今回もまた、君主の仕事について考えてみよう。 後継者を残す、という件はともかくとして、すぐに思いつく君主の仕事といえば、大雑把に分けて外交と内政、ということになるだろう。 ここでいう外交には、血を流す外交、即ち戦争も含まれるが、いずれにせよそれらは優秀な部下でもできること、場合によっては優秀な部下の方がよいことだというのは前回も述べたとおりだ。 もう一つ、内政の方だが、こと政治ということについては事情は外交と同じで、君主であることそのものに大した必然性があるわけではない。 しかし、君主であることそのものが絶大な効果を持つ場面というのは、やはりある。儀礼や式典の類がそれだ。「高官の列席」と「皇族の列席」では、前者がたとえどんなに高位でも、やはりつく「箔」というものがまるで違う。ましてや「皇帝の列席」などともなればその式典は国内でも最高の権威ありと位置づけられることになる。 当然、それほどの式典を催せるほどの者はそうそういるわけではない。が、やはりいるところにはいる。 ジャルドゥラン帝国にある国立大学・スレイマニエ学院は、そんな数少ない「それほどの式典を催せる者」の一つだ。 帝国の第三代皇帝であり現在の帝国の基礎を築いた英雄であるスレイマン帝が、諸部族を統一し周辺のいくつかの国を併合して現在の首都ジェンネットを作り上げた後、彼の孫であるハミトの成人が数年後であったこともあり、「これからジャルドゥランをより発展させるには優秀な人材の育成が肝要」と考えて創設した学院で、代々ジャルドゥランの皇族も通うのが通例となっている。ハミトも、今は亡きハミトの兄弟達も、そしてカディルもこの学院に通っていた。 ちなみに在学期間は何年、とは決まっていない。学生それぞれがその目的や立場などから必要と思える知識や技術を一通り身につけたと教官たちに認められれば卒業である。カディルは13で成人した後通い始めて、6年間で学問を修め、去年卒業している。 なお、皇太子であるカディルはここで政治学やら帝王学やら軍学やらといったことを学んだのは当然だが、同時に武人でもあったため、魔法も一通りここで身につけている。武人にとって魔法を身につけないで出陣するということは武具の何かを欠かしたまま戦場に出向くということと同じことなのだ。 そう、この学院は単なる知識だけを身につける場ではない。ジャルドゥラン国内…否、ジャルドゥランが近隣一の大国であるが故に、周辺諸国も含めて随一の、魔法使い養成機関でもあるのだ。そしてそれは同時に、魔法兵団および魔法兵器の製造機関であることも意味する。魔法が持つ戦力からして、この学院は軍事上の重要拠点ともいえるのだ。 このように重要な施設であるスレイマニエ学院が、今年、創立50周年を迎え、記念式典を開催することになった。これは当然皇族…それも皇帝出席級の大行事である。 ここで少し困ったことになった。現在の皇帝ハミトは寝たり起きたりの半病人である。国民にそのことを伏せているだけに、公式の場に闘病生活のために衰えた姿をさらすことは避けたかった。影武者くらいいるにはいるが、学院は前述した現実的な理由だけでなく、「母校」という心情的な理由でも皇族にとって大切な場所なのだ。影武者で済ませたくはなかった。 そこで一計を案じたのは学院の院長である。 幸い、ハミトからカディルへの実権委譲は国民の知るところでもあったし、リュヤとの成婚も果たして国民の間で話題になってもいた。しかも、カディルは学院を去年卒業したばかりで、在学生や在学の教官たちにも親しみ深い皇族である。 あえて記念式典に現皇帝のハミトではなく時期皇帝のカディルを、という選択をしても、国民も不審に思わないタイミングである、と判断した学院長は、式典への出席をカディルに依頼したのだ。 果たして、関係者も国民もその判断を不審には思わず、カディルも皇太子妃リュヤともども出席を了承した。 ところで。 皇帝の病状をはじめとする皇室の諸事情に通じており、政治的問題をも含む微妙なタイミングの判断を行った学院長がどんな人物かというと。 実は、「じい」ことニザームその人だったりするのである。
「はあうぅーっ。疲れたよう…」 リュヤとて良家の娘だ。礼儀作法やら有職故実やらの類は一応しつけられてはいる。しかしそれが得手かどうかは全くの別問題で、もとより親衛隊員になるほど武芸に通じていることからもわかるように、体を動かしている方が得意なのだ。覚えることが多く、ミョーに勿体ぶったポーズで停止したりすることもある式典というヤツは、できないこともないが疲れてしまう。 今日は式典の演習と打合せ、ということで学園に来ている。一通りそれが済んで帰りの馬車の中、ようやく解放されて晴れ晴れ、という表情を隠そうともしないリュヤに、思わずカディルは笑みを漏らす。 「あー、笑わないでよカディルう。あたしがこういうの苦手だって知ってるでしょ」 「はは、まあな。しかしあの段取りの打合わせしてるときのお前の顔を思い出すとなあ」 「もう…」 ムッとするリュヤだったが、ふと、カディルの段取りの方がもっと面倒で、にもかかわらず彼が淡々とそれをこなしていたことに思い至った。 「…さすがだよね、カディルは。やっぱり皇太子殿下だよねえ」 「忘れるなよ。お前だって皇太子妃殿下なんだからな。そりゃもう面倒だぞぉぉぉ」 えらく陰鬱な声と顔で迫るカディルに、リュヤは世にも情けない顔をした。成人の儀式やら立太子の儀式やら、「そりゃもう面倒」なことを既にいくつもこなしているカディルが言うと説得力が違う。そういうのが苦手なリュヤとしては、 「あややー…」 とか言いながら悲しげな顔をするしかなかった。そのトホホな顔がかなりおもしろかったので、もっとからかってやろうかとカディルが思ったそのときだった。 「失礼いたします、皇太子殿下、よろしいでしょうか!」 カディルらが乗る馬車に何者かが声をかけてきた。もとよりこの馬車は数多くの護衛に守られており、怪しい者は声が届くところまで寄ることもできない。馬車に声をかけることが許される時点である程度は安心していいといえる。カディルがそれでも用心しつつ馬車の窓から外を垣間見てみると、声をかけた相手はそれに気づいたのか、にっこり笑って手を振って見せた。 「イェルか!」 「はい、カディル殿下、ご無沙汰しています」 カディルの呼んだとおり、声をかけたその相手の名はイェルという。この学院で、去年までは文字通りカディルと机を並べていた学友だ。 この学院は学費も国費でまかなわれており、望む者には誰にも門戸を開いてはいるが、やはり皇太子と机を並べるということになるとそれなりの地位のある者に限られる。このイェルも例外ではない。 彼女の父はジャルドゥラン皇室に仕える宮廷魔導師である。ジャルドゥランの武官の筆頭は親衛隊長なのだが、宮廷魔導師はそれに匹敵する文官の筆頭にあたる地位である。つまり偉い。 父親がそれだけの地位にあり、年齢も同い年なので、イェルはカディルとも幼い頃から何度か会ったことはあった。さすがに乳兄妹であるリュヤに比べれば一緒にいた時間は短いだろうが、同じ学院に通っていただけあって、課題とか実習とか、協力して何かを成し遂げたことはリュヤより多い。学院で最も親しかった学友と言っていいだろう。 「今度の式典においで頂くのですね」 「ああ。まあ面倒だが、母校のためだしな」 「おや、リュヤ? …ああ、そうだ、妃殿下になったのだったね」 「あ、うん。イェルも久しぶり」 そんなイェルはリュヤとも知り合いだ。お互い、それぞれ文官筆頭と武官筆頭の娘なのだから面識くらいない方が不思議だ。場合によっては政敵同士、ということもあり得る組み合わせではあるが、文官筆頭と武官筆頭が仲違いなどしようものなら家臣団が真っ二つに割れかねないとのハミトやニザームの配慮もあり、2人の父親の関係は良好だ。おかげで2人も友人同士であった。 とはいえ、イェルはカディルの卒業後も学院に残り魔法研究を続けていた。魔法技術も天賦の魔力もかなり高レベルのイェルであったが、親衛隊員となったリュヤとは違い、仕官するつもりはなかったらしい。そのため、カディルもリュヤもイェルと直接会うのは久しぶりだった。それが懐かしいのだろうか、イェルはリュヤの顔をまじまじと見つめている。 「…え…と? あたしの顔に何かついてる?」 「うむ。目と鼻と口とその他色々がついているな。 それから、口にお昼ごはんのソースがついているよ」 「え嘘っ」 わたわた慌て出すリュヤ。今まで19年間、乙女としていささか問題なのかもしれないが、鏡も持たずに生きてきた。皇太子妃になった今ではもちろん手鏡くらい持っているのだが、持ち慣れないため慌てるとどこにしまってあるかわからなくなってしまう。そんなリュヤの慌てぶりを見てイェルはくすりと笑った。 「安心していい、冗談だよ」 「…ひどいよイェル…」 「ふふ、すまないすまない。 しかし、君も変わっていないようで安心したよ」 楽しそうに笑っていたイェルだが、そこで彼女の顔から笑みが消えた。 「…これなら…大丈夫かな…」 小さくぼそりとつぶやくイェルの声をカディルは聞き逃さなかった。 「何が大丈夫なんだイェル?」 「…カディル殿下。実は折り入ってお話ししたいことがあります。後ほど宮廷に参上してよろしいでしょうか」 表情を引き締めてイェルは尋ねる。いかに宮廷魔導師の娘とはいえ、自身は無位無冠であるイェルは、リュヤと違い宮廷出入り自由というわけにはいかない。が、それでもやはり父の地位があるので無碍にはされない。皇太子が口頭であれ許可を出せば文句を言う者は誰もいないだろう。イェルがそこまで考えているということを察したカディルは、 「ああ、かまわん。俺はこれからすぐ戻るから、そっちの準備ができたらいつでも来い」 即答すると、馬車の横にいた従者に短く指示を出した。それを見たイェルは深々と頭を下げた。 「感謝いたします。 ああ、そうだリュヤ、君も同席してくれないか? 迂闊に殿下と二人きりになっては何をされるか」 「おい」 「…もとい。あらぬ噂を立てられないとも限らないからね」 冗談交じりではあったが、イェルも立場としては結婚前のリュヤと変わらない。政略結婚の道具になるのが普通の身だ。彼女の言う通り、迂闊に皇太子と二人きりになったら、下世話な、という意味ではなく、政治的な意味で嫌な噂を立てられないとも限らない。リュヤも自分自身の問題としてそのことは実感できたので、すぐにうなづいた。
イェルはリュヤと違い、どちらかといえば体を動かすのは苦手な方だ。だから動きにくい衣装を着たり礼儀作法の通りの立ち居振る舞いをしたりということにリュヤほど抵抗は感じていない。その日の夕方、約束通り王宮を訪れた彼女は、魔導師のきちんとした正装に身を包み、いちいち正規の段取りを踏んで入ってきた。ただでさえ宮廷魔導師の娘という身分の彼女にそこまで礼を尽くされると、宮廷にいる大した地位でもない下っ端役人などかえって恐縮してしまっていた。だから、部屋に彼女が入ってきたとき、カディルもリュヤも少しあきれていた。 「相変わらずだなお前も…」 「ええ、けじめはつけねばなりませんからね」 「けじめ、ね。 こういう言い方はあんまり好きじゃないんだが…だったらイェル、まだ学校にいた頃に俺が命じたこと、忘れたか?」 「はあ…」 少しイェルは困った顔をした。そんな様子を怪訝そうに見るリュヤ。 「ね、命じたことって?」 「『俺に対して臣下の礼は不要』ってことだよ」 「ああ。カディルってそういうの面倒くさがってたもんね、いつも」 リュヤは納得するが、イェルはカディルに反論する。 「あのとき、『人目があるところではご容赦願いたい』とお願いしたはずです。殿下にもそのことはご了承頂いたはずですが」 困ったままの顔を向けてくるイェルに、カディルは意地悪そうな笑みで答えた。 「ないぞ、今も人目なんて」 「リュヤが…」 「気にするあたしじゃないよ」 さすがにそのあたり夫婦で幼なじみ、リュヤもすぐカディルに荷担する。 「むう…」 2人がかりでそこまで言われてもイェルはまだ逡巡しているようだった。 「そういえばイェル、あたしも全然気にしてなかったんだけど、イェルあたしにはタメ口じゃない。あたしだって今妃殿下なんだよ?」 「うあっ」 生まれながらに皇太子であるカディルと違い、リュヤとはつい先日まで対等の友人だったから、イェルともあろう者がつい失念してしまっていた。生まれのせいでお互いに「対等」という相手が少なかったので、気の置けない間柄であったのが仇になったのだろう。 「あはは。ねえカディル、珍しいねイェルが慌ててるよ」 「そうだな、滅多に見られるもんじゃないぞ」 今まで培われてきたコンビネーションを悪用する2人に、とうとうイェルが音を上げた。 「かっ、からかわないでくれ2人とも! わかったよ、まったくもう…」 ふてくされたような口調で言っても、行儀悪く足を放り出しているリュヤとは違い、この国の女性の作法の通りにきちんと座るあたりがイェルらしくはあった。それでも口調はかなりくだけたものになる。 「殿下、イスマイル教授のことを覚えているかい?」 「イスマイル教授? ああ、あの」 カディルにはすぐわかったようだったが、学院に通っていないリュヤには当然何のことかわからない。 「どういう人?」 「イスマイル教授ってのはな…」 先に、スレイマニエ学院は望む者には誰にでも門戸を開いている、と述べた。 それは、学ぼうとする若者に対して、だけではない。道を究めんとする学者や魔法使いに対しても、である。この学院は近隣随一の教育機関であると同時に研究機関でもあるため、他国から訪れる者も多かった。 ただ、学院に所属して研究することを希望した者には、二つの義務が課せられる。ジャルドゥランの国立機関であるのだから、研究成果を定期的に国に報告すること。そして、学生たちに対しては教官として働くこと、である。つまり、報告するほどの研究成果をあげられなかったり、秘密主義に走って研究内容を隠したり、それから、そもそも教官として人にものを教える能力がなかったりすれば、いくら誰にでも門戸を開いているとは言っても居続けることができないのだ。 イスマイル教授は、その意味で、かなり微妙な人物だった。 まあ一応魔法兵器開発が専門らしいが、研究の報告は最小限。隠しているのか成果を上げられていないのかはわからないがどちらにしても資格喪失につながりかねない。その上授業は極めていい加減で、教官の方が講義に送れたりサボったりと、学生の間でも語りぐさになっているほどであった。カディルもイェルもVIPであったため、さすがにそんな不良教官が直接教鞭を執ることはなかったが、それでも2人の耳には彼の噂が届いていたほどだ。 「で、あの教授がどうしたんだ?」 「どうにもこの頃挙動不審なんだ。 最初におかしいと思ったのは、彼が使った後の攻撃魔術演習場の整備をしていたときだった」 イェルの専攻は、本当は専門用語の難しい名前が付いているのだが、平たく言って実戦用の攻撃魔法だ。 彼女は実に優秀な学生で、既に師事する教官を理論でも実践でも凌駕しているという評判ではあるが、それでも身分が学生である以上、雑用もせねばならないことがあったし、また進んでそれをやる性格でもあった。 彼女がせねばならない雑用には、専攻が専攻であるだけに、先ほど彼女の言葉にあった攻撃魔法演習場の整備のような仕事も含まれる。 もとより攻撃魔法を、それも学生たちの未熟で制御が不充分なものをも炸裂させるような場所である。その整備には細心の注意を払わねばならないのだが、几帳面なイェルはそれに適任で、今はそれを一手に引き受けていた。「攻撃魔法演習場のヌシ」などと呼ばれてもいるのは、まあ余談ではある。 ともあれ、そんな彼女のことだから整備には細心の注意をいつも払うのだが、その折気づいたことがあるのだという。 「…私の思い違いだと思いたいのだが…。 あの教授、呪詛爆裂弾を研究しているのかもしれない」 「なんだと?」 それまで、久しぶりにゆっくり話す機会であっただけにイェルの話をリラックスして聞いていたカディルだったが、その言葉を聞いたとたん眉根を寄せ、緊張を走らせた。隣にいたリュヤもそれは同様だ。リュヤは基本的に魔法関係には疎いが、それでも武人としての教育は受けており、戦に使われるものについてに限っては魔法の知識も持っていた。「呪詛爆裂弾」は、「爆裂弾」というくらいだから兵器である。リュヤもどんなものか知ってはいた。 今現在の戦で実用化されている爆弾には大きく分けて二種類ある。即ち、火薬を詰めたごく普通の爆弾と、攻撃魔法を発動させるマジックアイテムである魔法爆裂弾だ。 呪詛爆裂弾は後者の一種である。攻撃魔法の代わりに、あるいは攻撃魔法と同時に、呪詛が発動するというシロモノだ。 ものが呪いであるだけに、一般的な魔法爆裂弾よりタチの悪い効果がある。負った傷が治らなくなったり、傷を負ったものの親類縁者にまで累を及ぼしたり、炸裂した場所を不毛の地にしたり、使われた後その場所に足を踏み入れたものまで病にしたりと、戦に参加していない者にまで牙をむき、使った結果勝ったとしてもその後勝った側にも都合が悪い兵器であるため、「戦いのための兵器」ではなく「殺すための兵器」と思われ、あまり評判は良くない。 幸いなことに、呪詛爆裂弾は通常の魔法爆裂弾に比べ作るのが非常に難しい。普通の魔法は決まった手順を踏めば発動する。人間が使った場合は術者の能力に威力が左右されるが、それを帯魔物質で代用している魔法爆裂弾の場合はその威力も作った時点で計算できる。一方で呪詛というものは、その力の源は恨みであり怨念である。その矛先を不特定多数に向けることは普通困難だし、力を発生させる手順も他の魔法に比べ体系化されていない。それを爆弾にしようとすれば、何者かのとてつもない怨念が染みついた品物を使うか、邪神の力でも用いる儀式を行うかせねばならない。それらが首尾良くできたとしても、力の出所が出所であるだけに使った際の効果を予測するのが困難である。 つまり「呪詛爆裂弾」というものは、兵器として実用化するには不確定の危険要素が多すぎ、そのくせ使った場合の被害は敵味方ともに大きいという、おおよそ真っ当な研究者であれば手を出すようなものではないキワモノなのである。有効な使い道といえば自爆テロくらいだろうか。極端な話、その研究をしているというだけで危険思想の持ち主と疑われる恐れすらある。 「呪詛爆裂弾なんて…、あんな物の実験なんてやったら隠せるものじゃないんじゃないの?」 リュヤは首をかしげるが、カディルはもっと厄介な可能性に気づいた。 「…まさか…『解呪術式弾』も、ってことか?」 解呪術式弾とはその名の通り、呪詛爆裂弾によってかかる呪いを解くための物である。呪詛爆裂弾の実験を行った後、呪詛の影響が残っていないのだとしたら、あり得る可能性はそれだ。 読者諸兄の中には、あるいは、先ほど「呪詛爆裂弾の研究をしているだけで危険思想の持ち主と疑われる」とあったが、そんなものがあるのなら「呪詛爆裂弾による被害を解消するための解呪術式弾の開発」を目的とした呪詛爆裂弾の研究、というものも成り立つのではないか、とお考えの方もおいでかもしれない。しかし、前述の通り呪詛爆裂弾の製造技術というものは体系化されてはおらず、どこかの誰かが作った呪詛爆裂弾の効果に対する解呪術式弾を作る、ということは非常に困難…を通り越してほぼ不可能なのだ。つまり解呪術式弾というものは自分が作った呪詛爆裂弾に対する物しか作ることはできず、結局はマッチポンプの「ポンプ」でしかない。呪詛爆裂弾だけなら自爆テロくらいしか使い道はない、と先程述べたが、解呪術式弾が揃えば脅迫にも使うことができるようになるのだ。 「さすがは殿下、ご明察だね。私もそうじゃないかと思う」 「もし、本当にそうだとすれば…本格的にヤバい人なんだな、あの教授」 「ああ。だが、私が見た限りでもその疑いがあったというだけの話で、物証がある訳じゃない。『呪詛爆裂弾と解呪術式弾の実験をしたんじゃないか』と考えている私が思い違いをしているだけかもしれないのだしね」 冗談めかしてイェルは言う。イェルも思い違いであってほしいと思っているのだろう。母校にテロリストがいるかどうか、という話なのだから。 だが、余人であればいざ知らず、イェルは魔法については超一流だ。他の誰もが気づかない、解呪術式弾で打ち消されたはずの呪詛爆裂弾の微かな効果の残滓に、彼女だけが気づいたと思った方が間違いない。カディルはそう思ったから、取って付けたようなイェルの笑みに笑みを返すことはしなかった。そんなカディルの態度に、イェルは再び表情を引き締める。 ほんの少しだけ、イェルにはカディルを試す意図もあったのかもしれない。そしてやはり、カディルはいい加減な言葉で誤魔化せるほど無能ではなかった。心にあった尊敬の念を再確認しつつ、イェルは続けた。 「研究の報告が義務づけられてるとは言っても、研究の秘密は守られてる。端くれとはいえ同じ研究者の私が教授の研究の内容をこれ以上探るのは無理だと思う」 「それで、俺なら強権で研究内容の提出を命じられるだろう、と踏んだ訳か」 「相変わらず殿下は話が早いね」 「よし、確かにそれが本当かどうかは確かめておかないとな」 カディルが腰を上げたそのとき、扉の向こうから別の誰かの声がした。 「殿下、妃殿下とのお時間を邪魔してばかりで申し訳ございません。じいにございます」 「お、じい! いいところに来た、入ってきてくれ」 丁度このことでニザームと話そうと思っていたところにやってきたのは、タイミングのいいことにそのニザームだった。失礼いたします、と声をかけ入室してきたニザームは、同席していたイェルを見て少し驚いた風な顔をした。 「ご無沙汰しております、ニザーム学院長」 「これはこれはイェル様、宮殿においでのお客人とはイェル様でしたか。それでしたら話が早い、実は殿下…」 「学院長、今はそのお話よりも先に聞いて頂きたいことがあります」 なぜか満面の笑みを浮かべ、何かを話し始めようとするニザームの言葉を、イェルが途中で遮った。 ニザームは学院長という立場でありながら、1人1人の学生のことも大雑把には把握している。ましてその身分と能力から、イェルの話はよく聞き及んでいたし、学院以外の場でも顔を合わせ言葉を交わしたこともある。実はその他にも理由があるが、ともあれニザームはイェルのことをよく知っている。 自慢するわけではないが、ニザームはリュヤやイェルの父より偉いのだ。実はニザームの就いている「皇室執事」という地位は家臣筆頭であり、それより高位には皇族しかいないのである。まして、イェルにとっては所属する学院の学院長でもある。 そんなどう考えても目上の者の話に、ちょっとやそっとのことで割り込むイェルではない。そのことがわかっていたため、ニザームも無理に話を続けようとはしなかった。 「実はな、じい」 カディルは一通り、イェルから聞いた話をニザームに伝えた。事実であればとんでもないことであるが、やはり相変わらずニザームは落ち着き払っていた。 「そういうわけだ、じい。研究成果の提出を命じてくれ。ただ、素直に出すとも思えないから…裏の方もな」 「承知いたしました。 ご迷惑をおかけして申し訳ございませぬのう殿下。ただでさえ学園の式典のご用意でお忙しいところですのに…。 リュヤ妃殿下にも慣れぬことばかりお願いしてしまいまして、恐縮です」 「い、いいええそんな」 リュヤは頭を下げるニザームに恐縮し慌ててしまう。その様子に苦笑して頷いてみせるカディルに、再び頭を下げ、ニザームは言った。 「では、後のことはじいにお任せ下さいませ」 「そうはいかないだろう。呪詛爆裂弾の話が本当ならコトは学院の中だけじゃ済まない。もちろんヘタに広まれば国内も対外関係も拙いことになるだろうから大事にはできないが、俺たちも俺たちでできることはしておかないとならないだろう。 それにな、じい。呪詛爆裂弾の研究なんてコトが表沙汰になれば一大事だってことくらい、イスマイル教授だって承知の上だ。それがどうして今この時期に、実験なんてしたのか。 …もうすぐ、それを使う千載一遇のチャンスがあるから、だろう」 カディルの言葉に、ニザームはふむ、と頷く。 「記念式典、ですな」 「ああ。テロだか脅迫だかは知らないが、各界の要人が集まる式典だ。標的にするにはもってこいだろう。しかしあまり大勢に警戒を呼びかけるわけにもいかない。 だったら、対策を考えるのは俺たちしかない。そう判断したから、イェルは俺に直接話したんだろう」 ちらりと横を見るカディル。イェルはそれに小さくうなづいた。 「なるほど、さすがはイェル様。てっきり例の話の関係かと思っておりましたが」 「例の話?」 カディルとリュヤが怪訝な顔をした。 「学院長、ですからそのお話はこの件が片づいた後で…。どちらにせよ記念式典の後立て続けというわけにはいかないのですし」 「ふむ…。まあ、その通りではあるが…。 ですがイェル様、この件は周りの段取りだけで済むことではございません。あまり先延ばしにもできませんぞ」 「…それは…わかっていますが…」 「…ではイェル様、ご同道願えますかな? 今後の段取りのことをお話し致しましょう。まだ閣下にお話がございますか?」 「…いいえ」 ニザームに言われ、イェルはカディルの方をちらりと見た。何故か少し頬が赤らんでいる。 「どうしたイェル?」 「…殿下。面倒なことを頼んで済まなかった」 「いや、大事なことだからな。そっちもいろいろ大変だろうに、わざわざありがとう」 にこっ、と笑うカディルに、イェルは一瞬言葉を失う。 「…学生の頃からそうだったね。結局何か難しいことがあると、私は殿下を頼ってしまう。面倒ばかりをかけている」 「そんなことはないさ。俺が知ってる限りで、将来性まで考え合わせれば、学者として魔導師として一番優秀なのはお前だよ。そりゃ確かに面倒事は一杯持ってこられたがな、どれもこれも大事で難しくて、お前じゃなきゃどうにもならないようなことばっかりだった。そんなときに頼ってもらえるのは正直、面倒だったが嬉しかったよ」 「…持ち上げないでくれ、主席は殿下なんだから」 「ん、まあ…な。だが俺の限界はあそこだよ。まだ研究を続けてる今のお前にはもう勝てないさ」 「そんなことは」 否定しようとするイェルの言葉を遮り、カディルは続けた。 「まあ、俺のことなんてどうでもいい。俺と比べようが比べまいがお前が優秀なことは間違いないんだから。 それで、俺も、まあ皇帝の実務引き継いでな。ちょうど優秀な人材が欲しいところだし…お前が無位無冠ってのも惜しいと前から思ってたんだよ。 どうだ、この一件が終わったら、俺のところに来ないか」 言った途端、イェルは驚きを、リュヤは苦笑を、ニザームは意味深長な笑みをそれぞれ浮かべた。 「ん? どうした?」 「で、殿下…それは、その…。期待に沿えるような沿えないような…」 イェルが、彼女にしては珍しく歯切れの悪い事を言う。 「ささ、イェル様、そろそろ参りましょう」 しどろもどろのイェルに助け船を出すようにニザームが言う。ほう、と意図のわからない息をついて、イェルはニザームに続き、席を立った。 「…ねえ、カディル?」 二人が退出した後、リュヤが苦笑したまま話しかけてきた。 「ん?」 「今、自分が何言ったかわかってる?」 「? スカウト」 「…カディルもさあ。あたしには言われたくないと思うけど、ニっブいよねぇ」 「なんだよそれ」 「あたしに言ってたじゃないの、何人もお后様持つことになる、って。まだあたし一人だけなんだから、今周りでほかのお后のこと考えてるとこだよきっと。 そんなときに、カディルは、宮廷魔導師の一人娘に向かって、『俺のところに来ないか』なんて言っちゃったんだから。しかもニザーム様の前で。 ほかのお后様のお話がどういう風になってるかあたしも全然知らないけど、イェルだって充分候補になる娘なんだよ。例えもし今までに何の話もなかったとしても、今ので確実にイェルはカディルのお后様候補になったね、うん、間違いないよ」 「はあ!?」 「まあ、あたしはさ、イェルだったら上手くやってけると思うから別にいいけどさ。 それに、イェルだってカディルのこと、きっと好きだよ。気づいてた?」 「なんだと!?」 「だからたぶん、話を持ってこられたら断らないね」 「さ、さっきのはそういう意味じゃ…」 「けど、『リュヤは、皇太子殿下に、気に入られないってことはない』っていう言質にはなったよ」 「う…」 「どう? カディルはイェルのこと、嫌?」 「そ、そんなことは…あ、いや、好きとか嫌いとかそういう…うう」 一夫多妻が当然の国であるとはいえ、自分の妻に、ほかの女のことが好きか嫌いか、などと聞かれればやはり答えづらい。カディルはしどろもどろになりながら目を白黒させていた。リュヤはそんなカディルを楽しそうに見ていた。
その少し後。スレイマニエ学院の学院長室では、ニザームを前にイェルが居心地の悪そうな顔をしていた。 イェルがここに呼ばれたのは、例の呪詛爆裂弾の一件について話すため、であった。が、来てみるとそんなことはとっとと脇へ追いやられ、話題は二人が出ていった後のカディルの部屋でリュヤが予想した通りのことになっていた。 「そ、それは確かに光栄なことだと思います。今皇太子妃になるということは、ゆくゆくは皇后、ということですから…。ですが、それだけに私などでは身に余るかと…」 「イェル様は、殿下のことがお嫌いなのですか?」 好々爺然とした顔でニザームが聞く。イェルの顔色が面白いくらい劇的に変わった。 「め、滅相もございません! …で、ですが…それと、私が殿下のご迷惑にならないかということは別の問題です。私は所詮学院の中しか知らない者です。狭い世界にいる狭い視野の持ち主です。リュヤのように殿下のお心を細やかに察することができるわけでもないのです」 「イェル様。自分の世界が、視野が狭いということを自分でわかっているものは、広い視野の持ち主ですぞ。 それに、儂は学院長として、イェル様はどこへ出しても恥ずかしくない方だと思っておるのですがのう」 「そんな…学院長…」 学者で魔導師、という経歴も、生来の性格もあって、イェルには物事を理屈っぽく難しく考える傾向があるし、また、心配性でもあった。リュヤのように「好きな人のところへ行ける夢みたいわあい」とすんなりはいかなかった。 「どうしてもお嫌ということであれば、無理強いをするつもりはございませんが…」 「嫌、というわけではないのですけれど…」 とはいえ、この話そのものが嫌という訳では決してない。イェルの父は権力とかにはほとんど執着しない人物であったがそれでも有力者だ。彼女にもいつ政略結婚の話が来てもおかしくないし、好きな人と結婚できるなどというのは夢物語、という諦めはリュヤ同様あったのだ。 この話そのものは嬉しい。だが、自分が皇太子に嫁ぐに相応しいか、と言われると自信はない。そんな思いがイェルの決断を鈍らせていた。 「ふむ…」 ニザームも長い人生でそのあたりの心持ちは察することができた。 「では、イェル様。このお話は例のイスマイル教授の一件の後にもう一度考えることといたしましょう。 呪詛爆裂弾の一件は微妙な問題です。それこそ我々の力が問われることとなりましょう。首尾よく解決できたなら…イェル様は、ご自分にもっと自信を持たれてよろしいかと」 「…はあ…」 生返事をするイェルだったが、ニザームの言うとおりこの一件が微妙な問題であることは確かだ。とりあえずは気持ちを切り替え、そのことだけを考えることにイェルは決めた。
〈第二幕「敬」後編に続く〉
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