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絵 で 読 む 「平 家 物 語」

長野郷土史研究会 小林 一郎・小林 玲子

 このページは、長野郷土史研究会の機関誌「長野」193号から220号に連載された「絵で読む『平家物語』」の冒頭を掲載しています。絵は長野市松代町真田宝物館所蔵の『平家物語』絵入り写本(三十巻)の挿絵です。この本は松代藩主真田家旧蔵で、江戸時代中期の嫁入り本と思われます。

 長野郷土史研究会幹事の小林玲子は、この本の挿絵(250枚余)をスライドで上映しながらその場面を語る 「絵語り『平家物語』」 を、夫小林一郎(副会長)とともに各地で上演してきました。それをもとに二人で連載したのが、「絵で読む『平家物語』」です。

小林 玲子の「絵解き」活動


挿絵は、「長野」193号に掲載

 

[1]殿上の闇討(1)

 栄華を極めた平家も、清盛の祖父正盛の代までは殿上人ではなかった。

  平清盛の父忠盛は、得長寿院を造営し千一体の仏像を安置した功により
殿上人となった。しかし、他の殿上人たちはそれを快く思わず、宮中の儀
式の時に暗殺しようとたくらんだ。それを伝え聞いた忠盛は、護身用の短
刀を腰に差して参内した。一方忠盛の家臣、左兵衛尉家貞は、忠盛の護衛
のために庭に控えていた。蔵人がとがめて言う。「おまえは何者だ。無礼
である。すぐに外に出よ。」家貞は答えて言う。「今夜、主君が闇討ちに
あうと聞いておりますので、こうして控えております。外に出る訳にはま
いりません。」これによって、その夜の闇討ちはなかった。

[2]殿上の闇討(2)

  儀式の終わった後、殿上人たちは訴え出た。「刀を差し、護衛を連れて宮中
の儀式に参列するとは、まったく前例のない無謀なこと。早速官職を解かれる
べきでございます。
  そこで、鳥羽上皇は忠盛を召して事情をお尋ねになった。忠盛はお答えする。
る。「家臣が庭に控えておりましたことは、まったく存じませんでした。忠義
な家臣が私の危険を察知して、自ら控えていたのでございましょう。また刀は
竹光でございます。お確かめください。」
  刀をご覧になった上皇は仰せになった。「後で訴えられることを考えての行
為は、誠に感心だ。また家臣の行為も、武士としては当然のことだ。忠盛に罪
はない。」
  こうして忠盛はおとがめがなかったばかりか、かえってお褒めに預かった。

[3]鱸(すずき)

  忠盛の子清盛は出世を遂げて従一位太上大臣にまで至ったが、それも
熊野権現のご利益だといわれている。
  それというのも清盛がまだ若かったころ、伊勢の海から船で熊野権現
に参詣したことがあった。その時、大きな鱸が船の中に飛び込んできた。
清盛は修験者の勧めにより、精進潔斎の道中ではあったが、その鱸を料
理して家臣たちに食べさせた。そのためか良いことばかりが続いて、清
盛は異例の出世を遂げたと言われている。
  太政大臣となった清盛はその翌年五十一歳の時病にかかり、その治癒を願って突然出家して浄海と名の
り、人々から入道相国とよばれるようになった。

[4]禿髪(かぶろ)

  六波羅に屋敷を構えていた清盛のことを悪く言う者は、一人もなかった。そ
れは、清盛の考えで、年十四五六の髪を「かぶろ」にした少年たちを三百人そ
ろえて、都中を往来させたからだ。「かぶろ」たちは、もし平家のことを悪く
言う者があると、他の仲間に触れ回してその家に乱入し、その者を捕らえて六
波羅へ連行した。「六波羅のかぶろ」と言えば、馬や車もよけて通ったという。

(以下続く)