里山教室「杣(そま)小屋」のページ     

 

 

里山とは・・・

私たちの遺伝子の中には、縄文期から脈々と受け継がれてきた

「森」の生活の記憶が刻み込まれています。

森の中に住み、森の恵み(木の実・山菜・きのこ・けもの・・・)

をいただき、火を囲み、又その火を見つめてきた長い歴史があります。

縄文の時代においては、恵み豊かな「森」が広大にあり、

それに比べて人の数はとても少なく、縄文人と呼ばれる人たちは

木の実や獲物を捕るだけ採って、又次の場所に移動するということが

可能だったのです。

やがて、弥生期になると農耕が本格的に始まり、

人々は稲作に適した場所に定住するようなり、生産性が向上するとともに

人口も増大していきました。

農耕に適した「森」は切り開かれまたは焼き払われて農地となり、

その周囲に広がる山から「森」の恵み(建築用材や燃料・・・)を

採取するようになったのです。

ここで、縄文期とちがってきたのは、定住して人口が増えたことにより、

近くの一定の「森」=「山」のみを集中的に利用するようになっていった

ということです。

これにより、人々は「森」からただ収奪するだけでなく、永続的に利用できるよう

「森」をコントロールする=管理する必要が出てきました。

様々な「森」の恵みを採り尽くすことなく、巡る年も又巡り来る年も

又その次の年も、利用できるように配慮しなければならなくなったのです。

そんな「森」の利用の仕方、「山」との関わり方が、長い歴史の中で又、

いろいろな歴史の中でつい最近まで受け継がれていました。

それが「里山」なのです。

その「里山」が近年の急激な生活環境の変化(食料生産力の向上・輸入、

流通経路の圧倒的な発達、燃料の変革・・・)にともなって利用されなくなり、

放置されて荒れたままになっています。

また、「里山」のある農山間地ではどこも過疎や高齢化が進み、

そこに住むものだけでどんなに科学が発展しても作り出すことのできない

天然のミネラル豊富なおいしい水を・・生み出してくれる「山」を

維持管理することが困難な状況に陥っているのです。

しかし、幸いなことに最近では、自然の少ない都市部に生活する

人たちの多くに、「森林」にたいする欲求の急速な高まりが感じられ、

「森林」の持つ教育的機能やレクリエーション機能にたいする評価も

定着しつつあります。

 私たち里山の会は、自らも「現代的里山」を作る職人であるとともに、

都市住民と「里山」を結びつける様々な機会や企画を提供していく

ことによって、「現代的里山」を守り作っていきたいと考えています。

 現代っ子達の多くは、テレビやゲーム・パソコンなどで

バーチャルな世界に浸り、実体験や自然体験をする機会が非常に

少なく、とてもアンバランスな生活をしていると我々は考えています。

そんな子供達に、「生の自然」をできるだけ体感ししてもらい、

遊びの中から・・・「日本の里山」の歴史やありがたさを感じ取ってもらい、

次の世代に「日本の里山」や「森」「山」などを大切にしていくことが

人間が未来に生きていく上で・・・本当に大切なことなんだということを、

わかって欲しいと思っています。

             by 福田哲也・高力一浩・秋山恵生

「日本の森の中で、もっとも絶滅を危惧されている

                 生き物は・・・人間の子供です」

                                                                         C.W.ニコル
                                                                    訳 福田哲也

           

                 このページの文章はいずれまとめて本にする予定のものですので

                            無断転載はご容赦願います・・・・鉄下駄

 

                                                    

  里山教室「杣小屋(そまごや)メンバー紹介

 福田哲也(里山技術担当)・・黒姫在住の作家のアシスタントを10年務めた後、里山コンサルタント「かけす」を立ち上げ独立。妙高高原山里案内人会幹事。焚き火では、手製の縦笛が聞けるかも・・

 高力一浩(地域文化担当)・・黒姫のことなら山の隅々まで知っている「黒姫の達人」ロッジしらかばの兄い。長野県自然観察インストラクター・薬草指導員。ネマガリタケを採ってきてくれるかも・・ 

 秋山恵生(自然環境担当)・・自称・森のもの知り博士。長野県自然観察インストラクター・薬草指導員・グリーンツーリズムインストラクター。食べられる植物は、私にお任せを・・

 

 

 

 雪の森と、スノートレッキング

 『雪の森』という言葉を聞いたとき、どのようなイメージを思い浮かべますか? 実際に雪の森を歩いたことがなければ、きっと、「寒い」「暗い」「何もない」 「危ない」・・など、ネガティブな言葉がつぎつぎと連想されるのではないでしょうか。
 スノートレッキング(雪の森歩き)が、里山教室の積雪期における重要なプログラムであるため、私個人としては、インストラクターとして、雪の森へ入っていく機会がかなり多くあります。そんな経験のなかで、私が 『雪の森』という言葉から思い浮かべるのは、「自由」「明るさ」「開放感」など、ポジティブな印象ばかりです。この違いというのは、いちど体験していただければ、実感としてお分かりいただけると思うのですが、ここではグリーンシーズンの森と、雪が降り積もった森との比較においてお話しさせて頂きます。
 まず、雪の森のもっとも魅力的な点は、その自由さにあります。日本の森は、下が笹などのヤブに覆われていることが多く、夏場は遊歩道など決まった場所しか歩くことができません。しかし、いったん雪が降り積もってそのヤブを覆ってしまえば、森の中を自由に歩き回ることができるようになります。積雪が多ければ、小川などはまったく問題なく渡れますし、池や湖も完全に凍ってしまえばその上を歩くこともできます。湿原も雪が積もれば、木道にとらわれることなく歩けるわけです。決められた道を歩くのではなく、自らが選んだコースが道となっていく・・、そんな自由さがスノートレッキングの魅力なのです。
 また、雪が多く降る地域は、森の大部分が落葉広葉樹に覆われているので、木々のほとんどは冬に葉を落とします。そのため、森の中は夏場よりもはるかに日当たりがよく、雪の照り返しもあるので、とても明るく感じられます。その上、遠くまで見通しがきくようになりますので、開放感も増しますし、バードウォッチングなどもしやすくなります。さらに、よく晴れた日などは、澄み切った青空と、白い森とのコントラストが美しく、見ているだけでも心に爽快感が湧いてきます。
 その他にも、雪の森の利点としては、雪上に足跡がはっきりと付くのでアニマルトラッキングがしやすい、熊(実際に爪痕がある森へと入っていきます)やヘビが冬眠し、ハチもいないので安全、蚊・ハエ・アブなどのうるさい虫もいない・・と、まだまだ沢山あるります。
 このように、さまざまな優位点を持つ雪の森は、今後、環境教育の新たなフィールドの一つとして、また、スノートレッキングは、体感教育のプログラムとして確立していく要素を十分に備えているのではないかと思います。

                              里山教室「杣小屋」
                                 秋山 恵生
                                  

 

森のお話                         里山教室「杣小屋」 高力一浩

 

森について少し・・・

日本の本来の姿は、西日本では何も手を加えなければ

すべて照葉広葉樹でモサモサと埋め尽くされてしまいます

東日本は、落葉紅葉樹と針葉樹の混合林

北海道の一部のみが針葉樹林帯です

つまり手を加えなければ、我々の住めるところなんて

ごくわずかな地域しかないのが日本なのです

そして、縄文時代の人々はその森に暮らし、森と上手につきあって

狩猟や採集を糧にしていました

縄文も終わり頃になると、様々なものを栽培するようになり、

さらに、弥生になって大陸から入ってきた人々によって稲がもたらされると

大々的に水を溜めて稲を栽培しようとしてきた

その証拠に関西平野には、今でも池の多いことといったら・・・・・

そして、蓄えることができ、収量が高く、しかも連作障害がない稲は富を集中させた

富が集中すると、権力誇示のために巨大な建造物が必要になる

いきおい、川を使っての木の伐り出しが始まる

木が伐り尽くされると木を求めて別な川の川下に都を移す

そうして都は次から次へと移り、関西平野からはいち早く森が消滅した

今も、関西地区にはげ山が多いのを見てもよくわかる

ただ、一部の「鎮守の森」や「神の住む森」だけは例外だった。

そして、やがて戦国・江戸時代となり・・・

巨大建造物や大火などにより、木はすっかり伐り出され

あの木曽地方でさえ、はげ山になりそうだった

そこで慌てて策をとったのが、尾張藩の留山であった

しかし、たいした効果がでなかったため、

かの「木一本・首一つ」政策が生まれた

これは、むごい策として有名だが、とにもかくにもこのような政策のおかげで

日本は禿げ山だらけにならずに済んだのである

また、古くからの「山の神」も森を守ってきた。

木を伐りすぎたり、尾根筋や急斜面の木を伐ったりすると必ず災害が起きてきた

それを「山の神」にお願いし、「山の神」を祀って

森を結果として守ってきた。

そして・・・自然との交流を絶ち、自然破壊をやめない現代には

もう・・・「山の神」はい・な・い。

「神の住む森」も・・・・・・・自然の植生も・・・・

 

 

 

  「モリとヒト」                   

             

古来より、森と人間は深く深く関わってきました

縄文の頃は、木の実の採取や狩猟にサケ・マス漁など

落葉広葉樹の多い東日本や北日本の森が、鬱蒼とした照葉樹の多い西日本より

ずーーと多くの人間を養っていたのです

その数は、ざっと30万人。

日本中での数字ですから、なんてまばらな数でしょう

一説にいう、縄文の人々は一日2時間しか働かなかった、ということもうなずけますね

けものの数の方が当然圧倒的に多く

そのけものを食べたり、ある時は食べ物を争ったり

また、共存したりしながら

ヒトはその生活を養ってきたのです。

そして、そのけものを養っていたのも森なら

ヒトも森とともに生きてきたのです。

 縄文晩期になって稲が伝わると・・・

急流の流れている東や北日本の森はあまり開発できずに

西日本の人の数が圧倒的に増えていきました

それでも、森を切り開いて田や畑をつくっても

ヒトは常に森に対して畏怖を感じ

ときどき木を伐りすぎたが為に洪水を引き起こす森を

「山の神」をもって崇め治めてきました。

 ところが・・・人がどんどん増えると場所がないからと、森に進出していくようになる

灌漑の技術が上がると、急流の流れる森にも田圃を作り焼畑農業をおこなう

しかし、「ヒト」が森深く入れば「けもの」たちと生存域がどんどん重なる

そして、ヒトは武器を持って森を押さえにかかる

それでも、森のそばに作られた畑では落葉を畑に戻し・・・

連作障害をさける知恵を生かして、森と共存していた

 ところが、今でいわれる「里山」と呼ばれる小さな森とさえヒトは

最近共存しなくなってしまった。

理由はいっぱいある・・・

人があふれかえり、住むための場所づくりに森がじゃまになったこと

在来工法の凋落により国産の木が高く売れなくなったこと

その安くたたかれた木でさえ、ツーバイフォーなどという工法には必要とされないこと

そして・・・木の実や山菜も産み、連作障害を招かない落葉樹をどんどん切って

杉やカラマツや檜等々の森を増やし続けてきた、いえ未だに増やし続けている

営林政策の長ーーーい月日にいたる間違いなどなど。

それが、人に森の価値などを忘れさせ

連作障害を農薬で抑え・・・結果また土を殺してしまう。

と、過ちを繰り返しながら「ヒト」はさらに「モリ」を忘れていく

昔から、森や山には「神」が、ずーーーっといたのに。

 

 

 

高原の春・・・・山菜情報とその採り方        

 

私たち・・・・

毎年4月も中頃過ぎると「山に呼ばれて」

いえ、「山が恋しくて」山に入る。

しかし、少し歩くとすぐに声を上げることになる

「まだ全然、山が眠っているよ」と。

そして、しばらく経つと山が教えてくれるのか・・・

「山が笑っている」のに気づく。

冬の間に鈍っていた

「自然を自然のうちに感じる感覚」がよみがえってくるからだ

それは、まさに・・・雪解けとともにゆっくりと・・・・。

さあ、そして雪が解けると山菜の季節だ

「ふきのとう」は雪解けと同時に真っ先に採れる

その後すぐに芽を吹くのは「コゴミ」だ

そしてそして、その後はもう何でも来いだ・・・

GWの頃から、「タラノメ」「コシアブラ」「ハリギリ」「ウド」・・・これは天ぷらや

「いくさ」和えに最適だ

「ウド」は生でみそをつけて食べてもおいしい・・特に黒姫のものは・・

そして、「ゼンマイ」「「ウドブキ」「ヨシナ」「アザミ」「フキ」「ワラビ」などとつづき

仕上げはやはり「タケノコ」だ

ここらあたりのタケノコはあの大きいものではなく、「ネマガリダケ」の子で

別名を「姫タケノコ」。

採ってすぐなら生で・・・そのまま焼いてよし、茹でてよし、皮をむいて天ぷらによし、

煮物によし、・・・

でも、なんといっても「鯖の缶詰」を入れた「タケノコ汁」はここらの大名物!!

そう・・・

それこそ山は、日々天然の旬の食材を提供してくれる

我々の「天然の食料庫」であり・・・そして、

自然のサイクルによるつきることのない食料庫なのである。

いや、だったはずなのである・・・・・・。

山を知っている者、山と共に生きている人、山からの恩恵に気づいている人、

山に感謝の気持ちを抱いている人、そして、強い山にも弱い一面のあることを

知っている者、そんな人ばかりが山菜を採るのなら、

毎年同じところに顔を出して我々を十分に喜ばしてくれるだけの食材を

山は提供してくれる。

ところがやはり最近・・・

生き物の限界を忘れ、ふだんの生活に・・・山からの水や、山から送られてくる

貴重な酸素にお世話になっていることを忘れ・・・ついつい採りすぎてしまう

人たちがいる

一度採り尽くしてしまったら、山菜はもう私たちが生きているサイクルでは再生しない

では、どうすればいいか・・・自然観察インストラクターということもあって・・・

ずっと考えてきた

入山の規制・採取の規制・・・でも、「山の恵みはもっとおおらかなもの」のはず

なら・・・「どう採って共存するか」「どう採れば毎年恵みを受けられるのか」

これを啓蒙していくのが山に住むもののつとめなのではないか・・

と、考えて・・・・ここにも少し書き記してみたいと思います・・・・

コゴミは、来年のために必ず2本は残す。

タラノメは、絶対に木をいじめない。

タケノコは、裏折りをしない。

フキは、根を抜かない。

ワラビは、採り尽くさないことが大事。

・・・手入れをしていい山なら時々草を刈ってやるとよくでる

お花の咲く花は、あまり採らないこと。

・・・ノカンゾウやヤブカンゾウ、ギボウシ(コーレッパ)、ハンゴンソウにアザミなど

ウドは多少深くから折っても大丈夫。

そう・・・

根がしっかりしているもの、順番に芽を出すもの・・・は生命力がとっても強いのです。

そして、山菜を採っていると山はもう一つの恵みもくれます

鳥の鳴き声です。

ホーホケキョ・ケキョケキョケキょと「うぐいす」が鳴き、

やがて「かっこう」がカッコウカッコウと鳴く

そして、カッコウに混じって鳴いているのは

ヒーツキーホシー・または月・日・星〜〜と鳴く「三光鳥」か「イカル」か

そして、そこに混じってくるのがキョキョキョ・キョキョキョ・トッキョキョカキョク

と忙しく鳴く「ホトトギス」だ

子孫繁栄のためにお互いを求めて・・・          

輝きをました声で精一杯鳴く・・・

そう、この時期は・・・一年で一番鳥の声が美しい時期でもあるのです

 

 

                                       top  page