黒姫伝説   (黒姫物語)

        ・・・黒姫様と龍の物語

 

とってもおもしろい・・・伝説なんです

神秘的でいて、とても地元に密着した、人々に愛されてきた伝説です。

 

で・・・・

最近知ったのですが、

千と千尋の神隠しには続編が実はあって、「水の帰り道」と云うのですが

実はこのお話のモデルになったのが「黒姫伝説」なのです。

ビックリというかすごいことですよね・・・

 

そのお話は「水の帰り道」のページで・・・

 

ねっ、読んでいただけましたか?

すごいでしょ・・・・良いお話だし・・・

 

で、本家の黒姫伝説自体のお話は・・・

 

「黒姫物語」

  今の長野県中野市に、室町時代後期、高梨氏という一族が勢力を張っていた。高梨氏の武将高梨政盛に黒姫という美しい娘がいた。
  ある日、殿様は黒姫をともなってお花見に出かけた。 その花見の宴のなか、黒姫の前に、一匹の白い蛇が現われた。  宴の楽しさにつられて出てきたのだろう、と殿様は上機嫌で、「姫、あの蛇にも、酒盃をあげてやりなさい」と娘に勧めた。姫は蛇を怖がらずに、酒盃を白蛇の前に差し出した。蛇は嬉しそうにそれを飲み干すと、去っていった。
  その後、この殿様のところに、一人の立派な姿の若者が訪れた。「私は、あのお花見の宴の時、黒姫からお酒をいただいた者です」殿様は彼の話に驚いた。若者は、自分は、志賀山の大沼池に棲む龍だというのである。白蛇に化けて散策していたところへ、花見に来ていた殿様一行と出くわし、酒を飲ませてくれた黒姫の姿が忘れられないと言うのだ。「姫をさらうのはたやすいことですが、それでは道理に反するので、こうして伺いに参りました。黒姫をぜひ妻に貰いたいのです」殿様は断わった。人でない者に、大事な娘を渡せなかった。しかし、この龍はその後も、毎日毎日、殿様もとを訪れた。屋敷を厳重に警備しても、無駄だった。龍は必ず殿様の前に現われた。そして、龍の熱心な姿に、いつしか黒姫は龍に心ひかれるようになる。
  殿様は部下と相談し、龍に策をかけた。罠にまんまと陥った彼は、殿様たちから、殺されそうになる。
  「礼をつくした返答がこれか!」龍は激怒し、本性を現わすと、たちまち天にかけのぼった。とたんに、大嵐がおこった。あちこちで洪水がおこり、あたり一面地獄のような光景と化した。黒姫はこれを見て、矢も盾もたまらない。  「龍よ、私はあなたのところへ行きましょう。だから嵐をしずめておくれ」
  たちまち龍が下りてきて、黒姫を乗せると再び天にかけのぼった。龍は妙高と戸隠の間の山に降りたち、山頂の池で黒姫と暮らすようになった。以後、姫嶽山と呼ばれていたその山を「黒姫山」と呼ぶようになったという。

 


こんなお話なのですが・・・

実は他にもいくつもあって・・とても似てはいるのですが・・・・いかに黒姫様がみんなに愛されていたかを感じさせます。

まずは信濃町では、「黒姫様と七つ池」とも言われているものです

 

  
  

「黒姫様と七つ池」 

 むかし、信州中野の箱山峠のふもとに室町時代後期、高梨様のお城があって、そこに、黒姫様ともうされる、たいそう美しい姫様がおられました。 ある春のこと、高梨様は数人のお供をつれて、奥方様や姫様といっしょに琵琶池のほとりへ花見にでかけました。 高さ六十尺(約180メートル)ものカンマン滝を近くにし、四方の山々をながめながらの花見の宴に、たいそう満足なさって城にもどられました。 さて、その翌日、琵琶城の城主だとなのるりりしい若者が高梨城に現われて、「黒姫様を妻にいただきたく思いますので、おとりつぎを願いたい。」と、もうします。 門番のものが、「おとりつぎの前に、お名前をお聞かせください。」と、たずねたところ、なんにもこたえないまま、姿を消してしまいました。 つぎの日も、またつぎの日も、その若者が城にやってきては、同じことのくりかえしです。そこで、数日が過ぎたある日のこと、高梨様は、もしかしたらなにかの変化ではないかとうたがいながらも、その若者に、「明日、わしが城のまわりを馬に乗り三度まわろう。それと同時にかけて、わしを追いつめることができたならば、姫を妻とするがよい。」と、もうされました。 若者は、「承知いたしました。では、明日あらためてうかがいます。」と、こたえて姿を消しました

    あくる日、乗馬した高梨様と若者は、太鼓の合図にとび出して、城のまわりをまわり始めました。 若者は、必死で馬に追いつこうとしますが、そこは、馬術の名手の高梨様のこと、若者はついに追いつくことはできずに、負けてしまいました。 しかも、城のまわりにしきつめられた角石で傷ついたのか、若者は、血を流しているではありませんか。 若者は、なにもいわずに姿を消してしまいました。 高梨様は、家来に若者の血のあとをつけさせました。 するとそれは、先日、花見にでかけた琵琶池のほとりで消えていました。 しかし、そこには誰の姿もなく、またこれといって変わったこともありませんでしたので、家来たちは、そのまま城にもどりました。 ところが、五十日ほど過ぎたある日のことです。 黒姫様が、髪の手入れをなさろうと鏡をみたところ、胸いっぱいにうろこができて、まるで蛇のようではありませんか。 姫様は、しばらく奥の間にとじこもっておられましたが、うろこはますますひどくなるばかりです。 ご両親様のおどろきと嘆きは、いいあらわせないほどでしたが、なすすべもなく、姫様は高梨様の領地である柏原へ、身をかくしたのでした。 そして、そのむかし地雷也がたてこもっていたといわれる山に登ると、くしや鏡など、ご自分の七つ道具を投げすてられたのです。 すると不思議にも、そのお道具は七つの池となりました。 やがて、黒姫様は弁才天女となられ山の主となりました。 それから、この山を黒姫山と呼ぶようになったといわれています。 さて、中野の高梨様のことですが、黒姫様が城を出られてから、中野は豪雨となり、高梨様のご城下は、お城までもすべてが押しながされてしまったそうです。 そして、これも、琵琶池の主のたたりではないかと人々はうわさしました。 その後、ご城下を恋しく思う黒姫様は、毎年中野の祇園におでかけになるそうで、その時はどんなによく晴れた日でも、たとえ三つぶでも雨が降るといわれています。

 

次が・・・

「鍋山黒姫物語」

 今から四百年もむかしのこと、中野の高梨城にひとりの女の子が生まれた。 お殿様は、黒姫と名づけ、手の中の玉のように育て、それはそれは日ごとに美しくなり、信濃の評判になった。それを聞いた高井の奥の佐野池に住む大蛇が、黒姫を一目見たいと思い、若者の姿となり、お城にしのびこみ、姫を見るなり一目ぼれしてしまった。 それからは、毎晩のように、姫の夢枕にたつようになり、話しをしているうちに、姫の心もだんだんうちとけて、若者をしたうようになった。 ある夜のこと、若者が、「じつは、わたしは佐野に住む大蛇です。どうかこんな姿の私だが結婚して下さい。」と告げた。姫は一瞬声もでなかった。「はい、私も、あなた様を好きになってしまいました。どうかこのことを父にお話しください。私は、あなた様にどこまでもついてまいります。」と約束した。 つぎの日、大蛇の若者は城を訪ねて、お殿様に、自分は佐野池に住む大蛇であることの素性も語り、ぜひ黒姫を妻にしたいと申し入れた。「それはできない、姫は高梨家のあととり、誰にもやることはできない。」 それからというもの、断わられても断わられても若者は毎日毎日城を訪ねて、お殿様に願い続けたが、殿からの許しは得られなかった。 意を決した若者は、ある夜、城守の武士をけちらし、とうとう黒姫を城からつれだし、西の山を目指して空をかけた。西の山には二人が住むにふさわしい美しい山がある。 途中、落影の裏山の頂上まで来ると若者がいった。「姫よ、ここでしばらくお待ちください、向こうに見える山にきれいな池があります、そこでこれから暮らしたいと思う。それにつけて山の主にお願いに行ってまいる。」 ひとりになった黒姫は、村においでの庵主さんを訪ねて、米と鍋をかりて煮炊きをしていると、村人がつぎつぎとやってきては、「きれいなお方だが、このへんではみかけねえ人だがおめさんどこからこらっただね。食べる物あるかえ、さあ、うんと食べてくれや。」と、村でとれた野菜を食べきれないほど、しょってきてくれた。 村人のあたたかい心に黒姫は、日のたつのも忘れていた。 七日ほどたったころ、大蛇の若者が帰ってきた。 いよいよ山を目指して、でかけることになった。しかし黒姫は、これまで親切にしてくれた村人と別れることはとてもつらかった。そこで、今までつかっていた鍋を、そっと山の頂に伏せ、「おせわになりました。」とつぶやいて出発した。         その後、村の人々は、この山を鍋山と呼ぶようになった。 この鍋山の入り口に、いまも黒姫が米のとぎ汁を流した白い跡もあるという。

(注)黒姫が人間世界との交流を断ち切るという意味をこめて、出かけるに先だって鍋を割ったという、いいつたえもある。

 

もう一つ・・・・

大蛇になった黒姫 

 むかし、黒姫山のふもとに、父と娘とがふたりだけで住んでいた。家は貧乏だったが、たいへんおや孝行な娘で、はためめにはたいへんしあわせそうにみえた。しかし、ふとしたことから父親は病の床についてしまい、薬も手厚い看病もいっこうにききめがなく。娘はとほうにくれてしまった。ある夜のことであった。娘の夢枕に、ひとりの老人が立って「娘さんよ。おまえはほんとうに父親おもいの感心な子だ。父親の病気を治したいと思うなら、この先に湖がある。そこにいる金色のフナをつかまえて食べさせるとよい。」といったかと思うと、どこえともなく立ち去ってしなった。目をさました娘は、さっそく身じたくをととのえ、まだ明けきらない山道を歩き出した。老人のいったみずうみを探しに出かけたのだ。ようやく湖に着いたものの、どうやって金色のフナをつかまえればよいものやら、思案するばかり。どこにそんな魚がいるのか、ただ広い湖を見てひとり泣いていると、そこへ釣竿をかついだ若者がやってきた。そして、娘にそのわけをたずねた。若者は、娘の話しを聞くと、「それは、私にまかせなさい。釣ってさしあげましょう。」と、もっていた釣糸を水中に投げた。やがて、大きな金色のフナが釣れた。娘はさっそくそれをもらい、ふところに抱いて、若者になんども礼をいうと、家にとびかえった。そして、父親に食べさせると、病気はみるみるうちに治ってしまった。娘は、その後、若者のことを忘れることができなくなった。あの、りりしい姿。金のフナをみごとにつるあげたときの、すずしげなほほえみ。娘は、夜ごとみずうみのほとりにやってきて、若者と出会うのを待った。こうして、ふたたび若者とめぐりあえた娘の胸は、ときめいていた。若者は、近くの野尻の庄屋のひとり息子だった。「わたしの名は、黒姫と申します。おしたいしております。」何度か会って、親しくことばをかわすうちに、ふたりは愛しあうようになり、結婚の約束をかわすほどになった。黒姫は、このことを父親に話した。しばらく考えていた父親は「おまえとは身分がちがいすぎる。かわいそうだが、あきらめねばなるまい。」と、きつく黒姫にいいわたした。黒姫は、どっと泣きくずれた。一方、若者は娘に心を寄せていたものの、庄屋や親戚に説きふせられて、同じ村の金持ちの娘と結婚することになってしまった。それを知った黒姫は悲しみのあまり、とうとうみずうみに身を投げてしまったのである。いよいよ庄屋の息子のしゅうげんの夜となった。にわかに晴れていた空がかきくもり、雷が光り、風がまいあがり、どしゃぶりの大雨となった。するとどうだろう、どこからともなく、一匹の大蛇がするするとあらわれ、若者をさらったかと思うや、天高くまいあがり、いずこへともなく消えてしまった。

「あの大蛇は、黒姫の化身じゃ。」村人たちは、そううわさしあった。とさ

 

 

 

黒姫伝説で黒姫と龍が住んだという七つ池のある天狗の庭の写真を一枚

 

いつ行っても幻想的で

不思議な写真の撮れるところです・・・・・

 

 

 

さらにもう一つ・・・

黒姫山中腹・・・地震滝(ないのたき)へ行く自然歩道の途中に「地雷也洞窟蹟」と言うのがあって、

今もだいぶ埋まってしまいましたが洞窟が残っています。

そこには部下数人を連れた義賊・・・本名尾形周馬という黒姫の大蛇を退治したという伝説の

人物が住んでいたそうです。

「地雷也伝説」

 

 むかしむかし、黒姫山の麓の高沢というところに忍術を使う”地雷也”が住んでおった。その住居は大きな洞窟で二十六畳もあった。地雷也は仙術を使う盗賊で、日本国中を荒しまわったあばれ者であったが、なかなか人情のあつい男でもあった。上州の妙義山あたりで暴れ廻っていたある日のこと。   仙術の恩人である素仙道人が、黒姫山の大蛇に苦しめられていることを風の便りで知った。「先生を助けなければいけない。」といって、祈ったとたん、金色の雲が生れたので、地雷也はとくいのガマの仙術で、ガマごと雲に乗って風よりも早く黒姫へと帰ってきた。「先生を苦しめた大蛇はどこだ。」  樹海を渡って山の奥まで探し廻ったが、大蛇はなかなか見つからない。すると、一人の美しい娘と老婆がとぼとぼと歩いているのに出会った。「蛇を見かけなかったかね。」「いいえ、なにも見ませんでしたね。」と、老婆が言うと美しい娘もうなずきながら、「はい、見ませんでした。」「うむ、そんなはずはないのだが・・・・・なにやら怪しい匂がするぞ。」 地雷也はじっと二人を見すえて仙術をとなえると、ふしぎやふしぎ、二人は足の先からだんだん蛇の姿になってきた。老婆は家来の蛇に、娘はどんどん大きくなり真っ白な大蛇に。「にっくき先生の敵おもいしれ!」 刀をぬいて大蛇にたち向かう地雷也に、ながい舌で火を振りかけるようにして白大蛇がたちむかう。刀が熱くなり目もあいていられない。「よし、先生に習った秘伝の仙術を使うぞ。どろーん」 白い煙が出たかと思うや、あらわれたるは、一ぴきのガマ蛙。目はらんらんと輝き、ほおはふくらんで真赤な長い舌をペローリ、ペローリ。しかもだ、ガマの上には地雷也が髪を逆立てて、仙術の巻物をくわえて乗っている。大蛇はありったけの力をふりしぼり、火をふき背のびをしてとびかかる。「うおっーうおっー。」 地雷也が、エイッと叫べばガマ蛙の目から光線が走る。大蛇は火をふく。大蛇とガマに乗った地雷也との大勝負。 天も狂ったのかにわかに暗くなり、風はふきすさび、黒姫山中うおんうおんと鳴り出した。 大蛇は尾からしだいにしびれだし、ついに家来の蛇は死んでしまった。 ガマ蛙は大きな口で蛇の死がいをごくんと一のみに。するとどうでしょう、あたり一面、さっと明るくなった。みごとおみごと、大蛇を退治したのだ。 ガマ蛙の姿も消えて地雷也一人。仙素道人のいる妙高山めざして歩き出したが、どういうわけか道に迷ってしまい、樹海をあちらこちらと歩き廻り苦しんだあげく、高沢の上にある洞窟にたどりついた。さすがの地雷也も大蛇の毒気にあてられてか、体の調子が悪くなり、残念無念とうとう仙素道人とはあうことができなかった。「先生はどうしているかなー。」 一人で病に寝ていた地雷也は、毎日仙術を習っていた若いころを思い出していた。と、ある日、夢枕に、「越後と信濃の国境に、夜叉五郎という良民を苦しめる山賊の首領がいるから、ただちに退治せよ。」と、仙素道人のりんとした声「ようーし、みていておくんなせい。」 地雷也はあらん限りの仙術をつかって夜叉五郎を討ち取り、夜叉五郎の手下はみんな自分の部下にしてしまった。 地雷也はその後、手下と共に盗賊になったものの、お金や品物など、自分達だけのもの似せず、村人達に恵んでやり、部下達をも可愛がったので、地雷也の気っぷのよさはいまも語り伝えられている。

 地雷也の住んだ大きな洞窟は、いまでは名所の一つになっている。とさ

 

ついでにもう一つ

昔は熊坂山と呼ばれていたところに伝わる・・・熊坂長範のお話

 

「長範の玉石」

 

 今から800年ほど昔のことです。平安も末期の頃信州と越後ざかいの熊坂村に長範という子どもがおったと。体格はずばぬけて大きく、知恵も力もあり、そのうえ太腹だったので村人は「この子は、いまにに大物になるぞ。」と、うわさをしていたと。 それから十幾年、長範は村から姿を消していたが、ひょっこり帰ってきた時は、おどろいたことになんと盗賊のかしらになっておったと。 野尻湖の北方の小高い山を長範山と名付け、そこを根城にして、大ぜいの子分たちと各地を荒し廻ったと。 盗賊ながら長範は、「老人やおんな、子どもに手をかけるな。」「貧しい家をおそうな。」と、きつく子分たちをいましめていたと。 そんなわけで、各地の長者たちをおそい、金銀財宝をうばいとる熊坂長範の名は、天下にとどろいていたと。                                            さて、ある年のこと。長範は、金売吉次一行がたくさんの金塊をもって都からみちのくへ行くことを聞きつけ、その金塊をうばう策をねった。 大ぜいの子分たちを引きつれ、長範は木曽路から山づたいに美濃の国に入った。そして長者の屋敷に泊まっている金売吉次に夜討ちをかけたと。 これまでにない大成功をもくろんでいたのに、なんとしたことか、その夜にかぎって「牛若丸」が同行しておったので、さすがの長範も牛若丸にかなわず、逆襲にあって殺されてしまったと。 戦国の世に平家をきらって盗賊となり、世直しのため資金を貯えていた熊坂長範は、ここにあえなくほろびてしまった。 しかし、現在も信州信濃の長範山の周辺には”長範屋敷””物見の松””厩久保”などの地名が残っており、むかし話しがいきづいているのでおもしろい。 ところで、信濃町から越後路へ入る国道十八号線の赤川手前の大曲から北西へ三百米ほどのところに、”長範の玉石”がある。大きな岩石で、「この下に長範の調達した莫大な財宝が埋められている」と、伝えられている。 また、後日になって、

 ”朝日さす夕日輝くところ、夏あつからず冬寒からず三足半なか”

と、いう宝物のかくし場所をほのめかす書き物が見つかり、この謎の場所をさがす人があとをたたなかったが、いまだに発見されておらんと。しかも探しに行った人はことごとく亡くなったとか。そうそう、「長範山の水をのむと盗み心がおきるから決して飲むな。」という、いましめも伝えられております。

 

 

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