ひとりにしないでよ
「もういいかい」
「まあだだよ」
子供の声が、薄暗い境内に響きわたる。
ここは、小高い丘の上に建てられたお宮。なんでも、田に新しい用水を引くときにこの丘は一つの難所だったそうで、それがうまくいくようにと水神様をお祭りしたのがこのお宮の始まりだということだ。
それを証拠に、このお宮のわきには今でも用水として役立っている川の流れがある。
お宮は森の中の、すこしひらけたところにある。大きな木があって川がある、お宮は子供たちの絶好の遊び場だった。
このときも、何人かの子供がこのお宮に遊びに来ていた。かくれんぼの鬼になった子供が、ひときわ大きな木に両腕をつけ、そこに顔を押しつけるようにして目かくしをしながら、何回目かの確認をしてみる。
「もういいかい」
「まあだだよ」
隠れる側の子供たちは一生懸命、隠れるのによさそうな場所を探す。
お宮の縁の下に隠れる子はもう誰もいない。真っ先にそこが探されることはわかりきっているからだ。
薮の中にもぐってみたり、ちょうど土がへこんでいるところを見つけて中にうずくまってみたり。鬼が目隠しをしているまさにその木の上に上る、木登り上手の大胆不敵な子もいる。
なずなもそんな子供たちの中の一人だった。
(あそこはこの間隠れたし…あっちはゆーちゃんが隠れて一番に見つかったことがあったよね。えっと…)
なずなはきょろきょろとあたりを見回すが、どこもかしこももう使い古された場所のような気がした。
「もういいかい」
まあだだよ、と答えられるのはこれっきりだ。鬼は十数えて、もういいかい、と尋ねる。まあだだよ、と待ってもらえるのは三回だけ。始める前にそう決めたんだから。
「まあだだよ」
その三回目を言って、なずなはあわてる心をおちつけて、改めて回りを見回してみた。
すると。
お宮の横、急な坂になっているところに、草に隠れた小さな穴がある。
(あそこがいい!)
他の子は入ってこれないに違いない。いつも、ちび、ちびと言われ続けてくやしい思いをしているなずなだが、このときばかりはそのちっちゃな体に感謝した。
もうあまり時間がない。なずなは急いで、入り口を隠している草をかきわけ、その穴の奥へ潜り込んだ。
当たり前だが、穴の中は暗かった。
なずななら、立ってもぎりぎりで頭がつかえないほど、穴の中は広かった。
なずなは入ってすぐのところにうずくまる。
「・・・・・・」
静かだ。入り口の草に阻まれているのか、外の音はあまり聞こえない。
(…ここじゃ、まだみつかるかも)
薮をかき分けるようなつもりで入り口をのぞき込まれたら、確かにすぐにみつかってしまうだろう。
なずなは、もう少し奥まで行ってみることにした。
穴は少し奥で左右に分かれていた。
(帰り道がわからなくなっちゃうかもしれない)
そう思って、なずなはそれ以上奥へ行くのはやめた。
奥まで来たせいか、外の音はもうほとんど聞こえない。外の光も遠くに見えるだけで、たぶん外からのぞいてみても、暗くてなずなの姿は見えないだろう。
「・・・・・・」
だんだん心細くなってきた。でも、ここで不安になって出ていったりしちゃいけない。いい隠れ場所をみつけたにもかかわらず、不安になって出ていったせいで見つかったことは何度もある。
(がまんがまん…)
なずなはうずくまったまま、みじろぎひとつせずに息をひそめていた。
どのくらいの時間がたったのか、よくわからない。
ふと気付くと、外からの光が見えない。
「!」
なずなは驚いて立ち上がった。光のある方へ行けば出られる。そう思っていたから、どっちへ行ったらいいのかよくわからない。
とりあえず進んでみると、やがてすぐに行き止まっている。
(まさか何かでふさがっちゃったんじゃあ…)
怖い考えにたどり着いて、なずなは半泣きになりながら、その穴の中を歩き回った。
すぐにまた行き止まる。
「やだあ…」
思わずもらしたその声が、かえってあたりの静けさを際だたせ、なずなの恐怖をあおる。
「やだ…やだ…」
泣きながら、走ろうとして足を取られて倒れ、泥と涙でぐしゃぐしゃになって、それでも這って進むうち、何かががさっ、と手に触れた。
(草…)
穴の入り口にあったやつだ。
なずなの表情がぱあっと明るくなった。
(外に出られる!)
大急ぎでなずなは立ち上がり、穴の外へ飛び出した。
辺りは暗くなっていて、もう誰もいない。
(みんな…帰っちゃったんだ…)
そう思うと、また涙があふれてきた。穴から出られて安心したせいもあるが、急に寂しさがこみあげてきたせいもある。
「えっ…えっ…」
泣いてみても、誰も答えてくれない。
「ひどいよお…。ひとりに…ひとりにしないでよお…」
りん…
「・・・・・?」
ふと、何かが聞こえたような気がした。
「何…?」
り…りん…
なずなは泣くのも忘れて、あたりを見回す。
誰もいない…はず…。
りりん…
(すずの…音?)
りり…ん…
音のする方に視線を巡らすと、さっきまで誰もいなかったはずのお宮に、一人の女の子がいた。
りん… りりん…
見たことのない女の子だ。月の光に照らされて、何だかとっても不思議な感じがする。
艶々として美しいおかっぱ頭に、くりくりとした大きな瞳。やせ細った体に、白い着物をまとっている。その着物の帯留めについた鈴が、先ほどから鳴っていたらしい。
「あなたは、だあれ?」
女の子は答えない。
くすくす…くすくす。
何故か真っ赤なその瞳を細め、女の子は微笑む。
「ねえ!」
また不安になって、なずなは大声をあげた。
くすっ…。
女の子はまた笑って、物音一つたてずに立ち上がった。
「どこへ行くの!?」
また一人にされてしまうのではないかと思って、なずなは思わず、歩き出したその女の子の後を追った。
足下に道はなかった。
それなのに、その女の子は平然と進んでいく。
なずなは、一人にされたくない一心で、その後を必死に追った。
(ここ…)
やがてたどり着いたところは、墓場だった。
くすくす…くすくす…。
女の子は墓場の真ん中で立ち止まり、ご機嫌な様子で微笑んだ。
「・・・・・?」
なずなが訝しがっていると、女の子の笑い声につられるように、何か青白い光が、ぽう、ぽうっ、といくつも浮かび上がってきた。
青白い光は、一つずつ、女の子に吸い込まれるように消えてゆく。
「・・・・・・」
なずなは、何か見てはいけないものを見てしまったような気がして、一歩、二歩と後ずさった。
女の子はそんななずなににっこり微笑みかける。
そして、一つの墓の脇にかがみ込んだ。
その手が墓の脇の土に触れたところで、なずなは、その女の子が何をしようとしているのかを悟った。
(まさか…)
ざっ…。
女の子の手が土をひとすくいすくったところで、それは確信に変わる。
「いや…いや…」
なずなはきびすをかえし、一目散に逃げ出した。
何かにつまづいてころびかけたが、何とかもちなおして、後ろも振り返らずに走っていく。
女の子は、なおも微笑みながらその後ろ姿を眺めていたが、ふと、何かに気付いたように眉根を寄せた。
どこをどう走ったかわからない。
我に返ると、お宮に続く道に倒れて泣いていた。
『泣かなくてもよい』
そんななずなに、何かが語りかけてきた。
「…え?」
『そなたは一人ではない』
「誰?」
さっきの女の子かとも思ったが、違う。語りかけてくるのは野太い男の声だ。
「誰なの?」
もう一度尋ねる。
『案ずるな…。我々は常にそなたとともにある』
「・・・・・・」
『さあ、おやすみ。そして、我々の所へおいで』
「・・・・・・」
なんだか眠くなってきて、なずなは、そのまま意識を失った。
朝になって、なずなは村の人に見つけられた。
ひどい熱があり、ゆすってもたたいても目をさまさない。
それでも最初のうち何日かは、道の上で寝ていたためにたちの悪い風邪でもひいたものだと思っていたのだが、いつまでたっても熱が下がらず、うなされるなずなの声が徐々に弱まってくるに至って、なずなの家族はようやく不安になってきた。
そこで呼ばれた医者は、しばらくなずなを診ていたが、やがて険しい顔で言った。
「すまない…。どこが悪いのやらさっぱりわからぬ! ただの風邪でないことだけは確かだが…」
この医者の腕は確かだ。何でも都では故あって開業できず、このような田舎にいるのだそうだが、今までに何人も死にかけの人間を救ってきた名医である。その医者が言うのだから、本当になずなは手がつけられないのだろう。
とりあえず滋養だけはつけてあげてくれという医者の言葉に頷きながらも、なずなの家族は絶望せずにはいられなかった。
なずなは夢をみていた。
何人もの男たちが呼んでいる。
男たちは皆一様にひどくやせこけ、視点の定まらない目でなずなを見て、さかんにおいでおいでをしている。
『ほら…こちらへおいで』
「嫌だ…」
『我々と一緒に行こう』
「嫌だ…そっちに行きたくない」
『お前を一人にはしないから』
「嫌だよ…」
『さあ…おいで!』
「いやーっ!」
りん…
なずなが叫んだ瞬間、どこかで聞いたすずの音がした。
「え…」
りりん…
くすくす…。
不気味な男たちが、一斉にその音と声の方を振り向く。
なずながそれにつられて振り向くと、そこにははたしてあの女の子がいた。
女の子はなずなに微笑みかける。そして男たちを見ると、今まで男たちがなずなにしていたように、おいでおいでと手招きをした。
女の子は相変わらず微笑んでいるが、その微笑みはなずなに向けたものとは明らかに異質なものであった。どことなく恐ろしさを感じるような微笑み。
男たちはたじろぐ。そして一瞬ののちみな一斉に硬直した。
一人、また一人と、男たちが青白い光に変わってゆく。そして、あの夜と同じように、一つずつ女の子に吸い込まれるように消えていった。
青白い光が全て消えると、女の子は再びなずなを見て、にっこり微笑んだ。
「あなたは…だあれ?」
女の子は相変わらず答えないまま。だが、なずなに歩み寄ると、帯留めのすずを外し、なずなに手渡した。
なずなは女の子の顔を見る。
女の子はまたあのくりくりとした真っ赤な瞳を細めて微笑んだ。
「助けてくれて…ありがとう…」
なずなは礼を言ったが、それでも女の子はただ微笑むだけ。
やがて女の子は、何も言わぬまま、静かに消えていった。
その次の朝、なずなは目をさました。
ひどく弱ってはいたものの、熱も下がっており、もう命に別状はない、と例の医者も太鼓判をおした。
しばらくして体調も戻ったなずなは、あの女の子に会おうと思って、またお宮に行ってみた。
時間もだいたいあわせてみたのだが、月影に照らされたお宮には誰もいない。
なずなはあのお墓に行ってみようと思った。
何度か迷いながらも、なんとかあのお墓にたどり着く。
そこに人影を見つけ、もしやと思ったが、それはそのお墓のあるお寺の住職だった。
「これこれ、こんな時間にこんなところにくるものではないぞ」
「あの」
なずなは、住職にあの女の子のことを尋ねてみた。
「さあ、のう」
住職は首を傾げる。
「そう…」
なずなはうつむく。と、自分の足下に小さなお墓がたくさんあるのに気付いた。もしかしたら、このあいだつまづいたのはこのお墓だったのかもしれない。
「このお墓は?」
「ああ、これはのう」
住職の話によると、何十年か前にこの村にたちの悪い病がはやったのだそうだ。
このお墓はそのときに死んだ村人のものなのだという。
「病で死んだ者は…ちゃんとまつってやらぬと祟るからのう」
「・・・・・・」
もしかしたら、あの男たちはその時の…。
住職に礼を言うと、なずなは同じ道を通ってもう一度あのお宮に戻った。
あいかわらず月の光に照らされて、神秘的な雰囲気がある。
幻…か、なにかかな。
なずなは一瞬そう思う。
(ううん、違うよ。
だって、あたしを助けてくれたんだし。
それに…)
なずなは手を開いた。
そこには、夢の中であの女の子にもらったすずが、月の光で輝いていた。
<おわり>