雪那
ぼくは、いなかのおじいちゃんちにきていた。
ついこのあいだ、ぼくに妹が生まれた。いなかにきたのは、いなかのおじいちゃんとおばあちゃんに妹を見せるからだ、って、お父さんとお母さんは言ってた。
この前きたときにはやさしかったおじいちゃんとおばあちゃんは、生まれたばっかりの妹にずっとずっとつきっきりだった。
つまんなかった。
「ぼく…外であそんでくる」
ぼくはそう言うと、お父さんやお母さんが何も言わないうちにおじいちゃんちから飛び出た。
「こうちゃん、うら山には…」
おばあちゃんの声が、後ろのほうから聞こえてきたけど、どうでもよかった。
そとに出ると、あたりはまっしろだった。
ぼくんちのまわりにも、雪はふる。だけど、こんなにつもらない。
ほんとうに、まっしろ…。何にも見えない。夜まっくらなのは、まるで目の前に黒のえのぐをべたっとぬったみたいだけど、ここはまるで、おんなじように白のえのぐをぬったみたいなところだ。
まだ、雪はふってた。はいいろの空から、白いえのぐがおちてくる。まわりをどんどん白くぬってく。
いつのまにか、ぼくのあしあともまっしろにぬりつぶされちゃってた。
あしあとのとおりに歩けば、帰れる。そう思って歩いてきたんだけど、これじゃああしあとなんて、わからない。
どうしよう。
まわりには、何もない。
ただ、白いだけ。
さく、さく、さく、さく…。
いつのまにか、聞こえる音も、ぼくの歩く音だけになってた。
まわりには、何もない。
ただ、白いだけ。
ころころころころっ…。
何か、うごくものが見えた。
なんだろう…?
雪のたまだった。前からころがってくる。
ころがって…?
知らないうちに、ぼくは、さかを歩いてたみたいだ。
雪のたまは、ころころころがってきて、ぼくの足にあたって、とまった。
さか。
ここは…もしかしたら、うら山かもしれない。
『うら山には…』
そういえば、さっきおばあちゃんがそんなふうにいいかけたような気がする。
『うら山には』なんなんだろう?
ぼくは、さっきおばあちゃんが何を言ったのか、ちゃんと聞いとけばよかった、と思った。
さむい。
なんだか、だんだんさむくなってきた。
はーっ。はーっ。
ぼくのはくいきは、まっしろだ。
まわりも、まっしろ。
なんだか、ぼくのあたまの中まで、まっしろになっていくみたいだった。
ねむい…。
とっても、ねむい。
ふあ…。
あくびもまっしろだった。
ねむいよ…。
ぼくはすわる。よこになった。
おかしいな。
雪が、とってもあったかい。
いつもねるときは、目の前が黒くなってくのに、なんだか、だんだん目の前が白くなってくみたいだった。
まわりには、何もない。
ただ、白いだけ。
だれかいる。
目がさめかけて、ぼーっとしてるとき、ぼくはそう思った。
まわりはまっしろだけど、空から雪はふってこない。
なんだろう?
ぼくが体をすこしうごかすと、だれか、ぼくにちかづいてきた。
「目が…さめた?」
女の子の…声だ。
「んっ」
目をあけると、女の子がぼくの顔をのぞきこんでた。
「あれ…」
「ダメだよ、雪の中でねたりしたら。雪ん子にたべられちゃうんだから」
すこしわらいながらそういう女の子は、ぼくがぜんぜん知らない子だった。
まるでまわりの雪みたいな、まっしろなかおをしてる。とってもきれいな、まっくろなかみのけじゃなかったら、きっとまわりの雪にまぎれてわかんないと思う。きてるふくもまっしろだった。こんなにさむくって、こんなにいっぱい雪がふってるのに、とってもうすいふくきてる。ぼくたちがきてるようなおようふくじゃなくって、夏や秋のおまつりのときにきるゆかたみたいなふく…えっと、なんていえばいいんだろ…。
「だいじょうぶだよ。あたしは、キミをたべちゃったりしないから」
その女の子がくすくす笑いながら言った。
そういえばいまさっき、この子、「雪ん子にたべられちゃう」とか言ってたっけ。
「雪ん子って?」
「雪ん子は、雪ん子だよ。雪がたくさんつもった山にでてきて、まよってきた人たべちゃうの」
「ふうん…」
「あたし、せつな。キミは?」
「え…。あ、ぼく、こうすけ。虹介っていうんだ」
女の子が、せつなっていう名前をおしえてくれたから、ぼくも名前をおしえてあげた。そしたらせつなちゃんは、うれしそうにわらった。
「こうすけ…くんね?」
「うん」
「ねえ、こうすけくん。あたしのおともだちになってよ」
「え?」
ぼくにもともだちはいるけれど、こんなふうに、「ともだちになって」「うんいいよ」ってともだちになったのは一人もいない。
こんなふうにたのむなんて、なんとなくふつうじゃないような気がした。
「ともだち…いないの?」
「うん」
せつなちゃんは、やけにあっさり言った。
「うん…いいよ」
ぼくがいうと、せつなちゃんの、まっくろでおっきな目が、まんまるになった。そんなにうれしいのかなあ…?
「わあ…ありがとう、こうすけくんっ!」
いうと、せつなちゃんはいきなりぼくに飛びついてきた。
「わっ!」
ぼくはおどろいて、ひっくりかえっちゃった。
…あれ?
せつなちゃんの手が、ぼくの手にちょっとさわった。
…すごく、つめたい…。
「せつなちゃんの手…すごくつめたいんだね」
「えっ?」
せつなちゃんは手をひっこめる。
「こうすけくんが…すごく、あったかいんだと思う…」
「そうかなあ?」
ぼくは、手で首をさわってみた。
ぼくの手、すごくつめたかった。いままでどんなさむい日につめたくなったのよりも、もっもっとずっとつめたかった。
「やっぱり、せつなちゃんの手がすごくつめたいんだ…」
「そ…そう?」
「上着、かしてあげる。きてるの薄すぎるんだよ」
「あ、ん…」
上着をぬいだら、すごくさむかった。こんなにさむいのに、せつなちゃんはどうしてあんなにうすぎでいられるんだろう?
ぼくが上着をかけてあげると、せつなちゃんの体がちょっとふるえた。
「まだ、さむいの?」
「ううん…ううん。すごくあったかい…」
せつなちゃんの手に、もう一回さわってみた。
やっぱりものすごくつめたい。ぼくの手、いままででいちばんつめたくなったと思ってたんだけど、それよりももっともっとつめたい。
「かぜひいちゃう…」
ぼくがせつなちゃんの手をあっためてあげようとしたら、せつなちゃんはしずかに手をはなした。
「だいじょうぶ。わたしはかぜひかないから」
「どうして?」
「それは…」
せつなちゃんはこたえかけて、やめた。
「いいじゃない、そんなこと…。それより…」
せつなちゃんは、ぼくをじーっとみた。
「ここにこられる人って、ほんとにちょっとしかいないんだよ。みんな、みんな、とちゅうで雪の中で、つめたくなっちゃうの。だから…だからね、あたし、ずっとずっと、ひとりぼっちだったんだ」
「せつなちゃん、ここでひとりだけで…何、いつもしてるの?」
「なんにも」
せつなちゃんはちいさく言う。
「ただ、いつもここにいて。たまあに、入ってくる人みつけて。ともだちになってほしくて、出ていって。…だけど、あたしがその人みつけるころには、その人もうつめたくなってて。そんなこと、何回も何回も。ただ、それだけ」
「雪ん子には、あわないの?」
「ぜったいにあわないし…いつも、あってる」
せつなちゃんの言ってることは、ぜんぜんわからなかった。
「あたしがみつけたとき、まだあったかかった…こうすけくん」
「えっ?」
「けど…こうすけくんにあって、あたし、わかったの。あったかいひととは、一緒にいられないって」
「どういうこと?」
「あたしを、よーっく見て」
言われたとおり、ぼくはせつなちゃんをじーっと見てみた。
せつなちゃん、あせかいてる…こんなに、さむいのに。
「あせ、かいてるでしょ?」
「う…うん」
「ちょっと、なめてみない?」
「え…?」
ぼくは、なんとなくやだっていっちゃいけないような気がして、せつなちゃんのあせをひとつ、ゆびですくってみた。
すごく、つめたいあせ。まるで、こおり水みたい。
ぼくはそれを口にいれてみた。
あせは、しょっぱい。そう思ってたのに。
せつなちゃんのあせは、なんのあじもしなかった。
…ただの、水。
「あじ。しないでしょ?」
「うん…」
「ただの水だもん。それ」
「え?」
「あせじゃ、ないんだよ…」
そう言って、せつなちゃんは上着をぬいで、ぼくにかえした。
「ありがとう、これ…」
うわぎをうけとって、びっくりした。わたすときにはあったかかったぼくの上着、なんてつめたいんだろう。
「あは…。あたし、とけちゃうから…」
「え?」
「ごめんね、こうすけくん。あたし、人とはいっしょにいられないって、わかっちゃった…」
あれ…。
だんだん、目の前がまた白くなっていった。
「せつな、ってね。雪がたくさん、って意味なんだよ。あたしはね…」
それから先は聞こえなかった。
何も見えなかった。
まわりには、何もない。
ただ、白いだけ。
「こうちゃん、こうちゃん!」
つぎに目がさめたとき、ぼくの目の前にいたのは、おじいちゃんだった。
おじいちゃんにつれられて、おじいちゃんちにかえって。おばあちゃんはぼくを見て、言った。
「雪ん子にたべられちゃったかと思ったよ」
雪ん子…。
もしかして…。
『せつな、ってね…』
どういういみなのかって、よくわかんなかった。
ぼくは、ぼくんちにかえってから、お父さんのじしょをひっぱりだしてきて、「せつな」ってしらべてみた。
むずかしい、「刹那」っていう字でのってた。
「瞬間」…字がよめない。
「ちょっとの間」。
せつなちゃんとぼくがいっしよにいたのは、ちょっとの間だったのかな。
すごく長い間だったような気もする。
せつなちゃん。
けっきょく、せつなちゃんはなんだったんだろう。
雪ん子、って名前がうかんだ。
ちがうよ。
だって、せつなちゃんはぼくをたべちゃったりしなかったもの。
じゃあ、せつなちゃんは?
まあ、いいや。せつなちゃんが何だって。
ぼくのともだち。それで、いいや。
<おしまい>