空の上には
 
 あるところに、今まで一度も晴れたことがない村があった。
 その村の人にとっては、空は灰色に曇っているのがあたりまえのことだった。だから、いつも空は雲におおわれていたけれど、誰もそんなことは気にしないで、毎日しあわせに暮らしていた。
 そんな、ある日のこと。
 
 自分の家の窓ぎわで本を広げていた男の子は、その窓にかけよってくる足音に気づいて顔を上げた。よく知っている女の子が元気よく近づいてくる。
「やあ、レミ」
 男の子は窓を開けて、女の子の名を呼んだ。女の子は窓の近くまで駆け寄ってくると、いきなり切り出した。
「ねえねえシド、ヒマ?」
 シドは読みかけの本をぱたんと閉じて、レミに微笑みかえす。
「うん」
 レミとシドは同い年で、小さい頃からずっと一番の仲良しだった。だから、レミはシドをよくこうやって遊びに誘う。シドはどっちかといえば家の中で本を読んでいたりするのが好きな大人しい子だったけれど、レミに誘われたときにはいつもよろこんで一緒に遊びに行く。
 いつも、誘うのはレミの方だった。元気でおてんばなレミは、シドと一緒にいないときも一人で外を遊び回っている。そして、面白いもの…例えば、生まれたばかりの子猫だとか、今まで知らなかったほら穴だとか、きれいな花だとか…を見つけると、一緒に行こうとシドに言いにくる。
「ねえ、今日は何を見つけたの?」
「うん、あのね、古くって大きなお家」
「古くて大きなお家?」
 そんなお家のことを、シドは知らなかった。
「ホントにすっごく大きいんだから。石でできててね、村の広場よりも大きいんだよ」
「へえ。面白そうだね」
「うん。一緒に行こうよ」
「そうだね!」
 シドは立ち上がって、本を棚に戻した。
 
「ホントだ。大きいね…」
 レミに案内されてたどり着いた所には、レミが言ったとおりのお家が建っていた。がっしりとした石組みの壁にはコケがむして、ツタがからんでいる。見上げると、壁の上には大きな丸屋根が乗っている。レミもシドも今までにこんな形のお家は見たことがなかった。
「誰か住んでるのかな?」
 レミが辺りを見回しながら言う。
「でも、ここに住んでいる人の事なんて聞いたことないよ」
 村はそんなに大きくはなかったから、住んでいる人は全員顔見知りだったし、どこに住んでいるかも知っていた。けれど、こんなお家はあることも知らなかった。
 シドが考え込んでいると、レミがいきなり駆け出した。
「どうしたの?」
「ほら、見て見て!」
 レミが指さしたのは入口らしい扉だった。木でできていたけれど、石の壁と同じように頑丈で、大きかった。
「ねえ、入ってみようか」
 レミがにっこり笑って言う。
「ええ? やめようよ。見つかったら怒られるよ」
「大丈夫だよ。ちょっと中がどうなってるか見るだけなんだからさ。誰かいたら、こんにちはってあいさつすればいいだけだよ」
「でも…」
「あー、わかった。シドったら恐いんだ」
 からかっているようなレミの言葉に、大人しいシドもちょっとムッときた。
「こ、恐くなんかないよ」
「じゃあ、入ってみようよ」
「う…うん、いいよ」
 ホントはレミの言うとおり少し恐かったのだけれど、バカにされたままじゃいられない。シドは勇気をふりしぼって、レミと一緒に入ってみることにした。
 ドアには大きな重いノッカーがついていた。でも、二人とも小さくてそこまで手が届かなかった。仕方ないから、二人はまず大きな声で呼んでみることにした。
「すいませえーん!」
「誰かいませんかあー!」
 少し待っても返事はなかった。
「よーし、入るよ」
「うん」
 扉は重かったけれど、鍵とかはかかっていなかった。レミとシドが二人がかりで引っ張ると、
 ギギギギ…
 と、すこし気味の悪い音を立てて、ゆっくりと開いた。
 中は意外と明るかった。見上げると、高い高い天井の近くに明かりとりの天窓があいているらしかった。入口から奥の方に向かってまっすぐに赤くて古びたじゅうたんが敷いてあって、その両側に石の柱が一列ずつ並んでいる。
 不思議な雰囲気の所だった。けれど、恐さはすこしも感じない。レミもシドもあっけにとられながらゆっくりと歩き出す。
 しばらく行くと、両側に長い椅子がいくつも並んでいた。人が集まるようにできているみたいだった。けれど、レミもシドも、こんなところに人が集まったなんていう話は聞いたことがなかった。
 二人とも黙ったままだった。分厚い石の壁のせいで外の音は全然聞こえないし、じゅうたんが敷いてあるから足音もしない。そんなところで音を出してはいけないような気がして、二人とも何も言えなかった。
 やがて、じゅうたんの通路は行きどまった。
 正面の壁には見たこともない何かの像があって、その上には大きな窓がある。おかげでこの場所はとても明るかった。
 そして、その窓の上には。
「あ…」
 レミが小さな声を上げた。本当に小さな声だったけれど、それはやけに回りに響いた。
 たぶん、外から見えた丸屋根の内側なんだろう。天井が丸くなっている。
 そして、そこには、一面に大きな絵が描かれていた。
 白い衣をまとっている人の姿。そして、その人は、衣と同じような白い大きな翼を広げている。
 その背景は真っ青に塗られている。
 背景の青と翼の白を見て、レミとシドは心の底から、きれいだ、と思った。
 そして、ただ黙って天井を見上げ続けた。
 
 どのくらいたったかわからなくなった頃、レミが口を開いた。
「シド」
「…な、何?」
「あの人さあ」
 二人の声があたりに響く。でも、二人とも気にしなかった。二人の心の中には、もう天井の絵のことしかなかったから。
「空を飛んでる…のかな?」
「たぶん、そうだと思う」
「でも、どうして空が青いんだろう?」
「さあ…。けど、僕、空が青いのってちっとも変だと思わないんだ。どうしてだろう?」
「シドも? …あたしもなの。不思議だよね、空って灰色なのに…」
 正面の壁にある開け放たれた窓の外に見える空は、あいかわらず雲におおわれた灰色のままだった。二人とも、その色以外の空を見たことはないはずだった。けれど、「青い空」が不自然だとはどうしても思えなかった。
 また、二人は口を閉じる。そして絵に見入った。見れば見るほど気になる、青い空…。
 その時だった。
「誰か、いらっしゃるのですか?」
 いきなり、二人に誰かが声をかけてきた。それはとても静かな声だったけれど、二人を驚かすには充分だった。
「わああっ!」
 驚いてあげた大声があたりに響く。声をかけた方もそれで少し驚いたようだった。
「まあ…」
 それは、大人の女の人だった。ゆったりした黒い服を着ていて、脇には革表紙の本を抱えている。
「あ、あの、ごめんなさい、勝手に入ってきちゃって…その…」
 シドはあわてて謝った。女の人はそんなシドを見て、優しく微笑む。
「いいんですよ。それより、この絵を見ていたんですか?」
 そして、二人に近づいてきて、天井の絵を見上げた。
「うん。とっても、きれいな絵だったから…。
 でも、ねえ、お姉さん」
「なあに?」
「どうして、空が青いの?」
 尋ねるレミの頭を軽くなでて、女の人は手で並んでいる長い椅子を示した。
「私の知っていることをお話ししますから、座りましょう」
 自分の両側にレミとシドが座ったのを見ると、女の人は抱えていた革表紙の本を開いた。
「あ…この絵」
 二人はその本の挿し絵を見て声を上げた。天井の絵と同じように、青い空を白い翼で飛ぶ人の絵が描かれていたから。
「昔、空はこの絵のように青かったんです。
 いえ、今でも青いのですけど、その青い空は全部、灰色の雲に隠されてしまっているのです」
「それじゃあ…」
「あの、灰色の空の上には…」
 確かめる二人に、女の人はうなづいた。
「はい。
 このような青い空が広がっているのです」
 二人は、天井の絵と本の挿し絵を比べるように何回も見た。
「ねえ、お姉さん」
 やがて、レミが口を開いた。
「あたし、青い空を見て見たい。
 絵じゃなくて、本当の青い空が見たい。
 灰色の空の上に行ってみたい!」
「まあ」
 女の人は小さく笑った。そして、レミに優しく言った。
「とても難しいことですよ。鳥たちでも、あの灰色の空の上にはなかなか行けないんですから」
「あたし、がんばるもん!
 ぜったい、灰色の空の上に行くんだもん!」
 むきになって、レミは大きな声をあげた。
「教えて! どうしたら、灰色の空の上に行けるの?」
 困ったような顔をして、女の人はレミの問いに答える。
「ごめんなさい。私も、本で読んで知っているだけなんです。自分であの灰色の空の上に行ったことはないんですよ。だから、どうやって行ったらいいかは知らないんです」
「え〜っ…」
 レミはがっかりした。この人なら、空の上に行く方法を教えてくれると思っていたのに。
「けれど、鳥たちの中には、灰色の空の上まで飛べる者もいると聞きます。
 鳥たちに尋ねてみたらどうでしょう?」
「でも、鳥さんとなんて話せないよ」
「そうですね。じゃあ、これをあげましょう」
 女の人は首にかけていた飾りを外して、レミに手渡した。それは、氷のように透き通った小さな石だった。何となく、少し光っているようにも見える。
「それをかけていれば、鳥たちとも話せますよ」
「ホント?」
「ええ」
 レミの顔が喜びでいっぱいになる。
「ありがとう、お姉さん! あたし、鳥さんに聞いてくる!」
 そう言って、レミは椅子を飛び降りると、入口に向かって一目散に走り出した。
「あ、レミ…」
 シドはレミを止めようとしたけれど、レミがあんまり嬉しそうだったから、なんとなく邪魔したら悪いような気がして、そのまま黙ってしまった。
「貴方は、どうするんです?」
 そんなシドに、女の人が話しかけてくる。
「僕も…灰色の空の上に行って、青い空が見たい」
「そうですか…。どうしましょう、さっきのは一つしかないんです」
 そう言う女の人に向かって、シドは手を振った。
「あ、いいんです」
「え?」
「僕は、レミの後でいいです。だから、僕が青い空を見るより、今はレミに青い空を見せてあげたいんです。
 レミが灰色の空の上に行くのを手伝いたいんです」
「そうですか」
 女の人はシドの言葉に大きくうなづくと、立ち上がった。
「こちらへいらっしゃい。あの子のお手伝いをする方法なら、教えてあげられます」
「はい」
 シドは、歩き出した女の人の後を追った。
 
「ねえ、鳥さん!」
 レミはあの家を飛び出して、最初に見つけたスズメに話しかけた。
「ん?」
 何羽かいたスズメたちがレミの方を向く。
「へー、ボクたちの言葉がわかるなんて、珍しい人間さんだね」
 いつもはスズメたちは近づくと逃げてしまうけれど、同じ言葉が話せるおかげか、向こうの方から寄ってきてくれた。
「それで、どうしたの、人間さん? ボクらに何か用?」
「うん。あのね、あたし、あの灰色の空の上に行きたいの」
「灰色の空の上?」
 スズメたちは不思議そうな声で答えた。
「空に上なんてあるの? 空はどこまで行っても灰色じゃないの?」
「うん。あの灰色の空の上には、真っ青なホントの空があるんだよ!」
 少しはしゃいで話すレミの言葉を聞いて、スズメたちは楽しそうにレミのまわりを飛び回った。
「ボクたち、青い空なんて知らないや。けど、空が青かったら、きっととってもステキだろうね!」
「そう思うでしょ? だから、あたしに飛び方を教えて!どうしても灰色の空の上に行きたいの!」
「でも、ボクらはどうやって飛んでるのか、自分でもよくわからないんだ。ずっと小さい頃から、飛べるのが当たり前だったから…」
「え…」
「それに、もし教えられたとしても、ボクらの飛び方じゃあ灰色の空の上には行けないよ。だって、ボクらが行けないんだから…」
「そう…だよね…」
 がっかりするレミを見て、スズメたちは元気づけるように声を上げた。
「大丈夫だよ、人間さん。ボクらより高く飛べる鳥はたくさんいるよ。そういう鳥に聞いてみればいい」
「ああ、そっかあ」
 レミは立ち上がって再び走り出そうとして、スズメを振り返った。
「ねえ、どんな鳥さんに聞けばいいかな?」
「そうだねえ。トンビなんかいいと思うよ」
「そう、ありがとう! それじゃ、またね!」
 レミはお礼を言って、スズメと別れた。
 
「へえ、人間なのに青い空のこと知ってるんだ」
 尋ねられたトンビは、すこしびっくりしたように言った。
「知ってるの、青い空のこと?」
「ああ、行ったことがあるよ」
「ねえ、どうしたら行けるの?」
 トンビは、困ったように羽をつくろった。
「うーん…。あの青い空は、確かに見せてあげたいんだけどなあ…。
 スズメたちも言ってたと思うけど…俺たちは飛べるのが当たり前だからな。どうやったら飛べるか、って聞かれてもなあ」
「そんな…」
 悲しそうなレミの顔を見ないように横を向いて、トンビは続けた。
「どの鳥に聞いても、同じようなもんだと思うよ。…待てよ」
「え?」
「フクロウなら、もしかしたら知ってるかもな。俺たちがどうして飛べるのか。
 どうでもいいことよく知ってる奴だからな」
「フクロウ?」
「ああ。夕方にならないと会えないけどな。あんたみたいな子供にはつらいかな?」
「そんなことないよ! フクロウさんなら知ってるんだね、ありがとう!」
「あ、おい!」
 トンビがそれ以上何かを言う前に、レミはもう走り出していた。
 
「青い空が見たいから、飛ぶ方法を教えろ、と?」
 首をかしげて、フクロウは聞かれたことを繰り返した。
「うん」
「まあ、知らぬでもないし、教えぬでもないが。難しいよ」
「それでもいい、あたしがんばるよ!」
 レミの言葉に、フクロウはホッホッと笑った。
「そうか。では教えよう。
 まず、翼を手に入れることだ」
「翼?」
「そう。空を飛ぶには翼がいる」
 言われてみれば、あのお家の天井の絵の人や女の人が持っていた本の挿し絵の人も背中に翼を持っていた。
「でも、誰からどうやって翼をもらえばいいの?」
「君たちは私たちと違って生まれつきの翼を持っていない。だから、何かでかわりのものを作るしかないだろうな」
「かわりのものを?なにで、どうやって?」
「君が首からかけているものが、その手助けをしてくれるだろう」
「これが?」
 レミは女の人からもらった透き通った石を取り出した。
「そう。その石は直接願いをかなえることはできないが、その手伝いをする力を持っている。君が我々と話せたのもその力だ。だから、その石に願えば、君は翼を手に入れることが出来るはずだ」
 フクロウの言葉にうなづいて、レミは石を握りしめて、目を閉じた。
(これ、そんなすごい石だったんだ。あのお姉さん、どうしてそんなすごいものあたしにくれたんだろう?
…まあいいや。今は灰色の空の上に行くことを考えよう。翼をもらうことを考えよう)
 しばらく念じると、なにか背中のあたりに暖かいものを感じた。目を開いて見てみると、そこには輝くものがあった。
「光の…翼…?」
「うむ。あとは、飛ぶ練習をするだけだ。しかし、君は私たちと違って飛ぶように生まれついてはいない。さっきも言ったが、難しいよ」
「大丈夫、あたしも言ったでしょ、がんばるって! じゃあフクロウさん、ありがとう!」
「ああ、がんばりなさい」
 手を振るレミを見送り、フクロウはまた首をかしげた。
「しかし、あの子があのようなものを持っているとはな」
 そして、ホッホッと笑い、雲に隠され星も見えない夜空を見上げた。
 
「だ、大丈夫? レミ…」
 シドが青い顔をして、レミを助け起こした。
「いたたたた…。だ、大丈夫…」
 このごろ毎日、レミは飛ぶ練習をしている。翼はだいぶうまく動くようになって、すこし浮かぶことはできるようになったけれど、まだ空中でうまくバランスをとることができなくて、毎日落ちてばかりいる。
「あ、あれ見ろよ。レミとシドだ」
「ホントだ。まだ飛ぶなんてバカなこと言ってるのかな」
 そして二人は、こうやって毎日村の子供にからかわれている。それで初めて知ったのは、レミの背中の光の翼は、二人にしか見えない、ということだ。だからよけいからかわれるのだけれど。
「空が青いなんてウソついて」
「バカだよな」
「ウソなんかじゃないもん!」
 レミは立ち上がって怒鳴った。子供たちはそんなレミをバカにして笑うと、走り去っていった。
「う…」
 子供たちの姿が見えなくなると、レミはそこにぺたんと座った。そして、なんだか泣き出しそうな顔になる。
「ねえ、シド」
「ん?」
「やっぱり…ムリなのかなあ」
「レミ…」
 レミは下を向いたまま、シドの顔も見ないで言う。
「こんなに毎日練習して、怪我ばっかりして、それでもちっとも飛べなくて…」
「そんなことないよ。だんだん長い間浮いていられるようになったじゃないか」
「でも、まだまだ空には全然とどかないよ」
「しょうがないよ。フクロウさんにも、難しいって言われたんでしょう?」
「でもさあ…」
 レミは灰色の雲を見上げた。
「本当に、青い空なんてあるのかな」
「レミっ!」
 シドはレミの両肩をつかんで、強くゆさぶった。
「しっかりしろよ! そんな風に思ったら、今までせっかくがんばってきたのが何のためだかわからなくなるじゃないか!」
「でも、みんなにあんな風に言われて…」
「気にするなよ、あんなやつらの言うことなんて!」
「でも、ケガなら大丈夫だけど…みんなにいろいろ言われて、ガマンできるか自信ないよ…」
「…僕がついてる!」
 シドは、いつもの内気な様子からは考えられないほど大きな声で怒鳴った。レミがはっとなって顔を上げる。
「みんながどんなにレミの悪口言ったって、僕だけは最後までレミの味方だから! 青い空をレミが見られるまで!」
「シド…」
 レミは微笑んで、シドの胸にもたれかかった。
「がんばろう、レミ」
「うん…。ごめんね。ありがと、シド」
 そのとき、レミの頬を何かがかすめた。
(光の翼…?)
 自分の翼は今出していない。
「シド?」
「ん?」
 シドの背には何もない。
(気のせいかな?)
 じっとシドを見たレミは、ふと、気がついた。
「ねえ。どうしたの、そんなにケガだらけで」
 シドが、ちょうど今のレミのように全身ケガだらけだということに。
「え?ああ、ちょっとね。階段から落ちたんだ」
「ふうん?」
 
 レミはそれから根気強く飛ぶ練習を続けた。くじけそうになることも何度もあったけど、シドにはげまされたり、またあの天井の絵を見に行ったりして、やる気をまたふるいおこした。
 レミはどんどん飛ぶことになれて、今ではもう鳥と同じように空を飛べるようになった。
 そして、いよいよその日がやってきた。
 灰色の空の上にいどむ日が。
「それじゃあ、シド…」
「うん。がんばってね。空の上の話、僕にあとで聞かせてよ」
「もちろん!」
 レミとシドは互いの顔を見つめあった。
 レミは、最近は失敗して落ちることもなくなったからケガもしなくなったが、その顔は古傷だらけだ。
 そしてなぜか、シドの顔も同じような古傷ばかりだった。
「ねえ、シド。どうしてそんなに傷だらけなの?まるであたしと一緒に飛ぶ練習したみたいじゃない」
「え? ああ、はは…なんでもないよ」
「んー…。気になるなあ…」
「…しょうがないなあ…。青い空の話の代わりに、後で教えてあげるから」
「ホント? よーし、がんばるぞー」
 レミはシドに笑いかけると、表情を引き締めた。
「じゃあ、あたし、行ってくる」
 そして、光の翼を広げる。最初の頃とは比べものにならないほど、大きく力強くなった翼を。
 その翼がはばたくと、レミの体はふわりと浮いた。
 シドはだまって、それを見送った。
 
 レミはまっすぐ上へと飛んでいった。
「あれ? あのときの人間さんじゃないか」
 青い空を目指して舞い上がっていくと、聞き覚えのある声がした。
「あ、スズメさん」
 それは、あのお家を出て最初に空を飛ぶ方法を聞いたスズメたちだった。
「すごいじゃない。飛べるようになったんだね」
「うん。だいぶ失敗したけどね」
「鳥のボクらよりも高くまで行くんだね。がんばってね。青い空を見られたら、ボクらにも話してね」
「もちろん。シドに話したら、スズメさんたちにもちゃんとお話しするよ」
「ありがとう。ボクらはもうこれより高く飛べないから降りるけど…きっと、灰色の空の上に行ってね」
「うん!」
 レミをはげますように回りを何度かくるくる回ったスズメたちは、別れを告げて下に降りていった。
「やあ、久しぶりだな」
 そんなレミに、さらに上から誰かが話しかけてきた。
 見上げると、ずっと上で何かが、笛のような高い声で鳴きながら円を描いて飛んでいた。
「トンビさん」
「スズメたちよりは高くまで飛べるようになったんだな。それに、その光の翼、立派じゃないか。それならきっと俺たちよりも上まで飛べるよ」
 トンビの言葉通り、レミはすぐにトンビの高さまでたどり着いた。
「へへ、ありがとう」
「フクロウもがんばれって言ってたよ。あいつは夜にならないと飛ばないけどね」
 レミの回りで円を描いて、トンビが言う。
「大したものだけど、気をつけろよ。灰色の空の中は風がとても強いんだ。ここよりずっと飛ぶのが難しいからな」
「うん、気をつけるよ。ありがとう」
 トンビに礼を言って、レミはさらに上を目指した。
 
「うわ…!」
 すぐにレミは、天井のように立ちふさがる灰色のかたまりに突き当たった。
「灰色の…空…」
 レミは息をのんだが、この上に行かないと青い空は見られない。
「よおーし…」
 レミは目を閉じて、灰色のかたまりに突っ込んだ。
「わわわ!」
 トンビの言うとおりだった。
 ものすごい強さの風が、しかもあっちこっちから吹いてくる。今のレミは風に逆らって飛ぶことくらい出来るけれど、どっちから吹いてくるかわからなければ逆らうこともできない。
 それでも、しばらくレミは飛び続けた。
「うう…負けない…もん!」
 力をふりしぼって、レミは上へ昇ろうとした。けれど、いくら羽ばたいてもちっとも上へ進まない。がんばって翼を広げれば広げるほど、風にあおられてバランスを崩してしまう。
 そして、とうとうレミは風の流れにはじきとばされてしまった。
「わ…わああぁー!」
 落ち始めたせいであせったレミの背から、翼が消える。
「!」
 トンビが落ちていくレミを見つけ、慌てて後を追う。すぐに追いついたけれど、トンビの力ではどうしようもない。
「どうしたの、トンビさん、人間さん!」
「スズメか! 大変だ、この人間気を失ったらしい!」
「ええ! どうしよう、ねえ起きて、起きてよ!」
 スズメがレミの耳元で叫んだけれど、レミはまったく動かない。
「ああ…」
 
「ん…」
 レミはうっすらと目を開けた。
「レミ、だいじょうぶ?」
 最初に目に入ったのは、心配そうなシドの顔だった。
「シド…? それじゃあ、あたし地面まで?」
「ううん」
「ふう。心配させる人間だな」
「よかった、人間さん」
 スズメとトンビがレミのそばを飛んでいる。
「え…」
 辺りを見回したレミは、自分がまだ飛んでいることに気づいた。
「どうして…? ああ!」
 レミは、自分を抱きかかえているシドをよく見て、なぜ自分がまだ飛んでいるかに気づいた。
 シドの背にあったのは、レミと同じような光の翼。
「シ…シド、どうして…」
「僕もね、飛ぶ練習、してたんだ。
 レミを助けたかったから」
「でも…この石もないのに、どうして光の翼が…」
 尋ねるレミに、シドは懐から黒い石を取り出した。
「あのお姉さんからもらったんだ。
 持ち主自身の願いはかなえられないけど、持ち主が他の人を助ける手伝いをしてくれるんだって。だから、僕は青い空を見られないけど、レミが青い空を見るためならこの石はこうして力を貸してくれるんだ」
 そこでいったん言葉を切って、シドは暗い顔で続けた。
「でも、僕はこの石に頼りたくなかった。レミががんばろうとしているところに、余計な手出しをしたくなかったんだ。だから、飛ぶ練習をしていたのもないしょにしてたんだ。ごめん」
「ううん」
 レミは小さく首をふった。
「シドがいてくれなかったら、あたしとっくにあきらめてたよ。今も、失敗しておっこちて…とっても恐かったの。シドがこうして支えてくれて、すごくほっとしてるんだから。余計な手出しなんかじゃないよ、あたし、シドがいてくれなかったら、灰色の空の上になんて行けないと思う」
「…ありがとう、レミ。
 それじゃあ、僕にも手伝わせてくれる?」
「もちろん。お願い」
「よし、じゃあ、光の翼を出して」
 シドに言われるまま、レミは翼を広げた。シドはそのレミの後ろに回る。
 レミは、自分の体が急に軽くなったのを感じた。
「シド?」
 何をしたんだろうと振り向くと、シドは羽毛のようにふわふわと降りて行くところだった。そのシドを追おうとして、レミは翼の変化に気づいた。
「光の翼が…四枚になってる…」
「僕の翼を使って。それならきっと、灰色の空を越えられる。僕はこうやって下まで降りるから、心配しないで。あとで、話を聞かせてね」
「うん!ありがとう!ありがとうシド!」
 レミとシドは手を振りあった。そしてレミは上へ、シドは下へ向かう。
「よーし、今度こそ行くぞー!」
 
 レミは再び灰色のかたまりにいどんだ。
 あいかわらず強い風があっちこっちから吹いていた。けれど、四枚の翼はその風にも負けはしなかった。
 力強くはばたくあと二枚の翼…シドの翼を、レミは本当に心強く思った。
 そして、ついに、レミは灰色のかたまりを突き抜けた。
「灰色の空の…上…」
 とたんに、強い光がレミを照らし出す。
「わあ…!」
 あのお家の天井の絵や本の挿し絵よりもずっとずっと澄んだ青。下から見た灰色と同じものとは思えない、真っ白な汚れのない綿のようなふわふわしたものが一面に広がっている。そして、今までに見たこともないような強い光のかたまりが、青い青い空に輝いていた。
「太陽って…太陽ってこんなに明るかったんだ…」
 レミにとって太陽とは、厚い灰色の向こうで薄ぼんやりと光るものでしかなかった。本当は、こんなに力強く輝くものだったのか。
 しっかりと、しっかりと見ておこう。
 ちゃんとシドに伝えられるように。
 そうだ、シドがいたからここまで来られた。
 シドがいてくれなかったら、灰色の空の上に来る事なんてできなかった。
 だから、この景色の全てを出来る限りシドに伝えよう。
 そして、今度は絶対に、シドと一緒にここまで来よう。
 できたら、この景色を、どうにかしてみんなにも見せてあげたい。
 あたしと、シドとで!
 レミはそう思うと、もう一度しっかりと回りの光景を目に焼き付けた。
 そして、身をひるがえして、下へと降りていった。
 
 すぐに地面が見えてきた。
 スズメさんがいて、トンビさんがいて、フクロウさんもいて、あのお姉さんがいて…
 そして、シドがいた。
「ただいま、シド!」
 レミはシドに飛びつく。そして、顔中を喜びでいっぱいにして、
「あたし、あたし、灰色の空の上に行けたよ! 青い空を見られたよ! ホントに空は青かったんだよ!」
 と、告げた。
「おめでとう! ホントにおめでとう、レミ!」
 シドは降りてきたレミをしっかり支えて、自分もレミと同じように顔中を喜びでいっぱいにした。
「とってもステキだった。だからね」
 レミはまっすぐにシドを見つめて、言った。
「今度はぜったいに二人で行きたい! シドと二人で!」
「ああ! 今度は一緒に行こう、レミ!」
 しっかりと抱き合った二人を光の翼が包む。
 翼の光はやがてまっすぐに空をさした。
 まるで、灰色の雲に切れ間ができて、明るい日の光が二人の上に降り注いでいるようだった。
 
                           <おしまい>
 
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