三十年の煩悶
 
「だめだ、逃げきれない…」
 ボロボロの鎧をまとい、全身傷だらけになった戦士が、忌々しげに、吐き捨てるように言った。
「どうしましょう!? このままでは四人とも…」
 気の弱そうな女性が、血の気を失った顔でおろおろしていた。
「…ぐっ…!」
 小さくうめくような声がする。
「…! だめだわ…」
 最後尾を走っていた女性…その肩には、ひどい傷を負った男が担がれていた…が、なんとも表現のしようがない表情で首を振る。
「…あたしたち…三人になっちゃった…」
 そんな一行の後ろから、なにか粘液質の、ぐぢゅ…ぐぢゅ…という、おぞけの走る音がした…。
 あの音の主に、仲間は皆殺されたのだ。
「追いつかれる…!」
 気の弱そうな女性が、今にも卒倒しそうなかぼそい声で言う。
 と、そのとき。
「しかたないなあ」
 最後尾の女性が、突如立ち止まる。
「あたしが時間かせぐから、その間に二人で逃げてよ」
「!」
 気の弱そうな女性と、傷だらけの戦士が、そろって声を失う。
「何言ってんだっ!」
「そうですわ!そんなムチャなこと…」
「無茶は承知だよ。そもそもあんな奴からみんなそろって逃げようなんて方が無茶だったんだ。いいかい?ナタリィにこんなことできる度胸あるわけないし、バルダが残ったら、帰りにゴブリンあたりに会うだけであたしたちはおしまいだ。あたしがやるしかないんだよ」
 ナタリィにバルダ。それが気の弱そうな女性と傷だらけの戦士の名前だった。
「でも…」
 ナタリィがつぶやくように言う。
「デモもストもないよ。時間がないんだ、早く行って」
「フェゼ!」
 それが、最後尾の女性の名だった。
「バルダ…」
 一瞬、フェゼは悲しそうな表情を浮かべたが、すぐに振りきるように、明るい表情を浮かべてみせた。
「だいじょーぶだって! あたしにだってまだやりたいことくらいあるもの! 死なないよ。だから、先に行って、ね?」
「フェゼ…」
 バルダには、そこで無理に踏みとどまるだけの勇気はなかった。
「生きて…追いかけて来いよ」
「もちろん!」
 バルダとナタリィが地下道の出口目指して走りだしたのを確かめると、フェゼは奥へと向き直った。
 不気味な音は、かなりの勢いで近付いてくる。
 
 太陽の光だ…!
 二人は安心した。古文書によれば、奴は太陽の光が当たるような所にはでてこないはずだ。
「助かった…!」
 バルダは、大きく安堵の息を漏らした。
「大丈夫でしょうか、フェゼ…」
 ナタリィが不安気に地下道を振り返る。
「・・・・・・」
 バルダは無言のまま、それにならった。
 静寂の時がしばし。
 やがて響いてくる絶叫…断末魔。
「フェゼ…!?」
 ナタリィの血の気が引く。今度こそ、彼女は卒倒した。
「フェゼ…フェゼええぇーーーーッ!!」
 
「うわあああっ!」
 バルダはとび起きた。
「ハア…ハア…ハア…」
「いかがなさいましたの…?」
 隣で寝ていたナタリィが、バルダの絶叫で目を覚ます。
「…あの時の…夢を見た…」
「あの時の…」
 
 バルダとナタリィが、フェゼの犠牲で生き延びてから、三十年が過ぎていた。
 あの日から、バルダは武器を持つことをやめた。一度も抜いていない彼の愛刀は、今ではただの錆の塊になっているはずだ。
 冒険をすることが恐かったのだ。自分が傷つくのならかまわない。しかし、自分を助けるために、他の誰かが犠牲になるなど…。
 そう思って、武器の手入れの経験を生かし、鍛冶屋を初めてだいぶたつ。あの時二十三だったバルダも、はや五十三となっていた。人間五十年の世の中、もう再び冒険に出ようと思っても難しい歳だ。
 実際の歳よりも、バルダは老けて見えた。人生に疲れはてたというか、すべての希望を失ったというか、とにかくにごった目をしていた。
 それもみな、あのことの後である。
 フェゼがいなくなってしばらくの間、バルダは口もきけなかった。髪は一本残らず真っ白になっていた。
 無理もない。フェゼとバルダは、仲間内では公認の仲だったのだ。愛する人が死んだ…しかも、自分のためにだ!
 ショックを受けるなという方が間違っている。
 そんなバルダをかいがいしく見守ったのが、ナタリィだった。気弱そうな彼女の方が、意外と芯は強かった。むろん、ナタリィの方がバルダよりもフェゼと親しくなかったなどということはない。恋人とはもちろんいかないが、フェゼとは大の親友同士であった。それに、つきあいはバルダよりも長かった。受けたショックは、バルダと大差ないだろう。
 もともと、あの地下道に入ったのは、古代の財宝を狙ってのことだった。
 確かに財宝はあった。しかし、それとともに古代の魔獣も封じられていたのである。仲間は一人殺され、二人殺され。最後に、フェゼが殺された。生き残ったバルダとナタリィの手元には、仲間の貴い命と引き換えに手にいれた、空しい財宝。
 ナタリィは、これからの生活をするに困らないだけの額を手元に残し、後はすべて神殿に寄付した。
 引き篭った家の中で、バルダは生きる屍となっていた。
「古代の財宝なんかに手を出すから。自業自得だよ」
「あんたらが生きてただけでめっけもんだね」
 世間は冷たかった。そんな世間の白眼視に耐え、ひたすらバルダの凍り付いた心を解きほぐそうとしたナタリィの気持ちが通じるまでに、十年かかった。
 バルダはふと、傍らのナタリィに気付く。
「どうしてそんなに俺のことを?」
「…あなたを、放ってはおけないからですわ」
「ありがとう…。だけどな。俺は…フェゼを忘れられそうにない」
「フェゼのこと…すぐに忘れられるような人なら…わたし、あなたを見捨てたでしょう。そんな、いちずなあなたが…」
「・・・・・・」
 ナタリィはつまらない嫉妬をするような感情的な女性ではない。
 バルダの心に、フェゼがいる。そんなことはわかりきっている。
 ナタリィは、そんな、心の中にフェゼをいつまでも住まわせておく、バルダに惹かれていた。
 その夜から、ナタリィはバルダの妻となった。
 この時、バルダは三十三、ナタリィは二十八。
 そして、今に至る。
 
「あの時は…わたしも、あなたもまだ若かったから…。無鉄砲に過ぎたのですね…」
 もちろん、ナタリィとてあのことを忘れるはずはない。
「あなた。フェゼは、自分を犠牲にしてまでわたしたちを生かしてくれました。もう、わたしたちの人生は私たちだけのものではないんです」
「ああ…ああ。わかってる、ナタリィ…」
「残りの人生で、わたしたちにできることを一生懸命しないと。フェゼに申し訳がたちません」
「そうだな…」
「ですから…休みましょう。寝不足は体に障りますわ」
 母が子にするように、バルダの布団を、ナタリィは優しくかけなおす。バルダは静かに目を閉じた。
 
 鍛冶のかたわら、バルダは武器も商っていた。店も持っていて、それなりに繁盛していた。
 武器を買って行く冒険者に、バルダはいちいちこう言う。
「いいかい、お客さん。武器ってやつは相手を倒すためにあるんじゃない、自分や仲間を守るためにあるんだ。そいつは確かにいい武器だが、武器や自分の力を過信するんじゃねえぜ」
 そして、心の中でつけ加える。
(そうすると…俺みてえになっちまうからな)
 その日は、若い女性の二人組が店内を見回していた。やがて、後から男が入ってきて、そのうち意気投合し、話し始める。
(そう言えば…俺がナタリィやフェゼと初めて会ったのも、武器屋だったっけ)
 
 ナタリィとフェゼに出会った日。バルダは、一つの冒険を終えて久々に街に戻ってきていた。
 金だけでつながっていたいままでの仲間と別れて、武器の砥直しのために武器屋へ行った。手入れはあるていど自分でできるが、今回はボロボロになってしまってちょっと手に負えない。
 武器屋に入ると、やはり冒険者らしい女性が二人いた。一人は盗賊らしく、投げナイフを物色していた。
 ところで、この世界では盗賊は別に日陰者ではない。彼らが盗むのは遺跡とか、所有者のないものばかりであるし、そういうところの財宝を狙う冒険者にとって、盗賊達の鍵開けや罠外しの技能はなくてはならないものであった。つまり、盗賊はまっとうな技術職の一つなのである。
 閑話休題。
 もう一人は魔法使いらしく、ときおり杖を見ている他は興味なさそうにしていた。いわゆる「おつきあい」というやつだろう。
 バルダはこの時、もう歴戦の戦士であった。だから、この二人もまた歴戦の冒険者であることがわかった。
「よう。どっかへ旅に出るのかい?」
 これが、ナタリィ・フェゼ・バルダの付き合いの初めだった。
 
(そう言えば、あの剣のおかげでフェゼやナタリィと会ったのだな)
 店の、カウンターの裏側の隅を見る。そこには、自分が昔使っていた剣が置いてある…。
 はずだったが。
「ん?」
 ない。
 剣はそこにはなかった。
(…どこかへ行ってしまったか…。このところ触ってもいなかったからな)
 無理もない。
 そう思って、バルダはカウンターに頬杖をつく。
 心の整理こそなんとかついたものの、暇さえあればあのときのことを悔やんでしまう。
 
「すげえ儲け話だぜ!」
 バルダの持ってきた話はこうだ。
 半月ほど前、近場の砂漠で砂嵐がおきた。
 砂嵐が止んだあとには、いままで人目にふれていなかった墳墓が出てきた。
 どうやら、古代王国の王のものらしい。
 となれば、副葬品は当然期待できる。
 この王家はもう断絶しているから、だれかに所有権を主張されることはない。原則的に、財宝は見つけた者の物だ。
「でも、お墓なんでしょう?墓荒しなんていけないことですわ」
 ナタリィが言った。
 今思えば、この時このナタリィの言葉を聞いていればよかったのだ。
 結局バルダとフェゼはナタリィを押し切り、金で何人かの仲間を雇って、その地下墳墓へと向かった。
 そこには、悲劇が待ちかまえていた。
 
 後悔先にたたずと言うが、悔やんでも悔やみきれなかった。
 そんなことを考えていると、店の中にいた冒険者達の会話が、聞くとはなしに耳に入ってきた。
「古代の遺跡の財宝が…」
「!」
 バルダは弾かれたように立ち上がった。
(今、何て言った…?)
 しばし茫然とし、そして、バルダは彼らを問い詰め、止めさせようと思った。
 しかし、彼らはバルダが茫然としている隙に、もう店の外へ出て行ってしまっていた。
 あわてて店の外へ跳び出る。
 バルダの店は大通りに面していて、人通りが多く、立地条件がいいのだが、それが裏目に出て、彼らがどこへ行ったのか皆目見当がつかない。
「ちぃ…」
 営業時間中にいきなり店から跳び出た夫を見て、奥からナタリィが何事かと顔を出した。
「どうかなさいましたの?」
「いや…何でもない。何でもないんだ…」
 彼らが自分たちと同じ目にあうとは限らない。
 首尾よく財宝を手に入れるか、悪くても収入がなくてすごすごと帰ってくるだけだろう。
 そうに、違いない。
 そう思うことにしたが、心の中にわだかまったものはなかなか消えなかった。
 
 それから、数日の後。
 この頃、なぜか店への客足がぱったりと途絶えた。いや、来るには来るのだが、それは皆鎌だの包丁だのの砥直しのようなもので、冒険と縁のない仕事ばかりだった。
「退屈だね」
「ああ」
 カウンター番をしている娘のエシリスが、仕事場のバルダに声をかけた。
 エシリスという名は、ここらの古代語で、「つぐない」という意味である。自分達が生き延びるためにフェゼを犠牲にしてしまった、そのつぐないのためにも、生き残った自分達の間にできたこの娘は幸せにしよう、そう思ってバルダとナタリィがつけた名だ。
 なぜか、エシリスはフェゼとそっくりの性格をしていた。活発で、男勝りで、屈託がなくて人見知りをしない。そして、優しくて勇敢だ。
 フェゼの生れ変りかとも思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。今は、両親の心の中にフェゼがいるので、そんなふうについ育ててしまったのだろうということにおちついている。
 当然、エシリスには剣技をはじめとする冒険技術は一切教えていない。当の本人が十二のとき、強く希望したから、鍛冶の技術だけは教え込んであるが。
 そのエシリスに来客があった。
 小さな子供だった。
「ねえ、おねえちゃあん」
「ん?どうしたの?」
 店先からの声に、バルダも作業の手を休める。
 エシリスはその性格ゆえ、近所の子供達にも慕われている。大人にとっては取るに足らないささいな悩みも親身になって聞いてくれるので、相談を持ちかけられることもしばしばである。今回も、そんなようなことだろうと思っていたのだが。
「おにいちゃんたちが帰ってこないの」
「え?」
「!?」
 バルダがぴくっと反応した。
 奥からカウンターへと出て来る。
「そのおにいちゃんってのは…」
「あ、父さん」
 エシリスの言葉をさえぎり、バルダは先日店にいた冒険者の特徴を子供に告げた。
「うん、そのおにいちゃん」
「・・・・・・」
 ここ数日バルダの心にひっかかっていた不安が、再び鎌首をもたげた。
「どうしたの父さん?冒険者の人の予定が遅れるなんて、よくあることじゃないか」
 あのことを知らないエシリスが、微笑みながら言った。
「あ…ああ、そうだな…」
 エシリスは子供に向き直り、にっこり笑って言った。
「だいじょうぶ、すぐにおにいちゃん帰ってくるよ。ね?」
「うん…」
 まだ不安気な子供を見かねて、エシリスはバルダを向き直る。
「父さん、お店おねがい。あたし、この子とちょっと出てくる。だいじょうぶ、あたしが探しに行くわけじゃないから」
「ああ」
 出て行く娘の後ろ姿を眺めながら、バルダは自分の体が震えるのを感じた。
 
 それからさらに数日が経った。
 やはり店に冒険者の姿はなく、数日前と同じように、バルダもエシリスも退屈していた時だった。
 あの子が、また店に来た。
 目に涙をためて、うらめしそうに上目遣いでエシリスをにらむ。
「おねえちゃんのうそつき」
「えっ?」
「おにいちゃんたち、かえってこないじゃないかあ」
「・・・・・・」
 いくらなんでも、遅すぎる。
 何かあったのだろうか。
「わかった、おねえちゃんが見てきてあげる」
 エシリスが立ち上がる。
「待て」
 バルダがそれを止めた。
「もしもの時お前じゃ心細い。俺が行こう」
「父さん?でも、父さんもういい歳よ?」
「それでも、ズブの素人のお前よりはましさ」
「…かもね」
 エシリスも、昔自分の父が冒険をやっていたことくらいは知っている。
 確かに、素人の自分よりは父の方が、老いたりとはいえ、昔取った杵柄、頼りにはなるだろう。
「ぼーず。おにいちゃんたちはどこへ行ったんだい?」
「うん…」
 子供が言ったその場所は、あの時の墳墓とはまったく違う、この街の近場だった。
(俺の思い過ごしか…)
 とりあえず、ほっ、と一息つく。
 自分の剣はないので、店にある適当なのを選んで手に取った。
 …重い。
 やはり、三十年も経てばかなり腕はにぶっている。
 それに、エシリスの言うとおり、もういい歳だ。
 バルダは、もう少し軽い剣に持ちかえた。
 
 街へ出てみて、バルダは違和感を感じた。
 その理由はすぐにもわかった。
 若い男がいないのだ。若い女も少ないように思える。
「どうしたんだ…これは…?」
 そこらの人をつかまえて尋ねてみると、近場の遺跡に財宝があるとの噂が流れ、若者はこぞって行ってしまったというのだ。
(あの子のおにいちゃんだけじゃなかったのか…)
 一度おさまった不安が、再び蠢き出す。
 そして、それはその遺跡に一歩足を踏み入れたときに、確信に変わった。
「これはっ…!」
 三十年経っても忘れるはずがない。
 血と、腐った死体の悪臭。いわゆる、死臭というやつだ。
(間違いない。この中で、何かが起こってる…)
 奥に入って行くにつれて、それは徐々に強くなる。
 ナタリィやエシリスを連れてこなくて本当によかったと思った。
 エシリスはともかく、ナタリィはそれなりの魔法使いである。連れて来れば戦力には確かになっただろう。しかし、あのときのようなことは、もう御免だった。
 一人で行けば、最悪でも、自分一人死ねばそれまでだ。
 こんなおいぼれがいなくても、こまる奴はいないだろう。
 そんなことを考えていると。
 かすかに、本当にかすかに、通路の奥から叫び声が聞こえてきた。
「!」
 思わず走り出す。
 やがて、通路は開けて、広間になっていた。
 そして、そこには、恐ろしい光景が待っていたのだ。
 無数に積み上げられた白骨。命のない体。生きているだけの人間。そして、その中央に座っている、漆黒の鎧をまとっている騎士。
「ん?」
 その騎士が顔をあげた。
「ふふ。…よう、久しぶりだな」
「!?」
 バルダは自分の耳を疑った。久しぶり?こんな奴に知り合いはいない。
「わからないか? まあ、無理もなかろう。貴様と会ったとき、私はただのグチャグチャのヌトヌトだったからな」
「!!」
 不敵な笑みを浮かべながら、黒騎士は、まだ辛うじて息のある人間の鎧をはがすと、その胸に自分の腕を突き立てた。
 むろん、彼は即座に絶命する。
「私は貴様らよりもはるかに頭がいい。だから、殺した奴は全員覚えている。殺しそこなった奴らもな」
 バルダは反射的に剣を構えた。
「おいおい、あわてるなよ。三十年前ならともかく、今のお前を殺そうなんて気は、私にはない」
 殺した人間の心臓をえぐり出し、握りつぶしながら、黒騎士はにやりと笑った。
「こうやって、生気を吸い取るのさ。ある程度の生気がないと、私はあの姿になってしまうからな。あれは美しくない、自分でも気に入っていない姿だ。貴様とて醜くはなりたくあるまい?そのためには、若い人間の生気が必要なのだよ。おいぼれはいらん」
 三十年前、心身ともに絶頂にあったころの自分ですら、封印を解かれたばかりで生気のないこいつに歯がたたなかったのだ。おいぼれた自分が、生気をたっぷり吸ったこいつに勝てるとは思えない。
「貴様達には感謝しているよ。私の封印を解いてくれて、しかも私に生気までくれた。おかげで、私はこうして、いろんな所へ動けるようにもなった」
「・・・・・・」
「そうそう、特に一番最後のはよかったな、活きがよくて。すこし頭をのぞかせてもらったが…貴様のコレだったのだろう?」
 黒騎士は、バルダに向かって小指を突き立ててみせる。
「まあ、強くはなかったがな。最期には泣きながら助けを求めていたぞ…貴様に、な!」
「・・・・・!」
「自分を責める必要はないぞ。貴様は生き物として当然のことをしたまでだ。自分が生き残ること、それが生き物の本能というやつだ。むろん、私だってそうだ。だから、私は若者を喰らう」
 黒騎士はそう言うと、次の人間に手をかけた。
「まだ話すことがあるか? 恩人の貴様だ、なんでも答えてやるぞ」
 年甲斐もなく、バルダは、すっかり頭に血を登らせてしまっていた。
「外道があぁッ!」
 気付いた時には、バルダは黒騎士に襲いかかっていた。
 黒騎士は、防ごうともかわそうともしない。
 がきいいんッ!
 剣が黒い鎧に触れたとたん。
 その刀身は、粉々に砕け散っていた。
「ムダだ」
 黒騎士が笑う。
「貴様には、私を倒すどころか、私に傷を付ける力すら、もうないよ」
 黒騎士は、茫然としているバルダの頭をがしっとつかんだ。
「貴様にだってわかっているだろう? せっかく拾った命を無駄にするなよ」
 そのまま、バルダを壁にたたきつける。
「ぐうっ!」
「こいつを探しに来たんだろ?」
 黒騎士は、倒れているバルダに、まだ息のある男を投げて寄越した。
 意識のない男が、バルダにおおいかぶさるように倒れ込む。
「私はしばらくここにいるつもりだ。私の流した噂話で、馬鹿な若者が来るからな」
「!」
 街に財宝の噂を流したのも、こいつだったのか…。
「私と戦いたくなったら、いつでも来るといい。貴様に私を倒せるはずはないがな。ふふふ…」
 
 結局、バルダはその場は引き下がるしかなかった。その場で黒騎士に勝てる見込みはなかったし、あの子のおにいちゃんも心配だったからだ。
「どっ…どうしたの、父さん!」
 エシリスが目を丸くしてバルダを見る。
「俺はどうもしてないが…」
「だって、その剣…」
 バルダは砕け散った剣を、そのまま携えていたのだ。
「俺のことなどどうでもいい、彼を…!」
「あ…うん…」
 エシリスがバルダに代わって、若者に肩を貸す。
「…どうかなさいましたの?」
 ナタリィが、店舗のさわぎに気付いて奥から出てきた。
「…ナタリィ、ちょっと来い」
 夫のただならぬ表情を見、ナタリィは、なにか大変なことがおこったということを悟った。
「…あいつだ」
「!」
「あいつが、出やがった」
「まさか…。陽の当たる場所には出て来れないはずでは…」
 信じられないといった表情で、ナタリィが言う。
「人間の生気を吸うと平気で出てこれるようになるんだそうだ」
「じゃあ、あいつがこんな所まで来れたのは…」
「そう、フェゼたちの力で、ってことになる」
 気まずい沈黙が流れる。
「どう…するんですか…?」
 ナタリィは、バルダの答を半分予想しながら、それでも尋ねてみた。
「行く」
「止めて下さい!」
 間髪入れず、ナタリィが怒鳴る。彼女の性格からして、希有なことだ。二十年連れ添っているが、数えるほどしかこんなナタリィにはお目にかかったことがない。
「あなたが行って、勝てるわけないでしょう! 残された者の気持ちはあなただってよく分かってるくせに!」
「お前だって、わかってるだろう?」
「・・・・・・」
 わかっていた。
 残された者は、自分から誰かを奪った者を、許しておけない。
「じゃあ、わたしも…」
「だめだ!」
 今度は逆にバルダが怒鳴った。
「エシリスはどうする…」
「ではあなただって! あの子を片親にするつもりですか!?」
「しかし、俺は奴を放っておけない!」
「だけど、今のあなたが勝てるんですか!」
「・・・・・!」
 わかっている。
 もはや、今のバルダにはあいつと戦う力はない。
「…せめて…あの剣があれば…!」
 バルダの剣には、ある種の魔法がかかっていた。持ち主の闘志によって威力の増す魔法だ。逆に、持ち主が闘志をなくしていればなまくら以下で、錆びて使い物にならなくなったりもする。
 この剣を錆びさせないだけなら、大した闘志は要らない。誰かが持ってさえいれば大丈夫だ。だが、あの剣は今、どこにあるかもわからない。どこか店の隅にでもうっちゃられているであろうそれは、おそらく錆の塊と化しているだろう。
「どこに行ったんだ、あの剣は!」
「…あるよ」
 突如、二人の会話に闖入してきた者がいた。
「!」
 バルダとナタリィは、部屋の入口を見る。
 エシリスが立っていた…一振りの、幅広の長剣をたずさえて。
「その剣…!」
 ナタリィが血の気を失う。
「お前…」
「父さんの、剣だよ…」
 一旦そこで言葉を切って、エシリスは一気に先を続けた。
「倒しに行くの? 父さんと母さんの、命の恩人の仇を」
「!!」
 バルダとナタリィは、驚愕のあまり声を失った。
「貴女…どうして…どうしてそれを…」
「ごめんね、この間、母さんの日記見つけて読んじゃった」
「とにかく」
 ナタリィは、表情を引き締める。
「エシリス、お父さんにその剣を渡しては絶対にだめですよ!」
「渡すんだ、エシリス」
「…迷ってるんだ」
 エシリスは、そうつぶやく。
「あの子のお兄ちゃん…あれからすぐに意識取り戻してね…。事情聞いたんだ…。このまま放っておいたら…戦える人はみんないなくなっちゃう…。きっと噂に魔力かなにか篭ってるんだよ。噂を聞いて行く人たちの目、普通じゃなかったもの。だれかが行かないといけないんだけど…父さんじゃなくてもいいと思うし…父さんも、歳だしね…」
「噂に、魔力?」
 ナタリィがおうむがえしに尋ねる。
「うん。あの子のお兄ちゃんも、なにか絶対にいかなきゃいけないような気がしたって…」
 エシリスは、そこですこし口ごもるが、また続ける。
「実は、あたしも…。戦えたら、きっとあたしも行ってた…」
「決まったな」
 バルダは、エシリスから剣をひったくる。
「あなたっ!」
「相当な精神力がないと、奴の術中に落ちるというわけだ。奴に恨みがある俺やナタリィなら、そんな小細工など通じん。だが、あのときでわかってるだろうが、奴に魔力は通じない、ナタリィが行くわけにはいかん。俺が行くしかないだろう」
「あっ…あたしのことなんて気にしなくてもいいんだよ! あたしがふらふら出て行きそうになったら抑えてくれればいいんだし…街の人のことだってどうでもいいよ! あたしにとって、街の人みんなより父さん一人のほうがよっぽど大切なんだから!」
 エシリスは、二つのことをひどく後悔していた。ひとつはバルダの剣を取っておいたこと、もうひとつは、それをこの場に持ってきてしまったことだ。どうしてこんなことをしてしまったのだろう。もしかしたら、それは、父の執念がなせるわざだったのかもしれない。
「ありがとよ」
 バルダはエシリスの頭をくしゃっとなでた。
「なによお。もうちっちゃな子どもじゃないんだから、頭なんてなでないでよお」
「悪いな」
 バルダは手を放す。
「そうだな、お前はもう大人だよ」
 バルダは小さく笑った。
「だから…俺がいなくても大丈夫だよな」
「父さん!」
 そんな父娘のやり取りを、だまってナタリィは見ていた。
(だめだ…エシリスに、バルダは止められない)
 ふっ、と宙を見る。
(フェゼ…あなたなのですね。あなたは…仇をうってほしいの? それとも…バルダがほしいの?)
 つうっ、と、ナタリィの頬に涙が伝った。
(今の彼はわたしの夫…あなたに返したくなんてないんです。でも…選ぶのは彼だわ)
「ナタリィ」
 バルダの声がした。
「おまえはしっかりした女だ、昔も今も。…大丈夫、だよな」
「…昔から…」
 泣きながら、ナタリィは口を開く。
「わたし、そう思われ続けていましたね、昔から。けど、わたしだって一人は嫌なんですよ…」
 しゃくりあげながら続ける。
「だけど…確かに、大丈夫ですよ、わたし…」
「すまない…」
 バルダは、剣を持って立ち上がった。
「バルダっ!」
 突如、ナタリィが叫ぶ。
 ナタリィに、「あなた」ではなく「バルダ」と呼ばれたのは、何十年ぶりだろうか。
「なによっ、さっきから聞いてればもう帰ってこないようなことばかり言ってっ! あなたが…あなたが勝って帰って来ればいいだけのことじゃない! それを…それを、もう今生の別れみたいにっ! 嫌よ! 絶対に嫌だからね! わたしもエシリスも、絶対に嫌なんだからっ!」
 白いものが混じり始めた長い髪を振り乱し、無我夢中で叫ぶナタリィ。こんなナタリィを見たのは、エシリスも、そしてバルダでさえも初めてだった。
「母さん…」
「約束してっ! 絶対に帰って来るって! じゃなきゃ、わたしは魔力使ってでも…あなたと差し違えてでも、絶対にあなたをここから出さない!」
「わかった…」
 バルダは微笑んだ。
「わかったよ、約束する。絶対に帰ってくるさ。勝てると思わなきゃあ、勝てる相手にも勝てないからな」
「バルダぁ…」
 四十八になりながらも、少女のように想い人を気遣うナタリィ。彼女はもう、フェゼのことを心に背負い込んでいる。このうえ、自分のことまで背負い込ませてはいけない…バルダは、そう、かたく心に誓った。
 
「よう」
 黒騎士は、言葉通りそこにいた。
「…それは…あの時の、貴様の剣だな。なるほど、そいつなら私に傷くらいつけられるかもしれんが。まさか、私と戦おうとでも考えているのではあるまいな? ふふ、やめておけやめておけ。せっかく命がけで貴様達を助けてくれた貴様のコレの死が、無駄死にになるだけだぞ」
「待っててくれる奴がいるんでな。そういうわけにはいかないんだ」
「ほおう。察するに、あの時貴様と一緒に生き残った魔法使いだな? 貴様もずいぶん老いた。あの女も、かなりの婆になったのだろうな」
「まあな」
 ふっ、と小さくバルダは笑う。
「長いこと俺につきあってくれたからな。それ相応に歳はとるさ。だからこそ…」
 バルダは剣をかまえる。
「一緒に歳をとった女と、いまさら死に別れなんて嫌だね」
「なら、とっとと帰ることだ」
「そうもいかない。お前に会って放っておけるかよ」
「バカな奴…」
 黒騎士は立ち上がる。
「なら、貴様も殺してやろう」
 いきなり、ばくんッと黒騎士の左腕が割れた。中から、長い棒のような、剣のようなものを、ぐぢゅぢゃッ、と不気味な音とともに右腕で引きずり出す。今まではすまして人の姿なんぞしていたが、間違いない、こいつはあのバケモノだ。
「どうしたんだ? かかってきな!」
「・・・・・・」
 ヘタに手をだしたらまずいことくらいよくわかっている。
「来ないなら、こっちから行くぞ!」
 黒騎士が、未だ粘液のようなものをしたたらせている得物で襲いかかってきた。
「ぢゃっ!」
 ぎぃんッ!
 剣で真っ向から受け止める。
「うううっ!」
「くくく…どうしたよ? 力がないな。もう歳なのだろう?」
 黒騎士に言われるまでもない。歳とともに、往年の力は失われていったのだろう、当然。
「おぉらおらおらあ! どうしたんだあ!? その程度で私と戦おうというのか? なめられたものだ!」
「ぐくう…」
 なすすべもなく、バルダは防戦一方となっていた。しかし、相手が人型になっていて本当に良かったと思う。少なくとも、どこから攻撃がくるのかはわかる。
 バルダの鎧が、どんどん削られてゆく。黒騎士は、すぐにとどめをささずなぶって楽しむつもりらしい。
「はあ、はあ、はあ…」
 息があがってくる。
(ちっ…俺も歳だ)
「さあ…そろそろとどめといくか!」
 黒騎士が、剣をかまえる。
「そおれっ!」
 黒騎士が突きを繰り出す。
 ドシュッ!
 黒騎士の得物は、バルダの左胸を貫いた…かに見えた。
「…んなっ…」
 貫かれていたのは、左肩だった。わずかにバルダがよけたのだ。
「…あの時なら…こんなことは…できなかった…ろうな。今だから…もう、この体なんぞ惜しくなくなった…今だから…こんなことをやろうって気にもなる」
「ちいっ…放せっ!」
「やなこったっ!」
 黒騎士の得物を左肩に縫い止めたまま、バルダは突っ込む。
 ずしゅしゅッ!
 得物は、持っている部分までバルダの肩にくいこんだ。
「うおおおおおおーっ!!」
 どかあッ!
 バルダの剣もまた、黒騎士につかまで突き刺さる。
「ぬぐうっ!」
 黒騎士が苦悶の声をあげる。
「バカな…。なせ、こんなおいぼれの剣に…これほどまでの力があるっ!?」
「この剣は…闘志で威力が増す剣だ…。あの時より、今のほうが威力があるぜ…。貴様にビビってたあの時よりも、三十年間恨みをつのらせた今の方が、よっぽどな!」
「そんな…そんなバカな…。人間など、私の餌にすぎぬのに…。なぜ、人間などに私が倒されねばならぬ…!」
「俺の意地と、貴様の油断だな…」
「ぬううっ!」
 ぶぢゅ、ぎぢいッ!
 形容しがたい音とともに、バルダの左腕が、肩ごとひきちぎれた。
「貴様の腕だけは…もらっていくぞ…」
「バカが。誰が…貴様なんぞに…自分の腕を…くれてやるかよ…。あの時…見捨てたフェゼにやるんだよ…。つぐないの…かわりにな…」
 終わった…。
 そう思ったとたんに、すっ、と意識が遠のいた。
(まずい…)
 左肩からは、おびただしい量の血があふれでている。
 今ここで意識を失ったりしたら、出血多量で命を落とすことは間違いない。
(約束したんだっ…生きて…帰るとっ…)
 しかし、数歩あるくと、出血のせいで視界がみるまにぼやけるのがわかった。
(帰るんだ…俺は…俺はっ…)
 足がもつれ、倒れる。
 ばしゃッ…。
 水たまり…?
 行きに、そんなものあっただろうか?
 …水じゃない。
 血だ…俺の…。
 体に力が入らない。
 バルダはもう、立ち上がれなかった。
 
 …んっ。
 …どこだ、ここ?
 …死後の世界だろうか。
 …だれかいる…。
 …天使か、死神か。
 …天使にせよ死神にせよ、妙にどっかで見た顔してるもんだな…。
 …そうか、エシリスに似てるんだ…。
「…うさん…」
 …声まで似てやがる。
「とうさん…」
 …あれ? 天使や死神が、俺を「とうさん」なんて呼ぶか?
「父さん!」
「んっ…」
「気付いた…! かっ、母さん! 父さん気付いた、気付いたよおっ!」
(なんだ、本物のエシリスか…。道理でよく似てるはずだ)
 ほうっ、と息をつく。
(待てよ? 本物のエシリスがいるってことは、俺は助かったのか…?)
「あなたっ…」
「ナタリィ…。どうやら、本当に俺は助かったようだな…」
 夢でも見ていたようだ。
 だが、今までのことが夢ではなかったということは、ちょっと首を左へひねればすぐにわかる。
 もしも夢であったなら、そこにはちゃんと腕がついているはずだから。
「どうして…俺は助かったんだ…?」
「父さんが連れて帰ってきた、あの子のおにいちゃんがいたでしょ?」
「ああ」
「意識を取り戻してすぐね、彼が行ってくれたの。『命の恩人を一人であんなやつに立ち向かわせるわけにはいかない』って言ってね」
「そうか…」
 情けは人のためならず、とはよく言ったものだ。
「驚きましたよ、彼が血だるまのあなたを担いで帰って来たときは。あと少し遅かったら危なかったそうです」
「とにかく…ほんとに、よかった。父さんが…帰ってきてくれて。まあ、無事とはおせじにも言えないけどね…」
 エシリスがぽろぽろ涙をこぼしながら言う。
「エシリス、もうかなり遅いですよ。お休みなさい」
「はい。けど、あたし、嬉しくて眠れそうにない」
「いいから、布団に入っていなさい」
「はい」
 エシリスは、母が父と二人になりたいのだということを察し、引き下がった。
「昔から…無茶をする人ですね」
「まあな。ま、無事とは言えないが、帰って来れた」
「全部、終わったんですね」
「ああ」
 はれやかに、バルダは言った。
「フェゼの仇もとった。つぐないもできた。万々歳ってところだな」
 ふっ、と暗い表情で、ナタリィが尋ねる。
「あなたの腕…。高位の司祭なら、治せるかもしれないけど…」
「いや。これは、あのときフェゼを見捨てて逃げた代償だから。このままでいい、不自由だろうがな」
「そうですか…」
「すまなかったな、心配かけて」
 無言で、ナタリィは首を振る。
「そんなことよりお休みになって。まだ、なくなった血は回復してませんわ。無理はいけません」
「そうだな…」
 バルダは、ゆっくりと目を閉じた。
 
 その夜、バルダは夢を見た。
 夢の常として、そうはっきりしたものではなかったけれど。
 あの夢のようなものではなくて、何か、とってもいい夢だったと思った。
                                                      <おしまい>
 
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