万葉紀行集  吉野(日本の原点、静かに時間は流れる)

 

近鉄吉野駅で降りると、そこは古代からの霊場
として名高い、吉野である。また我々日本人には、
「吉野の桜」とし有名で、シーズンには大勢の
観光客でにぎわうのだろう。吉野は熊野と並び、
古代の神話の世界から聖霊な地とされてきた。
大和朝廷の時期は、大海皇子が兄天智天皇の病気
平癒を祈願して、吉野の山にこもった。これが
壬申の乱のきっかけともなった、事はあまりにも

有名である。ここにある碑は、大海皇子(おおあまのみこ)が天武天皇(てんむてんのう)となって吉野の地を歌った歌である。

 

 

 

 

  

 

 

  よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉よく見よ よき人よく見

                  天武天皇 (万葉集巻1―27)

 よしという言葉が7回も出てくる、古代はたぶん人間の発する言葉に霊が宿ると信じられていた(言霊、ことだま)この「よし」という言葉は古代から縁起のよい言葉とされていたのだろう。それにしても、「よし」という言葉を、漢字で「淑」「良」「吉」「好」「芳」と表現したところは凄い。同音で同じような意味を並べることの言葉遊び的な感じもするが、当時はそれが公式的な儀礼なのかもしれない。でもここで6〜7世紀のに日本人は完全に中国から伝来した漢字というものをマスターしていたことになる。それは、漢字だけでなく、漢字を中心にその背景にある文化というものを相当のレベルまで吸収理解していたのだろう。

古代吉野は「山の吉野」ではなく、「川の吉野」であると言われている。万葉集には吉野川やその支流の象川(きさがわ)を歌ったものが多い。山部赤人の有名な歌

 み吉野の 象山のまの 木末(こぬれ)には ここだもさわぐ 鳥の声かも

                          (巻6―924)

 ぬばたまの 夜の更け行けば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く

                          (巻6―925)

 

 清冽な川原とそこに聞こえる、鳥の声対比はいかにも、自然描写の繊細さと美しさが包まれている。この歌の解釈などする必要もないだろう。詠むことによって、自然と心に情景が浮かんでくるようだ。しかし、和田嘉寿男教授(この紀行集は万葉の大和を歩く会に参加しての感想です)の解釈では、この歌はあくまでも、行幸(天皇の旅行)時の儀式的な歌である。

 なぜなら、山と川を対に歌い、しかも古代山川は神聖な場所とされたため、また鳥、久木(ひさき)動物と植物を配置して、ともに繁栄を示すシンボルとして詠われたというのである。この歌の受ける印象が少し違ってしまうような気もする。

 吉野の川は、絶えることなく流れている。そこは時間がゆっくりと過ぎているような錯覚に陥ってしまう。しかし、歴史の節目節目の変わり目では重要な役割を果たしてきた。吉野にまた、スポットライトが当たるかもしれない。その時は、我々現代人はどのような変革を迫られるのだろう。