今回紹介させていただく食材はテレビ・新聞等で話題になった

水と土がブランド

です。

米の食味

財団法人日本穀物検定協会(東京)によると、タンパク質が軟らかさなどに、でんぷんの一種アミロースが粘りにかわる。一般的に、タンパク値が低く、アミロース値が高いと食味がよいとされる。同協会が4月に行った成分分析では、五郎兵衛米はタンパク質4.8%、アミロース値18.7%と「バランスが非常によく、食味に影響している」。2005年産の玄米で外観や香りなど5項目を測定した食味試験では、「日本晴」とコシヒカリをブレンドした基準米を0とすると味は0.6、粘り0.5など。総合評価は0.65で「かなり高い」とした。


湯気を上げる白いご飯。何度握っても、手に米粒が残る。「粘りがほかの米と全然違う。つやと甘みがあるご飯そのもののおいしさを味わってほしい。」佐久市塩名田で料理店「竹廼屋」(たけのや)を営む佐藤咲江さん(45)は、おにぎりを作る手を休めて言った。
佐久市と合併した旧浅科村特産のコシヒカリ「五郎兵衛米」。1919(大正八)年創業の同店は戦後から使い続け、ほくほくした食感を大切に炊きたてを出している。
 あるお客はおかずを食べた後、ご飯だけ五杯もお代わりした。家族に食べさせたいと、おにぎりを持ち帰る客もいたという。


うまさの秘密は「土地」にある。保水力が強い重粘土質の土、蓼科山からわき出て延長20`に及ぶ用水を伝う清らかな水、佐久平特有の日照量の多さ…。この地が開墾されたのは江戸時代初期にさかのぼる。
 現在の群馬県南牧(なんもく)村の武家に生まれた市川五郎兵真親(さねちか)が、主家・武田家の滅亡を機に伝来の領地がある浅科地区に移住。粘土質で耕作に不向きな土地を水田に変えた。
 先人に敬意を込め、定着した「五郎兵衛米」の名が一気に高まったのは2003年。当時の佐藤治郎・浅科村村長(71)が全国で始めて、国策である米の生産調整(減反)から離脱する方針を表明した。
 耕作をやめると、田が荒れる。粘土質の土壌は大豆やソバなど転作作物には向かない。割り当てられた減反面積を、ほかの自治体に有償で肩代わりしてもらう「地域間調整」でしのいできたが、農家からの負担金の未収が増え、立て替え分が、村の財政を圧迫していた。
 表明から約半月後、県や農協の強い要望もあり、離脱方針は撤回された。しかし、佐藤さんは「政策を押し付けられたままではなく、自分たちで動けると村民が気づいた」と振り返る。なによりも、五郎兵衛米が全国ブランドに躍り出た。
 佐久浅間農協(本所・佐久市)は04年、高まったブランド価値の確立に動き出す。市川五郎兵衛が開墾した旧浅科村上原、中原、下原地区を中心に、五郎兵衛米を生産する水田として約240fを認定。これ以外の水田で作っても「五郎兵衛米」としては買い上げない。
 05年度は約250戸が約1440dを生産。同農協は1俵(60`)当たり、コシヒカリの通常価格に”ブランド料”3500円を上乗せし、17000円あまりで買い上げた。それでも、農協経由で流通するのは全体の12%。知名度とブランド力を武器に、農家個人や卸業者を通じた販路が大半を占める。

「作れば売れる」と生産者が口をそろえる五郎兵衛米。五郎兵衛用水土地改良区の山浦清利理事長(77)は「いい水が、いい米を生む」と強調する。新田に「命」を届ける用水を守ろうと住民同志でごみすくいや草刈などをしている。
 一方で粘土質の土壌では「米で生きていくしかない」とも山浦さんは言う。後継者も不足する中、ブランド維持には消費者の信頼をつなぎ留めることが必要と考えている。土と水を見て「これならいい米ができる」と感じてほしいと、卸業者らを視察に招く取り組みも続く。
 四月、育苗作業が本格的に始まった。山浦さんも14日に種をまき、発芽を待つ。大型連休をすぎれば、田植えだ。「水と土はそろった。あとはお天道さんのご機嫌。今年もうまい米になるといいねえ」(平成18年4月18日信濃毎日新聞より)