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第三話:男と女の友情は、あると思いますか?

 響の部屋はもともと、祐の家の空き部屋にすぎないので、鍵がかかったりはしない。だから、ふみもはつえもかなこも、入ろうと思えばいつでも彼の部屋に入ることができる。
 しかし、あの海での一件があってからというもの、三人とも一度も響の顔を見ていない。一応声をかければ返事はするものの、ほとんど部屋から出てこないのだ。
 原因が自分たちにあると分かっている三人は、無理に押し入るわけにもいかず、ただため息をつくより他なかったのであった。

「一体…何者なの…」
 夏海の表情には今や怯えすら見られる。造作もなく海を割ったかなこを見て、「鯨を一人で捕まえる」だの「原子力潜水艦と海戦をする」だのが冗談ではないということを悟ってしまったからだ。
 そんな夏海の視線を受けて、三姉妹は互いに顔を見合わせる。はつえがため息をつき、かなこが苦笑するのを見て、ふみはまるで軽い痛みを感じたように数回頭を振ると、まじめな顔で夏海の正面に立った。
「ねえ、夏海ちゃん。
 今のを見たんだから、今更『信じてね』なんて断らなくてもいいと思うけど…。
 私たち、ホントはね」
 そこまで言ってから、ふみは再び、確認するように妹たちを見る。かなこは肩をすくめ、はつえは悲痛な表情でうなづいてみせることで、姉のその視線に答えた。
「…アンドロイドなの」
「・・・・・・」
 怯えた様子だった夏海の顔が、ぽかん、と呆けた。
「…はあ?」
 言われた夏海は思わず、目の前のふみのおなかやら首やらをまじまじと見つめた。
「イクラちゃん、天馬博士や則巻博士のアンドロイドと違って、あたしたちどこも開いたり外れたりしないよ」
 そんな夏海の様子にツッコミを入れるかなこ。その言葉にうなづきながら、ふみは続けた。
「…お母さんのことは知ってるでしょう?」
「お母…さん?」
 首を傾げる夏海を見、はつえが助け船を出す。
「お姉ちゃん、最初にわたしたちのこと『姪』って…」
「ああ、そうだったわね。
 だからね、夏海ちゃん。私たち、ホントは、森祐博士が作ったアンドロイド、なのよ」
「へえぇ!」
 納得するなり、夏海の顔がぱあっと明るく輝いた。
「すごい、すごいわ! さすが森博士!」
「…あの…。さっき、お姉ちゃんがどこも開いたり外れたりしない、って言いましたけど…。分解も、できませんから…。念のため…」
 ちらちらと上目遣いに自分を見るはつえを見て、夏海はその言葉の裏に隠された気持ちに気づく。そしてぷっ、と吹き出した。
「やぁねぇ、みんなを分解したりしないって! そりゃ、あたしだって機械工学専攻の学生として、みんなの仕組みに興味がないっていったらウソになるけど…。でも、これだけうまくできてるのをバラして元に戻す自信もないし、第一、みんなみたいにどこからどう見ても人間にしか見えないのを分解するなんて、そんな気になれないわよ。『ウソです、実は人間です』っていったら、今でもあたし信じるわよ」
 夏海の言葉を聞き、三姉妹も、そして響もほっ、と安堵の息をついた。が。
「あれ?」
 突如、夏海が首を傾げる。
「みんな、ホントは森博士の姪じゃなくて、『作品』なのよね?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、『はつえちゃんの学校が休みになったから、みんなで遊びに来た』っていうのも、嘘なのよね?」
「はい…そうですけど」
「ホントはみんな、いつもはどこでどうしてるの?」
「お母さんの研究室で、一緒に暮らしてるけど…あ」
 言ってしまってから、ふみは「しまった」といった様子で口を覆う。自分たちが祐の研究室で暮らしているということがどういうことかに気づいたのだ。
「…まえじまくん?」
「は、はい」
 響の方も、ふみの失言にもう気づいていた。
「それじゃ、三人とも、前島くんと一緒に暮らしてると。そういうわけね」
 先程夏海は、「三人が人間だと言ったら信じる」と言った。それは、三人がアンドロイドだということは信じるが、人間扱いを変えるつもりはない、ということだ。
 そして、三人を人間…女の子として扱うからには、三人が響と一緒に暮らしてるということは、夏海にとってとんでもなく重大な意味を持つことなのだ。
 夏海は、自分との間に何もないからといって、響が木石だとは思っていない。その上、三姉妹が充分魅力的だということも、自分の目で見て知っている。そこから導き出される結論は、無論…。
「ねえ、前島くん。
 あたしたちって…なんなのかな?」
「え?」
「最初にみんなに会ったとき、前島くん、あたしのこと『友達』って言ったよね。
 やっぱり…そうなの?」
「それは…その…」
「そうよね、みんなみたいな女の子と一緒に暮らしてれば、そりゃあね…」
 自分たちの関係をはっきりさせておかなかったことを、響は後悔した。無論響とて三姉妹に魅力を感じていないわけではないし、彼女たちが嫌いなわけでもない。が、彼女たちに対する気持ちと夏海に対して抱いている感情では、決定的に違う。それをなんとか説明しようとしたが、うまく言葉が出てこない。
 すると、酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせている響を見かねたはつえが、意を決して口を開いた。
「あっ、あのっ…。
 違うんです、伊倉さん!」
 自分の出した大声に少しとまどったはつえだったが、ためらいながらも続けた。
「わたしたちは、その…響さんとはそんなんじゃないんです。
 わたしなんか、ただのオモチャなんですから!」
 無論、はつえに他意はない。はつえはもとより究極のオモチャとして開発されたアンドロイドなのだから、オモチャには違いないのである。だが当然、この発言が誤解を招かないわけがない。
「…え?」
 正面にいる夏海のみならず、響もかなこも、そしてあまり物事には動じないふみまでもが表情を引きつらせているのに気づき、何か自分がマズいことを言ったということを悟った。
「え…えっ?」
 戸惑うはつえを後目に、夏海はつかつかと響に歩み寄る。三姉妹はもちろんのこと、短くない付き合いの響も、こんな顔の夏海は見たことがなかった。怒っているような、悔しがっているような、悲しんでいるような。
「…前島くんがそんな人だとは、思わなかった」
「ちょっと、まっ…」
「聞きたくないわ!」
 誤解を解こうとした響の言葉は、しかし夏海に遮られる。そして夏海はそのまま自分の言葉通り、聞く耳持たないと言った態度で駆けだしていった。
 その場の四人は誰一人動くこともできず、その後ろ姿を見送るしかなかった。

 結局、もう夏海の家に世話になる雰囲気でもなかったので、四人はそのまま帰路に就いたのだが、戻ってからというもの響は部屋に閉じこもってしまった…というわけだ。
 そして響のみならず、あれからというものはつえも元気がない。
「どうしよう…わたしのせいだ、わたしの…」
 そんなことをつぶやいては、くすんくすんと泣き続けているのだ。
 確かに、原因の一端は間違いなくはつえにある。ただ単に三姉妹のうち誰かと響が恋仲だった、とかいうだけなら、響と夏海はそれでもいい友達ではいられたかもしれない。が、はつえのオモチャ発言のため、夏海は三姉妹と響との関係を完璧に誤解してしまっている。はつえのせいじゃない、と言ったらウソだ。が、はつえに悪気がなかったことも、また間違いないのだ。
「うーん。確かにあれじゃあ、響くんがあたしたちに、あんなこととかこんなこととか、あまつさえアレやソレまでやってるとか、思われるよねえ」
「わたしのせいだあ…」
 無神経なかなこの言葉に、はつえがわっと泣き出した。
「しょうがないわよ、はつえちゃんはまだうぶなネンネなんだから…」
 ふみは泣きじゃくるはつえを抱きしめて、よしよし、といった雰囲気でその背中をぽんぽんと叩いた。はつえはふみの胸の中で、
「ごめんなさい…ごめんなさい、おねえちゃん…」
 うわごとのようにつぶやきながらただしゃくりあげていた。
「そんなに気にすることないんじゃないかな。イクラちゃんと響くん同じガッコに通ってるんだから夏休み終わればいくらでも顔あわせるんでしょ? 短いつきあいでもないんだし、誤解なんてそのうち解けるよ」
「でも…うくっ、わたし…ぐすっ、こんな…ひくっ」
「何も言わなくていいわ、はつえちゃん。
 あのね、かなこちゃん。確かにそれでも、時間はかかるけど問題は解決すると思う。けど、よけいな誤解を招いて二人を仲違いさせた原因は私たちなの。
 ほうっておくのは、無責任じゃないかしら」
「う…ん。そうだね」
 かなことて、そうは言っても気にしていないわけでもないのだ。
「でも、それじゃあどうするの?」
「ぐす…」
 かなこのそんな問いに、しゃくりあげながらもはつえが、決然と顔を上げた。
「…なによりも、まずわたし…伊倉さんに会いたい。
 会って、今度こそちゃんと説明したい」
「そうね」
 はつえの言葉に、ふみはうなづいて、彼女に微笑みかけた。
「私も一緒に行ってあげる。私たちのこと、ちゃんと知ってもらいましょう」
「え、それじゃあたしも…」
 かなこも立ち上がりかけるが、ふみはそれを制した。
「かなこちゃんはお留守番」
「なんで?」
「夏海ちゃんに、私たちのこと知ってもらいに行くのよ? 『あたし決戦兵器なのよ』って説明しに行くの?」
「…そうだね。
 それじゃあたしは、なんとか響くんと話してみるね」
「そうね、そうして。それじゃ行きましょうか、はつえちゃん」
「うん」
 話がまとまり、三姉妹は、作戦会議室という名のダイニングキッチンを後にした。

 それよりも、すこし時間はさかのぼる。
 浜辺で響や三姉妹と別れた夏海は一人、自宅に戻って膝を抱えていた。
 ただひたすら、ため息だけが出てくる。
「ケンカでもしたんかい」
 そんな夏海を見て、海恵おばあちゃんが声をかけてきた。
 顔を上げた夏海だったが、さすがにすぐ話すのはためらわれた。
 何しろ、問題の出所が自分でもよくわからない。
 事の起こりは、やはりはつえの一言だ。響があんな中学生くらいの女の子をオモチャにしていた、などとはすぐには信じられないし、信じたくもない。
 落ち着いて考えてみれば、たぶんきっと、あの言葉はそんな意味ではないのだ。もし万一本当にはつえがそんな扱いを受けていたのだとしたら、はつえ自らがあれほど声高らかにその事実を発表するというのもおかしい気がする。
 落ち着けば、そういった考えもできるのに、なぜあのとき自分はああも取り乱したのか。
 よく、わからない。ただ、響が他の誰かと、ということを想像しただけで、カッとなってしまったのだ。
「悋気、かい?」
「え」
 穏やかな顔のまま耳慣れない言葉を言う海恵おばあちゃんの顔を、はっと見る夏海。
 やっぱりおばあちゃんに隠し事はできない、と、夏海は思う。
 共働きの家で生まれ育った夏海は、ご多分に漏れずおばあちゃんっ子だ。両親よりも一緒にいた時間は長い。それを鬱陶しく思ったことがないと言えば嘘になるが、海恵おばあちゃんが夏海の一番の理解者であることは間違いない。
 夏海は意を決し、少しずつ話し始めた。
 夏海自身の頭の中が混乱しているのだから、話す内容が混乱していないわけがない。考えだけでなく感情も混乱しているものだから、話は支離滅裂になった。が、それでも海恵おばあちゃんは、「うん、うん」と、話を遮りもせず夏海の話を最後まで聞いていた。
「…おばあちゃん。あたし、どうしちゃったのかな。どうしたらいいんだろう。もうなんだか、よくわかんなくて…」
 無論、人生経験豊富な海恵おばあちゃんにとって、夏海が何に悩んでいるのか、というのは一目瞭然だった。が、同時に海恵おばあちゃんは、簡単に自分が答えを出しては夏海のためにもならない、ということもわかっていた。
「あわてんでもいいから。
 落ち着いたら、あの子たちと、もう一度話してみっといいよ」
 ただ、そうとだけ言う。まとまらないながらも言いたいことを言って少し落ち着き始めていた夏海は、その言葉に、素直にうなづいた。

 次の日の朝早々に帰路に就いた夏海だったが、やはりすぐに響や三姉妹に会って話をしよう、という気にはならなかった。おばあちゃんの言うとおり、あわてず、気持ちが落ち着いたらにしよう、と思ったのだが、どうにもそわそわして落ち着かない。せねばならないことがわかっているのにそれができない自分自身へのもどかしさに、夏海はさいなまれていた。
 部屋の中を意味もなくうろうろしてみたり、組み立てかけの機械部品をいじってみたり、見るともなしにテレビをつけたりしてみたが、それで気が静まるはずもなく、結局夏海は机で頬杖をついて、ただただため息をもらし続けるという状況に落ち着いたのだった。
 ため息の回数を数えるのにも飽きてきた夏海は、ふと顔を上げる。外で何か足音がしたような気がしたからだ。
 果たして、部屋のチャイムが鳴らされる。
 しかし、夏海は億劫そうに顔を上げただけだった。今はまだ、誰とも話す気にならない。
 居留守を決め込もうとした夏海だったが、
「…あの…。わたしです、はつえです…。
 伊倉さん、ちょっとお話ししたいんです…」
 その名とその声に、思わず夏海はがたん、と音を立てて立ち上がる。
「よかったわね、はつえちゃん。夏海ちゃん、ちゃんといるわよ」
 とたんに、ふみの声がした。どうやら居留守は無理そうだ。もっとも、超高性能アンドロイドである二人を相手に居留守などどこまで通じるかもわからなかったが。
 仕方なく夏海はドアを開けた。暗く沈んだ表情のはつえがそこに立っている。後ろには、微笑みながらも少し困ったようにも見えるふみもいた。そのふみの姿を見た夏海は、心中の葛藤を一瞬忘れ、げげっ、と声を漏らしそうになった。ふみが正装…つまり、メイド服姿…だったからだ。
「とっ、とりあえず…あがって」
 最初はそれでも今日は話したくないとか何とか言ってお帰りいただくつもりだったが、メイド姿のふみをいつまでも家の前に立たせておくのもはばかられたし、それに…はつえがあまりにも思い詰めた顔をしているので、夏海はそう言っていた。

「わたしたちが…人間じゃないって、アンドロイドだっていうのは、この間お話しした通りですけど…」
 部屋に上げてもらっても、しばらくはためらうように黙っていたはつえだったが、やがて、意を決したようにぽつりぽつりと話し始めた。
「ママは、わたし達三人を作るとき、それぞれ役割を与えたんです」
「私は、家事用。この格好も、そのせいなのよ。
 つまり私は、人の形をしてるけれど、つまるところ家電なの」
 はつえの言葉を、ふみが引き継ぐ。その言葉を聞き、夏海は初めて、なぜふみがここまでわざわざメイド服でやってきたかがわかった。自分たちが何者なのか、よりはっきりさせようというのだろう。
「…ふみお姉ちゃんは、いま言ってたとおり、家電なんです。
 それで、わたしが、遊戯用の…」
「オモチャ、ってわけね?」
 夏海が言うと、ふみとはつえがこくり、とうなづいた。
「そっか…。そういう、意味だったんだ」
 聞いた夏海は、ふうう、と大きな息をつくと、少し苦笑しながら続けた。
「そんなことじゃないかと思った」
「えっ…?」
 夏海の真意がつかめず、怪訝な顔をするはつえ。
「海でね。はつえちゃんがああ言ったとき、一瞬確かにカッとしたけど…みんなと別れてほんのちょっとだけ時間が経ったら、ずぐに『そんな意味じゃないんじゃないかな』って思い始めたの。
 でも…」
「でも?」
「どうして、そんなにカッとなっちゃったのかな…って考え始めたら、すごく頭がごちゃごちゃになっちゃって…。前島くんにはあんなこと言ったきりだから、ちゃんと謝らないといけないとは思ってるんだけど…今、前島くんに会ったり…ううん、声を聞くだけでも、あたし、どうしたらいいかわかんなくなっちゃうと思うから…」
「そうなんだ」
 ふみが微笑んで、少しだけ身を乗り出した。
「心配しなくても大丈夫よ。
 実はね、今響クン、ショックで引きこもっちゃってるの」
「お、お姉ちゃん!?」
 はつえが、何を言い出すの、といった目をふみに向けた。そんなことを言ったら夏海は責任を感じて、ますます混乱を来すだけだと思ったからだ。
「よく考えてみて。どうして響クンがそんなにショックを受けたのか。
 他の誰でもない、夏海ちゃんに言われたから、ショックだったのよ」
はつえはもう言葉もなくただただオロオロすることしかできなかった。ふみはどんどん夏海を追いつめているようにしか見えない。
「…悪いこと、しちゃったな…」
 案の定、夏海の表情はどんどん暗く沈んでいく。が、ふみは優しい微笑みを崩すことなく続けた。
「大丈夫、って、言ったでしょう?
 夏海ちゃんに言われたからショックだった、ってことはどういうことか、考えてみて。
 私や、かなこちゃんや、はつえちゃんに同じこと言われたって、響クンはあそこまで落ち込んだりはしないわ」
「…え?」
 ふみの言わんとしていることに気づき、夏海は顔を上げた。
「そうだ。夏海ちゃん、私たちに教えてくれない?
 夏海ちゃんと響クンがどうやって会ったのか、今まで、どんなことがあったのか」
夏海の顔から沈んだ様子がなくなったのを見ると、ふみはそう言った。
「あ、それ、私も聞きたいです」
 はつえもそれに同調する。言われた夏海は少し戸惑ったようだった。
「今まで、って言っても、そんな劇的なこと、別になかったよ?
 それでも、聞きたい?」
 迷わずうなづくふみとはつえ。
「仕方ないなあ…」

 そもそも、響と夏海は同じ大学の工学部に籍を置く同年生だ。だが、工学部と一口に言っても3ケタに及ぶ学生がいる。だから最初は夏海も、響が同じ学部だということすら知らなかった。
 夏海が響と知り合ったのは、だから教室ではなく、見学に行ったSF研究会の部室で、だった。
 最初山のようにいた入会希望者も日を追う毎に少しずつ減っていき、互いが互いの顔と名前を覚えられるくらいの人数になった頃、ほかの新入会員と一緒に響の顔と名前も、夏海は覚えたのだ。

「たぶん、前島くんも同じだったと思う」

 SF研究会に入るくらいだから、会員は皆SF好きではあった。が、いかに同好の士といえど、微妙な趣味の差違というものは当然ある。今まで読んだ本とか、気に入っている作品とかは食い違ってきて当然だ。だから会の中でも自然と、特に話が合う者同士で寄り集まったグループのようなものができていった。

「その中で、一番話が合うのが前島くんだったの」

 その後、互いに同じ学部にいるということがわかった二人は、自然に講義でも一緒に話したりし始めたし、趣味が似通っていたので休みの日に一緒にビデオやら映画やらを見たりもするようになっていた。端から見ればそれはデート以外の何物でもなかったし、二人は付き合っているものだとみんなが思っていた。

「あたし自身だって、そう思ってたの。
 けど、最初にみんなに会ったときも、前島くん、言ったでしょ? 『俺の友達』って。
 だから、今落ち着いて考えると、あたしもよくわかんないの。
 前島くんって、あたしの何なのかな…ってさ」
「響さんのこと、好きじゃないんですか?」
 戸惑っている夏海に、はつえはストレートな質問をぶつけた。
「…好きか、嫌いか…って聞かれたら、間違いなく、好きよ。
 でも、『大好きな友達』っていうの、いるじゃない?
 前島くんのこと、友達として好きなのか、それとも…。
 自分のことなのに、わかんないの。『男と女の間に友情はあり得ない』なんていう人もいるけど…だからって、絶対に友情じゃないか、っていわれるとその自信もないし…。
 友情と、愛情って、どう違うのかな?」
 夏海は二人に聞いてみた。が、ふみもはつえもただ顔を見合わせるのみ。
 いくら本物と見まごうほど精巧に出来ているとはいえ、二人ともアンドロイドなのだ。人間の複雑な感情二つを示されて、「これとこれはどう違う」と聞かれると、さすがに性能の限界を超える。
「とにかく」
 袋小路に入りかけた会話を、ふみが軌道修正した。
「夏海ちゃんは、響クンのこと好きなんでしょう?
 響クンも、夏海ちゃんに言われたことがショックなくらいなんだから、夏海ちゃんのこと嫌いな訳ないわ。
 お互いに好きあってるんだから、とにかく会ってみるといいわよ」
「お姉ちゃん、そんな乱暴な…。わたし達と違って、人の心って複雑なのよ」
「だからこそ、単純に考えた方がかえってうまくいくことがあるの」
 いつものことながら、どうしてふみはここまで自信たっぷりなのだろう、と、はつえは思う。とはいえ、このまま響と夏海の二人ともが悩みの迷路をさまよい続けるのが得策とは、はつえにも思えない。もしかしたら、少し乱暴に思えても、ふみの言うとおり二人はとにかく会った方がいいのかもしれない。
「でも…」
 まだ迷う夏海に、ふみは力強く言った。
「大丈夫、お膳立てはわたし達がちゃんとしてあげるから」

 一方同じ頃、祐の研究室でも、かなこはただ何もせずに姉と妹の帰りを待っていたりはしなかった。
 今まで、響はほとんど部屋の外に出てこなかったし、三姉妹も何となく気まずくて響の部屋に入ったりしなかったが、別に響自身が「放っておいてくれ」とか言って他の皆を拒絶したわけではないのだ。
今回のことは、響と夏海の二人の問題だ。どうにかしようと思うなら、どちらか片方だけでなく二人ともどうにかせねばならない。
 夏海のことはふみとはつえに任せておくしかないだろう。だとすれば、響をどうにかするのはかなこの役目だ。
 意を決したかなこは、響の部屋の前に立った。
「響くん」
「…うん」
 今までも、何回か心配して響に声をかけたことはあった。そのときもこのような生返事しか帰ってこず、三姉妹は「まだ落ち込んでいる」と思い、それ以上係わるのをやめていたのだ。が、今日のかなこは引き下がらなかった。
「ねえ、入ってもいいかな」
「…うん」
 相も変わらぬ生返事だったが、言葉面はどう見ても肯定だ。遠慮する必要はないだろう。
「入るよ」
「…うん」
 ドアを開けてみると、意外にも中はそれほど沈鬱な雰囲気ではなかった。響の部屋にもエアコンはあるから、やろうと思えば窓もカーテンも閉め切って暗ーくしておくこともできるのだが、カーテンだけでなく窓も開いていて、優しい風が吹き込んできている。
 響自身もベッドにでも潜り込んでいるかと思えば、椅子に座って机に頬杖をついている。ただ、かなこが部屋に入ってきたにもかかわらず、顔を向けもせずぼーっとしているあたり、やはり普通ではないのだが。
「ねえ、響くん? そろそろおなかすかない?」
 あのときから、響はまともに食事をしていない。ふみの話では買い置きの菓子とかが少しなくなっているということなので、断食しているわけではないらしいが、それでもそろそろまともな食事の一つもしたくなっている頃だ。
「…うん」
「何か食べる? 今姉さんいないから、あたしが…作るんだけどさ」
「…うん」
「じゃ、ちょっと待っててね」
 古来より、腹が減っては戦はできぬと言う。決戦兵器であるかなこに料理の機能がないわけがない。ふみほどではないにせよ、素早く料理を作るのは決して不得手ではないのだ。一旦響の部屋を出たかなこは、ほどなく湯気の上がる器を持って戻ってきた。
「さ、どーぞ」
「…うん」
「おいし?」
「…うん」
「…なんだよー、張り合いないなあ!」
 かなこは少し大きな声を上げ、頬を膨らませてみせる。大声に反応したのか、響はようやくかなこに顔を向けた。
「…ごめん」
「ま、いいけど」
 それだけ言って、かなこは口を閉じた。
 響は少しとまどっていたようだが、やがて再び箸を進めた。しばらくの間、沈黙の時が過ぎる。
「ごちそうさま」
「残さず食べたね、偉い偉い」
 かなこはにっこり微笑んだ。
 とにかく、お腹がすいているとロクな気分にならないものだ。いくらかなこがアンドロイドでも、生き物とはそういうものだということくらいはわかる。だからまずかなこは、響のお腹を一杯にすることから始めたのだ。
「でさ、響くん。あたし、まどろっこしいの苦手だから、単刀直入に聞くね。
…いつまで、落ち込んでるの?」
 ぴくん、と響が反応した。
「イクラちゃんも興奮してたみたいだけど、いくらなんでももう落ち着いた頃だと思うよ。誤解なんだ、って言いに行けば、ちゃんと話聞いてくれると思うけど」
「…うん…。俺もたぶん、そうだと思う」
「じゃあ、どうしてここでただ落ち込んでばっかりいるの」
 イクラちゃんの所に行って、と続けようとしたかなこの言葉を、響が遮った。
「わからなくなったからだよ」
「え?」
「情けない話だけどさ。今まで俺たち、ケンカの一つもしたことなかったんだよ。だから、夏海に拒絶されるなんてこと、初めてだった。
夏海に『聞きたくない』って言われたとき、なんかすごくショックだったんだ。
それで気がついたんだよ。
 その…俺、さ。夏海のこと、好きなんだな…って」
 きょとん、とした顔になってしまうかなこ。正直、何を今更、という気がする。それに、それなら話は簡単じゃないか。余計、行って話をすればいい。わからなくなった、とは何のことなんだろう。
「でもさ。自分のホントの気持ちがそうだ、って気づいたら、夏海の方はどうなんだろう、っていうのが、全っ然わかんなくなったんだ。
 今まで、一回も確かめたことなかったからさ。夏海の方は俺のこと、ただの友達としか思ってないかもしれないだろ?
 俺の気持ち素直に伝えればいいって思うかもしれないけど、そうすれば確実に今までのままじゃいられないだろ?
 今の関係を無くすのも恐いし、正直一番わからないのは、今、夏海にどういう風に接したらいいかなんだよ。
 意気地なし、っていわれりゃそれまでだけどさ…」
 話を聞いたかなこは、響の気持ちの方がよくわからなくなっていた。
 まず響は夏海のことが好きだ。これはかなこにとっては、前からわかっていたことだ。
 従って響は夏海に嫌われたくない。まあ当然の気持ちだろう。が、ちょっとした誤解はあるものの、夏海が響を嫌っている、ということはまずあり得ないと思っていい。
 ここまでの勝算があって、何を恐れる必要があるのだろう?
 それに、「どういう風に接したらいいか」がわからないとはどういうことなのだろう? 恋人であれ友達であれ、二人は今まで親しく付き合ってきたのだ。特別何を意識することがあるのだろう?
 自分がアンドロイドだから、人の心の機微がわからないのだろうか。そこに思い至ったかなこは、小さくため息をつくと、考えるのをやめた。
「でもね、響くん。気持ちを伝えようと伝えまいと、もうとっくに昔のままじゃなくなってるって、あたしは思うんだけど?」
「…それは…」
「だったら、真っ直ぐがぁんとぶつかっちゃった方がいいと思うんだけど。
 イクラちゃんが何考えてるかわかんないなんていう今の状況より、悪くなりようなんてないよ」
「確かに、俺だってそう思わないじゃないけどさ」
 響がなおも煮え切らないことを言ったそのとき、かなこの脳裏にふみのメッセージがよぎった。三姉妹は互いに、遠距離にいても意志を疎通することができるのだ。
「まあ、ぶつかるかどうかはともかくとして、とにもかくにもイクラちゃんに会うべきだよ。お膳立ては、あたしたちがしたげるからさ!」
 言ってかなこは、響の背をばあん、と強く叩いた。咳き込む響を後目に、かなこはあさっての方向を向き、ぐぐっと拳を握りしめた。
(さあ! 姉さん、はつえ! 作戦開始よ!)

「ふぅむ。なるほどな」
 研究室で祐は腕を組む。
「私の自慢の娘たちはどうするつもりなのか。お手並みを拝見するとしようか」

「三日後に夏祭りがあるの。最高のチャンスだと思う」
 はつえが言う。イベントや遊びに関する彼女の情報収集は完璧だ。
「三日後ね。じゃ、みんなの分の浴衣作るわ。もちろん夏海ちゃんの分もね。普段と違う状況に、普段と違う格好なら、普段は言えないことだって言えるようになるかもしれないわ」
 三姉妹と響と夏海、計五着の浴衣であっても、ふみなら三日で完璧に作り上げるだろう。「ただね、三日後って前線が近づくの。簡単に言えば雨なの」
 心配そうに言うはつえに向かい、かなこは胸を叩いて見せた。
「任せなさい。天気の一つも変えられないで、何の決戦兵器よ!」
 そう。決戦兵器のかなこなら、その程度のことはやってのける。
「私たちの力、出し切りましょう」
 ふみの号令で、三姉妹は手を取り合う。
「決戦は、三日後!」

「夏海ちゃん、お祭りに行きましょう」
 その日、ふみは包みを手にして、夏海の家を訪れた。
「あ、素敵…」
 一目ふみの姿を見た夏海は言葉を失う。ふみが涼しげで淡い得も言われぬ色合いの、彼女によく似合った浴衣をまとっていたからだ。
「なつみちゃんのも勝手に作っちゃったんだけど、よかったら着てくれるかしら?」
「え? でも…」
「迷惑、だった?」
「そんなこと、ないですけど…」
「ああ、よかった! ささ、早く着てみて。きっとサイズもぴったりだと思うから」
 別にあたし、夏祭りに行きたい訳じゃ…と続けようとした夏海の言葉はふみに強引に押し切られる。そして。
「うん。我ながらいい出来ね」
 着替えの済んだ夏海を見て、ふみが満足げにうなづいた。
 一方、姿見に映った自分を見て、夏海は言葉を失った。自分で思うのも何だけれど、自分がこんなに浴衣が似合うとは思っていなかったから。いや、きっと自分がどうこうではないのだ。ふみは、どんな人にも、その人に似合う浴衣を作ってあげられるのだろう。
「よく似合ってるわ、夏海ちゃん。お祭りで響クン以外の男のコが寄ってきたら困っちゃうわね」
「そんな…」
「よし、準備万端ね。行きましょ」
「あ、はい…」
 浴衣姿の自分を見て、いつもと違った気分になっていたのかもしれない。ふみに言われると、何の迷いもなくその後を歩き始めた。
「あ、そうだ。ふみさん?」
「なあに?」
「ホントにぴったりなんですけど…あたしのサイズ、どうしてわかったんです?」
「あ、私はね、見ただけで採寸できるの。夏海ちゃんは、身長165センチで、上からはちじゅう…」
「わーっ! わーっ! い、言わなくていいですっ!」
「ふふ。ごめんなさいね。でも、自信持っていいわ、素敵なプロポーションだから」
「そうですか…?」
 薄手の布で作られた浴衣は、わりと如実にプロポーションを反映する。ふみと自分の胸を思わず比べてしまい、夏海はため息をついた。そんな夏海の様子に気づいたふみは、微笑んだまま言った。
「大丈夫よ。気づいてる? 夏海ちゃん、私より背が2センチ高いのに、体重は10キロ以上軽いのよ」
「え? そ、そうなんですか?」
「ええ。私の体重、64キロですもの」
「はあ…」
「夏海ちゃんは女性として充分、魅力的よ。もちろん、体だけじゃなくて中身もね。
 だからきっと、響クンとの関係だって、すぐにはっきりすると思うわ」
「え…」
 夏海は言葉を失う。ふみがこれから夏海と響を会わせようとしていることに気づいたからだ。そしてふみはそのために、最高のお膳立てをしようとしてくれている。
 まだひどく、ひどく不安だ。だがここまで着たら…もとい、来たら、もう後戻りはできないだろう。だとしたら、覚悟を決めるしかない。昨今は女も度胸、という時代だ。
 夏海の歩みは遅くなったが、それでも、止まることはなかった。

「響さん」
 意を決し、響の部屋のドアを叩くはつえ。だが、
がぁんッ!!
 緊張のせいで力加減がうまくいかなかった。さすがに壊しはしないものの、かなり大きな音がした。
「ど…どうしたの、はつえちゃん?」
 かなこと話してからもぼんやりしがちだった響だったが、はつえのか細い声の直後にドアを叩き壊さんばかりの轟音が響けばさすがに驚く。顔を出してみると、浴衣姿のはつえが真っ赤な顔で、それでも真っ直ぐ響を見ていた。
「あ、あの、そのっ、ひ、響さんっ!
 夏祭りに行きましょう!」
「え?」
 そういえば、今日は夏祭りだったっけ。だが響は、祭りのような華やかな場に行く気にはなれなかった。
「…悪いけど…」
「行きましょうっ」
 だがはつえは一歩も引かない。いつも大人しい彼女にしては珍しいことだ。
「ふみさんとかなこさんに連れてってもらいなよ」
 そう言ってみるが、はつえは首を振る。
「お姉ちゃん達は二人とも出かけてるんです。
 連れてってくださいっ」
 はつえは遊戯用のアンドロイドだ。迷子になどなろうはずもない。そうでなくても中学生の年齢のはつえなら、一人で行っても問題ないだろう。が、はつえが譲る気配はない。
「今、そんな気分じゃ…」
「響さん…」
 とうとう、はつえの目が潤み始めた。こうなってしまうと根が善良な響は、それ以上強く拒むことができない。
「わ、わかったよ…。わかったから、泣かないでくれよ…。
 準備してくるから、ちょっと待ってて」
 中に戻ろうとした響の裾をくいっ、と掴むはつえ。響が振り向くと、はつえが包みを差し出していた。
「?」
「ふみお姉ちゃんが…」
「…浴衣? 俺の分?」
「お姉ちゃんが…せっかく、作ってくれたんですから…」
 涙をいっぱいにためた瞳で上目遣いに見つめられれば、響が否を唱えられるはずもない。黙ってそれを受け取ると、今度こそ中に戻った。
「…ごめんなさい、響さん…」
 閉ざされたドアの前で、はつえは涙を拭った。はつえに、自由自在に嘘泣きできる機能があることは、響には内緒にしておこう。

「わあ…。けっこう、人が大勢来るんですね」
 はつえが響の裾を掴みながら、目を輝かせて辺りを見回す。はつえが生まれたのは去年の夏だ。去年は間に合わなかったので、本物のお祭りを見るのは初めてということになる。
 いささか引っ込み思案なはつえではあるが、生まれながらのオモチャである以上、晴れの場が嫌いなはずがない。柄にもなく心が高揚していくのを感じていた。
「あっち! あっち行ってみましょう、響さん!」
『はつえちゃん』
「えっ? あ…」
 脳裏に響くふみの声に、はつえはぴたりと動きを止めた。
『夏海ちゃん、連れてきたわ。合流しましょう。場所はいいわよね』
「うん」
 三姉妹は互いに意志疎通ができるだけでなく、互いの位置も把握できる。
「えっと、響さん。やっぱりあっち、行ってみましょう!」
 ぐいっ、とやや強めに裾を引っ張るはつえ。
 響もかなこから、「お膳立てはしたげる」とは言われていたが、夏海と違い具体的なことは聞かされていない。しかし、実のところ、このときにはもう、薄々三姉妹の目論見には気づいていた。とはいえ今更ここまで来てだだをこねるのも無様だと思ったし、こねたところではつえに引っ張られては抵抗できるものでもないだろう。
「わかったから、そんなに引っ張らないで」
 だから響は大人しく、はつえに続いた。そして、
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 ふみに連れられた夏海を見、やっぱり、と頭をかいた。夏海もなんだか気まずそうに目を伏せている。
「あ…の。ちょっと…久しぶりだね」
「うん。この間は…その。ごめんね、あたし、ヘンに誤解してたみたいで…」
 二人の会話を聞いたふみとはつえは顔を見合わせた。
 たぶん、響と夏海にとって、仲直り、というのはさほど難しいことでもないのだろう。だが、今日のテーマは仲直りではない。自分たちの関係を明確にすること、なのだ。
「よかったわ、誤解、解けたみたいで。
 さ、せっかくのお祭りですもの、みんなで楽しみましょう」
 はつえと違いふみは去年もこのお祭りを見ている。だから、我を忘れたりはしていないようだ。そしてさすがのふみを、この困難な命題を前にしていきなり響と夏海を二人きりにしようとは思っていないようだった。
「あ、みんなで、って言えば、かなこちゃんは?」
「かなこお姉ちゃんなら、寒冷前線をやっつけに行ってます。もうすぐ来ますよ」
「は?」
 こともなげにはつえは言うが、響と夏海は首を傾げた。
 二人の理解を超えてはいたが、実際この少し前、かなこは、ふみのそれを遙かに凌駕する高出力の熱線砲で寒気を吹っ飛ばし、寒冷前線を一つきれいさっぱり消滅させてしまっていたのだ。今ここが晴れているのはそのおかげに他ならない。周囲の人は「天気予報、外れて良かったね」などと言っているが、まさかそれが人為的なものだとは誰も思っていないだろう。
 とにもかくにもそうして天気が良くなっていたので、周囲にも、きれいな浴衣など着てめかしている人たちが結構いた。しかし、そこらのデパートで売っているような量産品に、ふみの手作りがひけを取るわけがない。
 そしてそんな手作り浴衣の中でも、ふみは意図的に、響と夏海のものだけはとびきり精巧に緻密に作ってあった。おそらくその品質は、メーカーに頼めば目が飛び出るくらいの額を請求されるような品に匹敵するだろう。
 響も夏海も、特別美男美女というわけではない。が、「馬子」というわけでもないのだ。それほど立派なものを着ていれば当然人目を引く。
 自分に向けられる視線を否も応もなく感じ、夏海は頬を赤らめると、
「や…やだな、あたし…。なんか、照れちゃう…」
 つぶやいて少しうつむいてから、ちらりと横目で響を見た。すると、ちょうど同じように視線を向けてきていた響とまともに目が合う。
「あ…」
「あ…」
 気まずくなって二人は同時にそっぽを向く。特に響の戸惑いはかなり大きかった。
 夏海は、ふみ特製の浴衣を着ているだけではない。ふみによって髪もきれいに結い上げられていたし、微かな薄化粧も施されていた。夏海はいつも清潔にだけは気を遣っているものの、ヘアスタイルには無頓着だし、顔だってすっぴんだ。響が見慣れているのはそんな夏海だったので、こんな綺麗に装った彼女を見ると、どうしても意識してしまう。
 何と言ったらいいかわからなくなってただ顔を赤くしながら黙りこくっている二人を、ふみとはつえがそれぞれ同時につついた。
「ほら。夏海ちゃん」
「え、あ、う…」
 しばらく躊躇った後、真っ赤な顔のまま、小さな声で、それでも夏海は響に言った。
「ね? に、にっ…、に、似合ってる…かなあ?」
「うぇっ!?」
 覚悟ができていないまま聞かれたせいで、素っ頓狂な声をあげてしまう響。そんな響をもう一度はつえがつついた。
「響さん」
「え、あ、う…」
 やはり響も躊躇った後、やはり真っ赤な顔のまま、やはり小さな声で答える。
「うん…。と、とっても…綺麗だよ」
「あ、ほら…。ふみさんの、浴衣がいいから」
 実は、夏海の言葉はあながち謙遜というわけではない。夏海のために作った浴衣は、襟がわずかに広く、また、微妙な角度がつけてある。胸元や首筋が下品にならぬぎりぎりで微かに垣間見えるのだ。他にも布地が局面になっていてボディラインを強調させるようになっていたりと、普通の浴衣よりもずっと着ている者を色っぽく見せる作りになっているのである。が、ふみの腕前でそれがなされているため、着ている夏海や目前で見ている響も含む常人が見ても浴衣が普通と違うということはわからない。ふみも、そんな細工をしているなどということはしらばっくれ通した。
「そんなことはないわ。響クンには、貴女だけが特別に見えるのよ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 ふみの言葉に、互いに意識しあっていた二人は何も言えなくなり、また真っ赤になって黙ってうつむいてしまった。
「あらあら」
 困ったような顔でふみははつえを見た。普段であれば、気まずくなった状況を打破するなどという気の利いた真似がはつえにできるはずもないのだが、ここはお祭り会場、はつえが最も得意とするイベントの場だ。
「あ、花火、始まるみたいですよ。あっちならあんまり人もいませんし、よく見えます」
 そしてはつえは、その期待に見事、応えて見せた。

 夜空を彩る大輪の花。このお祭りでの花火は、特別有名で近隣からも見物客が集まる…というものではない、比較的こぢんまりしたものではあるが、それでも見応えは充分だ。ふみとはつえ、そして上空から帰還したかなこは、響と夏海の二人ともが上を見上げていて、自分たちに注意を向けていないのを確認すると、二人からそっと離れた。
 しばらく二人はそのことに気づかなかったが、やがて、ずっと上を見ていたせいで首が痛くなり、ふっ、と下を向くと、その場にお互いしかいないことに気づいた。
「やだ、はぐれちゃったのかな」
「あの三人は、絶対に迷ったりしないよ。そういう機能があるからね」
「じゃあ、どうしたんだろ? トイレ…も、行かないよね?」
「うん」
「屋台でも、見に行ったのかな?」
「食べ物の類は、さっきかなこさんが『姉さんの方が三億倍上手』って言ってたし、射的とかクジとかははつえちゃんが総ナメしちゃって向こうに目をつけられてるみたいだから、それは多分ないと思う」
「じゃあ…」
 二人はまたも顔を赤らめる。が、今度は目をそらすことはなかった。
「みんな、あたしたちに気を遣ってくれたのね」
「そうだね」
「やっぱり、前島くんとあたし、気を遣ってもらうような間柄に、見えるのね」
「…そう…みたいだね」
 短い沈黙。先に口を開いたのは夏海だった。
「ふみさんたちにも話したんだけどね。
 正直、ついさっきまであたし、よくわかんなかったんだ。
 あたしにとって、前島くんがなんなのか。
 あたし自身が、前島くんをどう思っているのか」
「夏海…?」
 問いかける響の言葉をさけるように、夏海は再び空に目を向ける。
「でもね。しばらく、前島くんに会わなくて…それで、今日こうやって一緒にいたら、すごく楽しくて、嬉しくて、なんだか…なんて言うのかな、とっても…幸せで」
 そしてもう一度、響をまっすぐに見つめた。
「だから、気づいたんだ。やっぱり、あたしね」
「ちょっと待った、夏海」
 突然、それまで黙って聞いていた響が夏海の言葉を遮った。一番大切なことを勇気を出してやっと言おうとしていた夏海は、一瞬きょとんとした顔を見せると、見る間に不安で悲しげな顔になっていった。
「そ…そうだよね、あ、あははっ。
 ごめんね、へっ、ヘンな勘違いしちゃって、あたし…」
 それでも無理に笑みを作り、絞り出すように何とか言う夏海。その瞳がゆらり、と揺れた。
 自分が相手を好きになったからといって、相手が自分を好きになってくれると思うほどバカじゃない。
 結局、響にとって自分は「仲のいい女友達」でしかなかったのだろう。
 にもかかわらず、その一線を自分は越えようとしてしまった。もうこれで、「仲のいい女友達」でい続けることもできはしないだろう。
 そう思うと悲しくて、自分の迂闊さが悔しくて。
 もう一瞬だけ隙があれば、夏海は泣き出してしまっていたに違いない。が、それより前に響が口を開いた。
「ちょっと…待ってくれ、夏海。
 あのさ。夏海だったらこういうの、『古い』って笑うかもしれないけどさ。
 やっぱり…こういうの、女の口から先に言わせたくないんだよ、俺」
「え…?」
 一瞬夏海は、響の真意をつかめなかった。が、すぐに響の言わんとしていることに気づき、目を丸くする。
「ちょ、ちょっ、前島くん、それって、もしかして…?」
「もしかしなくてもそうだよ」
 さすがに少し照れがあるのだろう。前置きの後一瞬躊躇ったが、意を決した響は夏海の耳元に口を寄せ、静かに言った。
「俺、夏海のこと、好きだよ。もちろん、友達として、じゃなくて」
「…じゃあ、もう、あたしも言っていいよね?
 あたしだって、好きよ」
 もう響が何を言うかはわかっていたから、夏海の返事はすぐだった。そして言い終えると、ぷっ、と吹き出す。
「やだなあ、前島くん。ほんとにそれ、そういうの、古いと思うよ」
「やっぱりか?」
「うん。
 でも…とっても、嬉しかったけど」
 夏海が微笑むと、響は酸欠になるんじゃないかと思うほど大きく息をついた。
「よかったあ…」
「そんなに緊張してたの?」
 白々しく言う夏海。自分だって一瞬前までがっちがちに緊張していたくせに。
「だって、俺にとって一世一代の大博打だったんだよ。
 …その…。恋人、に、なれるか、それとも、友達ですらなくなっちゃうかの」
「えへへへっ。随分、分のいい大博打だったね。負けっこない、大博打」
「今にして思えばね」
 二人は顔を見合わせ、くすっ、と笑う。
「ね、前島くん?」
「ん?」
「こういう時ってさ、感極まって、あたしのことぎゅーって、抱きしめてくれたりするもんじゃない?」
「そうかもな。でも、やめとこう」
「どうして?」
「ギャラリーが多すぎるから」
「そうね」
 二人が言って、横の茂みを見た。
「わっ、ちょっ、お姉ちゃん! ばれてるよう」
「しっ! うまくやればまだ何とかなるよ!」
「あ、あらあら、ちょっと無理みたいねえ」
「あああああ、姉さん押さないで! はつえまでっ!」
 それを合図にしたかのように、その茂みから転がり出てくる三姉妹。思わずぷっ、と吹き出す響と夏海。
「見ての通り、だよ」
「…はい、おめでとうございます」
「みんなの、おかげね」
「少しは役に立てたかしら?」
「本当に、ありがとう」
「えへへっ。あたしたちも、なんだか嬉しいよ」
 五人は顔を見合わせて、誰からともなく笑い始めた。

「ほほう。それは何よりだな」
 そしてここは祐の研究所、つまり三姉妹と響の家。
 最後まで花火を見終わった一同は、二次会、というわけでもないのだが、この家に集まっていた。すいかやかき氷が用意してある辺りふみもさすがだし、ちゃんと花火セットが用意してある辺りはつえもお約束を心得ている。
 そして皆ですいかを食べたり花火をやったりしながら、ことの一部始終を(響と夏海をからかいながら)祐に報告したのだ。
 三姉妹はそうやって楽しく話していたのだが、からかわれて恥ずかしくなり少し離れたところで響と一緒に線香花火をしていた夏海は、何だか少し浮かない顔をしている。
「どうした?」
 心配そうに響が尋ねる。
「あ、うん…。ちょっと、気になることがあって」
「気になること?」
「あたし、前島くんに好き、って言ってもらえて、すごく嬉しかったんだけど…、ちょっとだけ、引っかかることがあるの」
「何?」
「ついさっきまであたしたち、友達同士なのか恋人同士なのか、わかんなかったじゃない? でも、こうやって、無事ちゃんとした恋人同士…に、なれたらさ」
 やはりまだ「恋人同士」というのは照れるらしい。少し頬を赤らめながら、それでも響を真っ直ぐに見つめた。
「男と女の友情って、あるのかな…って、気になっちゃって」
「男と女の、友情?」
「うん。結局あたしたちの間にあったのは…その、愛情…だった、のよね?」
「あ…うん」
 響もやはりまだ照れるようだ。
「あたしたちだけ見てれば、男と女の友情って、なさそうな気も、するのよ」
「うーん」
「でさ。男と女の友情がないんなら、響くんとかなこさんたちの関係っていうのは、どうなのかな…って、心配になっちゃって」
「お…おいおい」
 言われた響の方が心配になった。いきなり浮気の心配などされたって困る。
「もう一度言わせるのかよ…。俺が好きなのは、夏海だよ?」
「うん…ありがとう。わかってるんだけど…でも、男の人って、何人も同時に好きになれるって、どっかで聞いたことあるし…。
 あ、ご、ごめんね! 信用してないわけじゃないの。ただ、不安なの…」
「ほほう。青春の悩みか」
「わっ」
 突如第三者に割り込まれ、響も夏海も驚いた。
「え、あ、森博士?」
「祐さん、な、なんですかいきなり」
「いや、なかなか興味深い悩みだと思ってな。男と女の友情か」
「…あ、はあ…」
 この間ふみやはつえに同じようなことを聞いても明確な答えは返ってこなかった。だが、祐は生身の人間だし、響や夏海より人生経験豊富だ。
「私とて人生の真理を語れるほど生きてはいないが、少なくとも私は、男と女の友情というものは厳然として存在すると思うぞ」
 口を挟んできた祐は、きっぱり言い切った。それでも夏海はまだ不安げに首を傾げる。
「で、だ。響君の場合、夏海君に対して抱いているのは愛情で、私の娘たちに感じているのは友情だな。おそらく間違いあるまい。
 私に言わせれば、愛情と友情には単純明快な違いがあるからな」
「愛情と友情の…」
「…単純明快な違い?」
 響と夏海は思わず身を乗り出して聞いた。
「うむ。
 響君。例えばかなこが、君の知らない男性と一緒に歩いていたりしたら、どう思うね?」
「…そりゃ、興味くらいはわきますね、きっと」
「では、夏海君が君の知らない男性と一緒に歩いていたりしたら?」
「…なんか…嫌ですね…」
「そういうことさ。『博愛』の愛であればいざ知らず、こと男女間の愛情であれば、まず間違いなく『嫉妬』という感情がくっついてくる。友情には、それはない。『自分の友達の、自分以外の友達』は許せても、『自分の恋人の、自分以外の恋人』は許せんだろう?」
「なるほど」
 感心したようにうなづく二人を見て、祐は笑った。
「まあ、私もまだまだ未熟者だからな。今言ったことが必ずしも正しいとは断言できんが、私の見る限り、響君の『愛情』は、他には向いておるまい」
 祐の言葉に、ちらりと響を見る夏海。響は少し赤くなりながらも、それでも迷わずうなづいて見せた。
「さあ、二人だけの時間もいいが、私の娘たちにも付き合ってやってくれないか?
 あれでも、最良の友人になれるよう作ったつもりだ」
「そうですね」
 響が応える。夏海にももちろん、依存はなかった。
「ホントに、ステキな友達です」
 それぞれ、とんでもない娘たちではある。ふみは冷凍マグロも真っ二つだし、はつえは10tトラックもなんのそのだし、かなこに至っては決戦兵器だ。
 だが、今のこの幸せは、そんな三人無しではあり得なかっただろう。
 響や夏海が三人に感じているのは、もちろん愛情ではなく友情だ。が、その二つはどちらが尊い、というものでもない。
 ただ純粋に、二人は、三姉妹に会えてよかった、と思っていた。
 きっとこれからも、このとんでもない三人と一緒なら、いろんなことがあるだろう。
 でも、そんなことも、今の二人は「楽しみだ」とさえ、思えるのだった。
 実際、これからあとにあったことは、かなり、とんでもないことだったのだけれども。

〈ひとまず、おしまい〉

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