新月
 
 静かな夜だった。
 虫の声も鳥の声も、そして人の声も聞こえない。
 夜空はどんよりと曇っている。
 ときおり雲間からのぞく月は、満月を過ぎて欠けかけている。
「シスター…どこまで行ったのかな」
 ショートヘアで活発そうな少女が、暗闇の向こうを見つめながらつぶやく。
「シスターなら心配要りませんよ。さあ、中に入りましょう。夜風に当たってお風邪を召したりしては大変です」
 おさげ髪の、おっとりとした雰囲気を持った少女が、ショートの肩に手を乗せ、言った。
「うん…」
 ショートはうなづくと、振り向いて、あちらこちらに修繕の跡が見られる石造りの大きな建物に、おさげと一緒に入っていった。
 
 サアアアアア…
「あ…降ってきた…」
 ショートが窓から外を見ながら言う。
「まあ…」
「ボク、シスターを迎えに行くよ。シスター、傘も持っていかなかったもん」
「やめなさい。シスターがどこに行ったのかもわからないのに、無闇に出ていったら迷子になるだけよ。かえってシスターに迷惑をかけることになるわ」
 それまで黙っていた三人目の少女…ロングヘアで、少し冷たい感じを受ける…が、その外見を裏切らぬ冷たい口調でショートをいさめた。
「シスターが心配じゃないのか!?」
「心配よ。ただ、だからってあたしたちに何かできるわけじゃないって言いたいだけ」
 ロングが表情一つ変えずに言ってのける。
「喧嘩はおやめになって下さいな二人とも。心配なさらなくても、ほら、お帰りになりましたよ」
 おさげに言われ、ショートとロングも窓の外を見た。
 そこには、雨に濡れた、尼僧服の女性が立っていた。
 そして、その尼僧服の陰には、三人が見たこともない少女が、女性に連れられていた。
「まあ…新しい友達ですね」
 
 この三人は、別に姉妹というわけではない。
 三人とも、いろんな理由で身寄りをなくした孤児なのである。
 そんな三人を引き取って育ててくれているのが、今は三人にシスターと呼ばれているあの尼僧服の女性だ。
 三人はほぼ同時にシスターに引き取られたが、どうやら新たに四人目が来たらしい。
 歳の頃は三人と大差ないだろう。栗色の髪をポニーテールにまとめており、ボロボロになってはいるが白いワンピースを着ている。汚れているが肌は白く、その茶色の瞳は窓越しに三人を見つめている。
 まず最初に動いたのはショートだった。
「お帰りなさいシスター!」
「ただいま。遅くなってごめんなさいね」
「ねえシスター、その子は?」
 シスターが答える前に、その子自身が口を開き、朔月(さくつき)と名乗る。
「朔月…さっちゃんって呼んでいいよね!ボクは茅、よろしくね!」
 そういってショート…かやは満面に笑みをたたえ、右手を差し出した。朔月も微笑んで、その手を握る。
「初めまして、わたしは合歓と申します。これからよろしくお願いしますね」
 あとからついてきたおさげ…ねむが、そこに手を重ねて微笑みかけた。
「あたしは苦参。仲良くしましょうね」
 つい先程まで冷たかったロング…くららも、表情を和らげて握手に加わる。
「南の廃墟に一人でいたのよ。仲良くしてあげてね」
 シスターが三人に言う。
「さあ、中に入りましょう。すぐお食事にしますからね」
「わあい! ボクもうお腹ぺこぺこ」
「みっともないわね。子供じゃあるまいし」
「いいじゃありませんか。わたくしもシスターのお食事は大好きですし、お腹も空きましたもの、かやさんの気持ちもよくわかります」
「まあ、そうだけどね」
 くららは苦笑する。自分だって空腹であり、食事と聞いて嬉しいことには変わりないのだ。
 そして、三人とシスター、そして朔月は一緒にテーブルを囲んだ。
 朔月が皆にとけ込むのに、それほど時間はかからなかった。
 
 次の日から朔月の新たな生活が始まった。
「おはよう! さっちゃん、家と周りを案内してあげる!」
 そう言って、かやが朔月の部屋に飛び込んできたのは、まだ太陽が東の稜線からそれほど離れていないような時間だった。
 元気のいい声で目が覚めて、眠い目をこすりつつ朔月が身を起こすと、そこには半袖とショートパンツといういかにも動きやすそうな、そしてとても彼女らしい服に身を包んだかやが、満面に笑みをたたえて立っていた。
「何よ、こんな朝早くから…」
 隣の部屋のくららが、パジャマ姿のまま文句をつけにやってくる。
「せっかくさっちゃんもここで暮らすことになったんだ。寝てるなんて時間がもったいないよ!」
「言われてみればそうですね」
 いつの間に来たのか、ねむがかやの後ろでぽん、と手を打って賛同の意をあらわした。ねむもくららと同様パジャマ姿だったが、かやを責めるつもりはないらしい。
「ねえ、くららさん。一緒に行きましょう。ほら」
 言って、窓の外を示す。
「昨日の雨が嘘のよう」
「わあ…」
 くららの顔から眠気が吹き飛ぶ。文句の付けようがない晴天だった。
「わかったわ。着替えてくる」
「わたしも。少しお待ち下さいね」
「うん。じゃあさっちゃん、その間に建物の中見て回ろう」
 朔月は少し困った顔をした。思いきり恐縮がりながら、自分も着替えたいと告げる。
「大丈夫。ねむちゃんはともかく、くららちゃんは用意が長いから」
 そう言って、かやは再びにっこり笑った。
 
 もともとは教会…いや、修道院か何かだったのだろう。四人で住んでいたにしては、いや、これから朔月もあわせて五人で住むとしても、やたらと広すぎる建物だ。
 西洋風の石造りで、窓のないところは昼でも薄暗い。これで人が住んでいなかったら立派に幽霊屋敷といったような、少し不気味な雰囲気も漂っている。
 各々の部屋はもちろんあるが、食事は広い食堂でみんな一緒にとる。トイレとお風呂は共同。お風呂は昔はボイラーで沸いたらしいが、今では石油燃料が手に入らないため、薪で沸かすように作り替えてある。かやによると、外で薪を焚いている人は大変だが、中で入っているぶんには広くてとても気持ちがいいのだそうだ。
 朔月も含めた子供達四人が一カ所に、そしてシスターだけが少しはなれた、火の元に近い部屋で暮らしている。
「住み心地は悪くないけど、やっぱり家の中にいてもあんまり面白いことはないと思うな、ボクは。外の方がずっと面白いんだよ。いいところに建ってるんだ」
 かやは、建物の案内をそういって締めくくった。
「お待たせしました」
 ちょうどそのとき、ねむが現れた。
「くららちゃんは?」
「まだのようですね」
「まったく…いつも何してるんだろう?」
「まあまあ。くららさんはおしゃれな方ですからね。見ていていつもきれいじゃないですか」
「まあ…それは、そうだけど…」
 そんな具合でうわさ話をしていると、ようやくくららが姿を現す。
「ごめんなさい、待った?」
「遅いよくららちゃん」
 かやが唇をとんがらせて抗議する。
「何よ。少しくらいおしゃれに気を使ったっていいじゃないの」
 またいつものように喧嘩になりかけるところを、これまたいつものようにねむがまとめる。
「お二人とも、今は言い合いなんてなさらないで、朔月さんをいろいろ案内してさしあげないと」
「あ、そうだね」
 三人が見ると、朔月はきょとんとした表情をしていたが、すぐににっこりと微笑んで、小さく頭を下げた。
 
 建物は、小高い丘の中腹に建っていた。
 すぐ前の庭には畑があり、いろんな作物が育っている。ねむがここで主に働いているということだ。
「今年はあまり育ちがよくないのですけれど…大丈夫、皆が食べる分には充分です。もちろん、朔月さんの分もね」
 とは、ねむの談。
 そして、建物のすぐ横には大きな湖があり、建物の水源になっていた。また、この湖には魚も多くいて、くららが仕掛けを作ってよく捕まえるのだそうだ。
「もちろん、あんまりいっぱいは取れないわ。取り尽くすわけにもいかないからね」
 と、くららは苦笑いしながら言う。
 その湖に流れ込む小川があり、その上流には森があった。燃料となる薪はここで集めるらしい。
「動物も少しいるんだよ。たまに、ボクが捕るんだ。…たまに、だけどね」
 少し寂しそうにかやが言う。くららが捕るという魚もそうだが、近頃はめっきり動物も少なくなった。乱獲は、自分たちにすぐ跳ね返ってくるのだ。そういった実利的な理由だけでなく、獣のいない森や、魚のいない湖というのは、どこか寂しさを感じる。
 建物の周りはそれでもこのように平和でのどかな雰囲気だが、この丘を降りて旧市街地に出ると、見るも無惨な廃墟が広がっている。それはどこへ行っても同じように見られる光景だ。
 かやもくららもねむも、そして朔月も、その廃墟からシスターが勝手にここに連れてきたのであるが、誰からも文句を付けれられたりはしない。
 そんなご時世なのだ。
「いいところでしょう?」
 一通り周囲を見て回って、ねむが朔月にそう語りかけてきた。
「あたしたちって、幸せよね」
 湖のほとりで水面を見つめながら、くららがつぶやく。
「子供なんて、いくら死んでもおかしくないのに、シスターに拾ってもらって。くららちゃんやねむちゃんや、さっちゃんみたいな仲間もいる」
 かやが三人を順に見回しながらそう言った。
「これから、辛いこともあるかもしれないけど、みんなで力を合わせて生きていこう」
 微笑むかやを見て、朔月は、私は安住の地を見つけたのかもしれない、と、思った。
 
 指がキーボードの上を駆け抜けた。それに従って、暗い部屋の中で唯一輝いているディスプレイに文字が並べられていく。
 そこには、四人の名と、月齢が書き記されていた。
 指がいったん止まり、再び動く。
『観察開始』…。
 
「ねむさん、朔月さん」
 ある日のこと。
 シスターが、二人を呼んで言った。
「薪拾いをお願いしたいの」
「はい、わかりました」
 ねむが微笑んで応じる。
「朔月さんはまだこのあたりに不案内だから、よろしくお願いね」
「はい。一緒に行きましょう、朔月さん」
 ねむが渡してくれた篭を受け取りながら、朔月も微笑んで、うなづいた。
 
「暑いですね」
 額の汗を拭いながら、ねむが言う。朔月ももう汗びっしょりだ。
 でも、朔月は弱音を吐かなかった。ねむの方がよっぽど働いていたからだ。
 とにかく手際が違う。よっぽど手慣れているのだろう。ねむが働き者であることが、容易に見て取れた。
 そういえば、ねむにはくららと違って容姿に気を配っている様子がない。服装はいつも洗いざらしのシャツにジーンズというきわめてシンプルなものだし、髪は後ろでおさげにしているだけで、所々傷んでいる。
 純朴を絵に描いたような少女。それがねむだ。
「疲れました? 休みましょうか?」
 じっと自分を見ている朔月に気付いたねむが、優しく言った。朔月は、まさかねむに見とれていたとも言えず、大丈夫、と短く告げると、またせっせと薪を拾い始めた。
 にっこり笑って、自分も再び薪拾いに戻るねむ。
 本当に優しい人だと、朔月は思った。
 そして、夢にも思わなかった。
 そのねむがあんなことになるなどとは。
 それがあのような惨劇の幕開けになるとは。
 
 夕方。
 薪を集めて帰ってきて、朔月と一緒に水くみも終えると、ねむは疲れはてている朔月に微笑みかけた。
「お風呂を沸かしましょう。汗でびしょびしょになってしまったでしょう?先にお入りになって下さい」
 言われて、朔月は力一杯遠慮した。何しろ、結局同じ時間をかけて自分はねむの半分くらいしか集められなかったのだ。
「慣れない仕事をなさって大変だったのですもの。遠慮は要りませんからゆっくりなさってください」
 まだ遠慮している朔月を見て、ねむはくすっ、と笑うと、
「じゃあ、一緒に入りましょうか」
 と、朔月を誘った。
「うん!」
 朔月はにっこり笑って、頷いた。
 
「ねえ、くららちゃん」
 広間でくつろいでいたかやが、一緒にいたくららに話しかけた。
「ん?」
「ねむちゃんとさっちゃん…やけにお風呂長くない?」
「薪拾いで疲れて、ゆっくりしてるんでしょう」
 本を読んでいたくららは、顔もあげずにそう答えた。
「それにしたって長すぎるよ」
「何よ。入りたいの?」
「そういうわけじゃないけど…」
 いったんは黙ったかやだったが、何か言い様のない不安が抑えきれず、立ち上がる。
「そんなに気になるの?」
「だって、お風呂に入ったのまだ陽が沈む前だよ。もう真っ暗じゃないか」
「そういえばそうね」
 本を読み続けるためにランプに灯を点けたのは、確かに二人がお風呂に入ってからだった。
「ボク、見てくるよ」
「うん」
 かやの言葉にこたえ、くららも本を閉じた。
 
 暗くなった廊下を歩いていく。だんだんお風呂場に近づいていくが、二人がいるはずのそこからは、話し声はおろか物音一つ聞こえてこない。
「ねむちゃん、さっちゃん? どうかしたの?」
 扉の前で呼びかけてみるが、返事はない。
「ねむちゃん、さっちゃん?」
 もう一度呼んでみても同じだった。
「…入るよ」
 心配になり、かやは扉を開けた。
 辺りは暗いというのに、ランプもつけていない。
 むっとこもった湯気に、生臭いようなにおいを感じる。
「?」
 窓からの、細い月の明かりに浮かび上がった室内の様子が、闇に目が慣れるに従って徐々に把握できるようになってくる。
 湯船には、ぐったりとした朔月がいる。そして、ねむが湯船に上半身を突っ込んだ状態で、これもぐったりしている。
「どうしたの、二人とも!」
 驚いたかやは、まず、ねむを湯船から出さなくてはと思った。
 湯船に近づくと、生臭さが増す。しかし、そんなことにかまってはいられなかった。ねむの腰を抱え、引っ張る。
「!」
 かやの動きが止まった。
 その目が大きく見開かれる。
 信じられないものがそこにはあった。
 ざぷッ、という小さな音とともに引き出されたねむの身体には、
 上半身がなかったのだ。
 
「うわあぁあーっ!!」
 風呂場から、かやの絶叫が建物じゅうに響きわたった。
「どうしたの、かや!?」
 くららがあわてて駆け込んでくる。
 彼女が持ってきたランプが、風呂場の様子を照らし出した。
 湯船は真っ赤に染まっており、乳白色ともピンク色ともしれない何かが所々に浮いている。
 洗い場に座り込んでいるかやと、そして、その前に転がっている人間の下半身を見て、その何かが臓器と肉片であるということを悟ったくららは、その場にうずくまる。
「ううぅ…ぐぅえ…っ」
 そして、耐えきれずに胃の中身をぶちまけた。そんなくららの様子で、かやが我に返る。
「そうだ…さっちゃんは!」
 朔月の身体に手をかける。これで、彼女が上半身だけだったら…と思うと、蒸し暑い風呂場の中であるにもかかわらず、かやの背筋が寒くなった。
「さ…さっちゃん…?」
 意識はないようだったが、幸いにして朔月は生きていた。手と首のあたりに細かい傷が付いているが、おおむね無事なようだ。
 ごぱッ。
 朔月の身体を動かしたとたん、湯船から大きなモノが浮かび上がってくる。
 ねむの上半身だった。うつろな、もはやなにも映していない瞳が、まっすぐにかやを見る。
「ひッ」
 短く悲鳴を上げたが、かやは目をそらさなかった。
 大切な友達の変わり果てた姿に、涙があふれてきた。
「どうして…こんなことに…。どうして…!」
 
 ねむは、臍の上あたりから、ねじ切られたか引きちぎられたかして、真っ二つにされていた。腹腔の中身が、湯船じゅうに散らばっていた。表情は苦悶に歪んでおり、いつものおだやかなねむは、想像もつかなかった。
 かやもくららも何もできなかった。
 シスターが駆けつけ、二人をそれぞれの部屋に連れていった。その後シスターは、朔月の看病をし、ねむの亡骸をきちんと整えた。
 かやとくららが次にねむを見たとき、すでに彼女はいつものようなおだやかな表情に戻っていた。
 ただし、その顔色は真っ青で、そしてその表情が少しでも変わることは、もう二度とないのだが。
 
 次の日、かやとくららとシスターで、ねむのお葬式をした。朔月はまだ意識が戻らなかった。
 シスターが掘っておいてくれた穴にねむの棺を収め、一すくいずつ土をかぶせてゆく。
 くららは声を上げて泣いていた。かやは唇をかみしめ、声を殺していたものの、瞳からはとめどもなく涙があふれていた。
 そしてシスターは、終始感情が欠落したかのような無表情のままだった。
 
「一体誰があんなことを…」
 かやは一人になると、気を落ちつかせて考えてみた。
 まず第一に考えられるのは朔月だ。一緒にいて、しかも自分は助かっている。
 しかし、人間の胴体を引きちぎるなど、大の大人でもできるものではない。ねむの断末魔が聞こえなかった以上、あれは一瞬で行われたことだろう。朔月にできるとは思えない。それに、朔月がやったのなら、理由はどうあれ自分まで昏睡に陥る必要はないはずだ。
 では、何かが侵入したのか。いや、風呂場には外から入られた形跡はなかった。それに、もし何かが侵入したというのなら、ねむを殺して朔月を昏睡させ、それだけで帰ったということになる。燃料も水も食糧も奪わずにだ。
 もしかしたら何かの獣か。ねむを食べて満腹になったので、朔月には手を出さずに去ったのかもしれない。それほどねむの亡骸を念入りに調べたわけでもないので何とも言えないが。
 結局の所はっきりしているのはただ一点だけだ。
 ここも安住の地ではない。
 正体の分からない危険に備えればならないのだ、ということである。
 
「シスター、あたしたちどうしたらいいんですか?」
 くららが不安気に、シスターに尋ねる。
「決まってるじゃないか」
 シスターが答える前に、かやが口を開いた。
「自分の身は自分で守る。それと、ねむちゃんをあんな目にあわせた奴をつきとめるんだ」
「あなたねえ」
 くららが目尻をつりあげた。
「自分の身は自分で守るなんて格好いいこと偉そうに言ってるけど、本当にそんなことできると思ってるの? ねむが、声を上げる暇もなくあんな風になっちゃうくらいなのよ? あたしたちが少しくらい気をつけたってどうしようもあるわけないじゃない!
 それに何? ねむをあんな目にあわせた奴をつきとめる? 寝言は寝てる時に言ってよ。つきとめてどうしようって言うの?ねむの二の舞になるのがオチよ。あたしはいやだからね、自分からすすんで死にに行くのなんて!」
 一気にまくしたてる。聞くに連れ、かやの顔が怒りで赤くなっていった。
「くららちゃんは何とも思わないの? ねむちゃんは、ずっと一緒に暮らしてきた大切な友達…ううん、お姉ちゃんなんだよ!それがあんなことになって…。くららちゃんは何とも思わないの?
 それに、相手はボクたちが気付かないうちに入ってきて、あんな事をしていったんだよ。守りに回ったら、不意をつかれてそれこそねむちゃんの二の舞になるよ!
 そんなこともわからないなんて…いくじなし!弱虫!」
「なんですって…! あんたみたいに無鉄砲なバカよりは、弱虫の方がよっぽど上等よ!」
「二人とも!」
 シスターが一喝した。かやもくららもぴたりと口げんかをやめる。
「ボク…さっちゃん見てくる」
「部屋に戻るわ」
 ばつが悪くなった二人は、顔を合わせているのが嫌になり、それぞれ広間を後にした。
 
「さっちゃん…」
 朔月が無事で本当によかったと、かやは思った。
 ずっと昔から一緒にいたねむを亡くし、これでせっかく新しく仲間になった朔月まで失ったのでは、哀しくて哀しくてとてもやりきれない。
 そのとき。
「さっちゃん?」
 ぴくりと動いた朔月を見て、かやの顔にしばらく失われていた微笑みが浮かぶ。
 うっすらと、朔月が目を開く。
「さっちゃん、もう大丈夫? 大丈夫なんだね! よかった、本当に!」
 いきなりがばっと抱きついてきたかやに困惑し、朔月はあわてて状況を尋ねた。
 とたんに、再びかやの表情が曇る。あの辛い出来事を、もう一度口に出して確認しなくてはならないのだ。しかし、どうやら朔月はまるで状況がわかっていないようである。誰かが説明してあげなくてはならない。嫌な役だが、それを他の人に押しつけるのはもっと嫌だった。
 話を聞いた朔月は、しばらく茫然としていたが、やがてしくしくとすすり泣きを始めた。
「ねえ…さっちゃん。何か、気付いた事ってないかな…?」
 と尋ねてみても、朔月はただ首を振るばかり。
 仕方のないことかもしれない、とかやは思った。
 意識を失っていた朔月が、何も知らない可能性だって大きい。
 それにもし何かを知っていたなら、それを思い出して話すということは、今かやが朔月に状況を説明したのよりももっと嫌な思いをしなければならないことだろう。
 諦めて、かやは、いくつか言葉を朔月にかけると、その場を後にした。自分も一人で泣いたのだ。朔月にも、一人で泣く時間がいるだろう。
 
「ねえさっちゃん、くららちゃん。森へ行こう」
 朔月が普通に動き回れるようになると、かやはそう言い出した。
「何しに?」
 くららがすぐに聞き返す。
「武器、作るんだ」
「武器? 竹槍でも作るの?」
 森の近くには竹林もある。くららはそのことを言っているのだ。
「まあね。確かにくららちゃんの言うとおり、ボクたちには何もできないかもしれないけど、だからって何もしないでいることはないだろう?」
「まあ、それはそうね」
 珍しく、くららがかやの言ったことを肯定する。
「でも、あたしはだめ。シスターにお手伝いを頼まれてるの」
「お手伝い?」
「…畑の世話よ」
「あ…」
 ねむがいなくなってしばらくの間、畑は放っておかれていたのだ。誰かがかわりにやらなければならない。
「そういうわけだから」
「うん。さっちゃんは行く?」
 朔月は、さえない表情でこくん、とうなづいた。
 
 森に着くと、朔月の瞳から再び涙がこぼれ始める。
「ど…どうしたの?」
 尋ねたが、かやはすぐに、あの日朔月はねむと一緒にここに薪拾いに来ていたということを思い出した。
 ねむのことを思い出したのだろう。
「さっちゃん」
 心配そうに自分を見つめるかやに気付いて、朔月は涙を拭い、無理をして微笑んでみせる。かやも、それが無理をしている姿だとはわかったが、それ以上は何も言わなかった。
 
「竹槍と棍棒くらいしかできなかった」
 帰ってきたかやは、くららにそう告げた。
「格好よくないわね」
「しかたないじゃないか、武器なんてこれくらいしかないよ」
「廃墟に行けば銃の一つくらい見つかるんじゃない?」
「かもしれないけど…銃なんて使いこなせないよ」
「竹槍や棍棒だって使いこなせやしないわよ。いいわ、あたし廃墟に行って来る」
「もう遅いよ、明日にしよう」
「あんなことが、いつ起こるかわからないのよ。のんびりしてる暇なんてないわ」
「いつ起こるかわからないから、ばらばらになっちゃいけないんじゃないか」
 反論するかやを、くららは鼻先で笑い飛ばす。
「暗い廃墟が恐いの? いくじなしはどっちよ」
「なんだって…」
 二人の間にまたも不穏な空気がたちこめる。おろおろしながらそれを見ていた朔月は、あらためて、こんなときに二人の仲裁をしていたねむの存在の大きさを知ったのだった。
「あたしは行くわよ。そんなものじゃ何の役にも立たないかもしれない。銃なら、引き金さえ引けば誰が撃っても威力は同じなんだから」
「でも、あるとは限らない」
「ないとも限らないわ。生き残れる可能性が増えるならあたしはそっちにかける」
「一人で出ていったら、生き残れない可能性も増えるよ」
「ここにいたって安全じゃないわ! あたしは行く!」
「…勝手にしなよ、意地っぱり!」
 二人とも、判断力を失ってる。
 見ていた朔月はそう思った。
 あんなことがあって、こんな小さな少女たちに、冷静な判断力を保てと言う方が無茶なのかもしれないが。
 そんなことを考えているうちに、くららはとっとと一人で出ていってしまった。
「私も行きます」
 朔月が立ち上がる。
「放っておきなよ」
 かやが言うが、朔月は、放っておけなかった。くららの後を追い、廃墟へ駆け出していく。
 もう辺りは暗く、細くて白い月が昇り始めていた。
 
 そして、次の朝になっても、二人は帰ってこなかった。
「シスター!」
 一晩中眠れなかったかやが、夜明けを待って悲痛な声でシスターに訴える。本当は真夜中であっても飛び出していきたかったのだが、シスターに、夜中に出ていくのは危険と言われ、じっと待っていたのだ。それに、自分がいるせいでシスターも探しに出かけられないとわかっていたので、かやは責任を感じてもいた。
「そうですね、探しに行きましょう」
 まだ朝もやの煙る中、二人は廃墟へと降りていった。
 コンクリートのガレキや、曲った鉄骨。無機質の森のようにも見える廃墟。
「さっちゃーん! くららちゃーん!」
 呼んでみても返事はない。
「朔月さん! くららさん!」
 シスターも、必死に呼びかけていた。
「手分けして探しましょう。何かあったら大声で呼ぶんですよ」
「はい」
 シスターに言われ、かやは一人で進んでいった。
「さっちゃん! くららちゃん!」
 大きなコンクリートの塊が転がっている。それを避け、さらに進もうとしたとき、かやの歩みが止まった。
 ふたりが、そこにいた。
 ただ、その様子は明らかに異常であった。
 枯れ木のように突き出した鉄骨の上にくららが変な格好でいる。そして、その根元の方に朔月が座っているのだ。
 そして、朔月は全身血塗れだった。
「!」
 反射的に、かやは駆け出していた。
「さっちゃん! さっちゃん!」
 ゆさぶるが、反応はない。
「くららちゃ…」
 見上げたかやの眉間に、
 ぴちゃッ。
 何かが落ちてきた。
 拭った手が真っ赤に染まる。
「血!」
 その異常さに気付き、くららをよく見て、かやは恐ろしいことに気付いた。
 くららは、口から股まで、鉄骨に刺し貫かれていたのだ。
 もう体の中に血はほとんどないのだろう。弱々しい滴りが、再びかやの顔を打つ。
「ひっ…う…うわあああぁぁぁーっ!!」
 
 錯乱していたかやと、意識のない朔月、そして、変わり果てたくららは、悲鳴を聞いて駆けつけたシスターに連れて帰ってもらった。
 気丈なかやも、さすがに今回ばかりはなかなか立ち直れなかった。
 くららも、死んでしまった。殺されてしまったのだ。
 哀しくて、悔しくて、腹立たしくて…そして、恐ろしくて。
 次はボクだ…。
 次は、ボクの番だ…。
 ざく…ざく…。
 窓の外から音が聞こえてきた。
 シスターが穴を掘っている。
 くららの墓穴を。
 まだ真新しいねむの墓標の隣に、掘っている。
 三つ目の…自分のための墓穴も、すぐに掘られるのだろうか。
 嫌だ。
 そんなのは、絶対に嫌だ。
 なんとかしないと。
 ああなる前に、なんとかしないと…!
 シスターが穴を掘り終えて、くららをその中に収め、埋めたころ、辺りはもう真っ暗になっていた。
 細い細い、新月寸前の月が、まるでその有り様を、目を細めて眺めているようにも見えた。
 
「さっちゃん」
 朔月が眠っている部屋に、かやは乗り込んだ。
 朔月は黙ったまま。まだ、意識を取り戻していないのだ。
「さっちゃん」
 それでもなお、かやは彼女の名を呼び続ける。
「起きるんだ、さっちゃん!」
 がくがくと、眠ったままの朔月を揺さぶる。終いには頬を叩き始めた。
 それが功を奏したのか、朔月はうっすらと目を開けた。
「…君は何者なんだ」
 朔月が状況を把握するより早く、かやは話を切りだした。
「君が来てからここの生活は滅茶苦茶だ。それに、ねむちゃんのときも、くららちゃんのときも、君は一緒にいた」
 何を言われているのか理解できず、朔月は戸惑う。
「二人が死んだ後、君は決まってこうやって意識を失っていた。まるで自分も被害者だって言わんばかりに!」
 かやの言いたいことがようやくわかり、朔月は目を見開く。
「どうやったかは知らないけど…ねむちゃんとくららちゃんをあんなにしたのは、君だろ!」
「そんな! 私…私、そんなことしません! ねむさんも、くららさんも、そしてかやさんも、とってもいい人たちで…私、やっと、やっと安住の地を見つけられたと思ったんです、なのに、こんなことになるなんて…」
「しらばっくれるな!」
 かやは怒鳴る。朔月はびくっとなって身をすくめた。
「どうしてだ…? どうしてこんなことしたんだ! ボクは最初に君を見たときから、君とも仲良くやっていけると思ったんだ。なのにどうしてこんなことしたんだ…?」
 泣き出しそうな顔で、かやが尋ねた。なおも違うと朔月が言おうとしたとき、突如、朔月は自分の意識が遠のくのを感じた。
「?」
 目の前の朔月の態度が豹変したように思えて、かやは身構えた。
 困惑でいっぱいだった朔月の表情が、いきなりなくなったのだ。
 まるで仮面でも被っているかのような顔で、朔月が近づいてくる。
「来るな!」
 かやは、朔月に、持ってきた棍棒を向ける。
「ボクは殺されたくない…だけど、君を殺したくもないんだ。だから、ここから出ていってくれ、お願いだ!」
 朔月はまったく聞く耳を持っていないようだった。じわりじわりと近づいてくる。
「う…うわあああ!」
 恐怖に耐えきれなくなったかやは、朔月に殴りかかった。
 しかし、朔月の肩口に当たった棍棒は、鈍い音を立ててあっさりと折れてしまったのだ。
「な…」
 動揺するかやの首を、朔月がつかむ。そして、信じられない力でかやの身体を持ち上げた。
「う…あ…」
 そして、表情一つ変えぬまま、朔月は、素手でかやの腹を引き裂いた。
 ごぽッ。
 動脈が破れ、おびただしい量の血液が音を立てて溢れる。しかし、首をつかまれているかやは、悲鳴を上げることもできなかった。
 傷口から内臓がはみ出す。それをつかんだ朔月は、引きずり出してかや自身の目の前まで持ってくると、
 ぱぢゅッ。
 見せつけるように、握りつぶした。
 恐怖のせいか、それとも痛みと苦しみのせいか、かやは表情をさらに歪め、口をぱくぱくさせた。
 朔月は、そんなかやの首に手をやり、爪を食い込ませた。
 ぷしゃあああぁぁ…
 頚動脈が裂かれ、血が吹き出す。かやの目が見開かれ、やがて、光を失った。
 かやがぐったりとなると、朔月は、かやの首を握りしめていた手に力を加えた。
 ぐきッ。
 頚骨がへし折れる音がする。
 首があらぬ方向を向き、壊れた人形のようになったかやは、部屋の隅に投げ捨てられた。
 終始、朔月は無表情だった。
 
「う…」
 朔月は、まだぼんやりする頭を振って、意識をはっきりさせようと努めた。
 確か、かやが来て、ねむとくららのことで、自分を責めて…。
 それから、どうしたんだっけ…?
 思い出せない。
 かやはどうしたんだろう?
 辺りを見回した朔月は、声を失った。
 周囲は血の海で、部屋の隅には見るも無惨なかやの亡骸が転がっていたのだから。
「ひっ!」
 身をすくませ、朔月は、自分の全身に固まった血がこびりついているのに気付いた。
「そんな…まさか…」
 茫然としていると、突如、何者かがその部屋の中をランプで照らした。
「!」
 思わず朔月は振り向く。
「上出来ね」
 ランプの持ち主が、声をかけてくる。
「あなたは…誰…?」
 見たことのない、白衣を着た女性だった。黒い瞳が、無感動に血みどろの朔月を見おろしている。
「私がわからないの? 無理もないか、この姿であなた達の前に出るのは初めてだものね」
「…?」
「あらためて自己紹介するわ。私はエリス。あなたたちには、シスターと言った方がわかるかしら?」
「!!」
 朔月は一瞬息をのんだ。この人がシスター?じゃあ、シスターにこの様子を見られたの?
「シ…シスター…これは…」
 動揺した朔月は、シスターがなぜこのような格好をしているかという疑問も持たず、ただうろたえた。
「いいのよ、わかってるわ。あなたが殺したんでしょう?」
「・・・・・・」
「もう、わかっているかしら? 他の二人を殺したのも…あなたよ」
「ちっ…違います…私そんな…」
「思い出してごらん、忘れているだけなのよ…」
 エリスは、物語でも語るかのような口調で言った。
 言われたとたん、朔月の脳裏にその光景が蘇る。
 暴れるねむを押さえつけて、腹に手を潜り込ませ、背骨をへし折って身体を上下に引きちぎっているところ。
 くららの口を引き裂いて鉄骨をねじ込み、高々と掲げているところ。
 両方、やっているのは自分自身、だ。
 そして、それに続いて、覚えのない光景まで浮かび上がってきた。
 自分を包んでいた液体が抜かれ、自分の脚で初めて立った。「あなたの名前は朔月よ」生まれて初めて会ったのは、黒髪で黒い瞳で、眼鏡をかけた白衣の女性。間違いなく目の前にいるエリスと名乗った女性だ。エリスは、尼僧服に着替えると、自分を一軒の建物に連れていった。「今日からあなたはここで暮らすのですよ」口調まで変わったエリスが、自分にそう言った。
 覚えのない光景…? 違う。これは、ここに来る前の記憶だ…。 
「思い出したみたいね…」
 エリスは満足そうに笑う。
「私…私は…どうしてこんな…」
「あなたは、人間じゃなくて…兵器として私が開発した人工生命体。少女の姿だって、人を油断させる手段でしかないの。だから、私に命令されれば一緒に暮らしてきた人でも、好きな人でも、簡単に殺せるのよ」
「それじゃあ…」
「そう。やったのはあなただけど、原因を作ったのは私ね」
 朔月はわなわなと震えていた。
「どうして…どうしてこんなことを…」
「決まってるじゃない。あなたのテストのためよ。そのために、ある程度の調和がとれた小さな社会にあなたを連れ込んだのよ。貴重なデータがとれたわ、ありがとう」
 エリスは微笑んだ。朔月はうつむき、うめくように言う。
「酷い…そんなのって…そんなのって酷すぎる…。私…私、ねむさんと、くららさんと、そしてかやさんと一緒に暮らせて、とっても幸せで…。やっと安心して過ごせるところを見つけたと思ったのに…。それを、私自身に壊させるなんて…あんまりだわ…」
「大丈夫よ。私の研究室に戻りましょう。あそこは今きっと世界中のどこよりも安心して暮らせるわ」
「嫌よ! 実験や検査ばかりするんでしょう! 私を!」
「まあ、ね」
「あなたみたいな人と誰が一緒にいるもんですか! 絶対に嫌!」
 言って、朔月は顔を覆って泣き出した。
「・・・・・・」
 エリスの顔から微笑みが消えた。
「こんなに精神がもろかったのね…失敗だわ」
 エリスのつぶやきを、しかし朔月は聞いていなかった。
「生体兵器が、人を殺して動揺してちゃあ話にならない…。ま、いいわ、次のをつくるときの参考にしましょう」
 ひとりごちて、エリスは懐から注射器とアンプルを取り出す。
「失敗作は、機密漏れを防ぐためにも処分していかないとね…」
 そして、泣きじゃくる朔月の腕に、無造作に注射を打った。
「…何を…」
「あなたの体組織を速やかに分解する酵素とバクテリアよ」
「!」
 エリスの説明が終わった瞬間、朔月の全身に激痛が走った。
「ああ…あ…ああ…」
 ごそ…べちょッ。
 自分の頬の肉がそげ落ちて床に落ちるのを、朔月は茫然と見ているしかなかった。
「ひどい…ひどいわ…こんなのって…こんなのってない…」
 髪が落ち、爪が落ち…腕も首も顔も、どんどんと崩れていった。
「ふふふ…。あなたは所詮、作りものでしかないのよ…」
 エリスが嘲笑する中、それでもなんとか骨の形を保っていた塊が、砂のように崩れた。
 
 建物の前には、四つの墓標が並んでいた。
「ここでの研究もおしまいね」
 エリスはつぶやくと、建物に火を放った。
(酷すぎる…)
 燃え盛る炎の中から、朔月の声がしたような気がした。
「酷すぎる…か」
 エリスは、炎に背を向ける。
「いいのよ、どんな酷いことをしても。だって、誰も私がここでしたことを知らないのだもの…」
 夜空を見上げる。
「ほら、お月様だって、見ていないわ…」
 月は隠れ、新月になっており…闇を照らすのは、全てを焼き尽くす炎だけだった。
                           <了>
 
BACK
HOME