魚は、あの埴輪に備えて、今度は鉞を持ってきている。
「気をつけろよ」
「はい…」
 縄ばしご…紘が、いざという時少しでも速く逃げられるようにと用意してくれたのだ…を使ってそろそろと降りながら、勇魚はちはやにささやきかける。
「わかってるな。俺が埴輪の気を引いているうちに、お前は鏡を取って逃げるんだ」
「はい」
 話しているうちに玄室の床に着く。そして、案の定埴輪が襲いかかってきた。
「ちはやちゃん、行け!」
「はい!」
 勇魚が埴輪に反撃を始めると同時に、ちはやは壁際の箱に走った。埴輪がそれに気づき、ちはやを追おうとするが、勇魚に阻まれる。
「貴様の相手はこの俺だ」
 さすがに鉄の剣とはいえ、鉞をまともに受けてはへし折れる。しかし、埴輪は見事な身のこなしで勇魚の鉞をかわし、反撃もしていた。
 その戦いの音を背後に聞きながら、ちはやは箱を開けようとしていた。
 古代の物、しかも石の箱なので、鍵はかかっていない。だが、ふたも石なので異様に重いのだ。
「くっ…!」
 渾身の力を込め、ふたを持ち上げる。しかし、ちはやの力ではなかなかそれは動かない。
「まだか!」
 勇魚の声がする。重い鉞を振り回し続けるのに疲れてきたのだ。対する埴輪は疲れなどカケラも見せない。
「もう…少し…」
 ずず…と重々しい音とともに、少しずつふたが動き始める。
「くうううぅっ…!」
 一度動き出したふたは、少しずつだが確実に開いてゆく。
「ふうぅ!」
 ごとん!
 重い音がして、ふたが床に落ちた。
「これが…」
 目的の物を見つけ、それを手にするちはや。
「…勇魚さん、見つけました!」
「そうか!よし、逃げるぞ!」
「はい!」
 ちはやが答えて、縄ばしごに駆け寄ろうとしたその瞬間、
「うわっ!」
 埴輪が、ついに勇魚を弾きとばした。そして、すごい速さでちはやに迫る。
 埴輪は副葬品である鏡があるべき位置から動かされたのを感じとっているらしく、勇魚にはもう目もくれず、それを持っているちはやに襲いかかった。
 その鋭い斬撃を、紙一重でかわすちはや。
「うう…」
 ようやく立ち上がった勇魚の目に映ったのは、埴輪の斬撃をひょいひょいと身軽にかわし続けるちはやの姿だった。
 信じられない身のこなしである。だが、反撃の手段を持たないちはやには、いずれ限界がくるだろう。
 勇魚は鉞を手にした。今、埴輪の注意はすべてちはやに向いている。
 埴輪の背後に忍び寄り、静かに鉞を振り上げる。
 そして、埴輪がそれに気づいたとき、勇魚の鉞は埴輪の素焼きの体を木っ端微塵に打ち砕いていた。
 
「これが…」
 ちはやが持ってきた鏡を見て、紘は、鏡を最初に見つけたときちはやがつぶやいたのと、まったく同じ言葉を発した。
 三人の目の前には、緑色の不格好な塊がある。
「鏡…ですか」
「そうみたい」
 銅の鏡は、長い長い年月を経て、緑青の塊になってしまっていたのである。埴輪の鉄剣と違って、特別な力も何も宿っていないものだったらしい。
「この鏡は、大陸で作られた物だから…。古代の人が自分たちで力を宿らせていないのも、当然と言えば当然なんだけど…ね」
「それはそうですけれど、まさかここまで見事に錆びているとは…」
 紘が鏡…だったものを手に取り、ため息をつく。
「報われないな」
 勇魚もため息をついた。
「そうでもないわ」
 明るい顔で、ちはやが言う。
「お紘ちゃんや、勇魚さんに手伝ってもらって、こうして目的を達成できたんだもの。この鏡よりも、そのことが…そして、お紘ちゃんと勇魚さんが、何よりの宝物だと思う」
 言って、二人を交互に見ると、
「本当に、ありがとうございました」
 と言って、ちはやは深々と頭を下げた。
「ちはやさん…」
「ちはやちゃん…」
 二人も、感慨深げにちはやを見つめ返す。
「ところで、ちはやちゃん」
「はい?」
「あの中でちはやちゃん、埴輪の攻撃ひょいひょい避けてたけど…」
「ああ」
 ちはやは、苦笑にも見える笑みを浮かべる。
「あたし、生まれつきすばしっこいんです。父譲りらしくて。父は盗人でしたから」
「え?」
 事情を初めて聞いた勇魚は、目を丸くする。
「それに、父譲りなのはすばしっこさだけじゃないみたいです。こういう物を見つけだして、持ってくるのがすごく好きみたい」
「ちはやさん…まだ、こんなことを続けるおつもりですか?」
 紘が心配そうに尋ねる。
「そのつもり。だから、お紘ちゃん。また何か探すときは手伝ってよ。
 今度は、もっと安全なやつね」
「…はい!」
「仕方ないな」
 勇魚も、苦笑しながら言う。
「二人だけにまかせておいたら危なっかしそうだからな。俺もまだつきあうよ。今度のこと、俺も何だかんだ言ってすごく楽しかったしな」
「本当ですか?」
 二人は勇魚を見た。鏡探しが終わった今、勇魚はまたもとの暮らしに戻ってしまうと思い、寂しさを感じていたところだったのだ。
「おう。乗りかかった船だ、つきあうぜ」
「ありがとうございます!」
 
 この後、この三人は、あちらこちらからいろいろな「宝物」を探し出してくるのだが…。
 それはまた、別のお話。
                           <おしまい>
 
BACK
HOME