触ってみると
−雪良姫、人を諭し、自らは悟るの巻−
 
「嫌じゃ」
 雪娘の姫君である雪良は、きっぱりとそう言い切った。
 雪良は十八になる。鬼も十八、番茶も出花。まして雪良は鬼ではなく、その美しさでは他の種族には決して負けない雪娘である。その中でも雪良はとびきりの美女だった。
 そんな雪良に惚れ込んで、結婚を申し込む雪男がたくさんいた。人間ならいざ知らず、雪娘は十八で結婚しても少しもおかしくない。
 それで、氷鏡(写真みたいなもの)が山ほど届いているのだが。
 侍女の吹雪が困った顔をするのも構わないで、雪良は片っ端からお話を断っている。
「そんな、姫様…。せめて氷鏡だけでもご覧になって下さいませ…」
 先方に謝るのはいつも吹雪の役目なので、吹雪は雪良に哀願する。
「嫌と言ったら嫌じゃ」
「どうしてそんなに殿方を毛嫌いなさるのですか?」
 吹雪もさすがに少し機嫌悪そうに言う。せめて理由だけでも聞かないと気が済まなかった。
「言わなくてもわかろうが。誰でもよい、そこの氷鏡から適当なのを選んで見てみい」
 言われて、吹雪は素直にそうする。
「我々一族の女は」
 言いながら、雪良は誰に見せているのか、優雅なポーズをとってみせる。
「こぉーんなに美しいのに」
 そして、いきなり不機嫌な顔になると吹雪が持っている氷鏡をびッ!と指差す。
「どうして雪男はそんなほあほあのもこもこなのじゃ! まるでぬいぐるみではないか! そんなのがわらわと釣り合うとは到底思えぬわ!」
「まあ、確かに…」
 吹雪は手元の氷鏡を見る。
 そこには、雪良が言うところの「ほあほあのもこもこ」である雪男が一人、にっこり笑って写っていた。
 雪人の一族は、女は雪ん子と呼ばれる子供の頃から雪女と呼ばれる成人の頃まで飛び抜けて美しいのに、男は毛の長い獣のような姿なのだ。イエティとか呼ばれるアレである。
 可愛がるぶんには可愛くていいかもしれないが、恋人とか、ましてや結婚など考えたくもない。
「で、でもでも、父上様もああなのですし…」
「きっと何かの間違いじゃ」
「そんな…」
「第一、どうしてわらわだけがこーんなほあほあもこもことくっつかねばならぬのじゃ?姉上はかっこいい人間の男をひっかけたではないか」
「ひっかけただなんて、そんな…」
 雪良の姉である雪那は、まだ雪那が雪ん子だった頃に知り合った人間の子供と仲良くしている。ただ、抱き合ったりしたらその人間の方が凍えるか雪那の方が溶けるかしてしまうので、ただ一緒におしゃべりしたりするだけなのだが、雪良はそこまでの事情は知らない。
「決めた。わらわも人間の男の子と仲良くなる」
「ひっ…姫様?」
 吹雪はうろたえた。雪那が人間の男と仲良くしているのを知った雪良と雪那の両親から、雪良の方はちゃんと同族と付き合うようにせよといいつかっているのだ。
「それはなりません姫様。わかりました、今すぐとは申しません。しばらくはご結婚のお話はやめにいたしましょう。ですから人間の殿方にお近づきになるなど思いとどまって下さいませ」
「ふうむ。ま、吹雪がそこまで言うなら、今日の所は大人しくしておくとするか」
 にやり、と笑った雪良の表情に気づかなかったのは、吹雪の一生の不覚だったかもしれない。
 
 次の朝。
「姫様、朝でございます…」
 吹雪は寝所に入るなり、何かおかしい、と思った。
 雪良は顔はもちろんのこと、スタイルもいい。性格はともかく…。
 その雪良が、今朝に限って何だか妙に丸っこいのだ。
「ひ、姫様…?」
 近づいてみて、吹雪のアゴがかくん、と落ちた。
 そこには、のほほーんとした顔の雪だるまが寝ていたのである。
「姫様が…雪良姫様が…御出奔なされましたーっ!!」
 
「ふふん。吹雪などちょろいものよ」
 雪良は上空の寒気団に乗り、その流れに身を任せて空を舞っていた。
「さて、どこに行くのかな…」
 雪良の乗った寒気団はずいぶん元気がよく、今までで一番遠くまで雪良を連れていってくれそうだった。
「うっ…!」
 見たこともないような大都市の上空に至り、雪良は顔をしかめた。
 暑い。
 都市の廃熱は、雪娘の雪良にはこたえた。
「…ま、よいか。耐えられぬ程でもない」
 今まで、雪良は、自分がたじろぐほどの都市廃熱を感じたことがなかった。つまり、ここは雪良が今まで見たこともないような大都市だということだ。
「おもしろそうじゃな」
 こんな大きな都市に出たことは、他の雪娘も…姉の雪那でさえも…あるまい。
 そう思って、雪良はその都市に降りてみることにした。
 
(まったく…暑くてかなわぬわ。こんなこともあろうかと上着を持ってきてよかった。
 じゃが…我ながら無様よのう。これではあのほあほあのもこもこと大差ないわ)
 何枚も何枚も上着を重ね着して、雪良はすっかり着膨れしていた。雪良が乗ってきた寒気団のせいで街の気温はかなり下がっていたため、着膨れしていても目立たないのがせめてもの幸いか。
 もちろん、雪良の厚着は防寒のためではない。その逆である。基本的に雪良たち雪娘は、氷点下の所でしか活動できない。雪良は、自分自身で周囲の温度を下げることができるのでもう少し温度が高くても大丈夫だが、暖かい外気の影響は少ないに越したことはない。そのために、雪良はまるで寒がりのように着込んでいると言うわけだ。
(美しくないのう)
 自分の今の姿は不満だったが、せっかく吹雪をだまくらかしてまで出てきたのだ。本来の目的…BF探し…にいそしむとしよう。
(流石は人間、レベルが高いわ)
 もちろん人間の男にもかっこいいのと悪いのがいるのだが、男がみんなほあほあのもこもこというのに比べればよほどましだ。
 雪良は街角で品定めを始めた。
 やはり、姉の雪那には負けたくないと思う。飛びきりのを見つけよう。
 アレは嫌だ、コレも今一つ…と、街をゆく人々を眺めることしばし。
(おおっ…!
 とと。はしたなかったな…)
 反省したが、とにかく好みのタイプを見つけてしまったのだから仕方ない。
 さらさらしていてやわらかそうな髪。
 おっきくて丸い瞳。
 ぷにぷにしていて、つついたらきもちよさそうなほっぺ。
 女の子と見間違えそうな感じの男の子だ。
「かわゆい美少年よのお…うふ、うふふふふ…」
 そう。
 雪良は年下が好みなのだ。
 思わず口に出してつぶやいてしまい、周囲の人々が雪良から距離を取る。しかし雪良はそんなことを気にしてもいなかった。
「これ、そこな童」
「え?」
 呼ばれて、その子が振り返る。
「名は何と申す?」
「速水…鷹也」
 その子、鷹也は、おびえたような表情で答えた。
「わらわは雪良じゃ。そちは可愛い故、わらわの故郷に連れていって進ぜよう。良い所じゃぞ。さ、わらわと一緒に参れ」
 雪良は鷹也に手を差し出した。
 鷹也は、びくっ、となって一歩後ずさる。
「どうした?」
「わーっ、ひとさらいーっ!!」
「なっ…」
 今度は雪良が驚く番だった。ひとさらい? わらわが? それにしても、ひとさらいとは古風な言葉を使う子供だこと…。
 そんなこと考えているヒマはない。
「逃がすか!」
 ひとさらいを通り越して悪党じみた台詞を吐くと、雪良は逃げ出した鷹也を追った。
 暑くて思うように力が出ないが、まがりなりにも人間に、それも子供におくれをとる雪良ではない。
 所詮鷹也も子供、パニックに陥って判断力を失ったらしく、人のいないところへ逃げていった。
 好都合。
 雪良はぱちん、と指を鳴らす。とたんに鷹也の足元が凍り付いた。
「わっ!」
 鷹也は滑ってひっくり返った。やはり雪良が作り出した雪が、その体を受けとめる。
「安心せい。確かにわらわは雪娘じゃが、そうおいそれと人の精を吸ったりはせぬ。怖がることはない」
「う…」
 じわ。
 鷹也の目に涙が浮かぶ。
「泣くでない!男の子子じゃろうが!」
 ぴた。
 雪良に一喝され、鷹也は涙をこらえた。とりあえず、泣くと怒られそうだ。
「そう、それでよいのじゃ」
 雪良はにっこり笑うが、鷹也はまだおびえているようだった。
「何もさらって閉じこめておこうとか売り払おうとか到底口に出しては言えぬようなあんなことやこんなことをしようなどというつもりはない」
「ひい…」
 雪良はなだめたつもりだったのだが、鷹也はどうやらよけいおびえてしまったようだ。
「とりあえず、わらわと参れ。雪良の名にかけて、必ず戻してやるから。な?」
「…どこへ、行くの?」
「わらわの故郷じゃ。雪と氷に囲まれた、白と透明の美しい所じゃぞ?」
 雪良はうっとりしながら語った。同族の男は気に入らないが、故郷は大好きなのだ。
「…僕…寒いの嫌い」
 だが、鷹也ははっきりと言い切る。
「え」
 雪良は固まってしまった。しまった。これは計算外だった。そうか。人間には寒さに弱いのもいたんだ。
「雪も…嫌いなのか?」
「うん…」
「だが…ここでは、雪もさほど積もらぬだろう?」
「うん。だけど、あんまり見たいとも思わない」
「・・・・・・」
 雪良は絶句する。その表情が険しくなった。
「参れ」
「わっ」
 いきなり、雪良は鷹也の腕をつかんだ。そして、鷹也を寒気の上にまで引っ張り挙げる。
「うわあ! 寒いよう!」
 寒気というくらいだから、寒い。寒さ嫌いの鷹也は暴れた。
「そのうち慣れる! 慣れずとも動けば人間は温まるじゃろうが!」
 言い捨てると、雪良は寒気の中を駆けた。雪良たちは寒気の中を自由に移動することができる。だが、生身の人間がそれに引っ張られたらどうなるか。
「さ、着いたぞ」
 返事がない。
「ん?」
 雪良が見ると、鷹也は返事もできないほどにガタガタ震えていた。
「仕方がないな」
 雪良はふう、とため息をついた。暖めることはできないが、冷気を操ることならできる。鷹也の周りから冷気を取り去ってやった。
「寒くない…」
 寒さがなくなり、鷹也はやっと落ちついて周りを見回す余裕ができた。
「わあ…」
 雪良のいった通りの景色。
 一面に広がる、足跡一つない雪原。
 葉がすべて落ちてなお、氷の花を咲かせる木々。
 真っ青な天と、真っ白な地。不浄なすべてが凍り付いた、清浄の世界。
「本当は寒さが加わってこその世界なのじゃが…ま、慣れるまでは仕方有るまい」
「わあ…」
 同じような言葉をもらし続けるしかできない鷹也を見て、雪良は微笑み、彼の耳元にささやいた。
「好きに遊んでよいのじゃぞ」
 誰の足跡も付いていない雪原を好き放題にできる。
 それは、何故だか知らないが鷹也にとってたまらなく魅力的なことであった。
「いいの?」
「もちろん」
 一歩、踏み出してみる。
 まっさらな白い大地に、確かに、足跡が付いた。
 ただそれだけの他愛ないことが、妙に心をわくわくさせた。
 雪でどうやって遊べばいいのか。そんなことはよく知らなかった。だが、鷹也は自分の興味と好奇心と、何と言ったらいいかわからない、だが何か強く自分を駆り立てる感情に身を任せ、雪でしたい放題の遊びをした。
 雪良はただ、それを、黙ったまま微笑んで見ているだけだった。
 
「うぅ…」
 鷹也はべそをかいていた。
 その手が真っ赤になっている。霜焼けというやつだ。
「どうじゃ?」
 それでも雪良は笑っていた。
「手が…かゆいよォ…」
「ま、雪とはそういうものじゃ」
 鷹也は黙り込んだ。それを見て、雪良は屈み込み、鷹也と視線を合わせる。
「雪が、嫌いになったか?」
 鷹也は答えなかった。いや、答えられなかった。
 今まで雪で遊んだことなどなかった。だから、雪の楽しさも、そしてこの強烈な霜焼けの苦しみも知らなかった。
 楽しさと苦しさ、相反する二つの性質。雪のそれを一度に知ってしまい、自分の感情が整理できないのだ。
 雪良には、そんな鷹也の心がわかった。
「つまり、そういうことじゃ。
 直にその手で触ってみると、今までに見えなかったいろんなことがわかるようになる。いいことも、悪いこともな。
 そちはこれで、雪と知り合ったのじゃ。この後、雪と友達になるも雪を嫌うもそち次第。
 雪をほとんど知らねば、その判断をすることもできぬ。
 雪に限らずなんでもそうじゃ。まずはその手で、直に触ってみることじゃ。何も知らずに判断するのは、よくないこととわらわは思う」
「…うん」
「案ずるな。あの暖かい街に戻れば、霜焼けなどすぐに治る。
 さ、帰ろうぞ」
「うん」
 
 楽しい一日だった。吹雪を出し抜いて外出したかいがあったというものだ。
 鷹也をもとの街に送って、帰り道。雪良はそんなことを考えながらにこにこしていた。
 さて。
 明日からは、どうしようかな。
 漠然とそんなことを考えていると、眼下に姉である雪那の姿が見えた。
「姉上」
 寒気から抜け出て、雪原に降り立つ。呼ばれて、雪那が振り向いた。
「まあ、雪良。どこに行っていたの? 吹雪が探していたわ」
「人間の子供と遊んでおったのじゃ」
「あら。人間にお友達ができたのね」
「うむ」
「でも、同族の人をないがしろにしてはいけないわ。吹雪さんが泣いていたわよ」
 雪那には、雪良と違って同族の男友達も結構いる。友達の域を出る者は、雪良の知る限りいないが。
「じゃが…あのようなほあほあもこもこはどうも…」
「雪良。毛嫌いしてはいけないわ。お付き合いしてみると、まんざらでもないのよ」
「そうなのか?」
 疑問の言葉を発した雪良の脳裏に、先ほど自分自身が鷹也に言ったせりふがよぎる。
『直にその手で触ってみると、今までに見えなかったいろんなことがわかるようになる。いいことも、悪いこともな』
「そうか…そうじゃな」
 鷹也に偉そうに言っておいて、触ってみることを拒んでいたのは自分自身だと、雪良は悟った。
「直に触ってみると、初めてそこでわかることもある…か」
「そうね」
 雪那は、妹ににっこりと微笑みかけた。
「せ、雪那姫様、雪良姫様から何かご連絡は…あ!」
 どうやら一日中ずっと雪良を探していたらしい吹雪が、息を切らせてやってきて、雪良を見つけ、驚きの表情を見せた。
「すまなかったな吹雪。迷惑をかけた」
「姫様! どこへいらっしゃっていたのです!? 吹雪は、吹雪はもう心配で心配で…」
「だからすまんと言っておるじゃろう。そうじゃ、罪滅ぼしのかわりに、何人か殿方にお会いしよう。そちの顔もこれで立とう?」
「え…?」
 信じられない言葉を聞いた。
 吹雪は、そう思った。
「どういう心境の御変化なのですか…?」
「わらわにもいろいろあったのじゃ」
 なんだかよくわからないがとりあえず感激している吹雪を見て、雪良は微笑んだ。
(触ってみると、初めてわかること…か)
 自らの言葉を反芻しつつ、雪良は、足元の雪をすくい取り、再び微笑んだ。
 
                           <おしまい>
 
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