野尻湖てくてく歩き
のご紹介(^^)
野尻湖周辺てくてくガイドはこちらから↓
http://www.town.shinanomachi.nagano.jp/kakuka/kyoiku/syougaku/tekuteku/tite.htm
野尻湖畔の紅葉も見頃をむかえています。11月中旬ごろまでお楽しみいただけます。
1)杉久保遺跡
およそ2万年前の旧石器時代の遺跡。現在は町営の駐車場となっています。細身でスラリとした柳の葉のような形をした杉久保型ナイフ形石器は、池田寅之助さんがここで集めた石器をもとに、1953年に名づけられました。
2)野尻城跡
信越国境に位置する野尻は交通の要衝で、戦国時代に上杉と武田の争奪戦が繰り広げられました。
野尻城は、上杉方の城で土塁や堀切りが残されています。
3)坪田譲治の詩碑
作家:坪田譲治は野尻湖畔に別荘を建て、10年あまりの間、ここで執筆活動をおこないました。この碑は彼の功績をたたえ、別荘の前に建てられましたが、現在別荘の建物は残されていません。
「心遠きところ 花静かなる 田園あり」
と刻まれています。
4)長尾政景の墓と五輪塔群
長尾政景は上杉謙信の家臣で、謙信に謀反の疑いをかけられ、宇佐美定行によって野尻湖で殺害されたと伝えられています。
墓は、野尻湖畔に建てられましたが、その前を乗馬で通ると落馬することから、真光寺裏の墓地の入り口付近に移されました。
また、野尻湖中学校跡地から見つかった中世の五輪塔が多数並べられています。
5)御金蔵跡
佐渡で採掘された金銀は、北国街道を通り、11日間かけ毎年江戸へ運ばれていました。
野尻宿では金銀を一晩保管するための御金蔵が安養寺の敷地にあり、野尻・柏原・古間の宿場の村役人30人がその警護にあたりました。
6)中勘助が仮住まいした安養寺
『銀の匙』で知られる、作家:中勘助は、明治44年(1911)、27歳のときに静養のため野尻湖を訪れ、安養寺の南座敷に仮住まいしました。
7)明治天皇小休所阯の碑
明治11年(1878)の明治天皇北陸巡幸の際に、休憩所となった場所に建てられた碑。
8)野尻宿説明板
図を使って野尻宿の様子を紹介した説明板があります。
9)野尻宿本陣跡
役場で大名など身分の高い人が泊まる宿を本陣といいました。
本陣をつとめた家の前には標柱が建てられています。
10)明治天皇御膳水の碑
明治天皇北陸巡幸の際に献上した水を汲んだ場所に建つ碑。
医師竹内又玄の井戸水を献上したそうです。
11)ナウマンゾウの親子像
野尻湖の発掘で見つかったナウマンゾウの化石をもとに正確に復元された実物大の親子像。
野尻湖の発掘地では、4万8千年〜3万3千年前の地層からナウマンゾウの化石が見つかります。
12)仲町遺跡発掘地
国道バイパス建設に先だって発掘調査された旧石器時代から近世までの遺跡。
特に、およそ3万年前の地層からは、たくさんの石器とともに、ナウマンゾウやヤベオオツノジカの化石、足跡の化石などが発掘されました。
13)A.R.ストーン先生の記念碑
カナダ人宣教師アルフレッド・ストーンの功績をたたえた碑。
農業改良や鍛治仕事の機械化などで地域に貢献しました。
三浦綾子の『氷点』のモデルの人物でもあります。
14)中勘助の詩碑
作家中勘助は、明治44(1911)年の秋、25日間にわたって野尻湖の琵琶島に一人こもって生活しました。
ここに刻まれた「ほほじろの声」の詩は、大正13年(1924)に野尻湖での生活をなつかしく思い出して作られたものです。
15)清水基吉の句碑
俳人作家:清水基吉が中勘助を偲んで作った句が刻まれています。
野尻湖の琵琶島にこもった中勘助は、食糧が尽きると旗を振って岸へ伝えていました。
白い旗は米、赤い旗は味噌を意味したそうです。
16)小林一茶の句碑
公民館の庭に昭和59年(1984)に建てられた句碑には、一茶が野尻湖を詠んだ、
『湖に 尻を吹かせて 蝉の鳴』 の句が刻まれています。
この句は『七番日記』の文化9年(1812)の条にあります。
17)ナウマンゾウ発掘地(立が鼻遺跡)
1948年にナンマンゾウの臼歯の化石が発見され、それをきっかけに1962年から野尻湖発掘調査団によって発掘調査が続けられています。
発電による落水のために干上がった湖底面を発掘すると、ゾウやシカの化石と石器などがみつかるため、氷河時代の狩場の跡と考えられています。
発掘は3年に1度のサイクルで、3月下旬に10日間程度行われています。
18)江戸時代の道標
江戸時代に設置された道標で、北国街道から飯山道、川東道への分岐を示しています。
商荷物は宿場ごとに馬をかえることになっていましたが、ここから北国街道をはずれて川東道を通れば、宿場を通らずに善光寺方面へ行かれたため、川東道の通行が多くなりました。
19)野田英夫の画碑
1908年カリフォルニア州生まれの日系人画家で、1934年に来日しましたが、脳腫瘍のために30歳で他界しました。
この碑は彼が滞在した旅館「坂本屋」の前に建てられています。
絶筆となった「野尻の花」は、まぶたを絆創膏でつり上げながら書き上げたといわれています。
この作品は上田市の信濃デッサン館で収蔵、展示されています。
20)伝九郎神社
もと秋葉社で明治42年(1909)に宇賀神社に合祀されました。
神殿の裏を通る伝九郎用水は江戸時代に池田伝九郎によって開さくされ、「伝九郎堰功記」の碑がそれを伝えています。
21)芭蕉の句碑
松尾芭蕉の130回忌にあたる文政6年(1823)に建てられた句碑。
裏には一茶の門人:魯堂(池田伝九郎)と関之(池田十郎平)の句が見られ、俳句が盛んだった野尻宿の様子を伝えています。【町指定有形文化財】
22)勝海舟揮毫の大鳥居の額
明治11年(1878)、明治天皇北陸巡幸の下見に訪れた勝海舟によって書かれた額があります。
大鳥居に掲げられていましたが、傷みが激しくなったために、現在は模書の額が掲げられています。
23)宇佐美定行の墓
上杉謙信の家臣である宇佐美定行は、謙信に謀反の疑いをかけられた長尾政景を野尻湖に招いて、政景に組みつき、ともに水中に没したと伝えられています。
24)ノジリボダイジュ
ここに自生していたことから、ノジリの名がつけられた植物。
シナノキ科でオオバボダイジュとシナノキの雑種といわれています。
葉の表面にはほとんど毛がなく、裏面に星状毛がまばらにあり、全体に粉白色をしているのが特徴です。
25)宇賀神社
南北朝時代には世に知られ、多くの信仰を集めていました。
延文3年(1358年)には僧の了妙によって大般若経600巻が寄進されています。
これは戦国時代に武田軍によって持ち去られたといわれ、現在は佐久市安養寺で県宝に指定されて保管されています。
26)琵琶島城跡
戦国時代に上杉・武田の争奪戦にあった城で、島全体が城の範囲です。
中央の鳥居の前には深い掘切りの跡が残されています。
27)野尻一里塚
江戸時代のはじめに整備された北国街道に設けられて一里塚。
道の両側に残っているのは珍しい。【信濃町指定史跡】
野尻湖遊覧船に乗って野尻湖一周(約40分)してもみじ狩りを楽しんでみては!