Fixer Prince 〜親愛なる妹姫へ〜 |
今更ながら、なのだが。 城の庭師はさすがに腕がいい、と思った。 春の暖かい、優しい風に吹かれそよそよと揺れる庭木と芝生。日差しを受ける新緑も申し分のない色艶を誇っている。 本当に穏やかな春の風景だ。 その庭の隅っこで、せっかく整えられた生け垣をごそごそ乱している少女の姿さえほほえましく見えた。 少女の名はリンという。生け垣に頭を突っ込みお尻を付きだしたとても上品とは言い難い格好の彼女は、何を隠そう、このセイカの国の姫君だ。 極上の漆器すら及ばぬ艶を持った流れる黒髪。少し黄みがかった肌を持っているのが普通のこの国の民の中では際だった、絹織物のような白い肌。宝石よりも深く澄んだ漆黒の瞳。 その他諸々を含め、見たところは文句の付けようのない美少女である。 が。 そのような容姿を備え、かつ、姫という身分に生まれつきながらも、リンの中身はといえば、およそ姫君らしくはなかった。 好奇心旺盛で、よく言えば活発、悪く言えば落ち着きがない。気が短くて怒りっぽくすぐにかんしゃくを起こすが、少しするとすぐケロっと忘れていたりする。あえて姫君にふさわしいところを探すとすれば、曲がったことが大嫌いで素直、ということと、機嫌さえ損ねなければ基本的に誰にでも優しいということ、そして…とんでもなく、ワガママだということ、だろうか。 そんなリンは、当然、城の中でおとなしくしていることを好まず、ちょくちょく抜け出しては城下に遊びに行っていた。当然父に見つかったら大目玉だ。だからリンはいつもいつも創意工夫をこらし、違った抜け道を開発している。今日の開発地点はあの生け垣、ということらしい。 そんなリンの脱出劇を、二人の娘が見守っていた。 長い刀を持ち、脱出中のリンの姿を覆い隠すように彼女に背を向けて立ちつつも、時折ちらりと背後の彼女の様子をうかがっているのが、一応姫君であるリンの、護衛メイド筆頭であるレイである。刀を扱わせれば、精鋭ぞろいのこのセイカのつわもの達にも引けをとらない腕前を誇っており、「侍メイド」の二つ名をほしいままにしている達人だ。 一方、脱出に手こずるリンにぴたりと寄り添い心配そうにきょろきょろ辺りを見回しているのが、同じく護衛メイド次席のヒョウだ。いささか気が弱く、自分からリンの敵を倒しに行ったりすることはまずないが、こと護衛ということにかけては彼女の右に出るものはおらず、刀だろうが槍だろうが矢だろうが完璧に防ぎきる。その上彼女が携えている、メイド服に似合わない巨大なタワー・シールドは、魔法攻撃までも遮断するというマジックアイテムである。「鉄壁メイド」と呼ばれる彼女は、レイと並んでリンの腹心中の腹心だ。 そんなリンの腹心二人だが、リンが脱出を企てると、レイはそれがご主人様の望みなのだから、とあっさり従うし、ヒョウはリンの言葉に逆らう度胸がないため、結局は二人ともが脱出の片棒を担ぐことになるのだ。 そんな二人の協力もあってか、ようやく脱出が成功したと見えて、リンのお尻が生け垣の向こうに消える。レイとヒョウは顔を見合わせると、小走りに正門へ向かった。姫君であるリンと違い、あの二人は外出が自由なのだ。 一部始終を見届けて、ふふ、と笑う僕に、静かに話しかける者がいた。 「いつものことではありますが…よろしいのですか? 姫君を看過なさって」 そちらを振り返ると、僕付きのメイドが控えていた。 一見するとどこにでもいる普通のメイドだが、リン付きのレイやヒョウ同様、アンという名のこのメイドもただ者ではない。僕の命令に従ってどんなところにも潜入するし、どんな情報でも手に入れる上、僕さえその気になって命を下せば暗殺さえやってのける「くノ一メイド」である。僕が全く気づかないうちに脇に控えていても、彼女なら不思議はない。 「いいんだよ、アン。僕は、城で窮屈そうにしているリンを、あまり見ていたくはないから」 「はい、殿下がそう仰るのでしたら」 アンは従順に頭を下げた。 自己紹介が遅くなった。 僕の名はルイという。リンの兄だ。つまり、このセイカの王子、ということになる。 リンと違い、僕は公務以外で城の外に出ることはまずない。とはいえ、僕とてこの国の王子だし、僕の父には僕以外、妾腹も含めて男子はいないので、まず間違いなく僕は父の跡を継ぐことになるのだろうから、城下や民のことを知っているに越したことはない。 それに。 当然といえば当然、世間知らずで箱入りの妹が、心配でないはずはない。 このセイカは、僕たちの父がまだ小さかった頃までは、隣国とかなり派手な戦をしていたが、今では平和な国である。だが、城下の街では当然毎日のように事件が起こっているし、リンがまたそんないざこざに好んで首を突っ込む性格をしているのだ。 だから、僕は。 「アン」 「はい」 いつもと同じように、傍らに控える僕の忠実な密偵に、声をかけた。優秀なくノ一メイドは、いつものこととてそれだけですべてを察し、姿を消した。 リンは、僕だけは「お忍び」のことを知っている、というのは気づいているようだが、こうして僕がいつも見守っていることは知らない。英才教育を受けている彼女はかなりの魔力を持ってはいるものの、所詮は箱入りなのだ。超一流であるアンの尾行に気づくはずもない。あるいは、同行しているレイやヒョウは気づいているのかも知れないが、少なくとも彼女たちがリンにそのことを教えた様子はない。 だからリンの動向は、逐一僕の元に報告されている。普段はいきつけの食堂だか酒場だかに行っては、仲良くなった街の者達と駄弁っていたり、ゴロツキをレイやヒョウに叩きのめさせてみたりとまあ、遊び程度のことしかしていないし、リンの正体も街の者には露見していないようだ(ついでに言っておくと、リンについて行っているレイやヒョウは、城下ではメイドの格好をしていない。念のため)。 だが、事件は、ある日突然起こったのだ。 その日、いつも通りのお忍びから帰ったリンは、いつになく大慌てで自室に駆け込んだ。その様子をいぶかしんだ僕がその部屋を訪れると、入り口にはヒョウが陣取っている。 「申し訳ございません、姫さまはただいまお召し替え中でございます」 無論、リンはいつも着ているひらひらフリルいっぱいの衣装で城下に行ったりはしていない。だから戻ってきたら着替えるのはいつものことだ。とはいえ、それがここまで慌ただしいと何かあったのではと思いたくなる。 「何かあったのか?」 「そ、それは…その…」 問いただすと、ヒョウはてきめんにうろたえ、口ごもった。 「リンが危険な目に遭ったんじゃないだろうな」 「・・・・・・」 黙ってうつむくヒョウ。まったくこの娘は、護衛としては超一流だが気がいいせいでとてもわかりやすい。 「お召し物が汚れましたので」 と、部屋の扉が開き、中からレイが出てきた。この娘はヒョウよりもいささか曲者だ。ここで押し問答したところで、簡単に口は割るまい。 それに、出てきたレイを見て、ヒョウがあからさまに安堵のため息をついた。どうやらヒョウはヒョウで、時間稼ぎの役割を無事果たした、ということらしい。 「どうしたの、兄さん?」 案の定、完璧な正装のリンが、レイの後から顔をのぞかせた。 「いや。なんでもなければいいんだ」 僕はそうとだけ言って、身を翻した。 その場はそうして立ち去ったものの、そのまま引き下がるつもりは僕にはない。 「何があった」 自室に戻った僕の声に応えて、闇にとけ込む漆黒のメイド服をまとった少女が姿を現す。と、その髪がおかしな具合に縮れているのに僕は気づいたが、いちいち尋ねなくてもアンは僕の知りたいことは確実に伝える。黙って話を促すことにした。 「城下で火事がございました」 「火事? そんなもの、珍しくもないだろう?」 「はい。珍しくありません。 珍しくなさすぎるのです。今月に入ってから既に5件目です。しかも、材木屋ばかり」 「…ほう」 今は、特に空気が乾燥していて火事が起きやすい季節、というわけではない。たとえそうだとしても、月の上旬で5件は多すぎる。人為的、と思う方が当然だろう。 とはいえ、それが事件だとしても、別に僕が気にすることではない。城下には城下の治安を守るための警備隊がきちんと組織されているのだ。街の治安は、彼らに任せておくべきだろう。まあ、リンなら喜んで首を突っ込み、思いこみに基づく一方的な正義を押しつけるだろうが。 !…まさか…? 「その火事に、リンが?」 「左様です。逃げ遅れた子供を助けるために、焼け落ちそうな家に飛び込みました」 「…なっ!?」 さすがの僕も卓を叩き立ち上がった。かなり大きな音がしたがアンは眉一つ動かさない。 「姫様は魔力で火の精霊に働きかけることができますので、火傷は負われておりません。倒壊する建物は、レイ殿とヒョウ殿、そして私が防ぎました」 レイやヒョウと違い、人目に留まらぬアンは、いちいちメイド服から着替えたりしない。だから、服にもススが付いたままなのだろう。 そしておそらく、リンの服も同様だったはずだ。火を防げてもススまでは防げまい。だからリンは、人目に付かないうちに素早く着替えようと、慌てていたのだろう。 それにしても、まったく無茶なことをする。 確かに、実戦経験がないとはいえ、リンは魔法使いとしてはかなりの腕前だ。その上いずれも一流の、レイ、ヒョウ、それに僕が付けているアンもいるのだから、滅多なことはないだろう。 とはいえ、姫君であるリンの身にもしものことがあれば国中がひっくり返る大事になる。しかしリンは、そんな自分の立場にまったく気づいていない。口で注意したところで素直に聞くリンではないし、だからといってかわいい妹のリンに対して「体にわからせる」などという乱暴な方法を使う気にもなれない。 それなら、僕にできるのは、無茶をするリンを守ってやることくらいだろう。僕自身が城下に出ていけばミイラ取りがミイラになる恐れがあるが、幸い僕には権力もあれば優秀な部下もいるのだ。 そうだ。権力、と言えば、もう一つできることがあった。 今回の火事は、どうやら人為的なもののようだ。つまり、リンを危険な目に遭わせた犯人がいる、ということだ。 …思い知らせてやらねばなるまい。 それから数日間、どうもリンが城下に出ていく回数が増えたようだ。予想通り、事件に首を突っ込んだらしい。 そしてそんなある日。 「あの…兄さん?」 僕の自室を、おずおずとリンが訪れた。 ついさっきまでリンが城下に行っていたことを、僕は知っている。そして前にも言ったとおり、リンは、僕が知っているということには気づいている。だからリンは、僕に何か話したくて来たのだろう。 話しにくそうに黙っているリンは、時折ちらちらと、僕の傍らに控えているアンを見ている。…ああ、なるほど。 「アンに何か用なのか?」 意地悪く聞いてみた。 「あ、うん…」 「僕付きのメイドの、アンに? 何の?」 言いたいことはわかっている。 リン付きのレイやヒョウは、護衛としては超一流だが、調査に関してはシロウト並みか、それより多少マシか、といった程度だろう。それに引き替え、アンは情報収集に関しては超一流だ。何かの事件に首を突っ込んでいるリンが、その腕を欲しがる気持ちはわかる。が、リンも、さすがに事件に首を突っ込んでいることまで白状したくはないのだろう。どう切り出したらいいのかわからないようだ。 「えと…えとね、兄さん…?」 「ふふ。まあ、いいさ」 少し悪戯っけはわいたものの、僕は妹の困り顔をずっと見続けて楽しむほどサディスティックではない。 「アン。何の用かは知らないが、リンのワガママを聞いてやってくれ」 「ワガママって何よお。そんなのじゃないもん」 アンは従順にうなづいたが、リンは少し不満そうだった。そんなリンをなだめて部屋を辞するアンを見送った僕は一人、微笑む。 アンはもう、僕の用は済ませていたのだ。 「お呼びでしょうか」 リンとアンを送り出した後、僕は一人の男を呼びだした。僕は既に国政の一部を任されている。僕の呼び出しであれば、家臣達は一も二もなく応じるのだ。 そう、今僕の前に跪いているのはこの国の大臣の一人で、ギロンという男だ。国の施設や市街地の建設を任されている。 そして、ギロン自身は気づかれているとは思っていないだろうが、アンの調べでは今回の一件に間違いなく関与している人物でもある。 「ご苦労。さて、ギロン。今、城下で火事が多いようだけど」 何食わぬ顔で僕は切り出した。 「しかも、火元は材木屋ばかり。材木が高騰してるんじゃないか?」 「仰せの通りににございます。材木屋の他にも焼けた家は多くございますが、立て直そうにも資材が不足している有様で…供給が間に合わない有様ですので、高騰はいかんともしがたく」 「そう」 僕はしばらく考え込む振りをした。そして言う。 「残っている材木屋に、全力で資材を集めるよう指示して。遠くからの仕入れで余計にかかる費用は、僕の私財を出すから」 「はっ」 「警備隊とも協力して、一刻も早くこの騒ぎを収めるように」 そこまで言うと僕は椅子を降り、ギロンの肩に手を置いて、ニヤリと笑いながらささやいた。 「君の手腕に、期待しているよ。首尾よくことを為し遂げたら、相応の扱いは期待していい」 ギロンはあからさまに明るい表情を浮かべると、踊り出さんばかりの勢いで部屋を出ていった。 …単純なヤツだ。 「首尾はどうだった?」 戻ってきたアンに、僕は自室で尋ねた。 「また放火を目論んでいた街のゴロツキを見つけましたので、締め上げました」 さらりと言うが、情報収集のエキスパートであるアンは拷問に関してもエキスパートだ。命に別状なく最大の苦痛を与える手段を、アンはいくつも知っている。どうせ小銭ほしさかなにかで動いていただけだろうゴロツキが、それに耐えられるはずがない。 「事件の黒幕から直接命じられた訳ではないようでしたが、芋づる式にたどり着くことができました」 「誰だ?」 「材木屋のグバンです」 「まあ、そんなところだろうな」 事件の真相は、大体想像していたとおりだった。 前にも言ったが、この国は少し前まで隣国と大きな戦争をしていた。ようやく戦争が終わり復興の時期が来て、木材が大量に消費され、それを扱う材木屋がいくつもできた。 が、復興がおおかた済むと、それほどの件数の材木屋は不要になる。 自分から廃業した材木屋も多かったが、残った業者の間では当然、生存競争が繰り広げられた。 そしてこれもまた当然、その生存競争の中では不正な手段を使う者もいた。 アンの言葉にあったグバンというのもそういう商人だ。 グバンは何人か間に人を挟みゴロツキと接触、他の材木屋を中心に街に火を放たせた。商売敵をつぶし、その上家を建て直すための材木も売れるという一石二鳥の手、というわけだ。更に職業上知り合ったギロンと結託し、ギロンに賄賂を送って警備隊に圧力をかけさせことをうやむやにせんとした。まあ、よくある類の企みだ。 が、彼らはそれぞれ、ミスを犯した。 グバンのミスは、火を放った商売敵の屋敷の近くに、たまたまリンがいたと言うこと。 ギロンのミスは、警備隊に圧力をかけたということが僕の耳に入ることを防げなかったということだ。 「このことはリンに?」 「話しました」 「そうか」 先程僕がまいた餌に食らいついて、ギロンは結託していた材木屋…グバンだった訳だが、まあ別に誰だっていい…の所に行くだろう。そして、その屋敷には。 まず間違いなく、リンが殴り込む。 次の日の朝。 案の定、僕の所にギロンの「病死」の知らせが届いた。グバンも「事故死」したらしい。 ことの一部始終はもちろん、アンを通じて僕の耳にも入っている。病死や事故死は当然表向きのことで、二人ともリンとともに殴り込んだレイが斬殺したのだ。 実はこういったことは、初めてではない。このセイカが平和になってからもうだいぶ経つし、平和が長く続けば中身が腐敗するのは必然だ。 そしてリンは、僕とは違い、そんな腐った連中が許せないのだ。 だが、そのたびに悪者の所に殴り込んでいるリンは、裏で僕がいろいろ動いていることは知らない。 例えば、一国の大臣がこうも不自然な死に方をしたのに、誰も追求しないのはなぜか? 絶大な権力を持つ者が、介入したから、だ。 今回もきっと、リンは僕が何をしていたか、最後まで気づかないだろう。 それでいい、と、僕は思う。 リンは、自分が正義を貫いた、と思いこんでいる。そのために実の兄が権謀術数を巡らしたと知ってはどう思うだろう。 僕はずっと、リンの黒幕。 それでいいんだ。 そんなことを考えながら、僕はまた城の庭を眺めた。 城壁に飛びついた少女の、ぷらぷら揺れるか細い足。そんな少女を見守り案じる二人のメイド。 …ふう。やれやれ。 〈おしまい〉 |
あとがき 突発的思いつき短編「FixerPrince」でした。 もともと話の出所は、 「シスターがプリンセスならブラザーはプリンスだよねえ」 などというワケのわからない発想でした。で、王子様が出るならお姫様、お姫様が出るならメイドさん、と連鎖的に登場人物が決まっていったのでした。 お話の方は、読んで頂ければおわかりのように、「時代劇のストーリーを違う視点から見たらどうなるか」というところからできています。が、正直あまりパッとしない出来になってしまいました。そのせいでキャラもちっとも生きず、これなら素直にリンを主人公にした活劇の方がよかったんじゃないか、とも思っています。 あと、お話の舞台となったセイカには結構細かい設定があります。かなり和風の国で、漢字仮名交じり文が使われています。だから、キャラ達もそれぞれ実は「累」「鈴」「冷」「氷」「闇」「義論」「虞磐」と、漢字の名がついてはいます。国も「精華」です。いや、だからなんだってこともないんですけどね。 腹心メイドたちももっと活躍させてあげたいので、もしかしたらまた同じ舞台で別のお話を書くこともあるかもしれませんが、とりあえず今回はこのあたりで。 ではまた、次回作でお会いいたしましょう。 |