堕天
 
 十二月も半ばを過ぎ、クリスマスまでの日数ももう両手の指で数えられるようになった。
 周囲は真っ白。ホワイトクリスマス…と言えば聞こえはいいが、豪雪地帯のこのあたりでは雪など珍しくもありがたくもなんともない。
 そんな雪のせいであたりはやけに静かだ。自分の車が動く音しか聞こえない。
 家路を急ぎながら、沢辺孝義は車の中でため息をついていた。
「しんぐるべーるしんぐるべーるひとりーきりー」
 などと、馬鹿馬鹿しくかつむなしい歌を歌ったりもしている。つまり、彼も多くの野郎どもと同じく、クリスマスを一緒に過ごす相手がいないのだ。
 ただいないだけならまだ救いがある。彼の場合、一緒に過ごしたい(・・・・・)相手はいるのだ。
 彼女の名は谷口喜美子。同じ大学で同じ専攻、サークルも同じだが残念ながら今の段階ではお友達以上の何でもない。
「やれやれ、むなしいなあ…」
 むなしい歌をやめ、再びため息。
 通りを外れ、細い道に入る。街灯もなくなり、道端には木が生い茂っているため、周囲がよけい暗くなり、よけい気も沈む。
 もう家も近いが、帰ったところで誰かが待っているわけでもない。むなしさを募らせつつ、孝義はアクセルを踏んだ。
 その瞬間。
 どさっ!!
「わわわわっ!」
 いきなりフロントガラスに白い塊が落ちてきた。驚いた孝義はあわてて車を止める。
「雪かな…。あーびっくりした」
 フロントガラスの前に残ったそれを落とそうと、ワイパーを動かす。
「あれ?」
 ワイパーは、その白い塊を押しのけられなかった。雪の塊ならばこんなことはない。
「何だ…?」
 車から出て前に回った孝義は息をのんだ。
 フロントガラスには、白い服を着た中学生か高校生くらいの少女が乗っていたから。
(やばい)
 真っ先に孝義はそう思った。薄暗くて視界が悪くなったせいで、この人に気づかずはねてしまったと思ったのだ。
 先ほどまでよりもはるかに重いため息をつく。これはクリスマスどころの騒ぎではない。
「もしもし、大丈夫ですか…もしもし」
 教習所でやったときは何だか馬鹿馬鹿しいと思っていたが、なるほど実際こういう目に遭うと相手にはこう言って見ざるを得ない。
「う…ん」
 相手はうめきをあげ、寝返りでも打つかのようにごろんと向きを変えた。
 それを見て、孝義は再び息をのんだ。
 自分に背を向けたその少女の背には、白い大きな翼があったから。
 先ほど、雪と間違えたのは服だけではなくこれもだったのだ。
「なな…何だ、一体…」
 混乱した孝義の判断力は、それでもなんとか彼に現実的な行動をとらせようとした。
「とにかく、はねちゃったんだから医者に連れていかないと…」
 つぶやいてみて、ふと思う。
「獣医かな…」
 つまんだり引っ張ったりしてみたが、どうやら作りものの類ではなく、本当に背中にくっついているようだ。
「うーん…」
 再び非現実の世界に連れてこられて、どうしたらいいかわからず、孝義は手に持った翼をいじくりまわした。
「んう…痛…」
 翼を変な方向に曲げてしまったらしく、少女が苦痛のうめきをあげる。それと同時に、彼女はうっすらと目を開けた。
「あ…ここ…」
「あの、大丈夫…?」
「人間…? そうか、わたしやっぱり…堕ちちゃったのね…」
 少女の言葉に首を傾げながらも、孝義は少女に話しかけた。
「とにかく病院に行かないと。今はなんともなくても、後になってから差し障りが出たりしたらいけないから」
 しかしその言葉に、少女は首を振る。
「人間のお医者さまに診ていただいてもしょうがありませんから」
「じゃあ…やっぱり獣医さん?」
「? あ…あの…。わたしが何だか…
 やっぱり、わかってないですよね」
 少女は車のボンネットの上にちょこんと正座して、真剣な目で孝義を見つめた。
「何だか…って?」
「わたし…アモリエルと言います。
 …天使なんです、これでも」
「はあ? てんし?」
 間抜けな声を上げる孝義を見て、アモリエルと名乗った少女は赤くなってうつむく。
「信じられませんよね。最近は天使を見られる人もあまりいませんでしたし、普通天使はこんなところにいませんし…」
「本気で言ってるの…?」
「この通りです」
 アモリエルは翼をぱたぱたと動かして、空に浮いて見せた。動かすだけならいざ知らず、つくりものの翼では空を飛んだりはできない。
「信じていただけましたか?」
「あ…う、うん…。でもどうして天使が俺の車の上なんかに落ちてくるのさ?」
「・・・・・・」
 アモリエルはまたうつむいた。そして、小さな小さな声で告げる。
「堕天…しちゃったんです、わたし…。ほら、頭に輪、ついていないでしょう?」
 言われてみれば確かに、背中の翼とともに天使には付き物の頭の輪が、彼女にはない。
「あの…。本当に不躾なお願いなのですが…。貴方の上に堕ちたのも何かの縁、しばらく貴方のもとに身を寄せさせてはいただけないでしょうか…。その、堕天してこれからどうしたらいいか、まったくわからないんです…」
 初対面の男のところに居候を申し出るとは、なるほど、常識の方も人間とはひと味違うようだ。
「ご迷惑はおかけしません、わたし、食べ物は必要ありませんし、堕天してもそれなりに力は使えますから、多少のことならお礼もできると思います」
(多少のお礼?)
 孝義の欲の皮が多少突っ張った。悪くない話かもしれない。
「わかった、俺ん所でよかったらどうぞ」
 アモリエルの顔にぱあっと笑みが広がる。
「ありがとうございます!」
「それじゃ、車に乗って」
「車…ああ、これですね。はい」
 助手席に座り、シートに翼がつかえて窮屈そうにしているアモリエルを見ながら、孝義はどうでもいいことを考えていた。
(こういうのも…示談っていうのかな…?)
 
 アモリエルはだいたい十六歳前後くらいに見える。しかし、天使の彼女にとって見た目の年齢がどれほどの意味を持つのかはわからない。
 年齢だけでなく他の外見的特徴もそうだ。アモリエルは黒いさらさらの長髪に、長いまつげに縁取られた黒いつぶらな瞳、真っ白な肌と、国籍不明な姿をしているが、人間が引いた国境など天使の彼女には関係あるまい。
 スタイルは、ゆったりとした白い服のせいでよくわからないが、あまり出たり引っ込んだりはしていないようだ。そもそも、アモリエルが本当に女性なのかもよくわからない。顔立ちから勝手にそう判断しているだけなのだ。第一、人間が考えているような性別がアモリエルに当てはまるのかも疑問だ。
 とにもかくにもそんな具合に、人間の常識が当てはまるのかどうかもわからないアモリエルだ。彼女(と便宜上呼んでおく)を家に置いておくのは、ペットを置いておく以上に…いや、同棲以上にまずいかもしれない。
 落ちつくと、孝義はそんなことを考え始めた。隣をちらりと見ると、アモリエルはまだ翼を窮屈そうにごそごそ動かしていた。
「あの」
 そのアモリエルがいきなり振り向いて、話しかけてきた。
「えっ? あ、何?」
「貴方のお名前…うかがってもよろしいですか? わたし、貴方をなんとお呼びしたらいいんでしょう?」
「あ…。自己紹介まだしてなかったったっけ? 俺は孝義、沢辺孝義」
「孝義さんとお呼びしてよろしいのですか?」
「ああ、うん」
「では…孝義さん。孝義さんとお会いしたときは堕天の拍子で力が不安定だったのですけれど、本来わたしの姿は人間には見えないのです。孝義さんにはいろいろご迷惑をおかけすると思いますから、このまま姿をお見せしておきますけれど、これからわたしの姿は他の方には見えなくなりますからそのつもりでお願いいたしますね」
「あ…うん」
 よかった。それなら世間体だのなんだのは気にしなくていいわけだ。そんなことを考えているうちに、家にたどり着いた。
「ちょっと…待っててね、寒いだろうけど…」
「お気になさらないで下さい」
 天使って寒がるのかな、などと思いながら、孝義は部屋の片づけを始めた。いくら相手が天使だとはいえ、女の子の姿をしている相手には見られたくない物もあるのだ。
「いいよ、どうぞ」
「お邪魔します」
 こうして、アモリエルは孝義の家に厄介になることとなった。
 
「ねえ、アモリエル。堕天しても多少の力が使えるから、お礼をしてくれるって言ったよね」
「あ…はい。でも、申し訳ありませんが本当に大したことはできないんです。ご期待に添えるかどうか」
「う…ん」
 自分の悩みが大したものなのかどうか、孝義には判断が付かない。でも、話すだけ話してみてもいいだろうと思った。
「実はね…」
 孝義はアモリエルに、さっきまでの車の中のため息の原因である悩みについて話した。
「それで…わたしはどうすればいいのでしょう? その喜美子さんという方が、貴方を好きになるようにすればいいのですか…?」
「あ…ん…」
「でも、わたし、人の心を操るなんてできません…」
「あ、そ、そんなのじゃないんだ」
 そんなつもりはさらさらなかった。別に彼女の姿形だけが好きだというわけではない。心が操られている喜美子に好きになってもらっても仕方がない。それなら写真でも眺めていた方がまだましだ。
「つまり…クリスマスまでに何とか彼女に俺の気持ちを伝えたいな…と。で、彼女と一緒にクリスマスを過ごせたらな…と。そういうことだよ」
「ああ…そうでしたか」
 アモリエルはにっこりと笑うが、すぐにその表情をくもらせた。
「一緒に過ごして…どうするんです?」
「え?」
「姦淫は、七つの大罪の一つですよ」
「かんい…! ちっ、違うって! そんなこと考えてないよ!!」
 孝義は思わぬ単語が飛び出してきて、真っ赤になって怒鳴った。それを見たアモリエルは、再び表情をやわらげる。
「そうですか、ならよろしいのですけれど。
 わかりました、機会を作ればよろしいのですね」
 
 学校の休みは二十四日、つまりクリスマスイヴからだ。それまで何日か、まだ授業がある。つまり、あと何回かは喜美子に会えるというわけだ。
 出がけに、アモリエルが、
「孝義さん、傘をお持ちになって下さい。それから、喜美子さんとご一緒なさるときは車道側を歩いて下さいね」
 と言った。
「傘? こんなにいい天気なのに? 天気予報でも何も降らないって言ってたし、車もあるし、ここらの雪なら降っても濡れないよ」
「そのうち、わかります」
 アモリエルがにっこり笑うので、孝義はとりあえず彼女の言うとおり、傘を持っていくことにした。
 
 その日の放課後。
「あ、いけね」
 ふと、孝義は図書館の本が借りっぱなしになっていることを思い出した。少し前のレポートに使ったもので、レポートが終わると同時に本を借りていたことも忘れてしまっていた。
「忘れてきたよなあ…」
 と思いながらカバンを開くと、なぜか本が入っている。
「アモリエルかな…。助かった」
 本を持って図書館に行くと、見覚えのある後ろ姿があった。
「あ…」
 孝義の心臓が一瞬ひっくり返る。それは、谷口喜美子の姿だった。
 孝義は喜美子の外見だけが好きなわけではない。だがもちろん、外見が嫌いなわけでもない。
 喜美子は孝義よりも半年くらい年下なので、今は十九歳のはずだ。だが、童顔でもう少し年下に見える。まだ高校生でも通じるだろう。さすがに中学生というと無理があるが。
 顔立ちは一見して大人しそうな印象を受ける。性格も、だいたいその印象を裏切らない。
 髪は栗色で、三つ編みにしている。長さは腰より少し上まで。ほどくと結構量も多くて、手入れも大変だろうと思うのだが、いつも艶があってきれいで、他の女の子からもよくうらやましがられている。
 その髪が向こう側の席に見えたのだ。しばらく見とれていたが、はっと我に返り、本の返却手続きを済ませた。
「沢辺君」
 と、後ろから声がかけられた。振り向くと、
「谷口さん」
 がいた。どうやら向こうの方でもこちらに気づいたらしい。
「あたしこれから帰るところなんだけど、沢辺君は?図書館に寄ってくの?」
「いや、本返しに来ただけだから」
「そうなんだ。じゃ、一緒に帰ろう」
「ああ」
 本当は飛び上がるほど嬉しかったのだが、さすがに長い間片思いを続けているとその気持ちを隠し通す方法くらいはわかるものだ。
「送るよ」
 喜美子のアパートは孝義のそれよりも近いので、車で送っても大した時間もかからないのだが、もし余計な時間がかかっても孝義はそう申し出ていただろう。
「ありがとう」
 喜美子はにっこり笑った。そして、二人で駐車場に向かった。
(そういえば、アモリエルが車道側を歩けって言ってたっけ)
 思い出して、孝義は車道側に回った。
「いい天気だね」
「ほんとに。暖かくていいね」
(アモリエル、どうして傘持っていけなんて言ったんだろう?)
 などと孝義がボーッと考えていると、
 ばしゃっ!
 いきなり隣を車が走り抜け、今日の陽気で溶けてぐしゃぐしゃになった雪を思いきりはねていった。
「おわあっ!」
「沢辺君!」
 喜美子が驚きの声を上げる。幸い、車道側に孝義がいたので、彼女は全く濡れていない。そのかわり、孝義は全身ずぶぬれだ。
(なるほど…だからアモリエルは傘を持って車道側歩けって言ってたのか…。さすが天使、お見通しってことか…)
「大丈夫、沢辺君?」
 ハンカチで孝義の顔と髪を拭きながら、心底心配そうな顔で尋ねてくる。
「ああ、大丈夫だよ…。それより谷口さんこそ濡れなかった?」
「あたしは大丈夫…ごめんね沢辺君、盾にしちゃって…」
「いいんだよそんなの」
 孝義は、一瞬口をつぐんで、無理に何とか笑みを作ると、言った。
「谷口さんの盾になら喜んでなるよ」
「え…」
 喜美子は一瞬何を言われたかわからなかったようだが、すぐに、
「やだあ沢辺君ったら。冗談ばっかり」
 といってにっこり笑った。
「ははは」
(冗談じゃ、なかったんだけどな…)
 
「どうでした?」
 アモリエルが心配そうに尋ねてきた。
「うん、結構いい雰囲気だった。ありがとう、アモリエル」
「喜んでいただけるとわたしも嬉しいです。
 あら? 傘はお持ちになって下さらなかったのですか?」
「いや、持っては行ったんだけど…。ああいうことだとは思わなかったから、使えなかった」
「そうですか…では、はやくお着替えになって。お風邪でも召されたら大変」
「あ、うん」
「そうですね…。では、明日は正午に、大きな木の下にいらっしゃってみて下さい」
「大きな木?」
「はい」
 アモリエルは微笑む。
「そのためにも、身体にお気をつけ下さいね。お風呂にお湯を入れておきましたから、ゆっくり温まって下さい」
「ありがとう、アモリエル」
「いいえ、どういたしまして」
 アモリエルは翼で顔を少し覆った。照れているようだった。
 
 次の日、孝義はアモリエルの言うとおりの時間に、校舎の近くにある大きな杉の木の所へ行ってみた。
「あれ…?」
 木の根本に何かが落ちている。
「財布?」
 名前の類は見つからない。仕方ないので財布を開けてみた。
 カード入れに学生証が入っている。そこにある名前は…。
「これ、谷口さんの…。アモリエルはこれのことを言ってたのか…」
 喜美子は図書館通いを日課にしているはずだ。今行ってみたらいるだろうか。そう思って行ってみると、案の定だった。喜美子は図書館のカウンターの前で、カバンだのポケットだのを探りながら戸惑っている。
「谷口さん」
 と呼びかけながら、後ろから財布を差し出すと、喜美子は驚いて振り向く。
「沢辺君…ど、どうしたのこれ…?」
「校舎近くの木の下に落ちてたよ」
「ありがとう。本借りられなくて困ってたんだ。ごめんね、わざわざ届けてくれたんだ」
「いや、谷口さんなら必ずここにいると思ったから」
 そしてまた、孝義は一瞬黙る。
「ずっと…見てたから、わかったんだ」
「さ、わべ…くん?」
 喜美子は戸惑った。また「冗談でしょう」とごまかすこともできたが、孝義の表情は真剣だ。
「沢辺君…出ましょう」
 喜美子は、孝義を伴って、図書館を出た。
 
「沢辺君…昨日からどうしたの? おかしなことばかり言って」
「・・・・・・」
「沢辺君…」
「俺…」
 しばらく黙り込んで、ありったけの勇気をふりしぼる。自分の顔が真っ赤になるのがわかったが、それでも喜美子の顔を正面から見据えた。
「・・・・・・」
 喜美子も、孝義が何を言おうとしているかうすうす感づいたらしく、少し頬を染める。
「俺…俺…君が…。
 好き…なんだ」
 はっとなって孝義の顔を見つめ返す喜美子。
「沢辺君…、沢辺君。
 あの…あたし、とっても、うれしいよ。
 でも…でもね。あの…あたしね、
 好きな人…いるんだ」
 消え入りそうな声だったが、その言葉は孝義の心を深々と刺し貫いた。
「あの…ほんとに、ごめんね。
 でも…沢辺君が嫌いなわけじゃないんだよ。
 その…沢辺君、とっても、いい人だから…
 きっと、あたしなんかよりすてきな人が見つかると思うよ。
 あっ、あたしっ、用があるから、これでっ」
 いい人、か。
 好きだって言った相手に、そう言われたらおしまいだ。
 孝義はそのままベンチにすわり込み、がっくりとうなだれた。
 ばつが悪くなったのか喜美子があわてて走り去ったため、あたりにはもうだれもいない。
 一人残された孝義の上に、白い雪が降り始めた。
 
「う…ん」
 次に孝義が目を覚ましたのは、自分の家の布団の上だった。
「よかった…気がついた」
 真っ先に視界に飛び込んできたのは、心配そうに自分をのぞき込むアモリエルの顔だった。
「雪が降っている中あんな所に一人きりでいらっしゃればお風邪も召しますよ。どうしたんですか?」
「・・・・・・」
 黙り込む孝義を見て、アモリエルは察したらしい。
「すいません…本当に…。わたしの力が足りないばかりに…。お礼にも何にもなりませんでしたね…。それに、すぐに風邪を治して差し上げることもできなくて。
 わたしが堕天さえしてなければ…。
 本当に、本当にすいません…」
「アモリエルが悪いんじゃないよ」
 心の底からそう思った。たぶん、誰も悪くなんてないのだ。
「でも…わたし…」
 アモリエルはうつむく。
「せめて…堕天使じゃなくて、人間だったら…泣くこともできたのに…」
「アモリエルが泣くことないじゃないか」
 そう言ってなぐさめるが、アモリエルは首を振る。
「でも、本当に悲しいんです。
 貴方が悲しんでいるのが…苦しんでいるのが…。
 本当に、わたし、悲しいんです…。
 泣けたらどんなにか楽でしょう…」
 はっ、となって顔を上げ、アモリエルは無理に微笑んでみせる。
「す、すいません…。つらいのはわたしより、孝義さんでしたよね。なのにわたしの方がなぐさめてもらったりしてしまって。
 こんな有り様だから、わたし、堕天しちゃうんだ」
「アモリエルには感謝してるよ。想いを伝えることはできたんだし。
 結果はどうあれ…ね」
 沈む孝義を見て、アモリエルは、胸が痛んだ。
 少しでも、孝義の苦しみをやわらげられたら。
「あの…孝義さん」
「ん?」
「僭越なのですけれど…。
 わたしでは…かわりにはなれませんか?」
「えっ?」
「一人でイヴを過ごすことだけは、避けられると思います」
「アモリエル…」
 恥ずかしげにうつむくアモリエルを、孝義は見つめた。
「本来、天使に性別はありません。ですが、堕天したわたしは女性になっているはずです。
 …女性のかわりには、なれると思います」
「かわりだなんて…そんな…」
「わたしにお気遣いなどなさらないで。わたしは少しでも、貴方に喜んでいただきたいのですから」
 うつむくアモリエルを見て、孝義の胸が高鳴った。
(何考えてるんだ、俺…。あんなに協力してくれたアモリエルを、よりにもよってかわりにしようだなんて…)
 自分の気持ちに戸惑う孝義を見て、アモリエルがうつむく。
「やっぱり、だめですよね、わたしなんかじゃ。
 人間でもないんですものね。
 すいません、ずうずうしいこと言って」
「いや…そうじゃない、そうじゃないんだ。ただ、すぐに移り気しそうな自分が嫌になっただけなんだ」
「移り気だなんて、そんなご心配は無用です。
 わたしたち、お友達同士ではないですか」
「そうか。そうだよね」
 その孝義の返事を聞いて、アモリエルはにっこり笑った。
「はい、そうです」
 
 こうして、二十四日の夜、孝義は、とびっきりの女友達と過ごすことになった。
 失恋の痛手が癒えたと言えば嘘になる。だが、堕天してきてくれた少女のおかげで、心の寒さはずいぶんとやわらいだ。
 窓の外を埋め尽くしている冷たい雪と同じ色の少女の翼は、本当に、あたたかかった。
 
                           <おしまい>
 
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