本心
 
 小春日和の昼下がり。
 まだ桜には早かったが、暖かい公園には結構たくさんの人がいた。
 子連れの主婦、近所の大学の学生であろう青年、幼稚園に上がるか上がらないかくらいの子供たち、ひなたぼっこを楽しむお年寄り、部活か何かのトレーニングで走っている高校生。
 そんな中、青年と娘がじっと見つめ合っている。
 青年の名は安藤心一郎、娘の名は千石ミツコ。家が隣同士の幼なじみである。幼稚園から高校二年まで、学校はもちろんクラスも見事に一緒。腐れ縁もここに極まれり、といった感じだ。
 自分の部屋の窓を開け、向かいに見える窓を叩けばすぐにでも話ができるのに、ミツコは今日、わざわざこの公園に心一郎を呼びだしたのだ。
 呼ばれて来てみて、心一郎は、今日のミツコは何か違う、とまず思った。
 普段ミツコは銀縁の眼鏡をかけているのだが、今日に限ってはそれがない。どうやらコンタクトにしているらしい。確か、目が痛くなるから嫌いだ、と言っていたはずだが。
 服装も、白いセーターに紺のスカートと、見慣れぬ格好をしている。いつもはトレーナーとジーンズという動きやすい格好をしているのに。
 髪だってそうだ。ミツコは栗色のロングヘアだが、顔にかかるとうっとうしいとかで、いつもはみつあみにしているのだ。それを、今日に限ってストレートにおろしている。
 つまり、ミツコは、何のつもりかは知らないが、妙におめかししているということだ。
「シン」
 心一郎のことをこう呼ぶのはミツコだけだ。
「あの…私、ね」
 頬が赤らんでいるのは暖かい陽射しのせいだろうか。目が潤んでいるのはなれないコンタクトをしているせいか。
「…やだ…ちょっ、ちょっと待って…またドキドキしてきちゃった…」
 ミツコは心一郎から視線をずらし、はあはあと深呼吸して気を静める。そして、うつむいたままながらも再び心一郎の方を向いた。
「あの…だから。あたしさ…。
 シンのこと好きなの。ずっと前から好きだったの。 ほんとに、ずっと前から好きだったんだよっ!」
 一気に吐き出すように、ミツコは心一郎の顔も見ずにそう告げた。
「え…」
 心一郎は一瞬動転する。まさか、ミツコにそんなことを言われるとは思ってもみなかったからだ。
 なにしろ、普段のミツコときたらとにかく気が強くて、「私は恋愛なんかと無縁よ、一人でも強く生きていけるの」みたいな感じの性格で、行動力もそれに見合って備わっており、また、それに伴う自信も壮絶で、いつもいつも心一郎はいいように振り回されてばかりいたのだ。そんなミツコの口から、まさか「好き」などという言葉を聞こうとは…。
「え…と、あの…ミツコ? ほ、本気…なのか?」
 ミツコはうつむいたまま、肩を小刻みにふるわせている。何も答えない。
「ミツコ?」
「クク…クククク…」
 妙な声が聞こえた。
 次の瞬間、ミツコはぱっと顔を上げる。満面に意地の悪そうな笑みをたたえて。
「うそだよ」
「・・・・・!」
 一瞬、心一郎は呼吸もできなくなった。
「ほ、本気…なのか? って…本当に本気だと思った? やあねえ、あたしと付き合い長いんだからさあ…わかりそうなもんじゃない?
 ククク…ククク…ああ、ああおかしい」
 そうだよな。それでこそミツコだよな。
 騙されたというのに、心一郎は何だかホッとしていた。
 ミツコは、うそつきである。なにしろずっと前から嘘ばっかりついている。人を騙すのが楽しくて楽しくてしょうがないらしい。もっとも、嘘のつきすぎで今では騙されるのは心一郎くらいのものだが。他の人々は、千石三子という彼女の本名もあってか、彼女のことを「せんみつ」と呼び、最初から疑ってかかるのが普通なのだ。
「今回のは、手が込んでたなあ」
「だって、今日は記念すべき日よ? あたしにとって誕生日より大切な日なのよ?」
 …ミツコにとって、誕生日より大切な日?
 ああそうか。
 今日は、エイプリルフールだ。 
「そんな日に騙されてくれなきゃつまんないから、こんな髪してこんな服着てコンタクトまでして、気合い入れてセッティングしたんじゃない。
 どう? 気に入ってもらえた? なかなかの名演技だったでしょ?」
「いやあ、すっかり騙された。本気にするところだった」
「ありがと、うれしいな。今ちゃんと騙されてくれるの、シンくらいしかいないから」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「さって、と。これでスッキリしたことだし。うちに帰って新学期号の原稿書くわ。じゃあね!」
「おーう。がんばれよー」
 ミツコはこの間の任期満了に伴い、新・新聞部長に就任している。その前から彼女は学校新聞「浅葱川日報」を手がけており、インチキ記事の作成に青春を捧げている。で、新学期号の発行のために、春休みの今も部屋でワープロとにらめっこしているのだ。
 立ち去るミツコの後ろ姿を見送りながら、心一郎はふう、とため息をついた。
(今日のはたちが悪かったなあ…。あういういたずらするなんて、ひょっとして気づいてるのかな…)
 一方、ミツコの方は、家路を走りながら、自分自身の気持ちにほんの少しだけ戸惑いをおぼえていた。
(あれ、おかしいな? どうして、本当にどきどきするんだろう?)
 
 それから春休みが終わるまで、心一郎はミツコをみかけなかった。夜、隣の窓を見ると、遅くまで電気がついていた。たぶん、部屋で一人あーでもないこーでもないと構想を練ったりレイアウトを考えたりしていたのだろう。新聞部でまともに活動しているのはミツコ一人なのだから大変なのは仕方ない。もっとも、ミツコ一人で作っているからあれほど勝手な物になるのだろうが。
 心一郎の方は、ミツコと違って特に何かするでもなく、ボーッと日々を過ごしていった。
 そして、新学期がやってきた。
 
「あ…」
 来島春菜の顔に、微かな笑みが浮かんだ。
(やったあ…。三年生にしてやっと同じクラスになれた…)
 思わず、クラス分けを貼り出してある掲示板の前でぐっと拳を握りしめ、自分自身を祝福する。
「どしたの、春菜? 顔が赤いよ?」
「あ? あーあー、う、ううん、何でもないよ!」
 友人に心配され、あわててごまかす。
(ヘンなの。隠すことなんてないのにね。 
 安藤君のこと好きなのは、悪いことでも恥ずかしいことでもないのに)
 
 春菜が心一郎に好意を寄せ始めたのは、去年の今頃のことだ。
 浅葱川高校では、修学旅行を二年時に行うことになっている。また、生徒の自主性・自律性を重んじる校風からか、その企画を生徒に任せるというのが毎年の恒例であった。
 そこで、二年生の各クラスから二人くらいずつ修学旅行委員なるものが選出され、修学旅行委員会が組織されるのだ。
 のせられやすい性格の春菜は、クラスじゅうからおだてあげられ、まんまとこの修学旅行委員にされたばかりか、修学旅行委員会の中でも再びおだて上げられ、修学旅行委員長にまで祭り上げられてしまった。
 幸か不幸か、春菜にはその責務をこなす力量も備わっていた。そのせいで、他の修学旅行委員諸君は委員長の春菜にほとんどすべての仕事を押しつけ、自分たちは手を抜きまくったのである。
 そんな中、ただ一人だけ春菜のサポートをしてくれたのが、修学旅行委員会の副委員長でもあった心一郎だった。
 春菜は心一郎にいろいろと協力してもらい、彼を信用するようになり…やがて、あわい想いを抱くに至った。
 その想いは春菜の胸の中で大切に大切に育てられ、今ではすっかりらぶらぶ状態になってしまっている。
 しかし、修学旅行が終わってその反省も済むと、残念ながら春菜と心一郎の間には何の接点もなくなってしまったのである。
 告白しようにも機会もつかめず、やるせない想いに胸を焦がし、春休みじゅうかけて信じてもいない神様にさんざんお祈りして、とうとう願いが叶ったのだ。
 安藤君と一緒のクラスになれた!
 春菜の恋心は、俄然燃え上がった。
 
「安藤君」
 第一回目のホームルームが終わった後、春菜は早速心一郎に話しかけた。
「あ…来島さん、ずいぶん久しぶりだったね」
 心一郎はにこやかに応対する。
「うん…。あのさ。また今度もこういうことになっちゃったわけだけど…よろしくね」
「あ、うん。こっちこそ」
 先ほどまでのホームルームで、春菜はまたもおだて上げられ、クラス委員にされてしまっていたのだ。そして、もう一人の委員がなかなか決まらず、「それじゃあ、だれと一緒にやりたい?」と尋ねられた春菜が、「前に修学旅行委員で一緒に仕事したことある安藤君」と指名して、心一郎も承諾したため、心一郎もまたクラス委員にされていたのである。
「いきなり指名なんてしちゃってごめんね。でも、あんまりこのクラスに知ってる人いなかったし…安藤君だったら、ちゃんとやってくれるって思ったから」
「そ、そんなに期待してもらっても…大丈夫かなあ?」
 などと二人が駄弁っていると、
「んー? だあれー?」
 連日連夜の新聞製作のせいで睡眠時間が極限まで削られているミツコが、心一郎の隣の席で顔を上げて尋ねてくる。ホームルームの時間を睡眠時間に当てていたミツコは今までのいきさつをまるで知らなかったのだ。
「あ、この人は来島春菜さん。修学旅行委員で一緒だったんだ」
「ふーん…」
 説明されてもまだ、ミツコは眠そうな顔のままだった。
「あ、貴女がかの有名な千石さん?」
「まーねー。あたし、そんなに有名?」
「もちろん。この学校で浅葱川日報を知らない人なんていないよ。あたしもいつも楽しみにしてるわ」
「ホントっ!?」
 がばっ、とミツコが跳ね起きる。ミツコは、自分の新聞の読者が大好きなのだ。
「わあーうれしーなー。読者さんがいてくれるとやっぱり張り合いがあるなー」
「次のはいつ頃?」
「うん、もうすぐ。楽しみにしててね」
 ミツコは満面の笑みをたたえ、春菜の手を握りしめる。そのあまりの感激ぶりに、春菜は少したじろいだ。
(ああなると、ミツコ止まらないから)
 隣で、心一郎はその光景を見て、少し春菜に同情していた。
 
「みんなあーっ! 新聞ができたよおーっ!」
 その三日後、朝のホームルームも始まるかというそのとき、ミツコがクラスの前に出て、教卓の上に紙の束をどんっ!と置いた。
「はいっ! 欲しい人は持ってってねー!」
 クラスの人間がどやどやと集まる。ミツコの新聞は定評があるのだ。ただし、新聞としてではなく娯楽としてであるが。
 新聞には、
「生物教師宇宙人を解剖!
 とかいうわけのわからない見出しがついている。
「なーにバカなこと書いてんだよせんみつー」
 それを見て男子生徒が早速ミツコをからかいにかかる。
「バカなこととは何よ。本紙記者を疑うの?」
「本紙記者って言ったってせんみつだけだもんなあ」
「せんみつを疑うなって言うのは、なあ」
 他の男子生徒も調子を合わせる。
「ひどいわ、あたしを信じてくれないの?」
 ミツコがよよと泣き崩れる。しなをつくって、ハンカチを噛みしめて。
「信じてくれないのって言ってもなあ」
「せんみつ信じるのは心一郎ぐらいだもんなあ」
「ああ、心一郎だけはなぜかせんみつ信じるよな」
「なんでだろうな」
「そりゃお前、やっぱりアレだからだろ」
「そうか、アレだからか」
「なるほどなあ、アレだもんなあ」
 男子生徒たちは顔を見合わせ、ミツコと心一郎を交互に見やると、意味ありげににやりと笑った。
「あー、ばれちゃったー? シンとあたしはもうしばらく前から他人じゃないのよ」
 ミツコは笑いながら、後ろ頭に頭を当てる。
「はいはい」
 無論、誰も信じなかった。今度ばかりは心一郎も。だがしかし、一人だけ、その言葉に心が波立った人がいた。
 春菜である。
(よしてよ…悪い冗談だわ)
 振り払うように頭を振ると、春菜は深くため息をつく。そして顔を上げると、からかわれている心一郎が目に入った。
「せんみつじゃ話にならねーよ、な、心一郎。ホントの所はどうなんだ?」
「ホントの所というと?」
「他人じゃないってのはともかくとして、やっぱりお前せんみつがアレなのか?」
「アレ?」
「だーかーらー。お前が、せんみつはうそつきだって知っててもまんまと騙されるのは、やっぱり…」
「安藤君!」
 思わず、春菜は叫んでいた。
「こ、これ、配るの手伝って」
 机の中から「交通安全の手引き」とかいう誰も読まなそうな冊子を取り出して、春菜は心一郎に歩み寄る。
「ホームルーム始まる前に、配っちゃいたいんだ」
 本当は、少し前に先生から「配っておいて」と渡されたっきり、「まあ、こんなの誰も読まないだろうし、いつでもいいか」と机の藻屑と消えそうになっていたものなのだが。
「あ、ああ、わかった」
 心一郎の方でも嫌な話をふられたと思っていたところだったので、よろこんでその半分を受け取った。
(…もうやだ、こんな気持ちって…)
 春菜は冊子を渡したっきり、自分はその場に立ち尽くしていた。
「…ふぅん」
 そんな春菜の様子に気づき、ミツコは性悪そうに微笑んだ。
 
 春菜は機会をうかがっていた。
 そして、しばらくして、その機会はやってきた。
 ある日の放課後。
「帰ろ、シン」
 カバンをつかんで、ミツコが言う。
「あ、悪い。俺、連絡網印刷しなくちゃならないんだ」
「来島さんと一緒に?」
「そうだよ」
「ふうん…」
 ミツコは春菜に近づくと、意地の悪そうな顔でささやいた。
「気をつけなよお。シンったらあんな人畜無害そうな顔してけっこう乱暴なんだから。二人っきりになったりしたら何されるかわかったもんじゃない。あたしなんて付き合い長いから、もう何度もあーんなことやこーんなことやあまつさえ…」
「たちの悪い冗談は新聞だけにして」
 春菜はにっこり笑って言い返す。ただし、その頬は多少ひきつっていた。
 それに気づいているのかいないのか、ミツコはますます意地悪そうな顔になると、
「そうね。ごめん」
 とだけ言い残し、カバンをつかんで教室を出た。
「じゃね」
 その後ろ姿を見送り、春菜はまたため息をつく。
「ねえ、安藤君。彼女、一緒にいて疲れない?」
「まあ、そういうこともあるけどね。悪い奴じゃないから」
「ホントに?」
「ホントだよ」
「…ふうん…。まあいいや、印刷室行こう」
 
 学校の印刷機はボロである。クラス分の連絡網を印刷するぐらい本来大した時間がかかるものではないのだが、紙はつまるわインクははりつくわで余計な時間ばかりがかかり、終わる頃には心一郎の手は真っ黒に、外は真っ暗になってしまっていた。
 
「ごめんね、安藤君。機械いじりぜんぶやってもらっちゃって…」
「気にしなくていいよ。無事終わったんだしさ」
「安藤君のおかげでね。本当にありがとう」
「原稿とか作ってくれたのは全部来島さんじゃないか。俺は、最後にちょっと顔だけ出したみたいなもんだから」
 そんなふうに話しながら、二人だけで暗い夜道を歩く。
「修学旅行委員やってた時もこんな感じだったよね。まったく、あの印刷機いい加減買い換えればいいのに。修学旅行の頃からずっとあのまんまなんだから」
「今年の二年も苦労するよ、きっと」
「そうだね…。今年の委員に、安藤君みたいな頼れる人がいないとね」
「そんな…」
「本当に、私、安藤君がいてくれてよかった。
 私…いつも、あんな感じでしょ。一人でなんでもやらなきゃいけないってことばっかりで…嫌になってたんだ。だから、安藤君がいてくれて、本当に嬉しかったんだ」
「…そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ」
「…ありがとうね、安藤君。
 あ、私こっちだから」
 分かれ道で立ち止まり、春菜は心一郎と向き合う。
「送ってくれてありがとう」
「いや、帰り道一緒だったから」
「・・・・・・」
「どうかした?」
 春菜が突然黙り込んだので、心一郎は少し心配そうに尋ねる。
「…あ、あのね…安藤君。私、安藤君に言いたいこと、あるの」
「え?俺、何か悪いことした?」
 心一郎は、春菜が何か自分に文句があって、それで言いにくいから口ごもっているものだと思った。しかし、春菜は首を横に振る。
「違うわ、違うの。そうじゃない」
「じゃあ…」
「…これからも…私を支えていてくれないかな…」
「え?」
「…好きなの…」
「えぇ!?」
 この間ミツコにも同じ事を言われたが、まさか春菜のこの言葉の後に「うそだよ」が続くとも思えない。心一郎は、何と答えたらいいかわからなくなってしまった。
「あ、う、えー、お、俺…」
「そ…それだけ。さよなら!」
 夜目にもわかるほど真っ赤になった春菜は、叫ぶようにそう言うと、背を向けて駆け出していってしまった。
「・・・・・・」
 心一郎はしばらく茫然としていたが、いつまでも路上につっ立っているわけにもいかないので、家に帰ることにした。
 
「シン、おかえりー」
 自分の部屋の向かいに電気がついたのに気づいたミツコが、身を乗り出して窓をこんこん叩き、言う。
「あ、うん」
 窓を開け、気のない返事をする心一郎を見て、ミツコは肩をすくめる。
「何よ何よ、そんなに疲れたの?」
「あ、うん」
「春菜ちゃんにヘンな気おこさなかったでしょうね。彼女、あたしの大切な読者様なんだからね」
「あ、うん」
「ねえ、聞いてる?」
「あ、うん」
「だめだこりゃ…。なんか知らないけど惚けちゃってる」
 ミツコはため息をつき、いかにも馬鹿馬鹿しそうな声で言った。
「どーしたのよー、ホントに。春菜ちゃんに愛の告白でもされたの?」
「!」
 びくっ、となった心一郎を見て、ミツコは眉をひそめる。
「まさか、ホントなわけ?」
「…ミツコ、俺、どうしたらいいと思う?」
 答えないで、心一郎は逆に尋ね返した。
「シンのことなんだからシンが決めたら? どうしてあたしに聞くのよ」
 ニヤニヤしながら、からかうようにミツコは答える。
「お前だって女だろ? 少しは相手の気持ちもわかるかなって思ったんだ」
「ふうん。なるほどねえ。けど、気持ちっていっても人それぞれだから。春菜ちゃんの気持ちなんてわかんないわ。ごめんね、役に立てなくて」
 謝ってはいるものの、ミツコはまだニヤニヤしたままだ。だが、心一郎は真面目に礼を述べる。
「そうか、ありがと」
「まあ、あたしと違って『うそだよ』ってことはないでしょうから、真剣に考えて答えてあげるのね」
「そうだな」
 考え込んでしまった心一郎を見て、ミツコは再び肩をすくめた。
「いいわねー幸せな悩み抱えちゃって。まあいいわ、ゆっくり悩みなよ。じゃお休み」
「ああ…」
 浮かない顔のままの心一郎を後目に、ミツコは窓とカーテンを閉めた。
「あたし、何言ってるんだろうな…。
 まったく、シンもシンよ。あたしにどうしてそういうこと聞くかな…」
 自己嫌悪といらだちが混じったような複雑な気持ちを抱え、ミツコはつぶやいた。
 
 次の日。
「あ…安藤君、お早う」
「うん、お早う…昨日はご苦労様」
 春菜と心一郎はぎこちない挨拶を交わす。
(あーあ。お早う言うだけで赤くなっててどうするのよー)
 心一郎の横にいたミツコは、そんな二人をあきれながら眺める。すると、なぜか心一郎がなんだかすがるような目でミツコを見た。
「ん? 何?」
「え? あ、いや別に…何でもない」
「ヘンなの」
 その日一日、春菜と心一郎の間に漂う雰囲気は、かなり妙なものだった。
 教室移動の度に、春菜が思いきり不自然につつつと心一郎に近づき、だからといって何を話すでもなくずーっと黙ったまま一緒に歩いていたり。
 ふとした拍子に目線が合うと、ぽっと顔をあからめてうつむいたり。
「なあ、あいつらどうしたんだ?」
「何かヘンだよな」
「春菜ちゃんがシンに告白したんだってさ」
 ミツコが、訝しがる男子生徒たちにあっさりと言う。
「うそだろー」
「せんみつの言うことだもんなー」
 だが、いつもがいつもだけに誰も信じない。狼少年効果というやつだ。
「まあ、信じないなら…それでもいいけどね」
 ミツコの顔には、いつもの笑みはない。
 彼女は、自分でも意識しないうちに、黙ったままずっと一緒にいる春菜と心一郎の方ばかり見ていた。
「あの…」
 さすがに沈黙に耐えきれなくなった春菜が、何か話そうと口を開く。
「今日…いい天気、だよね?」
「あ、ああ…すこし曇ってるけど」
 ・・・・・・
 さらに重い沈黙。
 どうしたらいいかわからなくなった春菜は、とりあえず何か話題を探そうと辺りを見回した。
 と、そのとき、ミツコと目があった。
 ミツコは、何だか不機嫌そうな顔で、ずっとこっちを見ている。
(まさか…)
 春菜の心に、小さな疑いが生まれた。
 
「ねえ、ミツコちゃん」
 次の日の放課後、春菜はミツコを、二人だけで話がしたいと言って呼び出した。
「どうしたの?」
「…私…安藤君のことが好きなんだ」
 ミツコは心底驚いた…ふりをした。本当はとっくに知っている。
「へえ!」
「だから…安藤君のこと教えてほしいの。なんでもいい、どんな小さいことでもいいから」
「・・・・・・」
 ミツコはしばらく考え込むようにした。そして顔を上げたとき、そこにはいつもの意地悪そうな、自信に満ちたような笑みがたたえられていた。
「教えてあげないでもないけどさ。信じるの、あたしの言うこと? あたしはかの悪名高き『せんみつ』よ? どこまで本当のことを教えるかしらね?」
「私を騙す必要なんてないでしょう?」
「別に、あたしは必要なくたって嘘つくわよ。知らないわけじゃないでしょう?」
 おどけたように言うミツコを、春菜は鋭い目つきでにらみつける。
「教えたくないのね」
「え? 何で?」
「貴女も安藤君が好きなんでしょ?」
「あたしが? シンを?」
 すこしだけびっくりしたような顔をしたミツコだったが、すぐにいつものような笑みに戻る。
「うーん、ばれたかー。まあ、幼なじみだしねー。ずっと一緒にいれば情も移るしー」
「ふざけないで!」
 とうとう春菜が怒鳴った。
「じゃあ、
 な、何言ってるの!? あたしとシンはそんな、そんなんじゃないわ!
 とでも言えば、満足かしら?」
「いい加減にしてよ!」
「じゃあ、あたしにどうしてほしいわけ?」
「本当のことを教えてよ。もし、貴女も安藤君が好きなら、無理に安藤君のことまで教えろとは言わないから」
 少し声音をやわらげて、春菜が続けた。
「ふぅん。本当の事ね」
 ミツコは肩をすくめて言い返す。
「それをあたしに求めちゃ、ダ・メ・よ」
「・・・・・!」
 怒りのあまり、春菜の顔が真っ赤に染まった。
「いいわ。貴女に話を聞こうとした、私が馬鹿だった!」
「うん、そうね」
 追い打ちをかけられ、春菜がますます真っ赤になる。怒りのあまりもはやそれ以上何も言えず、春菜はそのまま立ち去った。
「あたしなんかにシンのこと聞こうだなんてね…。ふぅ、やれやれ。恋する乙女は盲目ねえ」
 ふん、と馬鹿にしきったように笑う。
「でも、読者様に悪いことしたかなあ…。シンのことくらい、教えてあげればよかったかも」
 つぶやいてみて、ミツコは、自分自身の感情にふと疑問を感じた。
(どうして、教えてあげなかったんだろ?)
 その疑問を抱えたまま、ミツコもまたその場を立ち去った。
 
(あれから三日も経つのに、どうして何も言ってくれないんだろう…?)
 昨日の夕方ミツコにさんざんからかわれ馬鹿にされたせいもあり、春菜は妙にいらだっていた。最初は心一郎の返事を急がせるつもりなどさらさらなかったのだが、そのいらだちのせいで心一郎ももしかして自分をからかっているのではないだろうかなどと思い出してしまったのだ。
 心一郎を見てみると、まったくいつもと変わった様子がない。まるで春菜の告白などなかったかのようだ。
 ただ、春菜自身が視界に入ったその瞬間だけは、何か言いたいことを言い出せないような複雑な表情を一瞬だけ見せていたが。
 もっとしっかりと安藤君をみつめていたい。そうは思ったが、残念ながらそうするには春菜の席は心一郎のそれと遠すぎる。くじ運強くもしっかりと彼の隣の席を引き当てたミツコが心底うらやましい。腐れ縁というのもあながち嘘ではないようだ。
(ああ、もう!)
 イライラしてしかたがない。
(これもみんな、あのせんみつのせいよっ!)
 春菜の脳裏には、手の甲を口に当てて「おーっほっほっほっほ!」とかやっているミツコの姿がよぎっていた。そのミツコは、そんなイメージとさほど遠くない様子で、心一郎をからかっている。しかも、そのネタは春菜とのことだ。
 そんなわけで、その日一日、春菜はいらいらし通しだった。
(こんな日は早く帰って寝るに限るわ)
 そう思って春菜がカバンをつかんだその時、
「来島さん、ちょっと」
 心一郎が声をかけてきた。
「あ…」
 春菜の胸が高鳴る。ようやく返事がもらえるのか。
「校舎裏まで、付き合ってくれないかな」
「うん…」
 校舎裏までの道のりが妙に長い気がしたが、その間じゅう、春菜も心一郎も一言も口をきかなかった。
 校舎裏にたどり着くと、心一郎は、他にだれもいないか確認してから春菜と向き合い、大きく息を吸った。
「来島さん」
「はい」
「あの…」
「・・・・・・」
「ごめん」
 少しの沈黙の後にあったのは、拒絶の言葉だった。
 それも覚悟していないわけではなかった。だが、理由をきかずにはいられなかった。
「…どうして?」
「・・・・・・」
「好きな人とか…いるの?」
 心一郎は答えない。
「まさか、とは…思うけど…」
「…ミツコがね、好きなんだ」
「!」
 息を呑む春菜。一番聞きたくない言葉だった。
「…わ…悪い冗談だわ…。あんな、あんな全然信用できない人なんて…好きになる人いるわけないじゃないの…」
「でも…なっちゃったんだから、しょうがない…」
 春菜は一瞬うつむいて、すぐに目を上げた。まっすぐに心一郎をにらむ。
「幼なじみなんだから、知らないはずないでしょう! 彼女、自分の心を絶対に人にあかさない人よ! 人を信用しない人なのよ!」
「…わかってる。いいんだよ、俺だってミツコに隠したいことくらいあるから」
「…あ、あの人は人をからかって楽しむような人よ! 貴方、いいように遊ばれるだけよ!」
「そうだね。だけど、みんなそう思ってるだろうから、今はもうミツコに遊ばれてあげられるのは俺だけだと思うんだ」
「どうしてよ! 一体、彼女の何がそんなに好きだっていうの!?」
「そうだなあ…」
 心一郎はしばらく考え込むと、
「あいつは、素直になれなくて、本当に敵ばかり作って、誰も信用しない、そんな奴だろう?
 だからさ、俺だけは、最後の最後まであいつを信用して、あいつの味方でい続けたいなって、あいつを本当に安心させてやりたいなって、思ってたんだ。
 そしたら…俺の方が、ずっとあいつと一緒にいたいって、思うようになって。
 気がついたら、あいつのことがすごく好きになってた」
「…バカよ…」
 心一郎が言い終わると、すぐさま春菜は絞り出したような声で言った。
「貴方バカだわ、救いようのない大バカよ! このお人好し!」
 そして、錯乱しながら怒鳴り散らす。目には涙があふれていた。
「私の方がいいよ…。絶対にいいよ…。あんなのよりずっと…」
「そうかも。だから、ミツコと違って俺以外にもいろんな仲間ができると思うんだ」
「バカ…安藤君の…安藤君のバカぁ…」
「ごめん…。もっと…」
 心一郎は、泣き崩れた春菜に手をさしのべながら、弁明じみた言葉を続けようとした。
「謝ってなんてほしくない! もう、もういいよ!!」
 しかし春菜は心一郎の言葉をさえぎるように怒鳴ると、その手を払いのけ、身を翻した。そして、そのまま大声で泣きながら、一度も振り向かずに走り去った。
「・・・・・・」
 心一郎は、そんな春菜が見えなくなるまで、ずっとそこに立ちつくしていた。
 
 その夜、心一郎は一人自分の部屋で沈んでいた。
 仕方のないこととはいえ、春菜の心をひどく傷つけてしまったと思った彼は、罪悪感に打ちひしがれていたのだ。
 向かいのミツコの部屋の電気は消えたまま。孤独感までもが心一郎にのしかかっていた。
 そのとき、階下から電話の音がした。程なくして、母親の声がした。
「心一郎、電話よ! ミツコちゃんから!」
 その名を聞いたとたん、無性に話がしたくなった。急いで階段を下りて、受話器を取る。
「ああ、シン? あたしー。今ね、公園にいるんだ。桜、まだ残ってるよ。夜桜がきれいだよー。おいでよ、一人じゃ寂しいからさ」
 このあたりは暖かいので、桜はかなり早めに散る。もう、まわりで桜があるところはほとんどないはずだが、
「あ、おう」
 心一郎は疑う気にもならなかった。
「早く来てね。こんな遅くにひとりでずっとここにいたりしたら、あたし変態さんに手込めにされちゃうかもしれないから」
「バカ言うなよ」
「ふふふ。じゃ、待ってるから」
 ミツコは電話を切った。
 心一郎は急いで薄手のハーフコートを羽織ると、家を出た。公園まではさほど遠くない。走りながら、なんとなくこの間のことを思い出していた。そういえば、エイプリルフールのいたずらにあったのもあの公園だったっけ。
 心一郎が公園に着くと、ミツコが一人で、公園のベンチに座っていた。
「何もこんな時間に呼ばなくても…あれ?桜は?」
「…ふう。シン、ホントに馬鹿ね。嘘に決まってるじゃない」
 ミツコは白いトレーナーに黒のジーンズといういでたちだ。眼鏡もかけているし、髪もいつもどおり三つ編みだ。このあいだのようにからかおうというわけではないらしい。
「そうか。嘘か」
「そうよ。嘘よ」
 ミツコはしばらく心一郎を黙って見上げていた。
「座ったら? そんなにハアハア言って。知らない人が見たら痴漢みたいよ?」
「ああ」
 心一郎はミツコのとなりに座った。それを待って、ミツコが言う。
「ずいぶん暗ーい顔して帰ってきたわね、さっき。どうしたの? 春菜ちゃんにふられでもしたの?」
「…そのほうが、まだ気が楽かもな」
「そっか。ふったんだ」
「なんでわかるんだ?」
「付き合い、長いからね」
 そこまで言うと、ミツコは心一郎の顔をのぞき込んだ。
「もったいないことしたね。どうして?」
「ん…。好きな人、いるから」
「ふうん…」
「誰だか、聞かないのか?」
「あたしには関係ないからね、シンが誰を好きでも」
 じっと心一郎を見つめたまま、ミツコが微笑む。
「関係ないことないさ」
「ん? どうして? あたしのことが好きだってんならともかく、別にシンの恋愛に口出そうってつもりなんてないよ」
「ともかく、じゃなくて。お前が好きなんだよ」
 自分でも驚くくらい、あっさりと言えた。今まで言えなかったのが不思議なくらいだ。
 ミツコはすこしびっくりしたようだった。だが、すぐに微笑んで、うつむいた。
「あたしをからかおうなんて、三億年くらい早いわ」
「本気だよ」
 ミツコはふう、とため息をつく。
「からかってんじゃなかったらよけい悪いわ。あたしなんか好きになってどうすんの。春菜ちゃんにしとけばよかったのに」
「迷惑か」
「迷惑よ」
 ミツコは一言即答し、少しだけ間をおいて、続けた。
「シンみたいなお人好しなお馬鹿、一緒にいたらあたしまでひどい目に遭いそう。あれだけあたしに騙されてもまた騙されるんだもん、あんた学習能力ないでしょ?」
「いや、別にお前にだったら騙されてもいいから」
「ばーか。騙されてもらったって嬉しくなんかないわ。騙されまいとしている人を騙すのが面白いんじゃないの」
「ミツコ」
「いい、一つだけ忠告しておいてあげる。あたしのこと好きなら、あたしの忠告には従えるわよね?」
「ん? ああ」
「そう簡単に人の言うこと信じちゃだめ。特に、あたしの言う事なんて絶対に信じるもんじゃないわ。あたしは、うそつきなの。おおぼらふきなの。
 わかったわね。あたしの言うことは嘘だと思いなさいよ」
「・・・・・・」
「あーあ。まさかシンにこんなこと言われるなんてね。エイプリルフールのいたずらが過ぎたかしら」
 心一郎は、立ち上がって去ろうとしているミツコの後ろ姿をじっと見つめた。
「そうだ。はっきり返事しないとね。告白までさせちゃったんだから」
 ミツコは振り向いて、心一郎の顔をまっすぐ見つめた。
「あたしは、あんたのことなんて、好きでもなんでもないからね」
「…そう、か」
 心一郎はうなだれた。
 ぺしっ。
 そんな心一郎の後ろ頭を、ミツコは軽く叩く。
「ばーっか」
 顔を上げると、ミツコは満面に笑みをたたえていた。しかし、いつもとは少し、何か雰囲気が違う。
「あたしの言うこと信じるなって、今、言ったばっかりよ?」
 ミツコはそう言って、心一郎の額を指で小突いた。
 そして、ほんとうにほんの少しだけ、頬をあからめた。
 それは、もしかしたら、心一郎以外の誰にも決して見せない、ミツコの本心だったのかもしれない。
 
                           <おしまい>
 
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